1-12 スープを飲んで下さい
翌朝、身支度を整えてからナスタチウムさんの様子を見に行くと、彼は穏やかな寝息を立てていた。そっと額に触れれば、まだ熱がある。
ぐるっと見回すも、スープを口にした形跡も、薬を飲んだ形跡も、水分を取った形跡すらない。クソ、と毒づきそうになるも必死に飲み込み、ナスタチウムさんをゆすり起こす。
「ナスタチウムさん、おはようございます」
「……ひぇぇ……」
また怯えられた。傷つく。
「昨晩ナスタチウムさんにお願いしたお仕事の件、どうなりましたか?」
「お、お仕事、ですか……?」
ナスタチウムさんはおびえた表情を浮かべながらも、赤い瞳を何度も瞬かせた。
「これです」
俺が彼の傍らに置かれたままのメモを指差すと「うさぎ……」と呟く。うん、ウサギさんの形だな。よく気付きました。その調子で内容も頭に入れて欲しい。
「食事と水分、薬の摂取をお願いした筈ですが」
「お……覚えていません……」
「そうですか。では今からスープを温め直してきますので、実行して下さい」
そう言い残して、枕もとで飲まれる事の無かったカップを手に、キッチンに向かった。
程なくして、昨日の残りのスープを持って戻ると、ナスタチウムさんは、これまた置きっぱなしになっていた水で薬を飲み込んでいた。今まで見た事も無い程、素早い動きで。
「順序は逆になりましたが、スープを飲んで下さい」
「お、置いておいて下さい……」
「それで昨晩、飲みましたか?」
「……ぅぅぅ」
なんだろう、今までは幼馴染まない関係ではあるが、どちらかと言えば冷静そうなイメージがあった筈なんだが。どう見ても子供がだだをこねているようにしか思えない。
「スープを飲んで下さい」
「……うう……」
ナスタチウムさんは俺からスープカップを受け取ると、ちょこっとだけ口をつけてこちらをうかがった。飲んでますよアピールか。
「簡単に昼食になりそうなものを台所に用意しておきました。昼はそれを口にして薬を飲んで下さい」
スープカップから口を離し、彼はわずかに頷く。
「では、私は出勤しますが、ナスタチウムさんは今日も休んで下さい。上司には私から話しておきます」
「……仕事は、滞りなく?」
「多少の滞りは有りますが、問題はありません。今は体調を戻す事を第一に考えて下さい」
ナスタチウムさんは暫し考えて、小さな声で「……ラッキー」と口にした。絶対、ネモフィラ様と関わらなくてもいいっていう部分だな。
どうやら結構な負担になっていたようだ。
「また夜に様子を見に来ます。失礼します」
「……ひぇぇ」
ひぇぇ、って言った。傷つく。そんなに俺は怖いか。
ため息を吐きながら、俺は彼の部屋を後にする。また忙しい一日の始まりだ。