第四話 病院
目が覚めたのは、真っ白い部屋だった。天井の点滴用のレールと、ベッドに掛かったナースコール。
どうやらここは病院らしい。
窓の外はほの暗く、街灯の明かりがちらほらと見える。壁に掛けられた時計は23時を指していた。僕は体を起こそうとしたが、いつの間にか枕元に居た看護婦に止められた。
「気が付いたんですね。
ちょっと待ってください。
今主治医を呼びます。」
看護婦はそう言い残すと、パタパタとスリッパの足音を残して行ってしまった。
暫くすると、さっきの看護婦を伴って、恰幅の良い中年の男性が現れた。胸のプレートには「今村」と有る。どうやら彼が僕の主治医らしい。
「気がついたみたいだね。」
今村先生はのんびりした口調で話掛けてきた。
「ここはどこですか?」
「ここは緑が丘病院だよ。」
緑が丘病院はうちの学校のすぐそばにある総合病院で、運動部の連中がよくお世話になっている。
「気分はどうかな??」
「悪くはありません。」
「そうだろうね。
色々な精密検査をしたが、
君の体は健康そのものだよ。
なぜ一週間も意識不明だったのか、
こちらが聞きたいくらいだ。」
今村先生は僕の診察をしながら言った。
「一週間!!
僕は一週間も意識不明だったんですか!!」
「ああ、頭の外傷も大した事無かったし、
本当に理由が分からん。」
ただ、そんな事より
「彼女は?月山奇はどうなりました??」
「月山??
ああ、君と同じ日に運ばれて来た娘だね。
残念ながら彼女は手が付けられないほどの重傷だった。
全身骨折と内臓破裂で、まもなく息を引き取ったよ。
一昨日にお葬式が行われたそうだ。」
「嘘だ。」
「気持ちは解る。君は彼女の自殺を止めようとして、
巻き込まれたんだってね?」
「自殺??彼女が自殺するはずありませんよ。」
「いや、彼女は自殺に間違いないよ。
死後、彼女の部屋から、
ノートに書かれた短い遺書が見つかったらしい。」
信じられなかった。彼女が死んだという事実も、自殺という死亡動機も。クルクル変わる表情に、生き生きした話し方。あれが自殺する前の人間とは到底思えない。
月島奇はもういない。
不思議と悲しみはやって来ずに、ただ周りの風景が少し朧げになった。
「すみません。しばらく一人にしてもらえますか。」
「わかった。
見たところ君は健康そのものなので、
スグに退院できると思うよ。
ただ何かあったら、
迷わずナースコールを押すようにね。」
今村先生はそう言うと、踵を返して部屋を出て行ってしまった。
その足音が聞こえなくなった瞬間。
とてつもない悲しみがやってきた。悲しみは津波の様に何度も何度も押し寄せては、その度に僕を叩きつけてぺしゃんこにした。僕は枕に顔を押し付け、ただ涙を流し続ける事で、何とかその悲しみに耐えようとした。僕の流した涙は何故かキラキラと輝いて、薬品の香りがする病院の白い枕に吸い込まれていった。
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最悪の気分で目が覚めた。朝が来たらしく、窓の外が白み、遠くからチュンチュンという雀の鳴き声が聞こえる。枕がしっとり濡れてるのは、どうやら僕の流した涙らしい。しばらくは何する気力も沸かず、意味なくゴロゴロ寝返りを打ち続けた。
ただ・・・
「こっちよ!!」
枕元から声がした。驚くべきことに、声の出元は僕の涙だった。涙はやがて枕から浮き上がり、キラキラと輝きながら宙を漂い始めた。
「付いてきて!!」
キラキラはそのまま病室を出て行ったので、僕は体を起こして、そのキラキラを追い始めた。一週間ぶりに動かす体は油の切れた機械の様にギクシャクする。キラキラが向かった先はどうやら病院の中央階段らしい。
「上よ」
その声に導かれ、僕は階段を駈け上がった。
「もっともっと上!!」
キラキラはやがて最上階に有る大きな扉の前で立ち止まった。この扉の先はたしか屋上だったはずだ。ただ、僕が近づくと扉は音もなく開き、屋外から差し込む逆光が僕の目を射抜いた。
キラキラは僕の前で人型を取ったかと思うとやがて数分の狂いもなく、僕が心待ちにしたある人物の姿を再生した。そう逆光を背負って立つ彼女の姿を。
「月山奇ただいま参上!!」
さっきまで悲しみは嘘の様に吹き飛び、僕の心を温かいものが満たしていく。僕たちはしばらく声をあげて笑いあった。
ひとしきり笑った後、僕は少し真剣な顔をして彼女に尋ねた。
「じゃあ、種明かしをしてもらおうか。」
「ええ、貴方も知っての通り、
私はもうこの世には居ないわ。
今のこの姿は奇跡で出来た幽霊みたいなモノね。」
幽霊と来たか!!ただ、全然怖くはない。
それどころが僕は彼女に再会できた喜びで一杯だった。
「でも、どうやって奇跡を残せたの。」
「最後の瞬間覚えてる。」
「ああ、僕に抱き着いてKISSしてそれから・・・」
あっ!!
「そう、あの瞬間、私は自分の最後の意思を、
奇跡に乗せて貴方に移したの。」
「じゃあ、出て来れたのはどうして??」
「貴方、昨日私の事を思って泣いてくれたじゃない。
貴方の涙と一緒に、私は出てくる事が出来たの。」
「・・・」
直接、泣くところを見られた訳ではないが、
気まずい事この上ない。
「ごめんね。貴方を一週間意識不明にしたのは私なの。
貴方にだけには、
ぐちゃぐちゃになった私を見られたくなかったから。」
どうりで精密検査をしても異常が見つからないわけだ。
「じゃあ、あと一つだけ聞いてもいい。
これが最後の質問だから・・・」
「ええ、なんなりとどうぞ。」
「なぜ死んだ!!」
僕は珍しく怒りを交えた口調で言った。
彼女は一言も返さずに、
ただ屈託ない微笑みを浮かべていた。
「あの状態からでも、
君が助かる方法はいくらでもあったはずだ。
病院の先生は、
君の部屋に遺書が有ったと言っていた。
君は最初っから死ぬつもりなのに
君なしでは飛べない僕に、
わざわざ空の飛び方を教えたのか??
答えろ!!」
僕は彼女を失った怒りと悲しみを、彼女自身にぶつけていた。思えば理不尽な怒りだったが、この時の僕には他の術が浮かばなかったのだ。ただ、僕の辛辣な言葉を受けても、彼女は相変わらず屈託のない、微笑みを浮かべたままだった。
「最初にした奇跡の話覚えてる?」
長い沈黙の後、彼女はボソリとそう言った。
「えっ??」
「人はみんな生まれる時、
自らの奇跡を使って産まれてくる。」
「ああ、そんな事を言ってたね・・・覚えてるよ。」
そう、屋上で逢った最初の日、彼女は確かそんな話をした。
「じゃあ、その人が生まれる為の奇跡を、
私が先に集めて使っちゃったら、
どうなると思う。」
「えっと、人が産まれてこなくなる??」
「ご明答・・・」
彼女はそう言って、悲しく笑った。
「まさか!!」
僕は自分の言葉を、即座に否定したくなった。彼女の言ったことは、それほど突拍子も無いことに思えたのだ。
「私も最初は気づかなかった。
私は一人っ子だけど、
うちの両親本当は家族が、
いっぱい欲しかったんだって。
でもどんなに頑張っても
私以外の子供は出来なかった。
私が両親の奇跡を吸い付くしちゃったからよ。」
「それって、たまたまじゃ・・・」
「知ってる?
私たちの住んでるこの町だけど、
一年くらい全く新生児が産まれてないの。」
僕の慰めの言葉を無視して、彼女は話し続けた。
「聞いたことが有る。」
我が町くらいの規模にしては、統計学上あり得ない事象らしく、何度か調査が行われたらしい。
「ただ、まさか君が原因って訳じゃ・・・」
「それだけじゃない。
私が小学生の頃、
隣に山田さんっていう新婚さんが引っ越してきたわ。
山田さんはとっても仲の良いご夫婦。
無理して大きな家を買ったんだけど、
スグに家族が増えますからって、
いつも私に笑ってそう言っていたわ。
でも、山田さん・・・全然子供が出来なくて、
そんなに裕福でも無いのに、何度も不妊治療を受けて。
これだけは、私が奇跡を分けてあげてもダメなの。」
「それも偶然じゃあ…」
言ってて空しくなる。未来予知の能力がある彼女に、僕の慰めは何の意味も持たない。そう彼女は未来を思い出して知っていたのだ。
「もういいの。
貴方には言わなかったけど、
私は何度も自分の未来を思い出したことが有るの。
その未来はいつも一緒、出生率が0%の未来。
その未来では世界の奇跡を私一人が吸い付くしてしまって、
赤ちゃんが生まれてこなくなるの。
その世界に居るのは老人だけ、
ただその老人も、次々寿命で死んでいくの。
誰も居なくなった世界で、一人生き残ったのは私。
私は恐ろしく意地悪な魔女になって、
自分の為だけに奇跡を使い続け、
300歳で狂い死ぬの。」
「それが君自身の未来予知の結果か・・・」
僕は衝撃を受けていた。クルクル変わる表情に、生き生きした話し方。あれは死を恐れての態度ではなく、自らの死を運命として受け止め、それでも与えられた時間を、精一杯生きようとする、彼女なりの矜持だったのだ。
「そう、私は奇跡のブラックホールなの。
何も生み出さずに、皆の幸せを吸い込み続ける。
ただ、ブラックホールは壊せないけど、
私は私を壊すことができる。」
思い出した未来を変えるには、前提条件を変えなければいけない。「月山奇が生きている」という前提条件を。
「それが君の自殺の真相か。」
やっと解った。彼女はただ死んだ訳では無い、世界を滅ぼす死神と刺し違えたのだ。彼女は自らの命と世界の命を図りに掛け、迷わず後者を選んだのだ。
「だから、私の死を悲しまないで欲しい。」
「無理だ。悲しいに決まっている!!」
「どうして??」
彼女は本当にどうしてか解らないらしい。
「君が好きだった!!」
僕は彼女と過ごした最後の日、言いたくて言えなかった言葉を口にした。過去形なのが悲しい。
彼女は一瞬驚いた表情をしたが、やがて噛みしめるように言った。
「嬉しい・・・・私も貴方が好きだったわ。」
想いが届いた喜びは微塵も無く、胸を過るのは、ただ彼女を助けられなかった自らの不甲斐なさだけだった。
「ねえ、一つ聞いて良い??」
「うん、何??」
「もう一度私に逢いたい??」
「逢いたい。どうやっても君と逢いたい。」
「解った。じゃあ、今から一つだけ
私のお願いを聞いてほしいの。」
彼女はそう言って、僕に一つ頼み事をした。正直容易では無いお願いだったが、彼女に会いたい一心の僕は二つ返事でOKした。
「よかった・・・」
彼女はよほど嬉しかったのか、腕を胸の前で組むと安堵の溜息を漏らした。ただ、その瞬間彼女の体が少し薄くなる。直感で解る。彼女にはもう時間が無い。
「最後にこれだけ言って置きたいの。
最初に貴方と屋上で逢ったあの日。
未来予知ではあの日が私の命日だった。
ただ、貴方と出会って何故かそれが無くなった。
未来予知が外れたのは、あれが最初で最後だったわ。
結局は命日が一週間延びただけだったけど、
貴方と過ごした一週間は、本当に楽しかった。
きっとあの日々は、神様がくれたんだと思う。
忘れないで、
私に起こった本当の奇跡は、
この世に生まれた事でも、
空を飛んだことでも無い、
貴方に逢えた事なの。
ありがとう、素敵な思い出をありがとう。」
その言葉を言い終わるや否や、彼女は世界に溶けるように消えてしまった。僕は上を向いて、流れようとする涙と堰き止めると、心の中で決心を新たにした。
今は泣いている場合ではない。僕にはやる事があるんだ。
つづく




