三話 転落死
あまり喜んでいないように見えるが、人体を製造するなんて錬金術の類でも本当はすごい事ではないのか。そう聞こうと呼びかけようとして、名前をまだ教わっていない事に気付いた。
自己紹介。前世では非常に苦労した、第一印象を決める為に大切な儀式だ。印象付けようと突飛な考えが頭の中を駆け巡っても、いつだって無難なもので済ませてしまう。相手の名前を聞いて必死で覚えようと上の空になってしまうのも今となってはいい思い出だ。
大丈夫、まだ一人しか会っていない。この建物の中も他の人の気配や足音は全く聞こえないから、おそらくここに居るのはこの人だけだ。取り敢えず、名前を聞くだけ。
「あの、何て呼べばいいですか」
「そう言えば自己紹介がまだだったな。私の名はユアンだ。見ての通り錬金術師をやっている」
ユアン。髪の色や顔立ち、着物に近い服を着ているせいもあって日本やその周辺の国の名前を想像していたのだがどうやら違ったらしい。そもそも今話しているのが共通言語なのかどうかも分からない。世界観も何も知らないから前世の名前が変な意味かどうかも分からない。
私は名乗ることをせず、ユアンにお願いした。親みたいなものだからおかしくは無いよね。
「ユアン、私に名前を付けて下さい」
「では、ホムンクルスだからホムで」
直ぐに帰ってきた答えにちょっと唖然としながらも反論する。ユアンって名前つけるのが面倒くさい人?犬にぽちで猫にたまな人?
「安直すぎます。却下」
「三体目だから三号で」
「ユアンにとって三号と言うのは名前になるのですか」
「我がままだな。造り主をもっと敬え」
「私の造り主は粋な名づけの出来る人だと信じています」
ぽんぽんっと打てば響くような会話のやり取り。前世で密かに憧れていた何気ない風景。これが出来ていたら自殺することもなかったのにと、今となってはどうしようもない事を考える。ああ、でもちょっぴり皮肉だったかな。ユアンは傷ついていないだろうかとこっそり顔色を窺うが表情からは読み取れなかった。
前世の私を知る人はここにはいないから、体裁も何も気にしなくていい。たったの一年だから後の事を考えずに違う自分になりたい。なっているけど。人ですらないけれど。
私がただの会話にじんわり感動しているとユアンの声が聞こえた。
「クレア」
ついうっかりと言う感じで、ユアンの口からポロリと滑り落ちた女性の名前。家族か知り合いか、それとも……気になる人の名前?そもそも既婚者なのかもまだ知らないけれど、私は素知らぬふりをして承諾してみる。
「クレアですね、分かりまし―――」
「いや違う、今のは無しだ。その前に性別は無い筈だから、どちらでも使える名前の方が良いか」
「前世では女でしたので女性名で構いませんよ」
「君は奇跡的に目覚めた大事な被験体なのだから、安直なものでは無く考え抜いた素晴らしい名前を付けるべきだ」
さっきと言っていることが違う。乏しい表情ながらも片手をぶんぶんと振っている辺り、気になる人の名前だったらしい。作業台の前を離れ顎に手を当てながらせわしなく部屋の中を歩き回る。誤魔化そうとしているのが見え見えで、ちょっと微笑ましくなった。
「核として使っているのがエメラルドだから、エメラルド、エスメラルド、ミラルダ……ダメだ大仰すぎるし似合わないし呼びにくい。第一そんなに美人でもない」
さらりとひどいことを呟いている。作ったのあなたでしょうが。はっまさかロリコン?大人の女性が苦手だから幼児体型で作ったのか。性別が無いという事はショタコンという事も有り得る。命の危険以外に別な危険もあるなんて聞いていないよ、神様。
ユアンがぶつぶつ言いながら名前を考えている間、改めて部屋の中を見回す。
誕生した時にいた小部屋は薄暗く、フラスコや試験管が沢山あった実験室と言った感じだった。今いる場所は明るく、どちらかと言うと工房と言う感じだ。
窓が一つに扉が二つ。木の床に光を落としている窓辺には、鉢植えの植物が置いてある。自分が立っているのは作業台と言えるような簡素なテーブルの上だ。引き出しのたくさんついた薬が入っていそうなタンスや分厚い本の詰まった本棚も有る。
個人宅の部屋としては広く、学校の教室程度の広さと言ったところか。全体的に物が多いけれど整頓されて掃除が行き届いている。
……うん?良く考えたら私、一人でこの作業台の上から移動する事すらできないのではないか。本棚の方にいるユアンを見ながらその事実に気づいてしまった。
測っていないからわからないけれどユアンに捕まれた感じから身長が十センチだとして、作業台の高さが六十センチから七十センチ。単純に十倍して身長一メートルの子供が六メートルから飛び降りて無事でいられるわけがない。
私はタオルにくるまったまま作業台のへりへそろそろと近づいた。気分は崖の上に立っているようだ。谷底から吹き上げてくる風が頬を撫でる幻覚すら感じるほど、とてつもなく高い場所にいる心地。
ここから飛び降りたら死ぬのかな。そんなことを思った瞬間には既に机の上から足が離れていた。落下の浮遊感に既視感を覚える。いつか生きた人生でこんな事が有ったかもしれない。……飛び降り自殺。
ずざざざとものすごい音がしてユアンがスライディングして私を受け止めようとしている。部屋の中はきれいに片づけられているので、障害物やほこりが巻き上げられるようなことは無かった。ぴょこんと両の掌に落ちるはずだった私はごすんと鈍い音を立ててユアンの頭の上に着地し、そのまま床の上に転がり落ちた。
無反応なユアン。打ち所が悪かったのかと心配になってぺちぺちと首筋を叩いてみると、むんずと掴れて思い切り睨みつけられた。ちょっと怖い。
「なぜ飛び降りた」
「え?あの飛び降りたら死ぬのかなって考えたら飛び降りてました。そんなつもりは全くなかったのに」
「小さい分、脳の回路も短いのだろう。前世の感覚のままでいると、思考がそのまま行動に移る場合もあるかもしれない。気を付けるように」
怒りを自分の中で昇華するようにはぁーと長いため息をついたユアン。最初の段階でいきなり乱暴にフラスコから出されたので、もっと怖い人かと思っていた。私の命なんて何とも思っていないような冷血漢のイメージは覆る。
お世話掛けますと言ったら全くだと返された。
「名前の件だが、前世ではどのような名前だった?」
「ミコトです」
美しい琴と書いて美琴。琴の奏者だった祖母が付けたらしい。母も私も弾けないし、教わろうともしなかった。もっとも物心つく前に祖母は無くなってしまったから、名前だけが残されたのだけれど。
墓石の下で眠る祖母との繋がりは、たったそれだけ。思い出も何もない、知らない人からつけられた名前。できれば両親に付けてもらいたかった。
「私の故郷の言葉では命と言う意味もあるな。そのままミコトでもいいか」
やはり日本に似た国の出身らしい。けれど、とても複雑な思いだ。呼ばれ慣れない名前よりはと言う思いと自殺した前世の名前を引きずるのかと言う思い。拒絶すれば理由を聞かれる可能性がある。それだけはどうしても避けたい。
弾けない琴の字が入っている上に美しいだなんて、何て皮肉。
けれど、たった一年だ。おまけの人生みたいなものだからそれでもいいかと無理やり考えを前向きにして、私は頷いた。
「はい、私の名前はミコトです。よろしくお願いします。ユアン」
「君はせっかく成功した被験体だ。出来るだけ長く生きることを考えなさい、ミコト」
寿命の事はユアンをがっかりさせたくないので黙っておく。生まれてから、出会ってから時間が経ってないのに秘密は増える一方だ。でもユアンにとってはどうせただの実験体だから、そんな事は気にせずきっと失敗した理由を探し出して次を作り出すのだろう。
おそらく今の私みたいに、何食わぬ顔をして。
「そのヒノクニと言う所ではこの辺りと言葉が違うのですか?」
「いや、今はどこの国も共通言語が使われている。ただ、歴史の長い国は古語として独特の言語を持つことが多い。……そうか、先ほどから私と同じ言葉を話しているから気付かなかったが、この世界の知識は持っていないのだな。分かった、追々教えていく」
自殺と言う大罪を犯しながらも与えられた仮初めの命。その日から、錬金術師ユアンとの共同生活が始まった。