1-11 俺は魔物か何かか
仕事は滞りながらも、何とか今日の分だけはこなした。
リリウムさんとライリーさんの手伝いは非常にありがたく、同僚や部下の存在も心強かった。
俺は仕事を終えると、やっと医務室にナスタチウムさんを迎えに行った。
ナスタチウムさんの制服のポケットに入っていたという、寮の部屋の鍵と、当面の内服薬。それらを、明らかに終業時間を越していたのにずっと待っていてくれた保険医から受け取ると、俺はナスタチウムさんを抱える。
「お世話になりました」
「いや、君が大変そうなのは……聞こえていたからね。無理はしすぎないように」
「はい、ありがとうございます」
ナスタチウムさんは、未だに眠ったままだ。
夕食、どうしようかな……。何か食べさせないと薬を飲ませる事が出来ない。
俺はぼんやりと考えながら、寮へと続く廊下を歩いた。
やがて到着したナスタチウムさんの部屋に、部屋の主に無断で申し訳ないが、彼の鍵を使って入る。
中は、俺の部屋の倍はあるか、という程広い。
そして、整理整頓されている、というよりは、物がなかった。必要最低限の、ベッドだとか机はあるのだが、私物と呼べるようなものはおおよそ見当たらない。
俺はとりあえず彼をベッドに寝かせると、キッチンを借りることにした。
薬を飲ませるにしても、何かを食べさせなければいけない。だが、今日は残業。今から買物に出ても、今の彼が口に出来るようなものを手に入れる事は出来ないだろう。
そこで、簡単にスープくらいは作ろうと考えたのだ。
一度自分の部屋に帰ってからやってもいいのだが、まぁ、早い話が横着した。ここで作れば鍋もそのまま置いて行けるし。
一応、部屋と共に数枚の食器と、鍋一つくらいは支給されている。いくらなんでも、何もないという事は無いだろう。
簡易的な台所を借りて、冷蔵庫を開ける。
肉や野菜は入っていた。よかった。もし材料が無かったら、結局横着出来ないところだった。
いや、横着するな、という話なのだが。
俺はいくつかの野菜を小さめに刻み、ウインナーも小さく切ると、簡単な味付けのスープを作る。
細かくしたおかげで、簡単に火は通り、程なくして出来上がった。
俺はそれをスープカップに注ぐと、ベッドサイドに一度置く。
「ナスタチウムさん」
そして、眠っているナスタチウムさんをゆすった。
「……」
ゆっくりと、瞳が開かれる。
「……ひぇ」
ひぇ、って言った。おびえた目も向けられている。
「ナスタチウムさん。薬を飲まなくてはいけないので、先にスープを飲んで下さい」
「……ひぇぇ……」
ひぇぇって言われた。傷つく。
「ナスタチウムさん、今日取った食事は?」
「……ひぇぇ……」
ずっと怯えられている。傷つく。
「ナスタチウムさん、スープを飲んで下さい」
「……ぴぇぇぇ……」
俺は魔物か何かか。話しても話しても、耳に入っている様子すら見られない。
俺はため息を吐くと、ポケットからメモ帳を取りだした。
頂き物の、ウサギさんのメモ帳だ。形がでこぼこしていて使い難さはあるが、可愛らしさを前面に出しているので、好きな人にはたまらないだろう。
それにペンを走らせ、『①スープを飲んで栄養を取る ②薬を飲む ③水分をたっぷりとる ④しっかりと眠る ※スープはキッチンにあります。おかわり出来そうならして下さい』と書いた。折角なので、①や②と書いている部分にも、ウサギさんを紛れ込ませた。これで少しは怖くないだろう。
俺は今作ったばかりのメモを、ナスタチウムさんに渡す。
「……ふぇぇ?」
「その通りに行って下さい。私は自室に戻ります。何かありましたら、私の部屋のドアを叩いて下さい。それではお疲れ様でした」
あまり話は入っていないようだが、緊張の元になっている俺がいなくなれば、きっとメモを見て実行するだろう。
そんな淡い期待からメモを託し、俺は彼に頭を下げた。
「……お疲れ様、でした……?」
何故疑問形。
謎は残りつつも、俺はナスタチウムさんの部屋を後にし、自室で簡単に食事を作って食べてから、休めるだけ休むことにした。
俺の部屋はナスタチウムさんの部屋よりも遥かに小さいが、彼の部屋よりも随分と私物がある。
特に幅を利かせているものといえば、ウサギさんとネコさんとイヌさんとクマさんの抱き枕だ。何故か人に貰う為、一つはその日の気分に応じてベッドに連れ込み、残り三つはまるでインテリアのように鎮座している。
「……今日はネコさんにしよう」
昨晩連れ込んだクマさんと、ネコさんをチェンジ。
さっとシャワーを浴びた後、俺はネコさんと共にベッドに入る。
今日はとんでもなく大変だった。
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