02−5
放心状態のまま、生徒会室へとたどり着く。
ソファーに腰かけ、昼に話したときと同じ状態になると、楽園さんが紅茶を入れてくれた。
僕らはそれをすすり、ゆっくりとしていた。
「って、こんなことしてていいんですかっ? またあの化け物が襲って来たらどうするんですかっ!」
雰囲気に飲まれ、一緒になってのんびりしていた僕は、ようやく頭が回転し始めた。
それと同時に、焦りが生まれ、思わず声を荒げてしまった。
「案ずるでない、ここには結界が張ってある。余程のことがない限りは大丈夫じゃ。先のような小物程度では、近づくことすらできんじゃろうよ」
天原さんは冷静にそう告げた。
その言葉を聞いて、僕は少し落ち着きを取り戻した。
「そ、そうなんですか。すみません、取り乱してしまって……」
「構わぬ。初めてのことには、誰しも戸惑いを覚えるものじゃ」
天原さんは笑顔で僕にそう告げると、手にしていたティーカップをテーブルに置き、真剣な顔つきになった。
「しかし、いつまでもここでのんびりとしている訳にはいかんがな……」
「だねえ。しかし、同時に二体とは、予想外だったねえ……」
「しかも、それが本体ではなかったとなると、今回の相手は相当手強そうじゃな」
いつもの調子のみろくに、天原さんが応える。
「ナ、ナミさん、先ほど仰っていた気配というのは、どれほどの大きさだったのですか?」
続いて、楽園さんがナミに問いかけた。
「うーん……、あの近くにいたのは確かなんだけど……。よくわからないんだよねー」
ナミが似合わない思案顔を浮かべながら応えた。
「ナミくんによくわからない程の大物が相手だなんて、考えただけでも身震いがするねえ」
みろくが全く恐怖を感じているとは思えない態度でそう言った。
しかし、何かを考えてはいるようだった。
みろくだけではなく、皆が皆、何かを考え込んでいるようだった。
僕は話について行けず、その場で呆けていた。
しかし、冷静になった頭で考えてみると、様々な疑問が浮かんで来た。
いつまでも話について行けないままでは困る。
ましてや、今回の標的は他ならぬ僕だということなのだ。
他人のことであるなら、いつものように適当に話を合わせるだけでいい。
しかし、僕自身が狙われているとあっては、そういう訳にもいかない。
ましてや、あんな化け物に狙われているのなら……。
そこで、話を遮って悪いが、僕は疑問に思ったことを尋ねることにした。
「あの幾つか質問してもいいですか?」
遠慮がちにそう言うと、天原さんは笑顔で応じてくれた。
「ああ、わからないことだらけじゃろうしな。何でも聞くが良い」
そういうと、天原さんは若干姿勢を崩し、僕の質問を聞くぞという様子をほのめかした。
「まずあの場所はどこだったんですか?」
「む? あの場所とは、どこのことじゃ?」
天原さんは質問の意図がわからないという顔をした。
「ほら、僕ら、体育館裏にいたじゃないですか。なのに、あの化け物と皆さんが戦っていたときは、明らかに体育館裏じゃなかった。夕暮れ刻だったはずなのに、日の光は真上にありましたし……。確か楽園さんはフィールドを作り出すとか言っていたと思うのですが、あれはどういうことなのですか?」
「ああ! そうか。説明し忘れておったな。あれは『ハルチ』と呼ばれる世界じゃ」
「ハル……チ……?」
「うむ。まあ、言うならば、想念の世界かのう? 舞どのの力によって、体育館の周囲に結界を張り、あの場を作り出し、共有していたのじゃ」
「えっと……、つまりは、どういうことですか?」
イマイチ理解できず、更なる説明を求める。
「つまりじゃな、私たちは移動はしておらん。私たちがおった場所は、間違いなく体育館裏じゃよ。私たちが移動したのではなく、認知する世界を変えたのじゃ」
「認知する世界を……変えた……?」
「そうじゃ。じゃから、端から見れば、私たちは手を繋いで円陣を組んで、じっとしているようにしか見えん。それもあって、人目がないところを選んだのじゃよ」
なるほど、僕らが体育館裏に集合したのはそういう訳か。
「でも、それならここでも良かったのでは?」
「いや、さっきも言ったように、ここには体育館で張ったものとはまた違った特殊な結界が張ってあるからのう。奴らは近づくことすらできん。それに、体育館裏というのは、奴らが集まりやすいのじゃよ。何かが秘密裏に行われるには打ってつけじゃからのう」
確かに、体育館裏と言えば、告白だとか何だとか、あまり人に見られたくないことが行われやすいようにも思える。
「わかりました。それじゃあ次なのですが、あのヘビみたいな化け物がゾウオなのですか?」
まだわからないことがある。
僕は休むことなく疑問を投げかけた。
「そうじゃ。あれはヘビ型のゾウオ。他にもイヌ型、キツネ型、タヌキ型など、様々な種類がおる。強力なものには、ヒト型などもあるくらいじゃ。そして、おそらく、今回はヒト型じゃ。二体もの別のゾウオを同時にコントロールして襲ってくる辺りからして、ほぼ間違いはないじゃろう。やっかいな話じゃよ……」
そう言うと、天原さんは嘆息する。
「その……、それが僕を狙っているんですよね……?」
「そうじゃな。ナギどのもやっかいなモノに狙われたのう。徒党を組み、複数体で襲って来る粘着さから言って、恐らくは恨みか妬み、あるいは執着じゃとは思うが、何か心当たりでもないか?」
「すみません、全くありません。何せ、ほとんど人付き合いを断っていたので……」
「そうか……。しかし、人はよくわからん理由で恨んだり妬んだりするものじゃからのう。気づいてないところで、原因を作っていたのかもしれんな」
「そうかも、しれませんね……」
確かに、自分の預かり知らぬところで恨み妬みを買うなんて、世の中ではよくあることだ。
しかし、僕は本当に恨まれるようなことをした覚えも、妬まれるようなことをした覚えもなかった。
強いて言うなら、人気者のナミやみろくと普通に会話できることぐらいだろうか?
とはいえ、僕は必要以上に二人と接してはいないはずだ。
もっとも、ナミは向こうから絡んでくる訳だが。
……もしかして、それが原因なのだろうか?
…………そうなのかもしれない。
何せ、このことで誰かが僕に不快感を持っていたとしても、面と向かって何かをされることは皆無だからだ。
それをしてしまえば、校内ヒエラルキートップの二人に完全に嫌われてしまうのがオチで、それはすなわち、この学校での存在を消されることに等しいのだから。
自分で言うのも変な話だが、二人の僕好きは、校内では知らぬ者がいないぐらいに有名な話なのだ。
以前ナミのファンだかが絡んできて僕が不快な思いをしたとき、ナミが激昂して、校内が大騒ぎになったことがあった。
ナミは、僕がそのような仕打ちを受けたことを耳にするや否や、僕に絡んだ人に報復しようと企て始め、そこに何故かみろくまで乗り出し、その人をこの世から抹消するぐらいの勢いにまで発展したのだ。
幸い、僕が事前に気づくことができたので二人を止めることはできた。
だが、もし気づけなかったらどうなっていたのかを考えると、今でも背筋が凍る。
そんなことがあったものだから、校内では誰一人として僕に無駄なちょっかいをかけなくなっていた。
僕が人付き合いを断っていられる理由は、そこにある。
ちょっかいを出してきた人には申し訳ないが、そういう意味では、僕にとっては却って好都合の事件だったとも言える。
もっとも、その人物もナミとみろくの前で僕に謝り、二度と手は出さないと誓ったことにより、二人は完全に許し、今では仲良し組の一人になっているのだけれど。
そういう意味では、ナミやみろくの器の広さは計り知れないものがある。
だいぶ話が逸れたが、こんな事情があり、僕には表立って嫉妬の想いをぶつけられることはない。
しかし、それはある意味、隠れて恨みを買う可能性はものすごく高いのかもしれない。
いや、はっきり言って、非常に高いに違いない。
何か行動に移して鬱憤を晴らせるのならまだしも、それができないのだ。
ましてや、二人に嫌われる危険を冒してまで──僕からすると命を落とす危険を冒してまで何かを実行することは、自殺行為でしかない。
たとえ秘密裏に事を進めたとしても、二人の情報網は校内では並ぶ者がないほどに広く、情報伝達も尋常じゃなく早いため、すぐにその情報を手にしてしまう。
マイナスの感情を僕にぶつけるような言動を少しでも現そうものなら、すぐさま二人が行動に移し、僕に露見する前に消されるだろう。
とはいえ、可能性があるとすれば、その辺りに原因があるとしか思えない。
楽園さんの話によると、そういう感情が具現化したものがゾウオという存在らしいし、今まで形のある報復がなされていなかっただけで、目に見えないところでは数多くの嫉妬や恨みを抱かれていたとしても、何らおかしいことはない。
しかし、今それを掘り下げたところで、何の役にも立たないことは目に見えている。
どこまで行っても憶測でしかない愚考に、現状では何の意味もない。
ならば、少しでも解決に向け、できる努力をするしかない。
考えがまとまったところで、僕は最後の疑問を天原さんに投げかけた。
「天原さん、最後にもう一つ質問させてください。いや、質問というよりは、確認かもしれませんが……」
「良いぞ。言うてみろ」
「その、さっきの、ハルチ……でしたか? その世界で皆さんの服装が変わっていたように思うのですが……」
「ああ、ハルチは想念の世界じゃからな。自分が強く思った姿になる。じゃから、ハルチにおいては、私たちが各々最も戦いやすいと思っている姿になるのじゃよ」
なるほどようやく合点がいった。
さっきは頭が混乱して全く考えられなかったが、そういうことだったのか。
僕は普段と変わらない思いしか抱いていなかったから、姿は変わらなかった。
しかし、生徒会の面々は、戦うという明確な意思を持っていたから、それぞれが戦いやすい姿になっていたのだ。
天原さんは巫女のような姿に、みろくは武装僧のような姿に、楽園さんは女戦士のような姿に、そして、ナミは…………。
「なんでお前だけ柔道着にウサミミつけてんだよっ!」
ナミの姿を思い出し、思わずナミに向けて大声で言い放った。
「ぎいちゃんに今日だけでこんなにもツッコんでもらえるなんて、私もう死んでもいいかもしれない!」
ナミは今まで見たこともないほどに顔を輝かせていた。
「おい、質問に答えてないぞ」
僕はそう言いながら、この世のものではないものを見るような、侮蔑の混ざった冷たい視線を投げかけた。
その視線に気づいたのか、ナミは慌てて答えた。
「あ、あれはね、あのウサミミはね、アンテナなんだよ! ほら、普通のアンテナじゃ可愛くないじゃない?」
「じゃあ、あの服は何だ? お前はバスケ部のはずだろ。何で柔道着着てるんだよ」
僕は更にナミに詰め寄る。
「えっと、それは、その……、なんとなく強そうだなー、って……」
「なんとなくかよっ」
僕の言葉に怒りの感情が籠った。
「やーっ! 怒らないでーっ!」
ナミが今はないはずのウサミミを抑えるようなポーズを取りながら、涙目で訴えた。
「ははは。まあ、あんな格好ではあるが、ナミどのは我々にとって欠かせない存在なのじゃよ。ナミどのには、能力で周囲の状況を把握してもらいながら、その情報を処理し、最適な行動を取れるように指示を出してもらっておるのじゃからな」
激しく狼狽えるナミに、天原さんが助け舟を出した。
そういえば、ずば抜けた能力がどうとかでスカウトしたとか言ってたな。
なるほど、つまりナミはサポート役ってことか。
ナミのずば抜けた能力が具体的にどんなものなのかは未だにわからないが、おそらくその辺りに関係する能力なのだろう。
そして、空中に浮いていたのは、周りをより見渡しやすくするため、周囲の状況をより把握しやすくするためだったということか。
しかし、いくら想念の世界だからと言って、そんな簡単に空を飛べるものなのか?
「いや、簡単ではないぞ。ナミどのは想念の力が桁外れに強いのじゃ。そして、そのコントロールも群を抜いておる。でなければ、あのようなことはできん。現に、私やみろくどの、舞どのは、通常では考えられんほどの高さまで飛び上がることはできるが、空を飛び続けること、即ち、空中浮遊はできん。ナミどのは特殊じゃ」
ずば抜けた能力と言うのはこれのことか。
……って、あれ?
また僕は考えを口に出していたのか?
いくらなんでも、思ったことを口に出し過ぎだな、注意しないと……。
「いや、違うぞ。ナギどの」
「……えっ?」
またか?
いや、今度こそ口には出していないはずだ。
それに、天原さん自身も違うと言っている。
ということは、まさか────
「ナギくん、高子くんはね、人の思考が読めるんだよ」
みろくが僕の疑問の答えを告げた。
「人の思考が……読める……?」
「そうだよ。まあ、僕らもその気になれば多少は読めるんだけど、高子くんの読み取り能力は群を抜いてすごいよ。よっぽどのことがない限り、ほとんどの思考は読み取れるんじゃないかな?」
人の思考を読むだなんてありえるのか……?
いや、しかし、そう考えると、色々と合点が行く。
今朝や昼間のやり取りでも、天原さんは僕が考えただけのつもりの言葉に反応した。
そして、ハルチでは、頭で考えていただけのはずなのに、『うるさい』と、確かにそう言っていたはずだ。
「まあ、多少の集中力はいるのじゃがな。それに、いつでも聞こえるという訳ではなく、意識して耳を傾けねば聴くことはできん。じゃが、ハルチでは別じゃ。あそこは想念そのものの世界じゃからの。あそこでは、すぐ傍にいる全員の思考が私の中に流れ込んでくるのじゃ。じゃから、真後ろにおったコヤどのの混乱した思考がとめどなく流れ込んできて、中々集中できんかった。私はみろくどのや舞どののように、瞬時に戦闘態勢になるのは苦手でな。トランス状態に入るために、多少時間がかかるのじゃよ」
そうか、それであのとき、天原さんは呪文のようなものを唱えていたのか。
言わば、あれがトランス状態に入る儀式にようなものなのだろう。
その最中に、僕のあの雑多な思考が聞こえてきたというのなら、うるさいと思うのも仕方がない。
そうか、そうだったのか。
様々な疑問がここでやっと晴れた。
バラバラだったパズルのピースがようやく繋がった。
そして、僕はゾウオのことを含め、天原さんたちが言っていることを初めて信じてみようと、そう思った。
「そうだったんですね、ようやく色々と疑問が氷解しました。そして、ようやく、ゾウオのことや様々なことを、信じる気になれました。ここでは、僕のいた日常とは違うものが日常として流れているんですね。そして、僕もそこに片足を突っ込んでしまっている、と……」
「そういうことになるかのう。まあ、意図した訳ではないのじゃがな……」
天原さんは申し訳なさそうにそう言った。
「とにかく、今はゾウオが動き出してしまった。それだけはそなたも見た通りじゃ。それに対して、策を立てねばならん」
「うん!」
「だねえ」
「そ、そうですね」
ナミ、みろく、楽園さんの声が被った。
そして、僕も同意した。
「狙われている僕が言うのもなんですが、さっさと終わらせちゃいましょう」
僕がそう言うと、天原さんは不敵な笑みを浮かべ、こう言った。
「もう、後戻りはできんぞ?」
それに対して僕は、笑みも浮かべずに応えた。
「人生に後戻りできる道なんてありませんよ」




