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十五話 魔法を教えて

 ユアンの言葉でちょっぴり前向きになれた私は、生きる決心なんてものをしてしまった。けれどいつまた鬱な状態になるかも分からないので、手探りでもいいから動くことを決める。

 魔法が使えるようになったら移動が楽になる。ユアンの手伝いだって出来るかもしれない。


「一般的な魔法を教わるならばエドワードだな。専門的な分野となるとエリーだがどちらが良い?」

「お二方とも空いている時間はあるのですか」


 エドワードは貴族。全く見えないけれど貴族。家族構成はまだ詳しく知らないけれど、貴族はたとえ両親が健在で自分より年上の兄弟が多くても任される仕事は沢山あると思うのだけれど……。

 それにエリーはお店を開いている。繁盛しているかはともかく稼ぐためにお店を開いているならあまり離れられないだろう。


「エリーはどうだかわからないが、エドワードはミコトが望めば喜んで教えてくれると思う」

「どうしてですか」

「ミコトが命の恩人だからだ」


 忘れてた。ケーキを持って来た理由はそうでした。美味しかったことと死にかけたことしか覚えてないよ。


「無自覚でしたことをあまり恩義に感じてもらっても困るんですけど……」

「そうでなくともあいつは普通に仲良くなりたがってる。だから気にするな」


 私はうーんと腕を組みながら考える。実は毎日お粥ばかりで飽きてたんだけど、ユアンの実験料理が始まるのが怖くて言えなかったんだよね。

 だからあの甘味は本当に有り難かった。もしもエドワードに教わったら他の料理とか食べられるのかなとちょっぴり思ったりする。

 まあ、それはさておき。仲良くなりたいと分かっている人の方が相手にするのは楽かもしれない。


「それなら、エドワードの方でお願いします」


 変な事されてもユアンが止められそうなのはエドワードの方だ。エリーは何というか、底の知れない感じがする。仲良くなりたいのはこちらも同じ、前世ではうまく行かなかっただけで気持ちだけはきちんとあるのだ。


「ならば、エドワードの屋敷まで出かけるとするか」




「おや、ようこそユアン様。最近は滅多にこちらへ来られないので旦那様が会いたがっておいででしたよ。本日はエドワード様にご用ですか」

「ああ、……いや私では無くミコトが呼んでると伝えてくれ」

「そのミコト様とはどちらにいらっしゃるのでしょう?」

「エドワードにそう伝えてくれればわかる」


 声だけでは門番なのか執事なのか分からない。ポシェットの中にいる私が男には見えていないから不思議そうな声ではぁ、と生返事をした。こちらへどうぞと案内する声の後、ユアンが移動を始める。

 貴族相手に先触れを出さなくていいのかと思ったけれど、この世界ではどうなんだろう。親兄弟でも面会に事前連絡が必要だと、ユアンの行動はかなり常識はずれな事になる。ユアンは我を通す人ではないし、男性の対応を聞いているだけだとそんなことをしなくても良いくらいの間柄なのかもしれない。


 貴族のお屋敷ってちょっと見てみたい気もするけれど、この状態では顔も出せないし少し残念だ。


「少々お待ちくださいませ」


 そう言って男が出て行く気配がした。ユアンがポシェットから出してテーブルの上に私をのせる。工房とは全く雰囲気の違う、高貴な世界がそこに広がっていた。


「ここが、エドワードのお屋敷。すごい……」

「貴族だからな。私の工房とは大違いだろう。ミコトはこの部屋の端から端まで歩くだけで疲れそうだな」

「確かに」


 応接室とは思えないほど広い。私が乗っているテーブルも、果たしてここに乗ってしまっていいのだろうかと言うくらい立派なテーブルだ。大きな絵が飾ってあったり、綺麗な花が高そうな花瓶に活けられていたり。窓も大きくて、そのまま庭に出られる作りになっている。


 待っている間にお茶でも出されるのかと思ったけれど、その前に階段から何かがどたたたっと転げ落ちるような音が聞こえる。ついで「エドワード様っ」と悲鳴のような声。


 ユアンと顔を見合わせているとばたんっと乱暴に部屋のドアが開け放たれた。何だか必死な顔をしたエドワードが文字どおり転がり込んでくる。


「ユアン、ミコトが呼んでるって本当かっ」

「落ち着け、ミコトが怯えるだろう」


 只でさえ他所のお宅で緊張しているのに、エドワードの勢いは私の人見知りを再発させそうだった。ちょっと逃げ腰になりながらも大丈夫、知らない人じゃないしこの人はケーキを持ってきてくれた優しい人の筈だと自分に言い聞かせる。

 食べ物をくれる人が皆いい人だとは思わない。思ってないからね。


「こんにちは」


 顔を引きつらせながらもにっこり微笑んでみた。ぱあぁーっと顔を輝かせてエドワードは涙を流しながら感激した。そこまで反応されると返って逃げたくなる。


「くぅぅぅー。女の子と段々仲良くなれているのが実感できるのってすごくいいなぁ。貴族女性って何考えているのが分からないのが多いから会いに来てくれてとても嬉しいよ」


 大げさすぎる。私にそんな価値があるほど可愛い気が有るとは思えないし、エドワードに対してそんなに懐いている素振りを見せた覚えもない。


「ユアン、エドワードって女性が苦手なのですか」

「いーや、特にミコトみたいな可愛い女性は大好きだよ」


 小声でユアンに聞いたのになぜかエドワードが答えた。女性に対して可愛いとか大好きという言葉を躊躇いもなく言えるこの人はきっと―――

 ユアンが私の考えを読んだかのように答えた。


「むしろ女たらしで刺されるタイプだ」

「……なるほど」


 貴族女性が何を考えているのか分からない状態になったのはエドワードの自業自得という事か。何となく揉め事にユアンが巻き込まれるところまで想像してしまった。私の冷めた視線に聞かず浮かれた調子でエドワードは話しかける。


「ケーキ食べるかい?それともクッキー?ユアンの故郷と似ているところに住んでるって聞いたから饅頭なんかも用意できるよ」

「今日は魔法の事で相談にきた」


 甘味の申し出に揺れる心をユアンは容赦なく切る。そうだった。食べに来たのではなく魔法を教えてもらいに来たのだった。私に要件を促すようにユアンは背中をそっと押した。


「魔法を教えて下さい、お願いします」

「え、ユアンじゃなくて俺?嬉しいけど、ユアン、まさか無詠唱に慣れ過ぎて呪文を忘れたか」

「そんなわけあるか。実技を教えるのが得意なのはお前の方だし、それに男女構わず周りに教えることもしていただろう?」

「あれはコネを作るためにしていた事だ。けど……うん。いいよ。取り敢えず庭に出ようか」


 応接室の硝子戸を開けてそのまま庭に出る。手前には芝生が広がっているけれど、奥の方には草木が配置されていた。様々な花が自然に近い状態で咲き乱れていて、イングリッシュガーデンのようだ。

 ユアンの手のひらに乗っている私に、エドワードが話かける。


「じゃ、俺が呪文を唱えてお手本を見せるからマネをしてごらん。難しいことは考えずにイメージを大事にするんだ。―――この世に遍く水の精霊たちよ、我が願いを聞き届け汝が力を示せ。母なる大地を潤したまえ」


 エドワードが両手を前に突き出してとても珍しくまじめにいい声で呪文を唱えると、空中に水の球がふよふよと現れる。庭の中央まで移動したかと思うと、ぱっと細かい水の粒になって雨のように草木に降り注いだ。

 お手本があるとイメージもしやすくなる。たった今見た出来事をなぞる様に思い浮かべながら私も呪文を唱えた。


「この世に遍く水の精霊たちよ、わが願いを聞き届け汝が力を示せ。母なる大地を潤したまえ」


 はっきり言えるように声の大きさにも気を付け、多少恥ずかしいとも思ったがイメージを優先することで払拭した。ゆっくりと一言一句間違えずに言えたのに何にも出てこない。

 自分のちっちゃな両手を思わず見る。がっかりだ。段々俯いて口元がへの字に歪んでいくのが分かる。


「エドワード、そんな長ったらしい呪文で初心者が魔法を使えるわけがないだろう。言っているうちに集中力が途切れるぞ」

「かわいい女の子がたどたどしく難しい呪文唱えるのって萌えるよね」


 へらへらしながらエドワードがとんでもない事をのたまった。私が間違えない様に一生懸命唱えた呪文は全くの無意味だったらしい。人の努力をあざ笑うなんてひどい。私は後ろを振り向いてユアンを見上げる。


「……ユアン」

「工房に戻るか。馬鹿だと思っていたがここまでとは思わなかった」


 以心伝心、怒りが伝わったのかユアンもくるりと回れ右をする。時間を無駄にしてしまった。


「うわわわ、ちょい待ちっ。今ので一滴も出なかったんなら見込みは無いって」


 慌ててユアンの前に立ちふさがるエドワード。わたわたと焦りながら弁明をする。


「本当だ。少しでも反応があるならともかく、正式な呪文を唱えて全く精霊が力を貸さないとなると見込みは無いと考えた方が良い。確かに初心者向けの呪文じゃないけれど魔力が少ない者が使う物で、言霊の力を借りられる。ミコトは石の魔力を生命を存続させることに使っているんだったらこっちの方が良いと思ったんだ」

「以外にも一応考えていたんだな」


 ユアンが感心したように言う。自分の言い分が聞き入れられてほっとするエドワードはそのまま考えを述べる。


「魔法自体は諦めた方が良いんじゃないかな。言った通り魔力を生きることに使っているかもしれないし、この前の回復のようにもし無自覚で魔法を使うようならば法則に乗っ取った魔法を使う俺たちにはお手上げだ」

「私の大きさだと何もできないから……移動も容易にできないからせめて魔法が出来ればって思ったんですけど……」


 結局何もできないんだと思ったら声が小さくなってしまった。エドワードの傷を治した時みたいに皆が驚くほどの魔法が使えると予想していたのに、なんだか馬鹿みたいだ。


「ごめん、役に立てなくて……」


 エドワードは謝るけれど、何一つ悪くない。ここで私が落ち込んだ顔をしていたらもっと気に病んでしまうかもしれない。

 私は無理やり笑顔を作って、お礼を言った。


「有難うございました。ユアンと相談して何かできることは無いか探っていきます」





 工房に戻って、ユアンに窓際に居させてもらう。ここの庭の水撒きでも手伝えれば良かったのにと思いながら眺めていると、私の沈んだ気持ちに反応するかのように雨が降ってきた。

 わずかな期待を込めてユアンに聞く。


「ユアン、水の魔法で雨が降るのって有り得ますか?」

「いや、そこまで大規模な魔法は儀式を行わないと無理だ。そうなると魔法でなくて魔術だな」


 雨乞いの儀式、か。奇跡かと思ったのに単なる偶然だったみたいだ。ユアンも窓のそばに来て外を見た。春の若く柔らかい葉に静かに優しく雨が降っている。


「もしかしてミコトの願いを精霊が本当に聞き入れてくれたのかもしれないな」


 ユアンの言葉は気休めだ。気持ちは嬉しいけれど、それで喜んでいたら前に進めない。

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