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ハルチ  作者: あみるニウム
05「日常からの脱却」
24/53

05−6

 誰もが再び口を閉ざし、沈黙が辺りを覆った。

「でも」

 その沈黙を破るように、僕が声を出す。

「まだ可能性がない訳じゃないんですよね?」

 大半ということは、症状が出ずに済んだ人もいるはずだ。

「確かに、その後もハルチに行き、症状を克服した者もいる。いるにはいる。しかし、ごく少数じゃ」

「可能性があるならやりましょう」

「しかし──」

「天原さん」

 僕は天原さんの言葉を遮った。

「僕は、可能性がある限り、何もしないではいられない質なんです。それに、天原さんを始め、みろく、ナミ、舞にも、すでに大きな迷惑をかけてしまっています。その恩返しがしたいのです」

 天原さんはじっと僕を見つめる。

 何かを観測するかのように、じっと僕の目を見つめ続ける。

 そして、徐に話し始めた。

「……違うな」

 そして、天原さんは先ほどの僕の言葉を否定した。

 再び、僕の思いを否定した。

「そなたは恩返しなどがしたいのではない。これ以上、人と深く関わりたくないだけじゃ。このままでは、元々そうであったみろくどのとナミどのに加え、舞どのも、そして、私もそなたにとって大切な者になってしまう。これ以上関ってしまえば、自分はこの人たちを大切な人と認識してしまう。そなたはそれが怖いのじゃ。いや、正確には、そうなって、その大切な者を失うのが、じゃな」

 僕の裏の考えは完全に見透かされた。

 そうか、よく考えたら、全ての思考は読まれているんだよな。

 さっきの記憶も、その前の記憶も、それに接している間の僕の思考ですら、全て読まれているんだ。

 口先だけで通用する相手じゃない、か。

「ましてや、先ほどの戦いを見て、そなたは怖じ気づいておるのじゃ。『あの時、舞はまだゾウオがフルパワーの状態ではないと言っていたし、たとえ自分が同じ状態で行ったところで、同じことになる。いや、もっと悲惨なことになる。だったら、一か八かでもう一度ハルチに行ってしまった方がいい。克服できたのなら、それはそれでみんなが戦いやすくなる。もし失敗したとしても、自分が死ぬだけだ。どっちに転んだって、僕にとっては好都合だ』などと考えておるのじゃろう」

 すごいな、本当にその通りだ。

「すみませ──」

 バチンと言う音と共に、僕の頬が叩かれた。

 正面に座っている天原さんが立ち上がり、その手で思い切り僕の頬を叩いていた。

「愚か者がっ! 自分の命を何じゃと思っておるのじゃっ!」

 天原さんは頭上から、大声で僕を叱った。

「そなたが死んだら、私たちは今まで何のために戦っておったのじゃ!」

 天原さんが今までにないほどの怒声を響かせた。

 僕は、それをテレビから聞こえてくる音声のように、遠くのものとして感じていた。

「第一、そなたと深く関わった、それだけのせいで人が死ぬことなど、ある訳がなかろう!」

 でも、父さんも、母さんも、兄さんも、みんないなくなったじゃないか。

 テレビの内容に反応するかのように、僕は思いを脳内に浮かべた。

「ナミどのも、みろくどのも、ずっと一緒におったじゃろう!」

 天原さんは、あたかも僕が言葉を口から発しているかのように、僕の脳内に浮かんだ思考と対話した。

 あいつらは勝手に付き纏っているだけだ。

 僕は天原さんの言葉に対して、再び脳内に思考を巡らせた。

 僕は視線を逸らし、天原さんを遠ざける。

 しかし、そんな行為に意味など、何一つなかった。

「勝手に付き纏っているじゃと……? 捻くれるのも大概にせんかっ!」

 天原さんはそう言うと、瞬時にテーブルを飛び越え、こちら側のソファーへと移動してきた。

 そして、僕の胸ぐらを掴み、無理矢理に僕を立ち上がらせた。

 その瞬間、テレビの中の出来事のように捉えていた音や映像が、ようやく現実のものとして認識された。

「付き纏っているじゃと? 心配しておるのじゃろう!

 勝手に傍にいるじゃと? そなたのことが好きだからじゃろう!

 頼んだ訳じゃないじゃと? 頼まれぬとも傍にいて、支えようとするのが本当の友人じゃろうがっ!」

 天原さんは次々と僕の心に浮かんだ言い訳を否定していった。

「そなたは、そなたしかおらんのじゃ。そなたの代わりなど、誰もおらんのじゃ。そなた足り得るのは、そなたでしかない。自分の命を簡単に投げ出そうとするな!」

 そして、正論を並べ、僕を責め立てる。

 僕は段々と苛立ちを感じ始めた。

「それに、たとえ近しい者に不幸が起きようと、それはそなたのせいのはずがなかろう? そなたは他人の運命を左右できるような人間なのか? そなたにはそんな力や権利があるのか? ある訳がなかろう。そんな人間はこの世に存在などせぬ。そのような者がおれば、そやつは人間ではなく、神なのじゃろうよ。自分の人生は自分で切り開くものじゃ。運命とは、自分の命を運んでいく、その道筋に過ぎんのじゃよ。しかも、大筋が決まっておるだけじゃ。残りは自分自身で、自分の力で切り開いていくものなのじゃ!」

 天原さんはなおも続ける。

「そなたの周りに不幸が起きたとしても、そなたに罪など、微塵もないに決まっておろう。そなたは自分で勝手に背負い込んでおるだけじゃ。勝手に罪の意識を作り、勝手に自分を責め、勝手に自分で自分を罰しておるだけじゃ。そなた自身がそう思いたいと願い、自分勝手に作り出した、ありもしない罪じゃ。

 むしろ、罪があるとするならば、そのように過去に縛られ、ウジウジとし続けていることではないのか? いつまでも過去に縛られ、そこから抜け出せず、柱に縛られたイヌのようにグルグルと同じところを廻り続ける、愚かな行為こそが罪そのものではないのか? それこそ、いなくなった者たちへの裏切りという罪でないのかのう? いなくなった者たちは、そんなことを望んでおったのかのう?」

「あんたに……、何がわかる……」

 僕は遂に我慢ができなくなった。

 頭の中で、プチンと、何かが切れる音がした。

「あんたに何がわかるって言うんだ? 今日会ったばかりのあんたなんかに、僕の何がわかるって言うんだっ? 巫山戯るのもいい加減にしろっ! 他人に干渉される筋合いはないっ!」

 僕は声を荒げ、力の限り叫んだ。

 そして、今まで誰にも話したことのなかった心の奥底に沈んでいた思いを、天原さんに向かって全力で投げつけた。

「両親を失って……、兄さんを失って……、次々と人が僕を離れて行くことに恐怖を感じて何が悪いんだっ? ああ、そうさ、僕は怖いんだよ。失うことが怖いんだよっ。大切な人を……、大好きな人を……、失うのが怖いんだよ…………」

 僕の声は震えていた。

 今まで誰にも話してこなかったことを口にしたことで、突然、恐怖が僕を包み込んだ。

 言ってはいけないことを言ってしまったんじゃないか。

 恐怖に彩られた思いが脳内を駆け巡り、僕の思考回路は停止寸前だった。

「言えるではないか、本音を」

 僕の思考回路が今にも止まろうとしたその時、天原さんが優しい声で僕に話しかけてきた。

 そして、僕の肩を引き寄せ、我が子を慈しむ母のように、そっと抱きしめた。

「そうやって、本音をぶつければいい。みろくどのや、ナミどのや、舞どの、そして、私にも、もっと本音をぶつけていい。一人で抱え込むな。人を頼れ。私たちは、すでに仲間なのじゃから」

「あっ……」

 ────そして、最後に、絶対に信頼できる友人を作れ、とのことでございました。

 そうか……、兄さんが言っていたのは、そういうことか……。

 ありのままの自分を受け入れてくれ、ありのままの自分を愛してくれ、そして、ありのままの自分で接することができる仲間を作れと、そういうことだったのか。

 なんだ、言いたいことを言えばいいだけじゃないか。

 ははっ、そんな簡単なことだったのかよ。

 なんだ、兄さんが言ってたのって、そういうことかよ。

 わかった、わかったよ、兄さん。

 僕はもう、拒否しない。

 僕は全てを受け入れる。

 天原さんがそうしてくれたように、僕は僕の全てを受け入れるよ。

 そして、今までナミやみろくが僕にしてくれていたように、僕も彼女たちの傍に居続けるよ。

 そう決意した瞬間、僕の頬に涙が伝った。

 泣いたのなんて、いつぶりだろうか。

 止めどなく溢れる涙を、僕は止めることができなかった。

 少しして、天原さんは僕を離し、僕の目を見つめてこう言った。

「もう、大丈夫じゃろう」

 天原さんは笑顔を浮かべた。

「さすが高子くんだねえ」

 みろくが、いつも通りの笑顔を浮かべながら、感心したように言った。

「私たちじゃ何やってもできなかったもんね」

 ナミが僕と同じように涙を浮かべながらそう言った。

「こ、これで、ナギさんも、ほ、本当の意味での仲間ですね」

 舞も詰まりながらも言葉を発した。

「えっ? あの……、どういう……?」

 言っている意味がよくわからず呆然としていると、天原さんが深々と頭を下げた。

「すまなかった」

「えっ……? だから、どういう……」

 僕は全く訳がわからずに戸惑った。

 辺りを見渡しながら、おどおどするしかなかった。

「ナギくん、高子くんが君を怒らせたのは、わざとなんだよ」

「……は?」

 ……どういうことだ?

「あのね! あの症状を抱えている人は、みんな心に大きな傷があるの!」

 ナミが涙を拭いながら話した。

「それでね、たかちゃんはね、ぎいちゃんのその穴を埋めるために、わざと奥深くまで読んで、ぎいちゃんを怒らせたんだよ!」

「だから、なんで……」

「あ、あの症状を克服した人は、み、皆さん、その傷を乗り越えたと同時に、症状が出なくなっているん……です……」

 舞が遠慮がちな声でそう告げた。

「えっと……、つまり……?」

「そなたの心の奥に根づいておった、その傷を癒すのが症状克服には不可欠だったのじゃ。そして、それには荒療治じゃが、今の方法が最も近道じゃった。じゃから、私がそなたの心の隅まで読み取り、そなたをわざと激昂させ、そなたの本心を引き出したのじゃ。本心を告げ、尚且つ、それを受け入れてもらうことこそが、そなたにとって重要なことじゃったのじゃよ。そなた、誰とも喧嘩したことがないのじゃろう? 人間、時には本音を言い合って、自分を出すことも大事なことじゃよ」

 天原さんはそう言うと、ソファーに座り直し、紅茶に再び手をつけた。

「えっと……、イマイチ訳がわからないのですが……」

「そなた、私たちを仲間じゃと、ようやく認識してくれたじゃろう?」

「えっと……、ま、まあ……」

 僕は視線を逸らしながら、若干頬を赤らめた。

「それがそなたに必要じゃったのじゃよ。そなたは人を拒絶しながらも、心の奥では人を求めておった。その押し殺された本心を、無理矢理に前に出させたのじゃ。そして、それを私たちが受け入れれば、後はそなた自身が自分で解決する。そう思ったのじゃよ、そなたが兄との記憶に触れている思考からな。楽になるもんじゃろ? 話すだけでも」

「まあ、確かに、すっきりはしましたけど……」

 イマイチすっきりはしない展開なんだけど……。

「さて……」

 天原さんは僕の思考を意に介さず、すすっていた紅茶をテーブルへと置いて立ち上がった。

 そして、僕の側へと移動するなり、僕の手を取った。

「では、しばし行ってくるので、その間のことは頼んだぞ」

 天原さんは他の役員たちに顔を向け告げた。

「はいはい、お気をつけて」

 みろくが軽く返事をする。

「私も行きたい……」

 ナミは不貞腐れた顔をしていた。

「い、いってらっしゃいっ」

 舞は笑顔を浮かべながら、手を振っていた。

「えっ? 何ですか? どこへ行くんですか……?」

 全く流れが読めず、僕は混乱し始めた。

「ハルチじゃよ」

 天原さんの言葉が聴こえた瞬間、閃光が目に入り、僕は目を閉じた。

 次の瞬簡、今度は光が奪われ、僕の頭は真っ白になった。

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