05−6
誰もが再び口を閉ざし、沈黙が辺りを覆った。
「でも」
その沈黙を破るように、僕が声を出す。
「まだ可能性がない訳じゃないんですよね?」
大半ということは、症状が出ずに済んだ人もいるはずだ。
「確かに、その後もハルチに行き、症状を克服した者もいる。いるにはいる。しかし、ごく少数じゃ」
「可能性があるならやりましょう」
「しかし──」
「天原さん」
僕は天原さんの言葉を遮った。
「僕は、可能性がある限り、何もしないではいられない質なんです。それに、天原さんを始め、みろく、ナミ、舞にも、すでに大きな迷惑をかけてしまっています。その恩返しがしたいのです」
天原さんはじっと僕を見つめる。
何かを観測するかのように、じっと僕の目を見つめ続ける。
そして、徐に話し始めた。
「……違うな」
そして、天原さんは先ほどの僕の言葉を否定した。
再び、僕の思いを否定した。
「そなたは恩返しなどがしたいのではない。これ以上、人と深く関わりたくないだけじゃ。このままでは、元々そうであったみろくどのとナミどのに加え、舞どのも、そして、私もそなたにとって大切な者になってしまう。これ以上関ってしまえば、自分はこの人たちを大切な人と認識してしまう。そなたはそれが怖いのじゃ。いや、正確には、そうなって、その大切な者を失うのが、じゃな」
僕の裏の考えは完全に見透かされた。
そうか、よく考えたら、全ての思考は読まれているんだよな。
さっきの記憶も、その前の記憶も、それに接している間の僕の思考ですら、全て読まれているんだ。
口先だけで通用する相手じゃない、か。
「ましてや、先ほどの戦いを見て、そなたは怖じ気づいておるのじゃ。『あの時、舞はまだゾウオがフルパワーの状態ではないと言っていたし、たとえ自分が同じ状態で行ったところで、同じことになる。いや、もっと悲惨なことになる。だったら、一か八かでもう一度ハルチに行ってしまった方がいい。克服できたのなら、それはそれでみんなが戦いやすくなる。もし失敗したとしても、自分が死ぬだけだ。どっちに転んだって、僕にとっては好都合だ』などと考えておるのじゃろう」
すごいな、本当にその通りだ。
「すみませ──」
バチンと言う音と共に、僕の頬が叩かれた。
正面に座っている天原さんが立ち上がり、その手で思い切り僕の頬を叩いていた。
「愚か者がっ! 自分の命を何じゃと思っておるのじゃっ!」
天原さんは頭上から、大声で僕を叱った。
「そなたが死んだら、私たちは今まで何のために戦っておったのじゃ!」
天原さんが今までにないほどの怒声を響かせた。
僕は、それをテレビから聞こえてくる音声のように、遠くのものとして感じていた。
「第一、そなたと深く関わった、それだけのせいで人が死ぬことなど、ある訳がなかろう!」
でも、父さんも、母さんも、兄さんも、みんないなくなったじゃないか。
テレビの内容に反応するかのように、僕は思いを脳内に浮かべた。
「ナミどのも、みろくどのも、ずっと一緒におったじゃろう!」
天原さんは、あたかも僕が言葉を口から発しているかのように、僕の脳内に浮かんだ思考と対話した。
あいつらは勝手に付き纏っているだけだ。
僕は天原さんの言葉に対して、再び脳内に思考を巡らせた。
僕は視線を逸らし、天原さんを遠ざける。
しかし、そんな行為に意味など、何一つなかった。
「勝手に付き纏っているじゃと……? 捻くれるのも大概にせんかっ!」
天原さんはそう言うと、瞬時にテーブルを飛び越え、こちら側のソファーへと移動してきた。
そして、僕の胸ぐらを掴み、無理矢理に僕を立ち上がらせた。
その瞬間、テレビの中の出来事のように捉えていた音や映像が、ようやく現実のものとして認識された。
「付き纏っているじゃと? 心配しておるのじゃろう!
勝手に傍にいるじゃと? そなたのことが好きだからじゃろう!
頼んだ訳じゃないじゃと? 頼まれぬとも傍にいて、支えようとするのが本当の友人じゃろうがっ!」
天原さんは次々と僕の心に浮かんだ言い訳を否定していった。
「そなたは、そなたしかおらんのじゃ。そなたの代わりなど、誰もおらんのじゃ。そなた足り得るのは、そなたでしかない。自分の命を簡単に投げ出そうとするな!」
そして、正論を並べ、僕を責め立てる。
僕は段々と苛立ちを感じ始めた。
「それに、たとえ近しい者に不幸が起きようと、それはそなたのせいのはずがなかろう? そなたは他人の運命を左右できるような人間なのか? そなたにはそんな力や権利があるのか? ある訳がなかろう。そんな人間はこの世に存在などせぬ。そのような者がおれば、そやつは人間ではなく、神なのじゃろうよ。自分の人生は自分で切り開くものじゃ。運命とは、自分の命を運んでいく、その道筋に過ぎんのじゃよ。しかも、大筋が決まっておるだけじゃ。残りは自分自身で、自分の力で切り開いていくものなのじゃ!」
天原さんはなおも続ける。
「そなたの周りに不幸が起きたとしても、そなたに罪など、微塵もないに決まっておろう。そなたは自分で勝手に背負い込んでおるだけじゃ。勝手に罪の意識を作り、勝手に自分を責め、勝手に自分で自分を罰しておるだけじゃ。そなた自身がそう思いたいと願い、自分勝手に作り出した、ありもしない罪じゃ。
むしろ、罪があるとするならば、そのように過去に縛られ、ウジウジとし続けていることではないのか? いつまでも過去に縛られ、そこから抜け出せず、柱に縛られたイヌのようにグルグルと同じところを廻り続ける、愚かな行為こそが罪そのものではないのか? それこそ、いなくなった者たちへの裏切りという罪でないのかのう? いなくなった者たちは、そんなことを望んでおったのかのう?」
「あんたに……、何がわかる……」
僕は遂に我慢ができなくなった。
頭の中で、プチンと、何かが切れる音がした。
「あんたに何がわかるって言うんだ? 今日会ったばかりのあんたなんかに、僕の何がわかるって言うんだっ? 巫山戯るのもいい加減にしろっ! 他人に干渉される筋合いはないっ!」
僕は声を荒げ、力の限り叫んだ。
そして、今まで誰にも話したことのなかった心の奥底に沈んでいた思いを、天原さんに向かって全力で投げつけた。
「両親を失って……、兄さんを失って……、次々と人が僕を離れて行くことに恐怖を感じて何が悪いんだっ? ああ、そうさ、僕は怖いんだよ。失うことが怖いんだよっ。大切な人を……、大好きな人を……、失うのが怖いんだよ…………」
僕の声は震えていた。
今まで誰にも話してこなかったことを口にしたことで、突然、恐怖が僕を包み込んだ。
言ってはいけないことを言ってしまったんじゃないか。
恐怖に彩られた思いが脳内を駆け巡り、僕の思考回路は停止寸前だった。
「言えるではないか、本音を」
僕の思考回路が今にも止まろうとしたその時、天原さんが優しい声で僕に話しかけてきた。
そして、僕の肩を引き寄せ、我が子を慈しむ母のように、そっと抱きしめた。
「そうやって、本音をぶつければいい。みろくどのや、ナミどのや、舞どの、そして、私にも、もっと本音をぶつけていい。一人で抱え込むな。人を頼れ。私たちは、すでに仲間なのじゃから」
「あっ……」
────そして、最後に、絶対に信頼できる友人を作れ、とのことでございました。
そうか……、兄さんが言っていたのは、そういうことか……。
ありのままの自分を受け入れてくれ、ありのままの自分を愛してくれ、そして、ありのままの自分で接することができる仲間を作れと、そういうことだったのか。
なんだ、言いたいことを言えばいいだけじゃないか。
ははっ、そんな簡単なことだったのかよ。
なんだ、兄さんが言ってたのって、そういうことかよ。
わかった、わかったよ、兄さん。
僕はもう、拒否しない。
僕は全てを受け入れる。
天原さんがそうしてくれたように、僕は僕の全てを受け入れるよ。
そして、今までナミやみろくが僕にしてくれていたように、僕も彼女たちの傍に居続けるよ。
そう決意した瞬間、僕の頬に涙が伝った。
泣いたのなんて、いつぶりだろうか。
止めどなく溢れる涙を、僕は止めることができなかった。
少しして、天原さんは僕を離し、僕の目を見つめてこう言った。
「もう、大丈夫じゃろう」
天原さんは笑顔を浮かべた。
「さすが高子くんだねえ」
みろくが、いつも通りの笑顔を浮かべながら、感心したように言った。
「私たちじゃ何やってもできなかったもんね」
ナミが僕と同じように涙を浮かべながらそう言った。
「こ、これで、ナギさんも、ほ、本当の意味での仲間ですね」
舞も詰まりながらも言葉を発した。
「えっ? あの……、どういう……?」
言っている意味がよくわからず呆然としていると、天原さんが深々と頭を下げた。
「すまなかった」
「えっ……? だから、どういう……」
僕は全く訳がわからずに戸惑った。
辺りを見渡しながら、おどおどするしかなかった。
「ナギくん、高子くんが君を怒らせたのは、わざとなんだよ」
「……は?」
……どういうことだ?
「あのね! あの症状を抱えている人は、みんな心に大きな傷があるの!」
ナミが涙を拭いながら話した。
「それでね、たかちゃんはね、ぎいちゃんのその穴を埋めるために、わざと奥深くまで読んで、ぎいちゃんを怒らせたんだよ!」
「だから、なんで……」
「あ、あの症状を克服した人は、み、皆さん、その傷を乗り越えたと同時に、症状が出なくなっているん……です……」
舞が遠慮がちな声でそう告げた。
「えっと……、つまり……?」
「そなたの心の奥に根づいておった、その傷を癒すのが症状克服には不可欠だったのじゃ。そして、それには荒療治じゃが、今の方法が最も近道じゃった。じゃから、私がそなたの心の隅まで読み取り、そなたをわざと激昂させ、そなたの本心を引き出したのじゃ。本心を告げ、尚且つ、それを受け入れてもらうことこそが、そなたにとって重要なことじゃったのじゃよ。そなた、誰とも喧嘩したことがないのじゃろう? 人間、時には本音を言い合って、自分を出すことも大事なことじゃよ」
天原さんはそう言うと、ソファーに座り直し、紅茶に再び手をつけた。
「えっと……、イマイチ訳がわからないのですが……」
「そなた、私たちを仲間じゃと、ようやく認識してくれたじゃろう?」
「えっと……、ま、まあ……」
僕は視線を逸らしながら、若干頬を赤らめた。
「それがそなたに必要じゃったのじゃよ。そなたは人を拒絶しながらも、心の奥では人を求めておった。その押し殺された本心を、無理矢理に前に出させたのじゃ。そして、それを私たちが受け入れれば、後はそなた自身が自分で解決する。そう思ったのじゃよ、そなたが兄との記憶に触れている思考からな。楽になるもんじゃろ? 話すだけでも」
「まあ、確かに、すっきりはしましたけど……」
イマイチすっきりはしない展開なんだけど……。
「さて……」
天原さんは僕の思考を意に介さず、すすっていた紅茶をテーブルへと置いて立ち上がった。
そして、僕の側へと移動するなり、僕の手を取った。
「では、しばし行ってくるので、その間のことは頼んだぞ」
天原さんは他の役員たちに顔を向け告げた。
「はいはい、お気をつけて」
みろくが軽く返事をする。
「私も行きたい……」
ナミは不貞腐れた顔をしていた。
「い、いってらっしゃいっ」
舞は笑顔を浮かべながら、手を振っていた。
「えっ? 何ですか? どこへ行くんですか……?」
全く流れが読めず、僕は混乱し始めた。
「ハルチじゃよ」
天原さんの言葉が聴こえた瞬間、閃光が目に入り、僕は目を閉じた。
次の瞬簡、今度は光が奪われ、僕の頭は真っ白になった。




