02−3
件のやり取りの後、僕は教室に戻って来ていた。
「おそらくは、今日の夕方辺りにでも、何かを仕掛けてくるじゃろう」
天原さんは、去りがけの僕にそう告げた。
しかし、その時間まで何も起こらないとは言い切れないのだそうだ。
だからこそ、朝も昼も僕には監視の目がつけられ、知らず知らずのうちに保護されていたのだ。
可能性がゼロでない限り、気を抜くことはできない。
当たり前だが、命がかかっている場面では、尚更そうだろう。
その結果、事情を知らされてしまった僕は、僕にナミとみろくが纏わりつくことを受け入れざるを得なかった。
「でね! ぎいちゃん、それでね!」
ナミは、普段は嫌がる僕の傍に遠慮なくいれることが余程嬉しいようで、際限なく話しかけてきた。
そして、ナミの周りには、男女問わずナミと仲の良いメンツが取り巻いていた。
「ははは。そんなことないよ、君江ちゃん。言うなら、野に咲く美しい薔薇から、棘を完全に抜き去ってしまえば君になるんじゃないかな。棘の無い、他人を傷つけることを決してしない美しいバラだなんて、もう存在するだけで罪だよね。ああ、ごめんごめん、清香ちゃん。清香ちゃんもとっても可愛いよ。そうだな、君の可愛さは────」
みろくはみろくで、僕の傍にいるにも関わらず、いつも通りに女の子に周囲を囲まれていた。そして、歯の浮くような台詞を連発しては、僕の背筋を凍らせてきた。
何故、あの子たちはあのような言葉を聞いて、あれほど嬉しそうな顔ができるんだ?
僕は鳥肌しか立たないぞ?
……顔か?
やはり、顔なのかっ?
それはそうと、二人が傍にいることにより、結果として、僕は普段接することのない人々に囲まれた状態になっていた。
もちろん、僕に話しかける生徒などいない。
いても僕が無視しているので、その度にみろくやナミがフォローに回っていた。
だが、周囲の注目を集めるには十分だった。
周囲の人間は、何が起こったのかと、僕の方を見ていた。
僕にはその視線が痛かった。
いつも通り過ごしてくれと言われたが、残念ながら、いつも通り過ごすことなんて不可能だった。
楽園さんは、相変わらず分厚い本に目を落としていた。
時折、チラッとこちらを伺う様子を見せたが、すぐに本に視線を落とした。
本当にシャイなんだな。
いや、普通の人でも、この集団の中に入りたいとは思うまい。
僕の日常は、二人の有名人のせいで、完全に奪われたと言っても過言ではなかった。
授業中こそ、クラスの違うみろくはこの場を去るものの、休み時間になる度に僕の元を訪れては嵐を巻き起こしていた。
来るのは雨ではなく、嵐で正解だったな。
最も、天候の嵐ではなかったけれど。
落ち着かないまま時間は過ぎ行き、遂に夕暮れ刻が近づいてきた。
生徒たちが続々と学校を後にし、一人、また一人と生徒が校内からいなくなる中、僕と生徒会の面々は、体育館裏に集合することになっていた。
できるだけ人目につかないところで事を済ませたいのだそうだ。
ナミが部活動の後、そのまますぐに集まれるようにという配慮もあったのだろうが、残念ながら、ナミは今日の部活動には参加していなかった。
そして、みろくとともに、僕に纏わりついていた。
約束の時間を過ぎたので、僕はナミとみろくに連れられ、体育館裏へと移動した。
そこにはすでに、天原さんと楽園さんがいた。
「来たか」
僕らの姿を確認し、天原さんが声をかけてきた。
「少し遅かったようじゃが、まあ良い。とりあえず、こちらへ来い。準備をするぞ」
そう言われ、僕らは二人の元へ歩み寄った。
「コ、コヤさん、あの、皆と手を繋いで、円陣を組んで頂けますか?」
楽園さんが申し訳なさそうに僕に話す。
「わかりました。それと、楽園さん、ナギでいいですよ。同じクラスなんですし。あとそんなに緊張なさらないでください。僕は、そんな大層な人間でもありませんし、人に危害を加えたりもしないですから」
「す、すみません……」
「いえ、だから謝らなくても……」
「ぎいちゃん、舞ちゃんは極度の人見知りだから仕方ないんだよ。とりあえず、時間もないから始めちゃおうよ」
ナミが僕にそう声をかけてきた。
「あ、ああ、すまない」
楽園さんが再び円陣を組み、手を繋ぐことを促した。
そして、僕等は言われるがままに、円形になり、手を繋いだ。
「ところで、何をするんですか?」
思わず僕は疑問を発してしまう。
「あ、えっと……、なんと言いますか……。ゾウオと戦うフィールドを用意すると言いますか……」
楽園さんが必死に説明してくれようとするが、イマイチ伝わって来ない。
「ナギどの、どの道すぐにわかる。少し待っておれ」
「は、はあ……」
僕は理解できないままに返答した。
て、あれ? 天原さんまで名前呼びになってないか?
……まあ、いいか。
不快なわけではないし、大した問題でもない。
そして、疑問は尽きなかったものの、僕は言われた通りに目を瞑り、精神を落ち着けた。
「で、では、行きます」
楽園さんがそう言うや否や、全身にものすごい重みがのしかかって来た。
「う、おも──」
「喋るな!」
僕が声を漏らすと、天原さんがものすごい声で僕に向かって叫んだ。
天原さんの声に反応して、僕はぐっと口を閉じた。
歯を食いしばり、体験したことのない重みに耐えていると、しばらくするとふっと体が軽くなるのを感じた。
「お、終わりました」
その瞬間に楽園さんは何かの終わりを告げた。
シールドが張り終わったということなのだろうか。
僕は何が何だかわからなかったが、繋いでいた手が離れて四人が動いている気配を感じ、恐る恐る目を開いてみた。
目を開いた瞬間、僕の網膜に焼きついたのは、体育館裏の景色──ではなかった。
そこは、辺り一面に何もない、平野のような場所だった。
夕暮れ時で赤く染まっていたはずの空までも、真昼のような明るさを帯びていた。
「……え? あの……、ここは……?」
そう言った瞬間、天原さんが大声で叫ぶ。
「来たぞ! ヘビ型のゾウオじゃ!」
その叫び声を聞くや否や、みろくと楽園さんが天原さんの指さす方へと飛び出した。
僕もそちらに向き直ってみると、そこには今まで見たこともない光景が広がっていた。
アニメでしか見たことのないようなヘビの化け物が、おぞましい雄叫びを上げながら近づいてきていた。
それを見て、僕は思わず腰が抜けそうになった。
「下がっておれ」
天原さんは僕にそう告げると、何かをブツブツと言い始めた。
「お、おい、ナミ。何がどうなって──」
そう言いながら、ナミが居た方に向き直ってみたが、そこにナミの姿はなかった。
「あれ……、ナミ……?」
辺りを見回すがナミの姿はない。
キョロキョロしていると、僕の足下に影が二つ伸びていることに気がついた。
一つは僕の足下から、もう一つは──その元を辿り、視線を空に移すと、そこにはナミが浮かんでいた。
何も使わず、ナミは宙に浮いていた。
そして、ナミの瞳は、真っ赤に染まっていた。
「な、何なんだよ……」
僕が呟いた瞬間、ナミが叫んだ。
「たかちゃん! もう一体! 九時の方向から!」
その言葉に反応し、天原さんが九時の方向に向き直る。
僕も声に反応してそちら側に体を向けてみると、先ほどと同じような巨大なヘビの化け物がいた。
「な、二体じゃと?! 聞いておらぬぞっ!」
天原さんが叫んだ。
「たかちゃん! 来るよ!」
「わかっておる!」
地上と空中でやり取りする二人に挟まれるような形で、僕は呆然と立ち尽くしていた。
天原さんは後から現れた怪物に向かいながら、再び呪文のようなものを唱え始めていた。
僕の頭は完全に混乱して、訳がわからなくなってしまった。
これは、夢なのだろうか。
僕は夢を見ているのだろうか。
意識が飛びそうになるのを必死にこらえながら、僕は頭を回転させた。
だが、状況を把握しようとすればするほど、頭の中は混沌としていった。
落ち着くんだ。落ち着いて、客観的に状況を把握するんだ。
そう自分に言い聞かせ、もう一度辺りの様子を伺ってみる。
目の前にいる女性は、呪文のようなものを唱えている。
その先に、突如として現れたアレが雄叫びを上げている。
耳を引き裂かんばかりの音量で、叫び声を上げ続けている。
それに対抗するかのように、女性は何かを唱えていた。
聞き取ることはできないが、何かをブツブツと唱え続けていた。
彼女は一体、何を唱えているんだろうか。
いや、そもそも、ここはどこなのだろうか。
明らかに、先ほどまでいた場所ではない。
全てが先ほどまでいたあの場所とは違っている。
空の明るさも、辺りの景色も、何一つ類似点がない。
何度も確認してみたが、やはり変わりはなかった。
僕は、たった今、目の前で起こっている出来事を受け入れることができず、ただ混乱するばかりだった。
混乱した僕の脳内に、様々な考えが浮かんでくる。
僕は何故、このようなところにいるのだろうか。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
どうして、こんな目に遭わなければいけないのだろうか。
目の前にいる女性は誰なのだろうか。
その奥にいるアレは何なのだろうか。
この世の物ならざる姿をしたアレは、一体、何なのだろうか。
落ち着くんだ。女性が誰なのかはわかっているはずだ。
彼女は一度会えば、生涯忘れることのできないインパクトを持っている。
彼女とは、忘れたくても忘れられない出会い方をしている。
それよりも、果たして、僕は生きて帰れるのだろうか。
そもそも、僕は今、生きているのだろうか。
まだ、この世に、生存しているのだろうか。
まだ、この世界に、存在できているのだろうか。
もし、元には戻れないのだとしたら、色々と後悔しそうだな。
やれることがまだあった。
やりたいこともまだまだあった。
そして、やらなきゃいけないことだって、たくさんあった。
何もかもが中途半端なままになっている。
全てがそのまま、置き去りにされている。
目前で行われているありえない事象を他所に、思考だけが脳内を走り続けた。
ここで終わる訳にはいかないのに。
こんなところで終えてしまう訳にはいかないのに。
グルグルと想いが脳内が駆け巡る中、突如として、目の前にいた女性が呪文の詠唱をやめ、こちら側に振り向いた。
「うるさい!」
そして、振り向きざまに叫びながら、僕の脳天に向かって、高々と振り上げた足を踵から振り落としてきた。
僕の頭は真っ白になった。




