07−1
「ぎいちゃん!」
意識が戻ると、ナミの声が脳内に響き渡った。
目を開くと、ナミは笑顔で僕に駆け寄ろうとしていた。
僕はその軌道から身を逸らし、ナミの体当たりを躱した。
ナミは僕の動きにに対応できなかったようで、そのままソファに顔から突っ込んだ。
「ひ、ひろいよ……、ぎいちゃん……」
ナミは鼻を押さえながら恨めしそうにこちらを見た。
「うるさい、戻って来た途端に体当たりを仕掛けるお前が悪い」
僕はナミに向かって冷たく言い放った。
「た、体当たりじゃないよっ。抱擁だよっ。愛の表現だよっ! だから大丈夫!」
そう言いながら、ナミは再び突進して来た。
僕は再び攻撃を回避し、またもやナミの身体は空を切った。
ナミは勢いでバランスを崩し、今度は床と接吻をした。
「なおさら悪い」
僕は地面に倒れ、床と口づけを交わしているナミを見下ろし、そう告げた。
「お、おかえりなさい、ナ、ナ、ナギさん……」
舞が何故か緊張した面持ちで僕に話しかけてきた。
「ああ、ただいま、舞」
笑顔でそう言うと、舞は何故か頬を赤らめ、俯いてしまった。
……何故だ?
そういえば、今になって気がついたが、僕は自然に笑顔を作れるようになっている。
たったアレだけのことだったが、どうやら僕の心はすっかり軽くなっているようだ。
天原さんの言う通り、たったアレだけのことがぼくには必要だったらしい。
今までは、意識しても笑顔が作れなかったというのに。
しかし、案外そういうものなのかもしれない。
心の重荷が降りれば、自然と人は笑みを浮かべられるものなのかもしれない。
「どうだったんだい、ナギくん?」
みろくが続いて話しかけてきた。
「ああ、何とかなりそうだ。フラッシュバックもなかったしな。戦闘でも、足手まといにはならない程度にはなったはずだよ」
「へえ、さすがだねえ。なんだかんだで、ナギくんは器用だからねえ」
「お前ほどじゃない。僕はお前ほど器用な奴には会ったことがないよ」
そもそも、接してきた人自体少ないけどな。
「おや、ナギくんが僕を褒めるなんて珍しいねえ。これは赤飯でも……」
「調子に乗るな」
僕は笑みを消し、いつものみろくに対する視線を投げかけた。
「おお、心地良い視線だねえ……」
みろくはいつも通り気持ちの悪い反応をした。
こいつ、なんでモテるんだよ……。
僕はそこでようやく気がついた。
一緒にハルチに行っていたはずの天原さんの姿が見えない。
辺りを見回してみても、全く姿が見当たらないどころか、気配すら感じられない。
「あれ? 天原さんは?」
僕は誰にでもなく、その場にいる全員に問いかけた。
「ああ、高子くんなら……」
「ここじゃ」
みろくの言葉の途中で、天原さんの声が聞こえた。
声とともに、生徒会室の方から足音が近づいてきた。
僕はそちらに振り向くと、天原さんがティーセットを持って現れた。
「え? 紅茶……?」
今からゾウオと戦いに行くんじゃなかったのか?
そう思っていると、天原さんはティーセットをテーブルに置きながら話した。
「こんな、ゾウオの力が最も強力になっている時に、わざわざ戦いに行く必要もあるまい。明け方頃の、ゾウオの力が弱まり始めたころに仕掛けた方が無難じゃ」
時計を確認すると、時刻は丑三つ時を指していた。
そういえば、夜が深まる程にゾウオの力は強力になるんだったか。
「それに、そなたを戦力に加えた上での作戦も立てねばならん」
天原さんはそう言うと、ソファーに腰をかけた。
「へえ、高子くんがそこまで言うなんて、よっぽどいい感じに仕上がったんだねえ」
みろくがそう言いながら、ソファーに腰をかける。
舞は僕から目を逸らしながら、無言でソファーに腰をかけた。
なんなんだ、さっきから……、何かしたか……?
ふと思い出し、床に視線を落とすと、ナミは未だに床と熱く抱き合っていた。
「う、う、ひろいよ……、ひろいよ、ぎいちゃん……」
そして、僕への恨み言を言い続けている。
「おい、ナミ、いい加減にしろ。早くこっちに来い、紅茶が冷める」
僕は嘆息して、ナミを呼び寄せる。
「うん!」
僕が声をかけると、ナミは先ほどまでの暗さはどこにいったのか、いつも通りの反応を見せた。
って、切り替え早過ぎだろっ。
どれだけ単純なんだよっ。
と言っても、ナミは昔からそうだったな。
何かあっても、すぐに笑顔を作り、何事もなかったかのようになっている。
ある意味、すごい奴だよ。
そんなことを考えている間に、ナミは僕の隣へと移動してきて、ソファーに腰かけた。
ナミは、スペースは十分にあるにも関わらず、やたらと僕に密着した状態で座った。
そして、座ると同時にギラギラとした視線を僕に向け始めた。
「おい、ナミ、隙を見て腕を組もうとでもしているのかもしれないが、それやったら絶交だからな」
「な、なんでわかったの?!」
ナミがもぞもぞさせていた両手を挙げる。
「お前の行動は筒抜けだ。何年の付き合いだと思ってるんだ。いいな、向こうへ行く前のアレは意識もはっきりとしていなかったし、特別な状態だったんだ。次やったら絶交だからな。覚えておけよ」
「うう……、わかったよ……」
そう言うと、ナミはがっくりと肩を落とした。
そして、僕らはまた再び向かい合い、紅茶に手を伸ばした。




