二十一話 誘拐
「もしも別の方法で出来上がった個体が成長しても、ミコトは嫉妬しないのか?」
ユアンに言われてその状況を想像してみる。小さな細胞が出来て人間の赤ちゃんが出来て、どんどん成長して学会で発表して。ユアンもエドワードも喜んで。
―――その時私は。
私は、何も、出来ないままで、死んで。ユアンにも忘れられて。記録に埋もれて。
寿命は一年と決まっているのだから丁度いいのかもしれない。死にたがりのホムンクルスが死ぬだけの話だ。もっと長く生きたいとも思わない。
前世とおんなじ。ううん、自分で死を選ばなくて済むだけ気が楽だ。楽な、はずだ。
なのにどうして。
『ミコトにはずっと生きてもらわねば困る』
ユアンに言われただけでこんなに嬉しくて、そして悲しいの?
箒で飛び回れるようになった私は、ユアンに家の中と庭先で自由に飛び回る許可を得る。場所を覚えれば知り合いの元へ手紙を配達できそうなのに、外へ出るのは許してもらえない。
季節はもうすぐ夏。昼間の日差しは徐々に強くなってきたので、私は夕方の涼しい時間帯を選んで庭先を飛んでいた。
現実を忘れられる娯楽がこれしかなかったから。
寿命が一年しかないとユアンにはまだ言えていない。私が生まれたのが白銀の月、三日。大体二月くらいで、今は森の月…五月の十九日。
まだ三か月しか経っていないのに、ユアンと話をたくさんしたし、いっぱい考えた。前世の薄っぺらな人生に比べて、随分と密度の濃い時間を過ごしている気がする。
あと九か月弱でユアンともお別れだ。
九か月で終わってしまうなら何かをするだけ無駄だとは思わなくなっていた。ユアンの為に何かをしたいのに、何にも出来ない小さな自分がもどかしい。
庭を囲む柵の少し手前を飛んでいた時、目にも留まらぬ速さで何かが覆いかぶさってきた。箒ごと地面に叩きつけられ、思わず手を離してしまう。
どこからか男の子の非常に元気な声が聞こえた。
「よっしゃあ!とった!」
動かずその場で状況確認をするが白い布に囲まれているばかり。その白い布も何やらもぞもぞと動いている。箒を拾おうとして手を伸ばそうとした途端にふわりと体が宙に浮いた。
「な、なにこれ?」
周囲を覆う布ごとつままれて、籠の中へと放り込まれた。要するに、虫と勘違いされて網でつかまえられ、格子状の虫籠に入れられてしまったようだ。
籠の外から男の子の二つの目が覗く。好奇心に満ちた目はキラキラして綺麗だけれど、今の私にとっては恐怖でしかない。
「出して!ここから出して!」
相手が子供と言うこともあってか、人見知りの本領は発揮されない。寧ろ命の危険を感じて必死だ。
無邪気な子供の虫遊び程、今の私にとって恐ろしいものは無い。だってこの後何されるのか…
手足をもがれるかも。犬や猫の餌にされるかもしれない。
「出さないよ。妖精は高く売れるんだって母ちゃんが言ってた。小遣いだってたくさんもらえるんだ」
答えるなり男の子が籠を持ったまま勢いよく走り始めたので、その中にいる私もかなり揺さぶられた。ちょっと、これ地味に酔うよ。
それでも必死に籠の目にしがみ付き、外の様子を見る。景色はユアンの家から離れ、見たこともない路地裏を通り、ほとんど外に出た経験のない私は、当然のことながら自分がどこにいるのか全く分からなくなった。
「母さん見てよ!妖精捕まえた!」
漸く移動が終わったようだ。男の事は別の、化粧の濃い女性の顔が籠の外ににゅっと現れる。こ、怖いです。
「何言ってんだい、羽が生えていないから妖精じゃなくて小人だよ」
「えー、空飛んでたのに。じゃあ、いっかくせんきんは?」
「売れるかもしれないけど、それほど高くは無いね」
「ええ~っ。小遣いはぁ?」
どうやらここは小さな市場のようだ。女性は私の入った籠を屋台の軒先にひょいっと釣る下げてしまった。そのまま男の子に小銭を渡す。
「やった!」
「あんまり無駄遣いすんじゃないよっ」
男の子が走っていくその背中に、女性は声をかけて見送った。
日はとっぷりと暮れ、明かりのついたカンテラが吊るされている。店の品ぞろえは野菜や果物ではなく、安っぽそうな鏡やタペストリー、護符や腕輪など。胡散臭いまじないなどに使いそうな商品ばかり。香を焚いているのか独特の匂いもして、ここがまともな店ではないと肌で感じていた。
他の屋台も何だかいかがわしい雰囲気を漂わせている。薄暗くてよく見えないけれど種類の分からない小動物を売っていたり、紙で巻いたたばこのような物も見えた。
時々見かけるお客も堅気ではなさそうな人ばかり。一人の目つきの鋭い男性が籠の中を覗き込んだ。
「中々良い服を着ている小人だな。って事は服飾系の小人か」
「おお、お客さん良いところに目を付けたね。とは言え小人の取引はばれたらこれもんだからね。少々値が張るよ」
両手首の内側をくっつける仕草をする。非合法の商品ばかり扱っているお店ってこと?
それより、外から見られるここならまだしも、買い取られて建物の中にでも連れて行かれたらきっと戻れなくなる。
ユアンにこのまま会えなくなってしまうのは、困る。
私は客に買われないように変顔をした。両手で顔を引っ張り白目をむいて舌を出す。どうせどこの誰だかわからないし二度と会わないであろう人の前だから出来ることであって、ユアンやエドワードの前では絶対に出来ない。思った通り、客はギョッとした。
「う、うちには必要ないからな」
「何だ冷やかしかい?帰った帰った」
客を見ていて私の顔を見ていない女性は、しっしと追い払う仕草をした。その後も何度か客が来るが、やはり小人の売り物は目を引くようでその度に変顔をして撃退する羽目になった。
埒が明かない。ユアンか誰か知り合いが通るのを待つしかないと思っていたが、勇気を振り絞って自分から女性に話しかけてみた。
「あのう、私ユアンの家に帰りたいのですが」
「嘘をつくんじゃないよ。外をうろついている野良小人に主人なんかいるわけがない」
「ちゃんと庭の敷地内に居ました!あの男の子に網で捕まえられたんです」
「うるさいね。黙らないと犬のえさにするよ」
女性が指差した先には、隣の店のどう見ても犬ではない動物。良いタイミングで牙をむいてきてグルルとうなっている。ぐっと押し黙るしかなかった私を見て女性は機嫌をよくした。
「そんな立派な服を着せてまであんたの主人はあんたを追い出したかったんだろうね。一体何をしでかしたんだか知らないけどさ」
この服はクレアさんが作ってくれたものだし、私はホムンクルスだから小人の常識は当てはまらない。けれど女性の言葉は今の私にまるっきり毒となる。
「新しい小人が欲しかったのかもしれないねぇ。もっと出来のいいヤツがさぁ」
「―――っ」
小さな悲鳴がのどから洩れた。慌てて耳を塞いで、それ以上聞こえないようにする。
……そっか。自分が死ぬ前に捨てられる可能性だってあるんだ。
ユアン。ちゃんと探してくれているのかな。もしかして実験に夢中で私がいない事に気付いていないのかも。
それとも、次のホムンクルスを造るのに煩わしい私がいなくなって喜んでいるのかな。
籠の中で座り込んで泣いていると、近づいてくる人の気配と女性の声が聞こえた。
「ほら、次の客が来たよ。しゃんとしな」
「ミコト、か?」
思わぬ場所で名前を呼ばれて驚き、伏せていた顔を上げるとそこには―――