七話 圧死
「ミスリル銀の合成石が大量に欲しい。急ぎの仕事であちこち駆けずり回ってかき集めているんだが、在庫はあるか」
「少々お待ちください」
そう言ってユアンは奥の方へと引っ込んで行った。私を隠れる場所のないカウンターの上に置いて。お客さんはこれぞ親方って感じの髭のオジサンだった。
ボヤ騒ぎの一件から、私は人に慣れる為に店舗に出されることになった。と言っても店番では無く、お客さんが来た時、ユアンに店舗部分へ連れて行かれるだけなのだが。
前世の話をまだまだたくさんしている。文化や生活習慣……例えば今の時期なら炬燵の事、畳や布団、初もうでや豆まきの行事。教育や政治の仕組みをざっくりと。医療などの技術面はがっつり突っ込まれたが知っている範囲で答えた。歴史の事は流石に噛み合わなかったが宗教観なども理解してもらえた。やはり、ユアンの故郷は日本に似た国らしい。
止めどなく溢れる言葉を、ユアンは茶化すことなく聞いてくれる。それは研究魂からかも知れないが、前世にそんな相手がいなかった私は話を聞いてくれるだけでユアンを親以上に信頼しきっていた。
ユアンとだけどうして全く支障なく話せるのか。ユアンの考えの一つとして造り主だからと言うのが有る。魔術による縛りはつけていないのに他人を拒絶するのは、造り主に対して絶対的な忠誠を本能的に備えているからだろうと。
「フラスコから出したら死ぬという記述も、他人と接触出来ないと言う事の比喩だったかもしれないな」
顎に手を当てながら考え込んでいる。ゴーレムと同じような行動の制限があるかもしれないとの考え方もユアンの口から出てきた。
ユアンは、前世の私を詳しく知らない。背景は話したが私自身に関しては全く話さなかった。そうとは知らずに私の行動が生物学的なものだと判断するユアン。
「無理をしなくても良い。少しずつで良いから、出来る範囲で他人と話が出来るようになれ。フラスコから出ても生きられることを証明して見せろ」
出来ないなんて言えなかった。理解しようと言うのが見て取れたし、私が悪いのだと頭ごなしに決めつけることをユアンはしなかった。
貴重な理解者が呆れ、前世の人たちと同じような態度を取るようになってしまったら。私の居場所はどこの世界にもない事になってしまう。恐れることが起きない様にするためには私も努力が必要だ。
親方の視線にはっとする。厳つい顔でじーっと見られている。声を掛けた方が良いのだろうか。いらっしゃいませ、とかこんにちはとか。私の態度でユアンが不利益を被ることだけは避けたい。ギュッとユアンのくれた服のお腹辺りを、掴みながら私は勇気を振り絞って親方に話しかけてみた。
「こ……んに……ちは」
かすれる様な声でもちゃんと聞こえたのか、親方は多分、おそらく、あくまでも普通に微笑んだのだと思う。けれど私がいる低い位置から煽りで見ると、獣形のごつい魔物が舌なめずりしているように見えてしまった。
ぎゃーっっっ、ユアン、早く戻ってきて。怖いこわいコワイ。
私が顔をひきつらせながら親方をおもてなし(?)しているとユアンが戻ってきた。
「丁度先日作ったばかりなので質は落ちていない筈です。お確かめください」
「おお、これだけありゃ何とかなる。やはりユアンは頼りになるな」
「ミスリル銀をこれだけ大量に……という事は、そろそろですか」
「ああ、ここに居る限りは大丈夫だと思うから、町から出るようなまねはしないでくれよ」
ユアンと親方は手に持った袋を交換する。ユアンが持って来た鉱石はうっすら青みを帯びた白金のようだった。一つ一つ手に取って品質を確かめる親方。
親方が持って来たユアンの片手に納まる程度の袋の中には金貨がいっぱい詰まっていた。
うわぁ、すごい。金貨なんて初めて見たよ。
同じように数えていくのを横目に何の話だろう?と私は首を傾げた。ミスリルと言えばファンタジーに付き物だけど、町の外になんか出るってこと?
確かめ終えた親方はちらりと私を見る。ひっ、と悲鳴が出てしまった。
「小人が住みついたのか。職人の家では良く聞くが、人前に出るなど珍しいこともあるもんだ」
「錬金術師も似たようなものですからね。技術を磨くことに精進する所は職人と変わらないでしょう」
「うむ、しっかり励めよ」
がっはははと笑って親方は去って行った。剛毅な人だ。ちょっと見た目怖いけど。
「今のは鍛冶屋のゴブニュさんだ。親方と呼ばれている。親方と話は出来たのか?」
「挨拶はしました。こんにちはと言っただけですが」
いきなりあれと意思疎通は難しい。褒めてほしいとは思わないが努力はした。それにしても覚えにくい名前だ。親方で覚えた方が無難かな。
ユアンは私を持ち上げて工房へ戻り、中断させていた作業を再開させた。
「二体目、三体目が作ることが出来れば学会で発表するつもりだ。その時は沢山の人に囲まれて話を聞かれることになる。人に慣れておいてくれ」
「見世物になるの、いや」
ショックが大きかったのか片言になってしまった。一人と会話するのにも苦労するのに大勢の前に立つなんて出来るわけがない。
呆れられただろうかとユアンを見ると、一瞬驚いたような顔をした後にため息をつかれる。
「まさか拒絶の言葉が出るとは予測できなかった。感情面で欠陥が出てしまったのか。他人と話も出来ないようでは成功とはいえないな。慣れさせるためには何をすればいいのやら」
ぶつぶつと呟くユアン。あくまでも研究対象としてしか見られない事に少し寂しさを感じてしまった。そんなの、初めからわかっていた事なのに。……人として相手をしてほしいのに。
考え込むユアンをほっておいて落ち込み続けていると、またドアベルが鳴った。今日はもう無理、勘弁してと断固拒否する心算でいたらユアンは私を忘れて行った。
―――今なら逃げられる。ユアンが戻ってこないうちに少しの間隠れてしまおう。お客さんが帰ったらまた姿を現せば良い。辺りを見回して身を隠すことが出来ないか考える。
作業台の下に降りてしまえば早々見つからないかもしれない。私は布団の代わりに使っていたタオルの端を結び、降りられるだけの長さにした。支点となる固定された物を探すが、無いのでタオルの端に本を積み重ねて重しにする。
そろりそろりとタオルを伝って作業台の上から下に降りる。ずず、ずずと少しタオルが動いた気がしたが無事に着地できた。
今まで見た景色とは違う、薄暗い作業台の下。ユアンが度々掃除しているのを見かける、チリ一つ落ちていない床の上。隅の方にネズミやゴキブリとか蜘蛛がいないかとびくびくしながら見回していると、ドアが開いてユアンが戻ってきた。
作業台の上ではあまり感じなかった振動が床だともろに全身に感じる。ユアンが歩くたびに床が揺れるのだ。
故郷が日本に似て着物文化だから足をあまり上げずに歩くのだが、それでも揺れるものは揺れる。隠れるところが無いか探すけれど手近な所には無い。あわあわ言いながら、またタオルがぶら下がっているところへと戻ってきてしまった。
「ミコト、どこ行った?」
支えにしようとタオルに掴ると、思いのほか力が入ってしまったらしい。タオルごと、本が真下にいる私の上に落ちてきた。
ごつっと、本の角が床にあたる音が耳に響く。
咄嗟に頭を抱えて伏せた私の上にタオルが落ち、その上に開いた状態で本が落ちたので大した衝撃は受けなかった。けれど本をどかすほどの力が私には無い。
匍匐前進の様にとにかくじたばた動くが、上に乗っている本とタオルごとずずずずと前に進んでしまう。逃れる相手に助けを求めるのは筋違いと、そのまま頑張って進む。上に本をのせたまま。
ずずずず、ずずずず、ずずずず。ふぅ、ちょっと休憩。
ずずずず、ずずずず、ずずずず。……あれ、真っ直ぐ進んでないよね、これ。
ずずずず、ずずずず、ず。何かにぶつかった。これ以上は進めない。左右は本が重しとなって動けないし、後ろへ下がろうとしてもタオルがつっかえてうまく動かない。
万事休す。斯なる上は―――
「ゆーあーんー。たすけてー」
「私もまだまだだな。観察していたが全く理解できなかった。一体何をしているのだ?」
真上から声がしてひょいっと本が持ち上げられた。ぶつかったのはユアンの足で、上からずっと見ていたらしい。私自身も作業台の上に戻された。
しばらく私の答えを待っていたユアンだったが、いきなりぶはっと吹き出した。何事かと思ってみていると、お腹と口を押さえ肩を振るわせ始める。
知的に見える顔が崩れ、笑いを堪えようと変な顔になっている。
「いや、悪い。飼っていた猫が袋に頭突っ込んで似たようなことをしていたのを思い出した。くくっ、前世人間だったはずなのに猫と同じ行動……」
私、笑われている―――?あれ、でも前世であんなに嫌だったはずなのに大して怒りや羞恥を感じない。ちょっと自分でも馬鹿なことをしたと思っているからだろうか。居た堪れない気持ちなど全くなかった。
「またお店に出されると思ったから逃げようとしました。本の下でじっとしてればよかったのに逃げる事ばかり頭に浮かんでて」
「そんなに嫌だったのか」
「見知らぬ人の前に私だけ無防備な状態で立つのは怖いです。人間サイズならともかくこの大きさならそのまま攫ってしまう事も出来るでしょう?」
嘘です。人前に出るのが嫌なだけです。極度の人見知りを治すために無理したくありません。
私の必死な思いが通じたのか、ユアンは思案顔で頷いた。どうやら笑いの峠は越えたようで、元の無表情に戻っている。
「悪かった。一人だけで店に置くのは控えるようにする……わ、悪い、また発作が……」
ツボにはまってしまったのかずっと笑い続けている。大声を上げて笑わないから迷惑な事は何もないけど、そんなにおかしな事かな。笑いのツボが分からないや。
ユアンって、ちょっと面白い人?