第十五話
宇宙歴四五一八年七月二十四日、標準時間〇八時三○分。
ジュンツェン星系シアメン星系側ジャンプポイント。
第二次ジュンツェン会戦と呼ばれる戦闘が始まってから三十分が経過した。
猛将ホアン・ゴングゥル上将率いるゾンファ共和国軍ヤシマ侵攻艦隊一万四千五百隻はシアメンJPにジャンプアウトした直後、アルビオン王国軍が敷設した百万基に及ぶステルス機雷と、グレン・サクストン提督率いるアルビオン軍ジュンツェン進攻艦隊二万七千隻の攻撃により、三千隻以上を喪失し、それに倍する戦闘艦が何らかの損傷を負っていた。
それでもホアン艦隊の健闘はアルビオン側の予想を遥かに上回るものだった。攻勢に強く守勢に弱いと言われていたホアンだったが、アルビオン艦隊の猛攻をよく凌ぎ、それどころか的確な反撃により、アルビオン側に少なからぬ出血を強いている。
名将サクストン提督が率いている割には、アルビオン艦隊は精彩を欠いていた。中でも特にハワード・リンドグレーン大将率いる第三艦隊の動きが悪かった。
総参謀長アデル・ハース中将の作戦案では戦線が膠着したところで、第三艦隊が側面を突くはずだったが、リンドグレーン提督は後方への備えを理由に積極的な攻勢を掛けることに反対し、最後には総司令部の命令に反して、マオ艦隊に向けて転進してしまう。その転進ルートはアルビオンへの帰還ルートであるハイフォン星系JPと一致していた。
リンドグレーンに見切りをつけたサクストンは、勇将ジークフリート・エルフィンストーン提督率いる第九艦隊に敵艦隊の右翼側を切り崩すよう命じた。
エルフィンストーンはすぐに了解し、ホアン艦隊の右側面を脅かしていく。左翼に配置されている第九艦隊が猛攻を加えると、さすがのホアン艦隊もその猛攻に耐えかね、徐々に左翼側が押されていった。
サクストンは戦場の状況を一瞥すると、直属である第一艦隊に対し、「全艦突撃せよ!」と命じた。
アルビオン艦隊の中央に配置された第一艦隊が猛然と前進すると、ホアン艦隊は右と中央から押され、徐々に左側に流されていく。
しかし、ホアン艦隊に動揺は見られなかった。第一艦隊と第九艦隊の攻撃を受け流すように右翼側に流れていったのだ。
ハースはこの状況に「敵は右翼を突破するつもりです!」と叫んでいた。
サクストンもすぐにハースの考えを理解するが、「このまま敵中央を突破する。しかる後に敵の後方に回り込む」と重々しく答えた。
ハースは司令官の考え以上の案をもっておらず、その言葉に無言で頷くことしかできなかった。
(提督の言うとおりだわ。戦場での勢いは完全に敵側に移っている。今更、敵の前進を遮っても突破されるだけ……リンドグレーン提督が命令どおり攻撃していれば……)
ハースの顔からいつもの笑みが消え、彼女にしては珍しく、スクリーンの端に映る第三艦隊の表示を睨みつけていた。
ホアン艦隊はアルビオン艦隊の右翼を突破しようとし、アルビオン艦隊もホアン艦隊の右翼を殲滅しつつ突破を図っている。それは二人の剣闘士が剣と盾を使って斬り結んでいる姿に似ていた。
この時、ホアン艦隊はステルス機雷とアルビオン艦隊の攻撃により三千五百隻を喪失し、一万一千隻にまで減っていた。その残存艦艇も半数近くが何らかの損傷を受け、実質的には一万隻を切る戦力になっている。しかし、その士気は高く、倍する敵艦隊を突破しようと突き進んでいた。
一方のアルビオン艦隊も第三艦隊が抜け、更に戦闘によって一千隻あまりを喪失し、二万一千隻となっていた。また、後方から迫るマオ艦隊に怯えるかのように動きに精彩を欠いている。
アルビオン艦隊の約二百三十光秒後方では〇・一Cを保ったまま急速に接近してくるマオ艦隊一万七千隻がおり、このまま減速しなければ、三十分ほどでアルビオン艦隊の後背に攻撃を加える位置に着くことができる。
そんな中、リンドグレーン提督麾下の第三艦隊四千隻はマオ艦隊の右翼側を脅かすべく、ゆっくりと後退していた。
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ホアン・ゴングゥル上将は敵第三艦隊がマオ艦隊に向かったことで、勝利を確信した。
(ジャンプアウトした時にはマオが我らを見捨てたと思ったが、敵の動きを見切っていたのか……さすがに老練だな。ジュンツェンの防衛を任されただけのことはある……この会戦は我々の勝利に終わる。これで私の昇進も確実に……)
自らの栄達の可能性にほくそ笑む。しかし、すぐに気を引き締め直す。
(今はそれを考えている時ではないな。可能な限り損害を押さえつつ、マオ艦隊と合流せねばならん……まずは敵の左翼と中央からの攻撃を受け流しながら、敵の右側を突破する。敵第三艦隊の後方に回り込めば、マオ艦隊と合流できる。右翼の二千は失うかもしれんが、旗艦を前線に出せば士気も上がる。これしかない!)
ホアンは旗艦である戦艦ウーウェイを最前線に出した上で、「敵右翼に攻撃を集中せよ! 我に続け!」と命じた。
アルビオン第一及び第九艦隊による圧力に押されていたため、自然と左舷側に流れていたが、ホアンはそれを積極的に利用した。ウーウェイを先頭にアルビオン艦隊の右側、ちょうど第三艦隊がいた空間に向け、前進していく。
ホアン艦隊右翼は大きな損害を被りながらも、アルビオン艦隊に突破を許さない。業を煮やしたアルビオン第九艦隊のエルフィンストーン提督は強引ともいえる突撃を命じ、敵右翼をすり潰そうとした。
ホアンはメインスクリーンに映る右翼二千隻に小さく目礼をすると、「右翼が持ち堪えている間に敵の後方に回るのだ! 味方の犠牲を無駄にするな!」と味方を鼓舞する。ホアン艦隊はアルビオン艦隊の後方にゆっくりと回り込んでいく。
「前方に砲艦約百! 既に撤退を開始しております!」という情報士官の言葉が戦闘指揮所に響く。その声には侮蔑の響きがあった。
ホアンは「見捨てられた砲艦など攻撃不要! 今は前方の艦隊に集中しろ!」と戦闘力を失った砲艦を無視するよう命じた。しかし、「通り過ぎる際に駆逐艦戦隊に殲滅させろ!」と残忍な笑みで付け加えた。
ホアンが見た砲艦群は第三艦隊に属する砲艦戦隊だった。リンドグレーンは艦隊主力を転進した際、機動力に劣る砲艦を放置し、攻撃を続行させていたのだ。
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標準時間〇八時五○分。
戦闘開始から五十分が過ぎた。
ホアン艦隊は多大な犠牲を払いながらもアルビオン艦隊の右翼側を突破しつつあった。ホアン艦隊の右翼二千はエルフィンストーン提督率いる第九艦隊に殲滅されたが、アルビオン艦隊もその強引な攻撃により戦列が乱れている。そのため、そのまま方向転換をすることが難しく、一旦前進した上でホアン艦隊を追うように右旋回する必要があった。
その艦隊運動はホアン艦隊とマオ艦隊の合流を許してしまうことを意味していた。唯一、合流を防ぐ方法はリンドグレーン提督率いる第三艦隊がホアン艦隊の針路を妨害することだが、僅か四千隻では勢いに乗るホアン艦隊を止めることはできない。
この状況にリンドグレーン提督は迷っていた。自分たちの前方を減速することなく通過しようとしているマオ艦隊を攻撃するか、ステルス機雷とサクストン提督麾下のアルビオン艦隊によって傷付いたホアン艦隊を食い止めるかの選択を迫られていたのだ。
リンドグレーンは自らの行動によりアルビオンが勝利を逃したことに気づいていた。戦場での臨機応変な判断はともかく、既に終わった事象から原因を導き出すことは官僚的な彼の得意とするところだった。
(私の決断が我々の勝利を逃す原因となってしまった……あの時、なぜあのような決断をしてしまったのか……これで私の経歴も終わりだ。いや、最悪、軍法会議にかけられ処断されることもありうる……)
リンドグレーンの精神状態は冷静さとはかけ離れたところにあった。明確な裏切りや敵前逃亡であれば別だが、アルビオン王国において“大将”という地位の将官が軍法会議にかけられ処刑される可能性はない。もちろん、敵国であるゾンファ共和国なら別だが。
この時、リンドグレーンは完全に恐慌に陥っていた。
(私が命じた航路はハイフォン星系に向かう航路と一致する。このままでは敵前逃亡の汚名を……どうする……)
司令官がパニック状態の第三艦隊はマオ艦隊に向かうでもなく、ホアン艦隊を迎え撃つこともなく、ただ漫然とその中間の宙域に漂っている。
「提督、ご命令を。このままではホアン艦隊に強襲されてしまいます」と幕僚の一人が耳打ちする。
リンドグレーンはそこで我に返り、慌てた様子でメインスクリーンを見つめると、「前進! マオ艦隊の前方を横切りながら攻撃する!」と命じた。
その言葉に幕僚たちは呆然とする。
マオ艦隊は一万七千隻、つまり自分たちの四倍以上の戦力であり、その艦隊の進路を横切るように進むことは常識的にはありえない。通常、艦隊戦では高速で移動している方が不利になる。これは防御スクリーンを進行方向に展開する必要があるためで、その分、防御力が落ちるからだ。
現段階でマオ艦隊との相対距離は七十光秒を割り込み、マオ艦隊は艦隊戦のための最終減速に入っていた。今すぐ加速を開始すれば、ギリギリでマオ艦隊の射程外を掠めるように移動できるが、逆に言えば第三艦隊も攻撃できない。
更に言えば、第三艦隊が最大加速度でマオ艦隊の前を横切ると、アルビオン艦隊主力に合流するためには三十分以上の時間を浪費してしまう。その間にマオ艦隊とホアン艦隊が合流すると、敵の総数は二万六千隻を超え、アルビオン艦隊の二万一千隻を凌駕する。
幕僚たちは「一旦、ホアン艦隊の進路から外れ、早期に本隊と合流すべきです」と上申するが、リンドグレーンは「それではホアン艦隊に押し潰されるだけだ。早く命令を実行せよ」と焦りを含んだ声で命じるだけだった。
幕僚たちもこの場で議論することは時間の浪費であり、早急に移動が必要と考えていたため、リンドグレーンの命令を各艦に伝達する。
第三艦隊はマオ艦隊の射程ギリギリを掠めるように横断していく。横断しながら戦艦が主砲を発射し、他の艦はステルスミサイルを放っていく。しかし、僅か四千隻の攻撃ではマオ艦隊に有効なダメージを与えることなく、逆にマオ艦隊からの攻撃を受け、ダメージを被っている。
ダメージを受けながらも第三艦隊はホアン艦隊から追撃を受ける危険な宙域から脱出した。しかし、アルビオン艦隊の本隊であるサクストン隊とは大きく離れてしまった。
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メインスクリーンに映るアルビオン第三艦隊の姿を見て、マオ上将はジュンツェン星系を守りきれたと確信する。
(ここに至ってはアルビオン側も無理に攻撃を仕掛けてくることはなかろう。こちらは防備を固めて、敵が逃げられるように位置を変えていくだけだ……懸念があるとすればホアン上将だけだな……)
彼はアルビオンの戦略目的であるヤシマ解放がなったことと、ゾンファ側が合流し、数の上では互角以上になったことから、これ以上の戦闘を避けてくると考えていた。
ただ、好戦的なホアン・ゴングゥル上将がこの機に敵を殲滅すべきと主張するのではないかという懸念を抱く。
彼の懸念はすぐに現実のものとなった。
「ホアン上将から通信です」という通信士の言葉に小さく頷くと、司令官専用回線を開くように命じた。
すぐにホアンがスクリーンに映し出され、「何とか合流できましたな」と笑いかけ、「では、アルビオンを叩きだしましょう」とすぐに今後の戦闘の協議に入ろうとした。
「一旦引くべきでしょうな」とマオが言うと、ホアンはなぜだという顔をし、「この絶好の機会を逃すというのか!」と叫んだ。
「貴艦隊の損害が大きすぎる。一度、J5要塞に帰投し、万全の体制をもって雌雄を決するべきでしょう」
事実、ホアン艦隊約九千隻のうち、三割以上に当たる三千隻弱が何らかの損傷を負っていた。
ホアンは正論であり、常道でもあると考えるが、この程度の戦果ではヤシマを放棄した事実を覆すことができないと考えた。
「貴官はそういうが、我が艦隊はまだ充分に戦える。敵第三艦隊が戻る前に一気に雌雄を決するべきだ」と譲らない。
ここで問題になるのは指揮権がどちらにあるかという点だ。
先任順位で言えば、ホアンが上であるが、ジュンツェン防衛に関してはマオに指揮権がある。常識的に考えればマオに指揮権があるのだが、この作戦がヤシマ解放作戦の一環であるならば、ホアンに指揮権があることになる。
ホアンはそのことを主張し、主導権を得ようとしたが、第一次ジュンツェン会戦の緒戦で先任であるティン・ユアン上将に配慮したため、大きな損害を被ったマオはその主張を一蹴する。
「ヤシマ解放作戦はシアメン星系以遠で適用されるものである。本星系の防衛に関する一切の権限は小官にある」
ホアンはこれ以上時間を空費することは敵に利すること、また自らの艦隊の損傷が大きく戦闘に勝利したとしてもマオの功績になるだけだと考え、指揮権を諦めた。
ゾンファ側の指揮命令系統が統一された。
しかし、アルビオン側はシアメンJPから離れる動きを見せなかった。
標準時間〇九時一〇分における各艦隊の情況をまとめる。
アルビオン側の本隊、すなわちサクストン提督率いる五個艦隊二万一千隻はシアメンJP付近において、最大戦速――艦隊戦が可能な最大速度――である〇・〇一Cで時計回りに方向転換を行っている。
リンドグレーン提督率いる第三艦隊はその後方十光秒付近、つまりゾンファ艦隊に近い側で同じく時計回りの方向に展開しようとしている。現状では巡航速度に近い〇・一Cで移動し、ゾンファ艦隊の前を横切った後、サクストン隊とも離れる航路を進んでいた。
一方のゾンファ側は、マオ艦隊一万七千隻がサクストン隊とは四十光秒離れた宙域で減速を終え、待機している。
ホアン艦隊九千隻はサクストン隊から三十光秒の位置にあり、〇・〇三Cでマオ艦隊に向かい、あと十分ほどでマオ艦隊と合流できる位置にいた。但し、九千隻のうち、半数が何らかの損傷を受けており、戦力的には三割程度割り引いて考える必要がある。
戦力的にはアルビオン艦隊とゾンファ艦隊はほぼ互角であるが、現状ではリンドグレーン艦隊が本隊と早期に合流できないため、アルビオン側が不利な状況であった。
更に第三艦隊の砲艦戦隊はホアン艦隊の駆逐艦戦隊三十隻に追われていた。周囲に味方はなく、その命運は風前の灯であった。