十二話 外出
「一応、町の雑貨屋を覗いてから採集に行く。予算内で済めばいいが……」
クレアさんが作ったくれたポシェットに私が入れば、ユアンはそれを首からぶら下げた。ピンクの花柄で小さな女の子が身に付けていれば非常に可愛らしい巾着タイプの袋である。少なくとも大の男に贈るものではない。惚れた弱みか……それでも素直に身に付けるユアンが何だかとっても可愛い。クレアさんはかなりの強者だ。
「絶対に飛び出すな。私が良いと言うまで話をするな。街中での外出に問題が無ければ採集にも連れて行く」
「せっかくお出かけなのに外の様子が見られないのは残念です」
「もう少し暖かくなったら庭に出てもいいから、それまで我慢しろ」
庭があった事さえ初耳だ。と言うか家の中の間取りすらまだ把握できていない。工房以外の部屋に行くのもユアンの力を借りなければならない状態だ。何とか改善できないかな。
上から着物向けのコートを羽織ってしまったので、ポシェットから顔を出そうが外は見えない状態だった。背中にユアンの心臓の鼓動を感じてとても安心できる。まるで親鳥にくっついているひな鳥の心境だ。
これで外の情報は音のみとなってしまった。袋の中で揺られながら聞きなれたドアベルの音を聞いた。鍵を掛けるガチャっと言う音が聞こえた後、ユアンはどこかへと歩いていく。
工房は町の端の方と言っていたから、おそらく中心部に向かっているんだろう。人の声のようなざわめきが聞こえるので、通りに誰もいないような人口の少ない町と言うわけでもなさそうだ。
ざわめきはだんだん大きくなっていく。と思ったらユアンが角を曲がった途端ぱたりと止んだ。どこをどう通っているのか非常に気になる。
しばらくして扉がぎーっと開かれた。少しハスキーな女の人の声がする。
「おやユアン、久しぶりだね。研究の方はどうだい?」
「上々だ。かなり手間のかかるものに取り組んでいるが、やりがいはある」
私の知らない研究を始めたのか……。何かお手伝いできればいいのに。ユアンは私をポシェットごとカウンターの上に乗せて、ひもを緩め口を開いた。視覚情報が一気に入ってきたので私は目をしぱしぱと瞬かせる。
「花柄なんてあんた、えらく愉快な物を付けて来たね」
「不可抗力だ」
腰まで伸ばした真っ赤で豊かな髪の女のひとは、ユアンをからかう様ににんまりと嗤った。ジャラジャラとたくさんのアクセサリーを首からぶら下げて、黒のローブから覗く白い手には刺青のような模様が描かれていた。
この人の格好を一言でいうなら、魔女。とんがり帽子こそ被っていないものの、どこか得体の知れなさを感じさせる不思議な出で立ち。二十代から三十代程度と年齢不詳な感じ。
「先月生まれたホムンクルスだ。名前はミコトと言う」
「は、初めまして」
「あらぁ、可愛らしい。私はエリーよ」
心の準備ができてなくて挨拶するのがやっとだった。でも、徐々に慣れてきているみたいだ。ユアンの命令のおかげだろうか。
「ついにやったんだね。これで中央へ戻って恩返しも捗るんじゃないかい?」
「いや、まだだ。二体、三体と作ることが出来なくては検証として不十分だし、別に私は戻るつもりは無い」
私の分からない話を二人でしている。中央って何だろう、恩返しってエドワードの事かな?言葉を拾い自分で理解しようとしているとエリーが気付いて私に説明してくれた。
「ユアンはね、もともと王都にある研究所の研究員だったのよ。それこそ国一番の錬金術師なんじゃないかって言われるくらいのね」
「エリー、やめろ」
「そこのトップが選民意識の強い人でね、東の小国生まれのユアンが目障りだったみたいだ」
「エリー!と言うかなぜそこまで知っている。エドワードが言ったのか」
「情報源なんざいくらでもあるからねぇ。何せ私は魔女なんだし」
エリーはともかく、私が思うよりもユアンはいろんな人生経験を積んできたようだ。でもどうしてあまりやさぐれることなく錬金術師としての道を歩んで行けるんだろう。私は大した目的も見つけられないまま人生をリタイアしてしまったのに。
「今日はそんな話をしに来たのではない。ここに書いてあるものの在庫と値段を知りたい」
「ハルメロウにゲッコガエルの肝……なるほど、高かったら自分で採りに行こうって算段だね。ふむふむ」
ユアンが取り出したメモを見ながらエリーは店の奥へ消えていった。雑貨屋とユアンは言っていたけれど、どう見たっていかにも怪しい『魔女の店』だ。魔法陣みたいなものが描かれたタペストリーがかかっていたり、香を焚いたような香りがする。
暫く店の奥でごそごそしていたエリーは瓶を私の目の前にどんっと置いた。カエルや蜘蛛が液体に浸かっている。置いた拍子に蜘蛛がふよふよと液体の中で動いて、まるで生きているみたいだった。
「いやー気持ち悪いっ」
「あっはっはは、随分感情の豊かな子だね。ゲッコガエルは南で大量発生して値崩れしてるから、買った方が得だと思うよ。こっちの炭鉱蜘蛛は安いけど質が悪い。保存液に必要な材料が不作だったみたいだから自分で捕まえて加工する方をお勧めするよ」
損も得も考えず、相手に情報を与える。商売には向いていないかもしれないけれどこの人の誠実さが分かる。ユアンとあれはどうだ、これはどうだとやり取りをしているのを見ると仲が良いんだなと思った。
……焼きもちとかじゃなくて、クレアさん以外の女の人とは普通に接することが出来るんだなって。私は相手によって態度を変えられるほど器用ではないから、誰に対しても臆病になってしまうけれど。
「核は何?」
「エメラルドだ。ホムンクルスでは無く妖精が出来上がってしまう可能性も考えたんだが。魔術による鑑定を頼めるか」
エリーが呪文を唱えるとまるで機械がスキャンしているような光が浮き上がり、足元から頭の方へと移動していく。ユアンの使った目で認識できない魔法と違って、こちらは私にもはっきりと分かる。
少しだけ感動した。これこそ私が思い描いていた魔法なのだと、わくわくする。魔法が見えなくて魔術が見えるものと分類されているのだろうか。
「大丈夫、妖精じゃないよ。ただ……本当にエメラルドかい?」
「エドワードに頼んだから鑑定もしっかりしていると思う」
納得いかない顔のエリー。私から目を反らさずに首を傾げながらふぅんと答えるだけだった。
「そこまで話してしまっていいのですか?ホムンクルスの作成法なんて秘匿するべきものだと思っていました」
「彼女は信用できる。長い付き合いだ」
ユアンはいろいろな人と信頼関係が結べている。故郷を離れていろいろ苦労している筈なのにちゃんと自分の足で歩けている。私とはちがう人種だとふさぎ込んでしまうことは出来るけれど、お手本として見習うことも出来る。
一年と言う短い人生に価値を見出すなら、そう言った部分かも知れないなとうっすらと思った。
少しばかり尊敬のまなざしでユアンを見ていると、どうやらエリーは勘違いをしたみたいだ。
「妬いているのかい?感情まであるなんて本格的に成功と、言いたいところだけどそうなるとこのミコトちゃんは何のために作られたんだろうね」
「労働力としてはこの成りじゃ使えない。愛玩用として売るにはそこまで魅力的じゃない」
むむ、可愛くなくて悪うございましたね。ふくれっ面になってしまった私を気にも留めずユアンは続ける。
「初めてできた成功体に生きる以上の事を求めるつもりもない」
―――それは、つまり。
「生きているだけの私が必要だったという事ですか」
今のところユアンと話すことしかできない私だけれど、ユアンはそれすら必要ないのかと落ち込む。何か作業が出来るようになりたい、ユアンの役に立ちたいと思い始めている私にとってやる気を少しばかり削られる言葉だった。
生きているだけで良いんだって。だったらフラスコの中でゆらゆら揺れてるだけで良かったという事?人と話せるようになれって言っていたのに、実はそれも大して期待してもらえない私はどうすればいい?
すっかりしょぼくれてしまった私にエリーが慰めの言葉を掛ける。
「あんたの方にこそ感情の勉強が必要なんじゃないのかい?ミコト、悪かったね。いちいち人の言葉を気にせずもっと気楽に生きな」
この唐変木に言えない事があるならいつでも相談に乗ると言われたけれど、ユアンがいなければ外出もままならない私にとっては気休めの言葉でしかなかった。