09−2
給湯室へと足を踏み入れた僕は、コーヒー豆を探す。
兄と共に行動していたのなら、必ずコーヒー豆と豆挽きは常備しているはずだ。
なぜなら、兄のコーヒー好きは異常だからだ。
僕も、何度も嫌だと言っても、無理矢理飲まされた。
おいしくないと思いながらも、僕は何度もコーヒーを飲み続けた。
今になって考えると、トラウマになっていてもおかしくないほど無理矢理だったのだが、不思議と、僕はトラウマになることもなく、むしろ、今はコーヒーがなくては生きていけないというほどのコーヒー好きになった。
そして、兄のコーヒーの入れ方は特殊だった。
何がどうなってそうなるのかはよくわからないのだが、普通の人が入れたコーヒーとは、味が全く違った。
僕はその入れ方を幼い頃から叩き込まれた。
そして、いつしか、兄と全く同じ味のコーヒーを入れられるようになっていた。
しばらくして、ようやく豆を見つけ出すことができたので、僕は豆を挽き始めた。
実を言うと、この作業が一番好きだったりする。
入れ終わったコーヒーを思い浮かべながら、無心にコーヒー豆を挽くこの何とも言えない時間が、僕はとても好きだった。
豆を挽きながら、脇で湯を沸かす。
さすがにガスコンロはなかったが、今話題の数十秒で湯が沸くという、画期的なアイテムがあったので、遠慮なく使わせてもらった。
応接室で待っている四人のことを思い浮かべながら、僕はコーヒーを入れる。
そして、蒸らしを含めて完璧に入れ終えたところで、僕はコーヒーを運び、応接室に戻った。
「お待たせしま……って、何で正座してんだよっ」
全員が僕の言葉にハッとなる。
自分でも何をしていたのかわかっていなかったようだ。
僕が応接室に足を踏み入れたとき、四人が四人とも、緊張した面持ちでソファーに正座をしていた。
異様な光景を目にして、危うく入れたばかりのコーヒーをその場にぶちまけそうになった。
「いや、つい、癖でな……」
天原さんが足を崩しながら話した。
「ミナカさんが入れたコーヒーを入れてくれるときは、正座をして待っていたんだよ」
みろくが苦笑いを浮かべながら足を崩した。
「なんでやりだしたんだよ、そんなこと」
「ミナカさんの指示だよ」
「人様に何させてんだよっ、クソ兄貴っ」
思わず言葉が乱れた。
全く、兄さんは人になんてことをさせるんだ。
ていうか、全員、素直過ぎだろっ。
なんでそのまま実行してるんだよっ。
「ミ、ミナカさんは……、その……、本当に優しくて……、格好良くて……、皆の憧れの的だったんですっ。そんなミナカさんの指示だったからこそ、私たちは喜んで従ったんですっ」
舞が照れて顔を真っ赤にさせながら、珍しく高揚した様子で話した。
いや、どんな理由があったにせよ、その指示は明らかにおかしい。
そこは反発していいところだ。
「えへへ、ミナカさんは、本当にすごかったからねっ」
今度は、ナミが笑みを浮かべながら話した。
ていうか、どんだけみんな兄さんが好きなんだよ。
「まあまあ、それだけ人望があったということじゃ。それより、コーヒーを飲もう。せっかくナギどのが入れてくれたのじゃからな」
「ああ、冷めてしまいますしね。どうぞ」
僕は持ちっ放しだったセットを皆の前に並べ、全員に飲むことを促した。
僕は皆がカップに手を伸ばすのを見届け、ソファーに腰かけた。
ところが、自分のコーヒーに手を伸ばそうとした瞬間、突如としてナミが嗚咽を漏らし始めた。
「うっ……、ううっ……」
驚いてナミの方を見ると、ナミは涙を流していた。
僕は伸ばした手を思わず引っ込め、ナミに話しかけた。
「お、おい。どうしたんだよ」
すると、舞のすすり泣きまで聞こえて来た。
舞の方に目を遣ると、舞だけではなく、みろくも、天原さんもコーヒーを飲みながら、涙を流していた。
「え? そんなにまずかったかな……? おかしいな……、失敗したとは思ってなかったんだけど……」
僕は自分のコーヒーが口に合わなかったのかと思い、申し訳ない気持ちになった。
「違うよ、ナギくん」
みろくが涙を流しながら、僕に話しかけた。
「まずいんじゃない。とてもおいしい。おいしすぎるよ。ミナカさんと……同じ味だ……」
「約一年ぶりかの、この味を口にするのは」
天原さんが感慨深げに呟いた。
呟きながらも、涙を流し続けている。
全員がコーヒーを飲みながら、涙を流し続けていた。
そうか、僕のコーヒーは、兄さんと全く同じ味だからな。
兄さんがいなくなった今、この味を出せるのは、僕だけしかいないのだろう。
兄さんの味に触れて、兄さんの片鱗に触れて、兄さんのことを思い出したのだな。
良かったじゃないか、兄さん。こんなに人に好かれていて。
羨ましいぐらいだよ。
「何だか、ミナカさんが戻ってきたみたい」
ナミが泣きじゃくりながら話す。
コーヒーを啜っては涙を零し、涙を拭っては再びコーヒーを口にする。
四人ともが、それを繰り返していた。
入れて良かったと心から思った。




