十一話 窒息死
魔物を退治したので春が来たとユアンに言われた。魔物一匹で季節の移り変わりが左右されるなんていまいち理解できないのだが、そう言う物だとして頷いておく。
あれから発光体になることは無くユアンから厳しく問い詰められることもないが、観察対象であることは相変わらずだった。
動物の飼育員だったら体調管理の為に排泄物のチェックまでするのかもしれないが、ユアンにそれを言われた時はひどいショックを受ける。にやにやした変態顔で言われなかっただけましだと思っておこう。
私が生まれてからほぼ一月が経ったらしい。この世界での暦をユアンに聞くと嫌な顔一つせずに教えてくれる。知らなくても仕方のないことをこんな事も知らないのかと馬鹿にする顔を前世でしたのは誰だったか……。
「一か月は三十日。十二か月、三百六十日で一年。竜が新年を連れてきて狼が年を追いたてる。竜の月、白銀の月……」
ユアンの故郷の月の異名―――睦月、如月、弥生と合わせて教えてくれたのでわかりやすかった。一昨日がひな祭りの日に当たる。という事で今日は三月五日らしい。
陰暦は閏月とか出てくるのだがそう言ったものは無いと教えてくれた。
「私のいた世界でも一年は三百六十五日なので、時間の感覚はほぼ同じなんですね」
「ひと月の日数が毎月違うのは不便ではないのか?」
「にしむくさむらいって覚えるんです。二月、四月、六月、九月、漢字の十一を武士の士にみたてた十一月は三十一日が無い月です」
あまり披露する機会の無かった雑学をユアンに話す。話したところでユアンが私のいた世界に来ることが無い限りは全くの無駄知識になってしまうわけだが、それでも話せることは嬉しかった。
のんびりと時間が過ぎていく。前世では何かをしていなければ自分の存在が無意味になりそうで暇になることを恐れていたが、今は違う。そもそもできる事の方が少ないと私もユアンも理解できている。
先ほどからユアンは沢山引き出しのあるタンスの中を覗き、表を見ながら中身をチェックしている。引き出し自体が小さいけれど縦に七段、横に十列あるので相当なものだ。薬の原料となるものが入っているらしい。
錬金術師と言うより薬師みたいだ。
「ハルメロウの残りが少ないな。時期的にもそろそろ採取できる頃合いだし、取りに行くか」
「お出かけですか」
私が訪ねるとユアンは黙ってしまった。そんなに変なことを言っただろうか。
「そうか、ミコトをどうするか困るな。一緒に連れて行くのも心配だし誰かに預けるのも心配だし」
「留守番くらい一人で出来ますよ。小さな子供じゃあるまいし」
「小さな子供は死にたがったりしない」
ユアンの言葉に目を見開いて固まってしまった。前世で自殺したことがばれてしまったのだろうか。薬の材料を確認する手を止め、こちらに向き直って話をし始めた。
「生まれてから今まで何度死にかけた。たったひと月の間に飛び降りたり火を放ったり。この前エドワードを治したのだってもし自分の力の範囲を超えていたら死んでいたかもしれないだろう」
「あれは本当に無意識でよく分からないと何度も説明したはずですけど」
「得体の知れない力だろう。もしお前の命を削って使用する術だとしたらどうする。助けられたエドワードはどう思う?」
褒められたい、感謝されたいと思ったわけでもないが責める様なユアンの口調に流石にカチンときた。
「何もせずにいた方が良かったですか。あのままエドワードが死んだらユアンが落ち込むどころか呆然自失で生きる屍になるのが目に見えていたから死神を追い払おうって思っただけです」
「そう言う問題じゃない。きちんと理解できない力を使うなと言っているだけだ。副作用でもあったらどうする」
この世界の魔法も錬金術も私にとっては理解できない力だ。厳密に言えば家電もパソコンも電気を通してスイッチを入れれば動くと言うのが分かるだけだが、せっかく異世界に転生したのに何もできないままで終わるのは嫌だ。
奇跡の一つくらい、起こしてみたいじゃない?
なんて、異世界転生者の傲慢にしかならないことをこの世界の人間であるユアンに言えるわけもなく。私がだんまりを決め込むとユアンは大きなため息をつきながら作業に戻った。
引き出しを開ける音、紙に記す音だけが静かな工房に響く。黙々とこなしていく様子を見ていると、不意にドアベルが鳴った。遠慮なしに近づいてくる足音の主は予想が付く。思った通りに工房の扉も開かれて、箱を持ったエドワードが表れた。
「ミコト、この前は有難う。お礼にケーキを持って来たけど、食べるか。……お取込み中?」
「いや、具合はいいのか」
「傷一つ残ってなかったからな。血まみれで帰ったから家族にはものすごく心配されたけど」
勝手知ったる人の家……まあ、オーナーはエドワードらしいから何も問題は無いけれど。エドワードはコートを自分で掛けると台所で湯を沸かしお茶を入れてきた。ユアンは作業の手を止めてケーキの箱を開く。
「うわあ、おいしそう……」
「この果実はルードベリーと言ってこの地域特産なんだ。苺によく似ているだろう」
ちょっぴり喧嘩っぽくなっていたのもどこ吹く風。ユアンの言うとおり、苺の様な果実のショートケーキだった。しかも切り分けられていないワンホール。男二人と私で食べきれるのだろうか。ああ、っそんなことよりもっ。
子供の頃に想像したことは無いだろうか。自分の背丈よりも大きなケーキに頭から突っ込んで食べ勧めていく様を。実際にそれほど巨大なものを造れば生クリームやスポンジの質も落ち、夢が叶う年ごろには体重が気になり始めてお笑い系の番組でもない限りそんな事するのはありえないのだが、何せ今の私は小さい!
「そのまま頭を突っ込みたそうな顔をしているな」
「意地汚いと叱るものもいないから思う存分やると良い」
ケーキをじっと見た後に二人を見上げたら、苦笑されてしまった。でも、中身は立派な大人だ。メンツとかプライドってもんがあるので一応、抵抗しておく。
「流石にレディーとしましてはお行儀が……」
「でも、やってみたいんだろう?」
「私でもわかるほど顔に書いてあるぞ。残しても気にせず―――」
「では遠慮なく、いただきますっ!」
「―――食べると良い、って聞いてないな」
そのままケーキに突進して側面から食べ勧めていく。生クリームは口当たりが軽く、食べた先から溶けていくようだった。スポンジは甘さ控えめでしっとりしている。ルードベリーは酸味がきいていて味自体は苺よりラズベリーに近い感じ。
もぐもぐもぐ。これだけ巨大なものを相手にしているとトンネルを掘りたくなる。手が汚れない様に最初は口だけを動かしていたが、生クリームのついていない部分がある程度の大きさになると両手も使って食べながら掘り進めて行った。
もう既にいつも食べる量を越えている気がするが、第二の胃袋と呼ばれる『別腹』を所持しているからね。なんて馬鹿なことまで考える。
幸せだなぁ、このまま死んでもいいくらいだ。もぐもぐもぐ。
「このままもう少し仲良くなりたいなー。ミコトちゃんはどれくらい食べるんだ?」
「いつもは茶碗に半分程度の粥しか食べない。野菜や肉も摂取するが大体その範囲内だ」
「ふうん、じゃあもうお腹いっぱいなんじゃないか?やけに静かだけど」
食べ進めてきた穴からそんな二人の会話を聞いて居た頃、私は非常事態に陥っていた。スポンジの層ばかり大量に食べていたせいで喉を詰まらせていたのである。上部の陥没によって生クリームが目に入らない様に、目をつむった状態で苦しみながらケーキをかき分ける。
水分……せめてルードベリーを探し当てないと……
「ミコト?」
「え、ちょっと。中で死んでんじゃないのか、これ」
ユアンたちの心配そうな声が聞こえる。と思ったら唐突にずぽっと体が持ち上げられ、密集したケーキの中から解放される感触。目を開けると二人の心配そうな顔が間近にあって驚いた。人見知りが……なんて言っている場合じゃない。私はか細い声で欲しいものを訴える。
「み……水……」
ティースプーンに乗せられた紅茶をコクコクと飲むと、食道に密集していたケーキは胃の方へと落ちて行った。普段通りに息が出来てほっとする。
「ふう、生き返ったー」
「言われた傍から死にかけて、よく大丈夫なんて言えるな」
「うう、面目ない」
今回ばかりは素直に謝る。自分の欲望を自重せずに突っ込んだ結果がこれだ。あ~あ、全身べとべと。お風呂に入ろうにも自力でお湯を沸かせないのでユアンを見上げる。
目が有った筈なのに、ユアンは私の観察記録をわざとらしく口に出しながらつけ始めた。
「精神は繊細と思いきや、食べ物に対しては貪欲。特に甘味を好む」
「いや、ユアン。記録を付ける前に洗うなりしてやれよ」
エドワードが尤もな突っ込み方をした。ユアン、怒ってる?