06−1
ゆっくりと瞼が光を取り戻すのを感じる。
僕はおそるおそる目を開き、周囲の様子を伺ってみた。
辺りを見渡すが、そこに天原さんの姿はなかった。
「……あれ? 天原さん?」
「こっちじゃ」
天原さんの声は背後から聞こえた。
予想外の方向からの声に驚き、慌ててそちらに振り返った。
すると、そこには高級そうなデスクに腰かけている天原さんの姿があった。
そのデスクには、見覚えがあった。
「……あれ? ここはハルチじゃ?」
僕の目に写ったデスクは、生徒会室のものだった。
天原さんと二度目に対峙したあの時に見た生徒会室のデスクと、色も形も傷の付き方も全て同じものがそこにあった。
辺りを見渡してみると、全ての光景に見覚えがあった。
そこは生徒会室そのものだった。
ナミに引きずられながら連れて来られ、生徒会役員全員と対面した、あの生徒会室に相違なかった。
「ここはハルチじゃよ」
天原さんが僕の質問に答える。
「でも、ここは……」
「そう、生徒会室じゃ」
僕が疑問を口にする前に、天原さんは答えた。
「ハルチは、あの平野のことじゃなかったのですか?」
「何度も言っておるじゃろう。ハルチは想念の世界じゃ。決まった形などないのじゃよ」
「じゃあ、ここは……」
「間違いなくハルチじゃ」
天原さんが再度僕に告げた。
「舞じゃなくても、ハルチに移動できるんですね。僕はてっきり、舞だけが移動できるのかと思っていました」
「あれだけ多くの人数を全く同じ状態のハルチへ連れていけるのは、私たちの中では舞どのだけじゃよ。しかし今回は、そもそものおった場所が、舞どのが作った結界に覆われた生徒会室じゃったからな。その力を利用させてもらったのじゃ」
「そうなんですか。じゃあ、舞がいないと、ハルチにすら行けないんですね」
「いやいや、そんなことはないぞ。私たちも、自身だけならハルチへ移動できる。しかし、他人を同じ状態のハルチに連れていくことはできん。仮に私たちがバラバラにハルチに行けば、私らは互いを認識することができん故、個々で活動することになる。それぞれが認識している世界が全く一緒のことなど、本来はあり得んからな。しかし、それでは連携が組めん。じゃから普段は、舞どのの力によって、同じ世界を共有しておる。そうやって初めて、私たちは共に事に当たれるのじゃよ」
そういうものなのか。
まあ、確かにどんなに似ていたところで全く同じ人間なんて、この世には存在し得ないのだろう。
双子だって、三つ子だって、ほとんど同時に生まれ、ほとんど同じ環境で育ち、ほとんど同じような体験をしていたとしても、全く同じ人間ではない。
どれほど似ていたとしても、全く別の人間だ。
全く別の人間である限り、どう足掻いたところで認識する世界には多少の相違が生まれる。
どんなに似通っている者同士でも、同じものを見て同じ世界を認識しているとは言い難い、いや、決して言えないはずだ。
つまりは、それがそのままハルチの認識する世界に繋がるってことなのだろう。
意外と複雑なんだな、この世界。
「ところで、どうじゃ? フラッシュバックは起きておるかの?」
天原さんに言われて初めて気がついた。
起こっていないどころか、全くその気配もない。
先の戦いのときは、舞と手を離した瞬間から意識が遠退いたというのに、僕は全く以て正常な状態を保っていた。
「言われて初めて気がつきましたが、全く起こっていませんね」
これほどの会話をしても起きないということは、完全に克服したということなのだろうか?
「いや、まだ完全にかどうかはわからん。しかし、改善傾向にあることは確かじゃろうて」
天原さんが僕の思考に答えた。
そうか、ハルチにいるってことは、近くにいるだけで天原さんには思考が伝わっているんだな。
生徒会室にしか見えないから、すっかり気を抜いてしまっていた。
「そうじゃ。こうして対面している限り、そなたの思考はだだ漏れじゃと思っておくが良い」
あれ? どこかで聞いたことがある言い回しのような……?
「じゃがな、勘違いするでないぞ」
しかも、つい最近聞いたような…………?
「ふ、二人っきりでいるのは、仕方なくであって、好きとかじゃないんじゃからなっ」
「なんであんたまでツンデレなんだよっ」
僕は先の戦いでの舞の言動を思い出しながらツッコんだ。
「ふふっ、調子が戻ってきたようではないか」
今のはわざとか……?
「当たり前じゃろう。私は断固としてツンデレなどではないわ。今のは、先の戦いでの、そなたと舞どののやり取りを再現してみただけじゃ」
「あのやり取りを……、聞いていたんですか……」
僕の内部に如何ともし難い恥ずかしさが込み上げてきた。
「もちろんじゃ。思考までだだ漏れじゃったぞ」
あ、穴があったら入りたい……。
むしろ、埋まってしまいたい…………。
そのまま突き抜けて、地球の核に突っ込んでいなくなってしまいたい………………。
「まあ、冗談はさておいてだな、ここに来たのは、ある目的があったからじゃ。一つはそなたの症状が出るかどうかの確認のためじゃな」
おい、さっきまで僕がハルチに行くことに猛反対していたじゃないか。
「いや、そうなのじゃが、先の一件で出ないという確信はあったのじゃ。そなたの中に燻っていたものが消えておったからの。でなければ、連れて来たりはせんよ」
まあ、それはそうか……。
「そして、大切なのは、もう一つの方の目的じゃ」
「で、それは何なんですか?」
気を取り直し、僕は天原さんに尋ねた。
天原さんはひと呼吸置いて、それに答えた。
「時間もなく、付け焼き刃でしかないが、そなたにハルチでの戦い方を教えるためじゃ」
「ハルチでの戦い方……?」
「そうじゃ。言い換えれば、能力のコントロールの基礎を体得し、ついでに、簡単な戦闘訓練を受けることで、少しでもゾウオへの対抗策を身につけてもらうためじゃ。コントロールの基礎さえマスターすれば、今後も症状は確実に出ないじゃろう。それに、そなたが自身の身だけでもある程度守れるようになってくれれば、私たちが戦いやすくなる。本来は時間をかけねばならんものじゃが、たったの三回のハルチ来訪であの重さを乗り越えたそなたなら、何とかなるじゃろうと思ってな」
確かに、不安要素がある内は僕は足手まといでしかない。
少しでも自分を守る術を身につけたのなら、せめてみんなの邪魔をしないぐらいの役割は果たせるかもしれない。
「なに、案ずることはない。前にも言ったが、あれを克服する早さはコントロール力に比例するのじゃ。つまり、三回で克服したそなたは、コントロール力がナミどのよりも、みろくどのよりも高いということじゃ。私の記憶違いでなければ、歴代二位の早さではないかの? それ程の快挙じゃ。誇れることじゃぞ。それに、付け焼き刃とは言ったが、そこそこの意味はあるじゃろうて」
「はあ……」
歴代二位という記録に少し驚いたが、ナミもみろくも十回以上かかっているのだと言うし、それを鑑みると相当に早いんだろうな。
全く以て自信はないが、天原さんがここまで言ってくれているのだし、何とかやってみよう。
「それで、何をすればいいんですか?」
「うむ。まず、ここでは手狭じゃから、移動することにしよう」
天原さんはそう言うと、僕に近づき、肩に手を置いた。
「では、行くぞ」
その言葉を聞き終えるや否や、また再び僕の眼前は真っ白になった。




