第九話
宇宙歴四五一八年六月十七日、標準時間二二時○○分。
ゾンファ共和国の重要拠点であるジュンツェン星系において、大規模な会戦が行われようとしていた。
進攻してきたのはアルビオン共和国の六個の艦隊。この艦隊はゾンファが占領した自由星系国家連合に属するヤシマを解放する作戦名“ヤシマの夜明け――Operation Yashima Dawn――”、通称YD作戦のジュンツェン進攻艦隊だった。
ジュンツェン進攻艦隊を指揮するのは古代の剣闘士のような風貌の大将、グレン・サクストン。彼の傍らにはサクストンが最も信頼する参謀長、小柄な女性士官である中将アデル・ハースの姿があった。
ハースの類稀なる作戦立案能力と、サクストンの豪胆な指揮は先の戦争でも多くの武勲を挙げていた。そして、その名コンビが再び、宿敵ゾンファに鉄槌を下すべく、艦隊を導いていく。
対するゾンファ共和国艦隊は五個艦隊に加え、第五惑星にある大型要塞J5要塞をもってアルビオン艦隊を迎え撃とうとしていた。
ゾンファ艦隊を指揮するのは、ジュンツェン方面軍司令長官であるマオ・チーガイ上将。
彼は指揮官としての能力に突出したところはないと評価されているが、ゾンファ軍の上級士官にしては珍しく、思慮深い性格であった。
また、彼の国にありがちな高圧的な態度を取ることなく部下たちの意見に耳を傾ける良将であり、前任の司令長官である名将フー・シャオガンの後継者として部下の信頼も厚い。このため、彼が指揮する艦隊の士気は高く、同数であればアルビオン艦隊と互角以上の戦いができると自負していた。
しかし、今回は直属であるジュンツェン防衛艦隊は三個艦隊約一万五千隻しかなく、残り二個艦隊約一万隻は占領中のヤシマに増派される移動中の艦隊であった。そのため、合同訓練どころか、基本的な指揮命令伝達系すら整備されていなかった。
この連携面で大きな課題に加え、ヤシマに増派される艦隊司令官はマオより先任のティン・ユアン上将であった。更に運が悪いことに、ティンはマオの属する派閥と異なることから、非協力的な姿勢が目立った。
元々、ゾンファでは軍事委員会と公安委員会の間で激しい権力闘争が繰り広げられており、更には軍内部でも穏健派と強硬派に分かれて抗争を続けている。ゾンファ市民たちの間では、軍は内部抗争の片手間に、アルビオンと戦争していると揶揄するほどだ。
そんな中、マオは決戦の直前に何とか指揮命令系を一本化することに成功する。しかし、机上訓練すら行われていない混成艦隊に、複雑な艦隊運動は望むべくもない。
更に食糧供給基地のある第三惑星J3は無防備な状態で放置されており、食糧の備蓄に不安を抱えていた。
これはゾンファ軍の伝統的な欠点である兵站の軽視が招いた事態だった。
艦隊随伴型補給艦が不足しているゾンファ軍では、ヤシマに侵攻した艦隊への補給のため、ジュンツェン星系の物資を半ば強引に流用していた。ギリギリの状態でジュンツェンに辿り付き、ジュンツェンにある物資のほぼ全量をヤシマ侵攻艦隊に補給し、ようやくヤシマに侵攻できたのだ。
このため、元々供給能力が高いわけでもないJ3基地がフル稼働で食糧を生産することにより、何とか多少の備蓄を得るまでに至ったところだった。
それでも食糧は不足気味であり、仮にJ3の食糧供給基地が破壊ないし占領、若しくは補給線を断たれた場合、六十日程度でジュンツェン防衛艦隊の将兵は飢えるという予測がなされている。
このように指揮を執るマオにとっては頭の痛い問題が山積していた。
アルビオン艦隊とゾンファ艦隊の相対距離は二光分、アルビオン艦隊とJ5要塞の相対距離は三光分の位置にあった。
ゾンファ共和国最大級の軍事要塞であるJ5要塞には、百テラワット(一千億キロワット)級陽電子加速砲が三百門あり、この要塞砲の最大有効射程距離は二光分――三百門を集中運用した場合。個別で運用する場合は四十光秒程度――である。
アルビオン側がJ5要塞を掠めるように進んでいるため、今のままの進路・速度で進むとすれば、三十分程度で射程に捕らえることができる距離にある。一方、戦艦の主砲、例えば標準的な一等級艦の主砲である二十五テラワット級陽電子加速砲の射程距離は三十光秒であり、アルビオン側が要塞を捕らえるには現状の進路を変更し、要塞に接近する必要がある。
アルビオン艦隊の総旗艦、HMS-A0102003、一等級艦キング・ジョージ級プリンス・オブ・ウェールズ型三番艦プリンス・オブ・ウェールズ03の戦闘指揮所において、仁王立ちしたサクストンが重々しく命令を下した。
「全艦隊、進路変更。目標、第三惑星J3」
彼が命じた直後、人工知能を通じ、艦隊各艦に一斉に伝達される。その直後、アルビオン艦隊は僅かに右舷側に進路を変え、J5要塞を離れる進路を取った。
サクストンはそのまま指揮官用のシートに深く座り、メインスクリーンを見つめた後、総参謀長に頷きかける。
ハースはそれを受け、戦艦と砲艦の混成部隊にある命令を伝達した。
第三艦隊第四砲艦戦隊に属するHMS-N1103125、インセクト級レディバード型125番艦レディバード125のCICでクリフォード・コリングウッド少佐は掌砲長であるジーン・コーエン兵曹長に命令を下した。
「掌砲長、主砲の展開準備を開始してくれ」
コーエンは「了解しました、艦長」と簡潔に答えると、直ちに部下である掌砲手たちに指示を出していく。
「第一から第三コイル展開準備……接続状況確認……」
その間にも艦は進路を変更しつつ、加速を開始していた。
ハースが立案した作戦に従い、アルビオン艦隊は一丸となって第三惑星J3に向けて加速を開始した。
レディバードら砲艦も加速を開始するが、加速性能の差が現れ、徐々に遅れていく。ただ、砲艦とともに円形陣を組んでいた戦艦も先行することなく、円形陣を保っていた。
六月十七日、標準時間二二時二五分
二十五分後、砲艦戦隊が〇・一Cまで加速したところで敵に動きがあった。
「敵艦隊加速開始! 我が艦隊を追撃しようとしています!」
情報士でもある戦術士のマリカ・ヒュアード中尉が甲高い声で叫ぶ。
「敵は……巡航戦艦を主力とした高機動艦、約一万五千! 最大加速度で接近中! このままでは四十分後に射程に捕らえられます! 更に敵戦艦群も加速を開始しました!」
興奮気味のヒュアードに対し、クリフォードは「了解」と静かに答え、
「戦隊司令部からの命令に注意してくれ。すぐに加速停止と主砲展開の指示があるはずだ」
現状では敵艦隊との距離は四光分。速度差はあるものの、最大加速で猛追してくる敵艦隊はすぐにこちらの速度を超える。
「戦隊司令部より入電! 第一種戦闘配備に移行! 各砲艦は加速停止及び一斉回頭。回頭完了後、主砲展開開始!」
クリフォードは「了解」と答え、操舵長であるレイ・トリンブル一等兵曹に回頭を命じる。
艦隊総司令部からの命令で、砲艦たちが一斉に回頭を始める。
ずんぐりとした艦体が回頭する様は、さながら床に置いてある樽がゆっくりと回るかのようだった。
砲艦と共に戦艦も回頭するが、こちらは力強いシルエットであり、如何にも戦闘艦の機動と思わせる鋭利さがある。
回頭を終えたことを確認したクリフォードは、掌砲長に静かに、そして笑みを浮かべながら、「主砲展開は何分で終わる?」と問い掛けた。
ジーン・コーエン兵曹長はコンソールから目を離すことなく、「十五分で完了させます、艦長」と楽しげな声で答え、クリフォードも「了解した。いつも通りに頼む」と明るい声で応じる。
砲艦の主砲は艦の中にある加速空洞と艦外に展開する強力な電磁コイルで構成される。電磁コイルは加速空洞から出てきた荷電粒子のベクトルを合わせる設備であり、集束コイルと呼ばれている。
この集束コイルが必要な理由だが、砲艦の短い艦体では荷電粒子の加速が精一杯であり、集束率が低い。これを艦外の宇宙空間、すなわち真空である空間を加速空洞代わりに用いて、電磁コイルの磁力により、荷電粒子を更に加速・集束させ、エネルギー密度を上げることで射程を延ばしている。
集束コイルは直径約十mで五段、約四百mに及ぶ構造物であり、更にエネルギーを供給するケーブルを同時に敷設する必要があるため、展開には通常三十分は掛かると言われている。事前準備を行っていたとはいえ、半分の時間で完了させると言い切る自信がコーエンにはあった。そして、クリフォードもそれを疑うことはない。
これほど短い時間で主砲の展開が完了できるのは、クリフォードの方針があったからだ。砲艦は“浮き砲台”と呼ばれるほど機動性に欠けるが、運用次第ではその強力な攻撃力を発揮することが出来ると彼は考えた。このため、主砲の発射準備に関する訓練を集中的に行っていたのだ。もちろん、この方針は第四砲艦戦隊司令、エルマー・マイヤーズ中佐も承認しており、戦隊全体で取り組んでいる。
掌砲手たちが行っている操作は直径十mに及ぶ集束用電磁コイルに電源ケーブルを接続し、艦首から宇宙空間に押し出し、所定の位置に配置することだ。自動化されているとはいえ、五段、四百mにも及ぶ構造物を真空中において僅か十五分で行える技量はキャメロット防衛艦隊一と言われるほど熟練していた。
十五分後の二二時四十分。
レディバード125号は六百隻の砲艦の中で最も早く主砲用集束コイルの展開を終えた。
クリフォードはコーエンに「見事だ」と賞賛の言葉を掛けた後、艦内一斉放送を行った。
「これから敵に一泡吹かせる作戦が始まる。だが、その前に一言言っておきたい。今回の準備は見事だった! この後も砲艦乗りの意地を見せてやろう」
その放送に艦首にある主兵装操作室の横にある操作員控室で、船外活動用防護服に身を包んだ掌砲手たちが歓声を上げる。
艦首のMAOC及び操作員控室だが、強固な遮蔽が施されている。これは大出力の陽電子が通過する際に放出されるガンマ線が致死レベルに達するためで、船外活動を行う掌砲手たちは主砲発射に備え、強固な遮蔽が施された操作員控室に退避する必要があった。
本来ならより安全なCIC付近まで退避すべきだが、艦体全体が巨大な加速空洞と言える砲艦の場合、安全な通路が確保できないことと、トラブルの際の微調整が必要なことから、戦闘が終わるまで、掌砲手たちはハードシェルを脱ぐことも出来ず、狭い操作員控室で待機し続けなければならない。
既に戦艦と砲艦の混成部隊と敵艦隊との距離は三光分を割っていた。また、味方の巡航戦艦を主力とする高機動艦隊はクリフォードたちの後方十光秒の位置にあり、最大加速度で減速し、補助艦艇や戦艦を守るべく行動しているように見える。
一方のゾンファ艦隊だが、アルビオン艦隊が〇・一Cから加速しなかったことから、最大巡航速度である〇・二Cまで加速した後、〇・一五Cまで減速していた。
二三時〇〇分。
アルビオン艦隊は艦隊を三つに分けていた。
一つは三等級艦――巡航戦艦――を主戦力とし、巡航艦、駆逐艦など高機動艦で構成された別働隊約二万隻で、第九艦隊司令官のジークフリート・エルフィンストーン提督が指揮を執る。
戦艦と砲艦で構成された特殊部隊を主力とする約六千六百隻が本隊となり、総司令官のサクストン提督が直接指揮を執っている。残りの補給艦などの補助艦艇約二千四百隻が支援艦部隊とされた。
全艦隊が〇・一Cで惑星J3に向かっていたが、高機動部隊であるエルフィンストーン隊は減速しつつ進路を変え、本隊であるサクストン隊と支援艦部隊を追撃してくる敵高機動艦部隊の側面を狙うように機動していた。
一方のサクストン隊の戦艦、砲艦混成部隊は特殊な円形陣――進行方向に向かって斜めに傾いた円盤のような陣形――のまま、〇・一Cを保ち、追撃してくる敵艦隊に艦首を向けた。敵から逃げ切れないと諦めて反撃の機会を窺っているように見えるような巧妙な動きだった。
支援艦部隊は僅かに加速し、サクストン隊の前方に出る形で敵との距離を取り始めていた。
アルビオン艦隊の隊形は、サクストン隊を中心とし、エルフィンストーン隊が斜め前にでた“く”の字形となっている。
クリフォードは戦闘指揮所で敵艦隊の動きを確認しつつ、主砲の発射準備状況を確認していた。
「掌砲長、集束コイルの状況を報告せよ」
掌砲長であるジーン・コーエン兵曹長は感情の篭らない声で報告を始める。
「自己診断シーケンス起動。第一コイル、電圧制御系正常、位相制御系正常……冷却系正常……第五コイル……冷却系正常。自己診断シーケンス終了……全て異常ありません、艦長」
クリフォードは「了解」と答え、一斉放送のマイクを握る。
「主砲発射準備!」
クリフォードの命令に「了解しました、艦長、主砲発射準備開始」という復唱がCIC内に響き、艦は一気に活気付く。
先任機関士であるレスリー・クーパー一等機関兵曹がレディバードの心臓である対消滅炉とエネルギーを一時的に貯めておく質量-熱量変換装置の状態を報告していく。
「対消滅炉出力最大。質量-熱量変換装置充填量八十パーセント……加速器冷却系及び補機冷却系切り離し完了……換気空調系、非常循環系に切替完了。機関異常なし」
その報告に被るように掌砲長の声が響く。
「主加速器空洞真空正常。加速コイル電圧、周波数正常……陽電子注入系接続……完了。主兵装系異常なし」
この他にも操舵長であるレイ・トリンブル一等兵曹から操舵系の報告が、航法士であるレベッカ・エアーズ兵曹長から監視系の報告が上がる。
戦術士のマリカ・ヒュアード中尉が興奮気味に司令部からの命令を伝える。
「総司令部より入電! 敵との相対距離が二光分に入り次第、一斉砲撃を開始する。射撃間隔は三射目までは二十秒、その後、三十秒とする。射撃管制系は各戦隊司令部と連携。以上です」
クリフォードは小さく頷き、メインスクリーンを凝視する。
(これが私の指揮官としての、本当の意味での指揮官としての初陣か……)
一瞬、感慨深くなるが、すぐに頭を切り替え、艦内放送用のマイクを握る。
「すぐに戦闘開始だ。だが、今回は完全な奇襲となる。落ち着いて命令に従ってほしい」
クリフォードの言葉が終わると、代わるように人工知能の声が響く。
『攻撃開始まで一分。カウントダウン開始……』
カウントダウンが続く中、コーエンの最終確認の自問自答が聞こえてくる。
「目標、敵高機動艦隊。対消滅炉陽電子注入系出力上昇……加速コイル電圧正常範囲内……」
『発射十秒前……』
CICのメインスクリーンや各モニタに緊急時に備えて対ショック姿勢を取る旨の警告が点灯する。
二十テラワット分の陽電子が限りなく光速に近い速度まで加速される。
本来、無音のはずの加速器が唸りを上げるように感じていた。
『五秒前、三、二、一、ゼロ』
カウントがゼロになった瞬間、メインスクリーンが真っ白に発光し、すぐに光量調整が行われ、正常な映像に切り替わる。
スクリーンには千二百隻に及ぶ戦艦、砲艦の主砲から放たれた反物質粒子の光の柱が漆黒の宇宙を斬り裂いていく。
『……一、二、三……』
AIの無機質な声がカウントを続ける中、千二百の光柱は敵艦隊に向けて真っ直ぐに伸びていく。だが、見惚れている者は誰もいなかった。
「第二射発射準備! 加速器空洞冷却開始! 主兵装冷却系緊急冷却開始……」
ごく僅かな陽電子が加速器空洞の内壁と対消滅反応を起こすことにより、加速器の温度が急上昇する。このままでは加速器内の磁場が乱れて発射不能となるため、温度を低下させる必要がある。
『十三、十四……』
AIのカウントにコーエン掌砲長の声が被る。
「キャビティ温度正常範囲内。第二射発射可能」
再び、主砲が大量の死の粒子を撒き散らす。
敵艦隊に到達した反物質の粒子は敵艦の防御スクリーンと反応し、輝度の高い真っ白な光を放つ。負荷に耐え切れなくなったスクリーンが超新星のような輝きを放って消滅すると、艦の外殻が陽電子と反応し火ぶくれのような爆発を起こしていく。艦の中では荒れ狂う放射線と高熱が将兵の命を奪っていく。
即死しなかった者の余命も大して長い時間ではなかった。対消滅反応により起きる小規模な核爆発に巻き込まれ、艦と運命を共にしていった。
第一射の結果が判るまでおよそ四分掛かるが、結果を気にすることなく砲撃が続けられていく。
更にエルフィンストーン隊約二万隻が敵に向けて最大加速度で進撃を開始していた。これはアルビオン艦隊からの主観であり、実際には〇・一Cで後退しているため、俯瞰的に見れば最大加速度で減速しているように見える。
最大加速度で加速しながら、全艦からミサイルを一斉に発射していた。本来であればミサイルの一斉発射は敵に探知されやすいため、遠距離攻撃ではほとんど行われない。まして、六個艦隊という大艦隊が要塞戦以外で、一斉発射を行ったことはアルビオン軍の長い歴史の中でも例がなかった。
第二射を放ちながら、二光分先の敵に猛然と向かっていく姿は見る者に畏怖の念を植えつける勇壮なものだった。
サクストン隊から見るエルフィンストーン隊はまさに漆黒の海を往く鮫の群れであった。クリフォードはその姿を憧憬の念を抱きながら見送ると、メインスクリーンに映る敵艦隊に視線を移した。
(敵は完全に意表を突かれたはずだ。巡航戦艦はともかく、軽巡航艦以下の艦は相当なダメージを負うだろう……)
クリフォードの予想通りの光景がスクリーンに映される。遠距離の映像であるため、荒い映像だが、真っ白な光の柱が敵艦隊に突き刺さると、その光の柱に沿ってオレンジ色の爆発光が連鎖し、無機質の宇宙空間に死のイルミネーションが飾り付けられていく。小型艦が次々と爆発し、数千単位で死が量産されているはずだが、無音のスクリーンはその悲壮さまでは映し出していなかった。
十分間砲撃が続いた。
敵の損害の詳細はまだ判らない。最大の戦果を上げるであろうミサイル群が敵に届いていないからだが、それを見届けるまで砲撃が続けられなかったのだ。
砲艦の最高出力での砲撃は主砲や機関に大きな負荷を与える。掌砲手や機関士たちが必死の調整を行うがそれでも追いつかず、最終的には三割の砲艦が一斉砲撃から脱落していた。また、脱落しなかった艦も機関や加速器の本格的な再調整が必要だった。
サクストン提督は六百隻の戦艦と同数の砲艦を切り離す決断をし、戦艦群に予備兵力六千四百隻を加えた七千隻の艦を率いて追撃を始めた。
残された形の砲艦は無防備な姿を晒しながら、展開した集束コイルを回収していった。
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第一次ジュンツェン会戦でアルビオン軍が用いた戦術、すなわち、戦艦と砲艦のペア運用による超遠距離砲撃とタイミングを合わせたステルスミサイルによる攻撃は、クリフォード・カスバート・コリングウッド少佐(当時)の発案と言われている。事実、キャメロット防衛艦隊総参謀長アデル・ハース中将(当時)に提出された「戦術研究論文」が資料として残されており、彼の発案であることは間違いない。
しかし、この戦術に関し、コリングウッドは“この戦術は元々あったアイディアを組み合わせたものであり、自分のオリジナルではない”と語っている。彼の言うとおり、対要塞戦用として開発された砲艦の運用方針書にはこの戦術に近い運用が想定されていた。
コリングウッドはこの運用の研究を始めた際、副長であるバートラム・オーウェル大尉(当時)に以下のように語ったとオーウェルの個人用航宙日誌に記録されていた。
『この戦術が戦果を上げたとして、賞賛されるべきは発案者じゃない。賞賛すべきはこれほどリスクの高い戦術を採用すると決めた指揮官の豪胆さと、使えると思わせるだけの技量を持った将兵たちだろうね……』
彼はそう語っていたが、実際にはほとんどオリジナルと言っていいほど手が加えられている。
彼の考案した戦術は浮き砲台と呼ばれる砲艦の特性を生かしたものだった。
砲艦はその強力な攻撃力と引き換えに防御力と機動力を犠牲にしている。特に機動力に関しては、艦外に陽電子集束コイルを展開するため皆無と言っていい。
集束コイルは艦首から簡単な支持材で固定されているが、言わば“吹流し”のような状態であるため、緩やかな旋回程度であれば耐えられるものの、通常の宇宙艦に要求されるような加速度に耐えられる設計となっていない。
通常、艦船には慣性制御システムが装備され、強大な推進力による慣性力が艦内に作用しないよう制御されている。しかしながら、ICSの効果は艦内に限定され、艦外に設置された集束コイルに作用させることができない。このため、砲艦は主砲の発射準備が完了した後は機動力を完全に失うことになる。
加速さえしなければ、つまり慣性航行であれば問題ないかと言えば、そうとも言えない。宇宙空間は真空だが、僅かながら様々な星間物質が存在する。星間物質との相対速度が大きければ星間物質の運動エネルギーが大きくなり、艦体に衝突した際に損傷を与える可能性がある。
通常の艦船では防御スクリーンにより星間物質からの影響を排除しているが、砲艦の集束コイルは艦外、それも全長の二倍にまで伸ばされるため、防御スクリーンの範囲外となっている。このため、星間物質との相対速度をほぼゼロにする必要があった。
クリフォードはこの欠点をある方法で克服した。
その方法とは戦艦の強力な防御スクリーンの陰に入れることで慣性航行中の砲撃を可能にするというものだった。戦艦の全長はおよそ千m、一方の砲艦の全長は集束コイルを展開しても六百mであり、艦同士を接近させれば十分にスクリーンの効果範囲に入れることは可能である。
この運用の問題点は光速の十パーセント以上、すなわち秒速数万kmの速度で移動する艦同士を接近させる必要があるという点だ。艦隊運用規定では艦同士の衝突を回避するため、最低離隔距離を設定している。
これは戦闘時の回避機動を考慮したもので、戦闘宙域では厳格に守られるべき規定とされていた。
特に航法関係の士官にとっては最低離隔距離を下回るような機動は禁忌であり、実際、これに違反したものは軍法会議に掛けられるほど厳しい処分を受ける。
クリフォードはあえてこの規定を破る運用を提唱したのだ。
彼の考える戦術では、砲艦どころか戦艦すら回避機動を行わない。つまり、艦同士の相対速度は完全にゼロであり、離隔を取る必要は無いと主張した。
航法担当者も実運用上に問題がないことは認めたが、ここで問題が発生した。艦隊運用規定に違反する戦術は認められないと、航法系の将官たちが反対したのだ。元々、航法関係の士官は保守的な者が多く、規定を杓子定規に守ろうとする者が多かったが、これに対しては総参謀長のアデル・ハース中将の鶴の一声で解決した。
『艦隊運用規定は新しい戦術に対応していない。規定を守ることに固執するのではなく、規定が想定していない戦術を試みるためにどうすべきか考えるべきである』
こうして戦艦と砲艦のペアによる“バディシステム”が採用された。
クリフォードの考えはこれだけではなかった。
バディシステムにより慣性航行中でも砲艦による砲撃は可能となったが、戦闘機動が出来ないことに変わりはない。クリフォードはこの事実を逆手に取った。
本来、戦闘中は敵からの攻撃を想定し、人工知能による自動回避機動と操舵手による手動回避機動を組み合わせた回避機動を行っている。この回避機動を行うと各艦の位置は時々刻々と変化し、遠距離砲撃の際に狙点を合わせづらい。
単独の艦であれば手動回避のタイミングと砲撃のタイミングをずらすことにより、AIによる精密照準は可能だが、これを艦隊規模で行うことは現実的には不可能だった。
理由としては艦同士の距離が離れていることにより通信に時差が生じることが上げられる。自艦であれば操舵手の操作が終わったタイミングをセンサー類で検知してタイミングを合わせられるが、他の艦ではコンマ何秒かの通信の遅れが影響を及ぼすことになる。
また、それを回避するには操舵手の操作に制約を加える必要があるが、それが大きくなりすぎると手動回避運動のメリットがなくなってしまう。これらの理由により、艦隊規模での精密遠距離砲撃は現実的ではないとされてきた。
一方、バディシステムでは各艦は自動回避すら行わないため、相対的に見れば各艦の位置は固定されており、旗艦のAIによる集中運用が可能となる。このことについて、クリフォードはこう語っていた。
『要塞砲が集中運用により射程を延ばせるのは、各砲台の位置が固定されているからだ。なら、“動けない”砲艦にも同じことが出来るはずだ……“浮き砲台”という汚名からインスピレーションを得たんだけどね……』
相対的な位置が固定されている戦艦と砲艦を一つ一つの砲台とみなす。これが彼の考えの基本であったが、これにも多くの批判がなされた。
戦艦はその強力な攻撃力とそれに見合った防御力をもって、敵の戦列に正面から向かっていくというのが、戦術系士官の常識だった。それを砲艦と同じく“浮き砲台”として使うというのは宙軍の華である戦艦を冒涜する思想だと批判されたのだ。
それに対し、ハース中将はこう答えたと伝えられている。
『固定観念に固執して祖国を危うくするのは愚かなことじゃないかしら。二等級艦を常にこう使うならもったいないかもしれないけど、この戦術はそれほど頻繁に使えるものじゃないしね』
この戦術の寿命が短いということは発案者であるクリフォードも認識していた。オーウェル副長の個人用航宙日誌に以下のように記録されている。
『この戦術は使えても二回くらいだろうね。こんな特殊な隊形を取れば、すぐに気付かれるから。まあ、大規模な撤退戦なら脅しで使えないこともないのだろうけど、いずれにせよ、対処方法は分かっているからね……』
このフォーメーションの最大の欠点は回避機動が行えないことである。つまり、遠距離からのミサイル攻撃に対して、迎撃用の対宙レーザー以外の防御手段がない。また、砲艦が戦闘準備を終えるには三十分という比較的長い時間がかかる。この間にミサイル攻撃を受ければ戦艦といえどもすべてのミサイルを撃ち落すことは困難であり、大きな損害を受けるだろう。この点についても言及している。
『……二光分という遠距離とは言え、人工知能による回避運動すら行えない状況なんだ。もし、敵にこの戦術を看破できる将官が居たら必ずステルスミサイルによる超遠距離攻撃を行うはずだね。二等級艦でも回避運動なしには大きな損害を受けるだろうね。ましてや砲艦など全滅しかありえないから……』
事実、この後の会戦でバディシステムを使用した戦術はほとんど使われていない。但し、ハースは以下のような言葉を残している。
『……この戦術は普遍的に使えるものじゃないわ。でも、こういう手があると思わせることで戦術の幅を広げることが出来るのよ。つまり、こういう戦術を取るかもしれないと思わせることによって、敵の行動を誘導することが出来るということ。それだけでも十分な価値はあるのよ……』
ハースは手放しで賞賛しているが、批判的な意見を繰り返す者はいた。その一人が第三艦隊司令官ハワード・リンドグレーン提督で、彼はこのように述べたと言われている。
『奇妙な戦術ほど世間には受けるが、ほとんどの戦いは常識的な戦術の組合せにしか過ぎない。一度しか使えぬような戦術をことさら持ち上げるのはいかがなものか』
彼の発言は正論だったが、ほとんどの人は彼の言葉に耳を傾けなかった。