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管理官と問題児  作者: 二ノ宮芝桜
第一章
19/83

1-19 こーゆーのは、あーん、ってしゅゆんだよ

 俺はスープをスプーンですくって、ふーふーと適温になる様に冷ました後、彼に向き直る。

「ナスタチウムさん、口を開けて下さい」

「……ひぇ……」

 またか。傷つく。

 隣でテロペアさんは、マイペースに俺のスープを啜り続けていた。こっちは心温まる。

「ナスタチウムさん、食べなければ薬を飲めませんし、体調も良くなりません」

「だ、大丈夫です」

「本気でそうお思いですか?」

 じろりと見れば、彼は「ぴっ」と、小さな悲鳴ようなものを上げて、身を縮こまらせた。

「ナスタチウムさん、口を開けて下さい」

「ひぇぇ……」

 梃子でも飲まないのか、こいつは。

「あのしゃー、ジシュしゃん」

「はい」

 こと、と、サイドテーブルにスープカップが置かれる。俺がナスタチウムさんにと、作って注いで渡したそれは、たった今テロペアさんの胃の中に収められたようだ。

 完食。ありがとうございます。俺の心とスープが救われました。

「こーゆーのは、あーん、ってしゅゆんだよ」

「あーん、ですか」

 言われてみれば、幼い頃に熱を出してしまった時には、母にそんな風に食べさせてもらった事があった気がする。幼すぎて記憶はあやふやだが、言われてみればなんとなく覚えがあった。

 俺はナスタチウムさんにスプーンを近づけると、「あーん」と言ってみた。

「あーん?」

 ナスタチウムさんが不思議そうに「あーん」と口にしてくれたおかげで、すっ、と、スプーンは彼の口の中に侵入する事に成功した。

 ややあってスプーンを引き抜けば、スープはナスタチウムさんの口の中。

 最初こそ目を白黒させていたナスタチウムさんであったが、徐々に状況を理解し、もぐもぐと口を動かしている。

 咀嚼しなければいけない程の野菜が入っていない……というより、全て煮溶けているようなスープなのだが、彼は必死にもぐもぐと口を動かし続けた。

「ナスタチウムさん」

 俺はもう一杯スプーンにスープを掬って差し出す。

「嚥下して下さい」

 食べる気があるのなら、是非二杯目もいって欲しい。が、ナスタチウムさんはいつまでももぐもぐしていた。

「二杯目もあります。嚥下して下さい」

「……んー……」

 駄目だ、飲む気が見受けられない。

「ねーねー、ごっくん」

 俺がどうしたものかと考えあぐねていると、テロペアさんが笑いながら続けた。それに対し、ナスタチウムさんは、素直に嚥下した。

 そうか、ごっくんって言えばいいのか。

「ナスタチウムさん、あーん」

「あーん」

 二杯目を摂取させる事に成功し、俺は三杯目をスプーンで掬う。暫くもぐもぐさせてから「はい、ごっくん」と言えば、素直に飲み込んだ。

 この手順を覚えれば、後は簡単だ。

 俺は何度も「あーん」と「ごっくん」を繰り返し、やっと彼に食事をさせる事に成功したのである。

「この人、子供?」

「いえ、非常に優秀な上司です」

「ジシュしゃんの上司……」

 テロペアさんの視線は、どこか疑い深い物だった。確かに、この状態だけ見るのなら子供っぽく思えるかもしれない。

 だが、一人でとんでもない量の書類仕事をこなす、優秀な上司。これは紛れもない事実だ。

 やがて食べさせ終えると、薬も同様の手順で飲ませた。

 薬だけはやたらと早く飲み込むと「……うえっぷ」と小さく呻く。美味しくは無いからな、薬って。

 何か口直しになる物は持っていなかったかとポケットを漁れば、仕事中、リリウムさんに頂いた飴玉が入っていた。

 何でも、上品な甘さの蜂蜜を固めた飴だ、と言っていた気がする。

 俺は包み紙を取ると、ナスタチウムさんに「あーん」と言って口を開けさせた。彼は素直に口を開けたので、ぽいっと飴を入れてやる。

「……んんー」

 殆ど変わる事の無い表情。俺の認識では、ナスタチウムさんはそういう物だった。

 だが飴玉を入れてやると、口元は嬉しそうに弧を描いていた。……子供か。テロペアさん、大正解じゃないか。

「ナスタチウムさん」

「ふぁい」

 飴玉が口に入っているせいで、不鮮明な「はい」だ。幼い頃から知っている相手のはずだが、どうしてだろうか。今日、初めて知った顔や、知った仕草がある。

 出来る事なら幼い頃から、もっとこんな顔を見たかった。仲良くして、幼馴染になりたかった。

 などと、一瞬だけ感傷に浸ったが、過去には戻れないし、仮に戻ったとしても不可能だと思い直して、平静を装って立ち上がった。

「スープはあと二つ、こちらに置いて行きます。これは、明日の朝食と昼食にして下さい」

「明日の朝は、ジギタリスさんは来ないのですか?」

 ……ジギタリスさん? ジギタリス・ボルネフェルトさんではなく?

 幼い頃からのフルネーム呼びではないせいか、違和感を覚える。が、まぁいい。質問には答えなければならない。

「来ない方が貴方にとっては宜しいのでは?」

「……来て貰えないと、困ります」

「困るのですか」

「はい。あーんして貰えません」

 え、明日も俺は朝からここにきて、あーんするの? いやいや、それで食事を取るのなら良いじゃないか。

「分かりました。では、明日の朝またこちらに伺い、食事の支度を致します」

「お願いします」

 お願いされちゃったよ。さっきまで俺に怯えていたのではなかったのか。あーんで心を許したのか。それとも飴玉か。

「今日はこれで失礼いたします」

「はい」

「ゆっくり休んで下さいね」

「はい。ジギタリスさんも、ゆっくり休んで下さい」

 こんな事、言われた事も無い。俺は内心では狼狽えつつも、必死で平静を装い、彼の部屋をテロペアさんと後にした。

 俺の分の夕食となる、スープの器を一つだけ持って。

「じゃ、ジシュしゃん。器は明日回収すゆね」

「はい、お手数をおかけします」

「いいえー」

 テロペアさんは軽い調子で返す。彼に来て貰ってよかった。おかげでちゃんと食事して貰う事に成功したのだから。

「じゃ、おやしゅみ」

「はい、おやすみなさい。道中にお気をつけてお帰り下さい」

「はーい。怖ぁい殺人鬼に会わないように気を付けゆ」

 この人、死を刻む悪魔(ツェーレントイフェル)の模倣犯の残党の事、知っているのか? いや、まさか。たまたまか。……しかし……。

「じゃ、また明日ねー」

 俺の疑問と不安の混じった視線を気に留めることなく、テロペアさんは手をひらひらと振って帰路につく。俺はその背中を見送ってから。部屋へと帰ったのだった。


   ***

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