第二話 鉛筆
放課後になった。僕は食堂で買った2本のフルーツ牛乳を抱えながら、屋上に向かっていた。階段を上がりながら、僕は間もなく会うことになる月山さんの事を考えていた。
月山奇。170cm近い長身からスラリと伸びた手足、モデルと見紛うようなスタイルに栗色の綺麗な長い髪と整った目鼻立ち。その美貌は入学間もないクラスの男子生徒の話題を独占した。何言わん僕もその容姿に憧れた口で、席替えで隣になった時には、その幸運を密かに感謝したものだった。
ただクラスの皆が段々馴染むに連れ、この学年No1の美少女が、その名の通り、実は学校No1の奇人であることが明らかになっていった。
なにしろほとんど喋らない。おまけに休み時間になると机に突っ伏して寝ている。普通綺麗な女の子が寝ているところはそれなりに絵になるものなのだが、彼女の場合はあまりにも熟睡してる為、不思議とそんな空気にはならない。どうやら彼女はまったく人目を気にしないタイプらしく、たまに机によだれを垂らしていたり、顔に消しゴムのカスが付いていたりする。なまじ美人なだけにものすごく残念だ。
ただ、彼女がその奇人っぷりを如何なく発揮したのが、新学期早々の数学の授業においてだった。
ちなみにわが校の数学教師である吉村先生は、オールドミスの上、底意地の悪い事で有名で新学期早々「皆の数学の実力を測定します。」という名目で出されたテストは、高校一年生には明らかに難解すぎた。
皆が頭を抱えてテストに集中してる中で、カツカツと靴音を響かせて悦に入る変態女性教師。
皺ぶき一つない教室にカリカリという鉛筆の音だけが響きわたる。ただその中で何処からともなく、コロコロと何かを転がす音がした。気になってふと辺りを見回す。音の出所は隣の月山さんだった。どうやら月山さんは数字が書かれた鉛筆を転がして、その結果を解答用紙に記入している様だった。
マークシート方式のテストならともかく、記述式の数学テストで鉛筆転がしをやるとは・・・アホかこの女。恐らくクラスの全員が同じ事を思ったはずだ。月山さんはテスト開始10分で早々と回答欄を埋めてしまうと、そのまま机に突っ伏して寝てしまった。
ただ、衝撃は後からやってきた。翌日の数学の授業で、早速採点の終わったテストが返ってきたのだ。難解なテストにも関わらず満点が二人いた。僕と月山さんだった。僕は飛び上がらんばかりに驚いた。
僕はいい、何の自慢でもないが、僕は理数系の成績に限って言えば、県内TOPクラスなのだ。最も語学が壊滅的に苦手な為、平均すると大体、今の高校ランクの中くらいの成績に落ち着くのだ。でも月山さんは・・・
案の定、その数学の授業が終わってすぐ、僕と月山さんは解答用紙持参の上、生徒指導室に呼び出された。そう満点二人がお隣だったため、カンニング疑惑が持ち上がったのだ。
「正直に言いなさい!!
月山さん!!
あなたカンニングしたでしょう!!」
吉村先生はいきなり断定口調で言った。何も最初っから決めつけんでも・・・
「してません。」
そう、彼女はカンニングはしていない。鉛筆転がしはしたが・・・
「じゃあ、なんでこの解答用紙には
式が書いてないの!!」
確かに彼女の解答用紙には、答えしか書いていなかった。
「めんどくさいからです。」
彼女の態度はあまりにもぶっきらぼうで、横で聞いている自分が頭を抱えたくなってきた。
「嘘つきなさい!!」
吉村先生はヒートアップする一方だ。
仕方ない・・助け舟を出すか・・・僕は隠し持った鉛筆で、自らの答案にこっそり細工をした。
「あれっ?!」
白々しく声を出す。
「どうしました??」
吉村先生が尋ねる。
「僕の解答・・・今見直したら、
ここの符号が間違ってますよ。
正しくはプラスじゃなくマイナスです。
だから、答えも10じゃなくて、
彼女の解答の0が正しいです。」
「なんですって?」
吉村先生は改めて僕の答案と模範解答を見比べ始めた。
「確かに・・・」
結果、その設問は不正解になり、僕のテストは満点から95点になった。
「横に居てたので解りますが、
月山さんはカンニングなんてしてないですよ。
だって僕より早くテストを終えてましたもん。
大体、カンニングしてたら、
僕と同じところで間違うはずです。」
「確かにその通りね・・・・
でも月山さん!!
これからは数学のテストで式を書かないと
0点にしますよ!!」
吉村先生はよほどバツが悪かったのか、一くさり怒りをぶつけると、そのまま生徒指導室を出て行ってしまった。後に僕と月山さんを残して・・・・
「わざわざ満点を下げるだなんて、
バッカじゃない。」
それが彼女の第一声だった。どうやら月山さんは、僕のやった一部始終を見ていた様だ。
「バ、バカだって!!」
良かれと思ってやった事なのに、バカ扱いされてはこちらも立つ瀬がない。
「しかしこんなチマチマした計算
よくやる気になるわね。」
彼女は僕の解答用紙を眺めては、呆れるように言った。
「数学はチマチマ計算するから楽しいんじゃないか。
鉛筆転がしで答えだけ求めたって、
面白くもなんともない!!」
僕にしては珍しく強い口調で言った。
彼女はちょっとだけ驚いた表情を見せると、「少し君が羨ましい。」とボソリと言い残し、そのまま生徒指導室を出て行ってしまった。今から約二ヶ月前の出来事だった。
ただ、当時は頭に来ていたせいで、冷静な判断力を欠いていたが、よくよく考えると、鉛筆転がしで満点が取れるはずがない。彼女は多分空を飛ぶ時と同じ奇跡を使ったのだ。
彼女の言う奇跡の詳細は分からないが、恐らくは確率を操作する力だろう。人間が自由に空を飛べる確率は限りなく0に近いが、完全に0ではない。鉛筆転がしで満点を採る確率も、またしかりだ。
彼女の言う奇跡とやらは、特定の事象に向かって働きかける事で、その確率を無理やり100%にしてしまうのだ。恐るべし月山奇!!よっしゃ、今日はその力を少し借りて、思う存分飛んだるぜ!!
「たのもう!!」
屋上の扉を前にした僕は、そのまま勢いよくバーーーーンと扉を開いた。まるで昼休みのデジャブの様に、そこには初夏の太陽を背中に背負った月山奇が居た。ご丁寧に1mほど浮き上がって・・・。ただ、違ったことも有る。彼女は落下しなかったのだ。理由は僕が奇跡を信じるようになったからだ。
「よし、まずは合格!!」
昼休みと同じように床に叩き落されら、
そのまま帰ってやろうかと思ったわ。」
彼女は胸の前で腕を組んで、いかにも偉そうに答えた。どうやらいきなり空を飛んで出迎えたのは、彼女なりの資格審査らしかった。
「で、例のブツは持ってきてくれた。」
「ほい。」
僕は彼女に購買で買ったフルーツ牛乳を手渡した。
「ありがとう。」
彼女はフルーツ牛乳を受け取ると胸の前に持ち上げた。
「いい、空を飛ぶには奇跡が必要よ。
ただ普通の人には奇跡を集める事ができない。
だから今日は私が前もって集めておいたわ。」
彼女はそう言って息を大きく吸い込むと、やがて吐き出した。彼女の体の周りをキラキラが取り囲み、やがてそのキラキラがフルーツ牛乳の周りに集まり出す。キラキラはフルーツ牛乳と取り巻いたかと思うと、やがて中に吸い込まれていった。
「はい、これを飲んでみて。
奇跡入りのフルーツ牛乳よ。」
彼女はパックを僕に手渡しながら言った。なるほどね、それでこいつを買ってこさせたのか。ただどうせなら・・・
「どうせなら昨日みたいにKISSが良かった?」
彼女のいたずらっぽい笑みに顔が火照るのが分かる。
「まあ今渡した奇跡は、昨日より断然量が多いわ。
上手く飛べたら二、三時間は持つはずよ。」
僕はストローをパックに差し込むと、チューチューとフルーツ牛乳を飲み始めた。味はいつものと変わらない。どうやら奇跡には味も匂いも無いらしい。僕にならって月山さんもストローをパックに突き刺す。
「よし飲んだわね。じゃあ復習するわよ。
空を飛ぶにはどうすれば良かった?」
「ああ、自分を飛べる物に重ね合わす。」
「そう正解!!」
ご丁寧に昨日と同じような位置に、入道雲が浮いていた。
「僕は雲だ僕は雲だ僕は雲だ僕は雲だ僕は雲だ」
わざわざ言葉を口にして、早速脳内で雲にイメージを同化させる。
「いい、体が浮いても。
なんで浮けるんだとか、
どうして浮いてるんだとか、
疑問を持っちゃダメよ!
浮いて当たり前と思い続けるの。
ちょっとでも疑いや迷いが有れば、
そこから奇跡が逃げちゃうわ。」
月山さんはチューチューと美味しそうにフルーツ牛乳を飲みながら言った。
どうやら好物らしい。
やがて足から床の感覚が無くなり、体がフワリと浮き上がる。
「僕は雲だ、浮いて当たり前。
僕は雲だ、浮いて当たり前。
僕は雲だ、浮いて当たり前。」
しばらく同じ文句を念仏の様に唱えてから、ゆっくり下を眺めて見る。いつの間にか僕の足は屋上フロアーから、3mは浮き上がっていた。
一瞬、体が竦みそうになるが、そんな僕を見越してか、月山さんがすぐ横に飛んできてくれた。
「どう、大丈夫??」
「何とか・・」
話しかけられた事で、少し緊張が解けてきた。リラックスしてみると、飛ぶことは案外難しくはない。なんか、ものすごく軽い水の中を泳いでいる様な感覚だ。
「ねえ、例えばあっちへ行こうと思ったら、
どうしたら良いの。」
僕は屋上の隅を指差して言った。
「簡単よ。あっちへ行く自分を、
頭の中で想像すれば良いの。」
僕は彼女に言われるまま、屋上の隅に向かって動く自分をイメージした。そのイメージをなぞる様に、現実の体がゆっくりとそちらに向かって滑り始める。なるほど、これは楽チンだ。そうして僕と月山さんは、しばらくウロウロと、屋上を飛び回ったのだった。
数時間後、散々飛び回った僕と月山さんは、今度は並んで給水塔に腰かけていた。給水塔の高さは5mほど。普段なら腰の引ける高さだが、空を飛べると分かっているせいで、不思議と怖くはない。
やがて西の空に夕日が掛かり始め、屋上を深紅に染め上げていった。眼下のグラウンドでは、部活を終えた運動部が、用具の片づけをし始めている。校庭では下校の生徒たちがわらわらと集まって、校門に向かって歩いていくのが見える。
僕たちは何を喋るでもなく、二人並んで夕日と眺めていた。少しして僕の肩にコツンと硬い物が当たる。月山さんの頭だった。
「ありがとね。」
「えっ?」
「二ヶ月前のテストのお礼。」
「随分と遅いお礼だな。」
「だから貴方じゃないと、
私は空の飛び方なんて教えなかったわよ。」
「そうか、ありがとね。」
僕たちはお互いにお礼を言い合った。自分の頬が赤く染まるのが分かる。彼女もそうなのかな?ただ彼女の頬の色は既に夕日に染められていて解らなかった。
悪くない時間だな。
やがて西の空に完全に日が没し、その日の飛行講座はお開きになったのだった。
つづく