第十話
宇宙歴四五一八年六月十七日、標準時間二二時〇〇分。
時はアルビオン艦隊が第三惑星J3に向けて進路を変えたときに遡る。
ゾンファ共和国軍――正式にはゾンファ国民解放軍――のジュンツェン方面軍司令長官、マオ・チーガイ上将は、敵艦隊が第三惑星J3に進路を向けたことに安堵の息を吐き出していた。
(敵の狙いはやはりJ3の食糧供給基地か……順当なところだが、敵に主導権を譲ったのが痛かった。増援が来るまで三ヶ月は掛かる。それまでに敵を排除しなければならん。頭が痛いことだ……)
アルビオン艦隊の狙いが持久戦であり、罠が無いと分かったことで安堵したのだが、思わぬところから、彼の安寧は崩れた。
ヤシマ派遣艦隊のティン・ユアン上将から、敵艦隊追撃の意見具申が上がってきたのだ。
「敵を追撃してはどうかね」
ティンの言葉にマオは首を横に振る。
「今からでは要塞砲の射程内には引き込めません。追撃するにしても全艦隊では時間が掛かりすぎます」
その言葉にティンは満足そうに頷き、
「小官の考えも同じだ。だが、高機動艦ならばどうだ? 十分に敵に追いつけるのではないかね……」
ティンは自分の考えを得意げに披露していく。
巡航戦艦を主力とする高機動艦で追撃部隊を編成し、敵の後方から攻撃を仕掛ける。敵の戦艦群が防壁を築いたとしても、防御スクリーンの能力が落ちた状態であれば、重巡航艦クラスでも十分な戦果が上げられるはずだと主張する。
「……何より敵が背中を見せているこのタイミングは絶好の機会なのだ……敵には足の遅い補助艦艇がおる。つまり容易に減速できぬということだ……」
ある程度の速度を持った戦闘艦同士の戦闘において、追撃側は追撃される側に比べ、圧倒的に有利になる。これは追撃される側は星間物質からダメージを防ぐため、敵がいない前方にも防御スクリーンを展開しなければならないのに対し、追撃側は敵がいる前方にのみスクリーンを展開すればよいからだ。
もちろん、追撃側も星間物質がスクリーンの負荷になりうるが、星間物質の濃度は均一ではなく、受けた攻撃と同時に星間物質が衝突しなければ、スクリーンは十全の能力を発揮できる。
一方、追撃される側はいつ星間物質との衝突が起きるか判らないため、常に前方にスクリーンを展開しておかなければならず、戦艦等の大型艦であっても最大巡航速度である〇・二Cにおいては、スクリーンの能力のほぼ半分を前方に割かなければならない。
つまり、スクリーンの能力が半減した状態で戦闘を行うことになるのだ。
マオはティンの案が魅力的に思えたが、敵がこの程度のことを想定していないはずは無いとも思っている。
「しかし、それが敵の罠であったら……敵がこの危険に気付いていないはずがありません」
ティンもその程度の事は考えていたのか、すぐに反論する。
「もし、敵が全艦隊で迎え撃とうとするなら、機動力を生かして退避すればよい。この相対速度なら、敵の戦艦は追従できん。つまり、敵は鈍重な戦艦、補助艦艇と、高機動艦に艦隊を分けねばならんようになるのだ。これは逃し難い好機なのだよ」
マオが「しかし……」と言葉を挟もうとしたが、ティンはそれに気付かぬ振りをして自らの主張を続けていく。
「この相対速度なら、敵の戦艦は容易には追従できん。敵も我らと同じく高機動艦による再編が必要になるのだ。敵がそれを予想しておったとして、ある程度の混乱は生じるだろう。これは敵の油断が招いた好機なのだよ」
マオはティンの言葉を聴きながら考えをまとめようとしていた。
(確かに今の加速を続けていけば、すぐに最大巡航速度に達するはずだ。だとすれば、補助艦艇が減速するには百分程度、戦艦でも三十分以上減速する必要がある……敵が全艦隊一丸となって機動を行えば、それだけの時間が必要になるということだ……つまり、その間は敵の防御スクリーンの能力は低下したまま。その間に敵にダメージを与えられるだけ与えて退避すれば、味方に大きな損害なく、敵に損害を与えられる……もし、敵がそれを嫌って艦隊を分離してくれれば、主導権はこちらに移る。高機動部隊を後方の補助艦艇に回すもよし、速度を調整して敵の高機動部隊だけを狙うもよし……だが、罠だったら……)
一抹の不安を覚えつつも、この有利な状況を逃すことはできないと腹をくくる。
(もし、ここで消極的な行動をとれば、後で何を言われるか判らん。みすみす敵にJ3を奪われたと言われ、全責任を負わされる可能性が高い。ならば、一か八かで打って出るしかあるまい……)
「了解しました。ティン上将の案で行きましょう」
すぐに参謀たちに高機動艦の編成を命じ、指揮官の選定に掛かろうとした。
だが、ティンから再び通信が入る。
「私が指揮を執ろう。貴官は全軍の指揮を執らねばならんのだ。ならば、私が巡航戦艦で指揮を執ればよいだろう。既に手配済みだ」
マオはティンが手柄を独占しようとしていると不快感を覚えたが、勝てるのであれば手柄云々は不問にしてもよいと割り切る。そして、にこやかな笑顔を浮かべ、
「お手数をお掛けしますが、歴戦のティン上将にお任せいたします。私は本隊を率いて、上将が混乱を与えた隙を狙います」
ティンは「任せていただこう」と満面の笑みで頷いた。
ゾンファ艦隊は僅か二十分で艦隊の再編を終え、ティン・ユアン上将が指揮する高機動艦隊一万五千隻は最大加速度でアルビオン艦隊を追撃し始めた。
マオ上将率いる本隊もやや遅れて加速を開始した。
ティンは追撃開始直後こそ通常空間航行機関の限界まで加速度を上げたが、敵の動きに不審を覚え、速度を緩める命令を下した上で、
「敵は反撃を考えておる。だが、この速度差であれば敵が完全に減速する前に一撃を加えられる。最悪、敵の補助艦艇を殲滅できるはずだ……」
ティンの言うとおり、今の速度差でいけば、アルビオンの戦闘艦が加速能力の低い補助艦艇や砲艦を見捨てて減速すれば、ギリギリのタイミングだが減速を完了できる。
その場合、戦闘艦と補助艦艇が分離することになり、高機動のティン艦隊であれば、敵本隊を迂回して補助艦艇群を殲滅することが可能だ。
逆にアルビオン側が艦隊を分離しなければ減速は間に合わず、有利な条件で攻撃ができる。
自らの思惑通りに事が進むことにティンは頬が緩むことを抑えきれずにいた。
標準時間二三時一〇分。
マオ上将は敵の不可解な機動に混乱していた。
敵は巡航戦艦を主力とする高機動部隊とそれ以外の艦艇に分離しており、そこまでは予想の範囲内だった。しかし、敵の戦艦群は砲艦や補助艦艇とともにO・一Cで慣性航行を続けており、更に不可解なことに高機動部隊もその加速性能を生かすことなく、緩慢な減速を続けていたのだ。
(おかしい。こちらに有利なことは間違いないのだが、敵がこの程度のことに気付かぬはずはない。最も違和感を感じるのは、敵の指揮官が猛将サクストンだということだ。奴がこのような中途半端な隊形を理由も無く命じるはずは無い……)
マオはそのことを先行するティンに伝える。既に彼らの間に一光分の距離があった。
二分後、ティンからの返信がある。
「何を心配しているのかは判らんが、敵が何を考えていようと、この機を逃す必要はあるまい」
マオが返信しようとコンソールに手を置いた時、作戦参謀の甲高い声が戦闘指揮所に響いた。
「敵が! 敵が攻撃を開始しました!」
まだ、先行するティン艦隊と敵別働隊の距離は約二光分、巡航戦艦の主砲の射程の四倍近い距離があり、常識的に考えて戦闘はありえない。そう思い、その声の主に叱責を与えるため、マオが顔を上げると、メインスクリーンに映る光景に彼は混乱する。
反物質が星間物質と反応して出来た真っ白な光の柱が残像として映っていた、残光が消えると、味方の軽巡航艦や駆逐艦がオレンジ色の光を放って次々と爆発していく。
一瞬、最も近い位置にいる敵高機動艦部隊からの攻撃と思ったが、光の柱は更に後方にいる戦艦群から伸びていたのだ。
(何が起きている! あれだけの距離があれば、いかに戦艦の主砲といえども輸送艦の防御スクリーンすら貫けぬはずだ……いや、あれは要塞砲並のエネルギーだった……敵は何をした!)
マオは混乱しながらもティン艦隊に命令を発した。
「ティン艦隊は直ちに転進! J5要塞へ帰投せよ!」
そして、動揺する味方に対しても、
「落ち着け! 敵が反転してくるならば、要塞に引きずり込めばよい! 我々はティン艦隊の退路を守るのだ!」
マオの叱咤に将兵たちの動揺が収まる。
だが、彼の心の中は未だに混乱が続いていた。その混乱を抑えるべく、極当たり前の命令を情報担当士官と戦術担当士官に発していた。
「情報担当! 味方の損失を報告せよ! 戦術担当は敵が何をしているのか! すぐに解析を行え!」
CICではティン艦隊からの報告や各戦隊司令からの問合せなどが相次ぎ、怒声に近い声でやり取りが行われていた。騒然としたCICの中でマオは混乱した頭を整理しようとしていた。だが、その努力は次の言葉で水泡に帰した。
「敵の第二撃確認! ティン艦隊損害多数!……巡航戦艦、中破五、小破十八……重巡航艦、喪失五、大破十二……」
情報士官の損害を読み上げる声がCICに響いていた。予想以上の損害にマオの表情が固まっていく。
それ以上に衝撃的だったのはメインスクリーンに映ったティン艦隊の姿だった。ティン艦隊は最初の攻撃を受け、J5要塞に転進しようと、針路を左舷側に振った。その直後、その脇腹とも言うべき箇所に戦艦数隻分の太さはあろうかというビーム光が突き刺さったのだ。
「敵の攻撃方法が判明しました!」
戦術士官の上擦った声がマオの耳朶を打つ。
「どのような方法だ」
「戦艦及び砲艦、計千二百隻による集中砲撃です! 総出力は推定二十五ペタワット、要塞砲に匹敵します!」
J5要塞の要塞砲は百テラワット(一千億キロワット)の主砲が三百門あり、それを集中運用することにより、三十ペタワット(三十兆キロワット)の高エネルギーを放出する。この集中運用により、射程を延ばすことができ、二光分以内にある戦艦を一撃で轟沈させることが出来る。今回のアルビオン側の攻撃はそれに匹敵する二十五ペタワットであり、二光分という艦隊戦では常識外の距離からの攻撃を可能にした。
「信じられん……いや、確かに理論的には可能なのだが……なんという非常識な……」
マオはその可能性があることは知っていた。また、目の前で起こった事実から直感的に正しいと感じていたが、自らの常識を覆されたことに絶句する。
ゾンファ共和国でも戦艦や巡航戦艦の主砲の集中運用の研究はなされていた。主砲の集中運用は荷電粒子同士の干渉を防ぐため、参加するすべての艦を完全に同期する必要があり、一時的とはいえ、司令部の人工知能による完全な自動操縦となる。
また、一個艦隊二百隻程度では四ペタワットと出力が低く、射程も通常の倍、一光分程度に伸ばせるかどうかという結果であり、遠距離からのステルスミサイルによる攻撃に対して無防備になる、すなわち、操舵手による手動回避運動が行えなくなることから、無為に戦艦を危険に晒すとして、それ以上の研究は進められなかった。
唯一、五個艦隊以上の大艦隊による対要塞戦での戦術として研究が進められていたが、要塞砲の射程距離以上に伸ばすことは出来ず、また、要塞砲が戦艦群に向けられた場合、無為に戦艦が損なわれるとして、この戦術は理論上のものとされていた。
マオが呆然としているうちに第三射が放たれていた。
マオは我に返り、「敵高機動艦部隊の動きに注意しろ!」と命じた後、「ティン艦隊と合流後、J5要塞に帰還する」と命じた。
「ティン提督より連絡が入っております!」
通信士の言葉に頷くと、司令官用のコンソールを操作し、遮音フィールドを発生させる。
冷静さを失わないように大きく息を吐く。
「ティン上将、状況の報告を頼みます」
司令官用のモニタに怒りと焦りの表情を交互に見せるティン・ユアン上将の姿が映っていた。ティンはマオからの言葉を待つことなく、話し始めていた。
「すぐに救援を頼む。敵はとんでもない攻撃をしてきたのだ……」
マオはティンに見えないように舌打ちする。
(状況報告を求めたのだ。救援要請より現状と見通しを説明する方が先だろう……)
「ティン提督。こちらは支援に向かっております。ですが、現状とそちらの見通しを先にご説明いただけないか」
救援という言葉をあえて支援という言葉に替え、ティン艦隊が窮地に陥っているわけでないと暗に気付かせる。
二分という時間差をイライラと待っているが、その間にも敵の砲撃は続いていた。ティンはマオの言葉の意味に気付き、パニックに陥っていたことを誤魔化すかのように仏頂面で報告を始めた。
「敵の攻撃は続いておる。既に艦隊の半数が傷付き、二割を失った。幸い、巡航戦艦に大きな損害はない。うゎ! 何事だ!……」
マオが見つめるモニタの中で、ティンが大きく揺れて姿を消した。画面に映る背景が非常灯の赤い光に変わる。更に警報音が響き、人工知能の中性的な声による警告が流れている。
『右舷装甲板損傷。最外殻ブロック減圧中……エリア一斉隔離信号発信。隔離シーケンス作動開始します。最外殻ブロックの乗組員は直ちに退避してください。繰り返します……』
マオには何が起こったのか全く判らなかった。
遮音フィールドを切り、報告を求めると、
「ティン艦隊、ステルスミサイルによる攻撃を受けております! 敵高機動艦隊よりの攻撃……第二波です! ミサイル数……す、推定十万基! 全艦からの一斉発射と思われます!」
ティン艦隊からの情報が目まぐるしく変わっていく。損傷を受けた艦の数は指数関数的に増え、それに反比例する形でメインスクリーンに映されたティン艦隊の所属艦を表す光点が消えていく。
(タイミングを合わせてのミサイル攻撃か。巧妙な……考えればすぐに分かったはず……いや、分かっていたとしても間に合わなかっただろう。それにしても敵には相当な切れ者がいる……ハースか! あの女狐め!……いや、ハースは戦術家というより戦略家だ。このような奇手を使うことは少ない……今はそんなことを考えている場合ではない。ティン艦隊をどう救うかを考えねば……)
マオは自らが率いる戦艦を主力とする約七千五百隻を、崩壊しつつあるティン艦隊の盾とすべく、慎重に前進させていく。
ティン艦隊は当初一万五千隻を有していたが、現状で戦闘可能な艦は七千隻程度、つまり半数以上を僅か数分で失っている。更にティン提督の旗艦が損傷したことにより指揮命令系統が崩壊し、艦隊と呼べる秩序を保てていない。現状では戦隊単位、酷いところでは艦単位で動いており、烏合の衆と成り果てていた。
アルビオンの高機動部隊であるエルフィンストーン艦隊二万隻は最大加速度で減速しており、急速に距離が縮まりつつあった。
このままいけばティン艦隊は三十分以内に射程距離に捉えられるため、それまでにマオ艦隊が救援に向かう必要がある。
しかし、ティン艦隊の敗北により戦力差は決定的になった。
マオ麾下の艦隊だけではエルフィンストーン艦隊の四割弱の戦力しかなく、混乱するティン艦隊と合流できたとしても七割にしかならない。
更にアルビオン側の絶妙な艦隊運動により、このままいけば戦闘開始のタイミングにおいて、敵艦隊の“空間との相対速度”はほぼゼロになる。つまり、防御スクリーンに負荷を掛かった状態から脱しており、当初の“追撃”という図式は成り立たなくなっていた。
(狡猾な……遠距離砲撃で混乱を与えた上に、更にミサイルで傷口を開く。それだけだと思っていたが、こちらが反転することを計算して空間との相対速度まで合わせている……まんまとやられたが、こちらは逃げの一手しかない。J5要塞まで逃げ込めば、敵も追っては来れん)
マオは戦艦と重巡航艦を密集させて分厚い壁を作ると共に、ティン艦隊の指揮命令系の再構築を進めていく。
元々、彼の指揮下にあったジュンツェン防衛艦隊の各艦はすぐに秩序を取り戻し、マオの指揮下に吸収されていった。第二幕の火蓋が切られる直前にはマオ艦隊は一万二千隻にまで増強し、見事な円錐形の陣を構築していた。その手腕は敵将であるアデル・ハース中将をして、「撤退戦のお手本ね」と言わしめている。
エルフィンストーン艦隊は隊を二つに分け、天頂方向と天底方向の二方向から襲い掛かった。天頂側は彼自身が指揮を執り、天底側は第三艦隊司令官のリンドグレーン大将が指揮を執る。
エルフィンストーン艦隊は自らの機動力を生かす戦い方で、目まぐるしく位置を変えながら遠距離から攻撃を加えていった。それはまるでアウトレンジから攻撃するボクサーのようでもあった。
一方のゾンファ艦隊は戦艦を中心に守りを固め、ゆっくりと後退していく。だが、ガードを固めたファイタータイプのボクサーのように要所では反撃を加えており、エルフィンストーン艦隊は出血を強いられていく。
マオは慎重に敵に対処しつつ、J5要塞への帰還ルートを探っていた。
(要塞までの距離はおよそ五光分か。要塞の射程内なら三光分。今の速度を維持した場合、五時間ほど掛かる。何とも拙い戦いをしたものだ……)
防御を重視するため、星間物質との相対速度を〇・〇一Cとしている。敵との相対距離は既に十光秒を割り込んでいる。
エルフィンストーン艦隊は上下から執拗に攻撃を加え、更に戦艦部隊であるサクストン艦隊もあと十五分ほどで射程内に捉えられるところまで来ている。
(敵戦艦群が合流すれば戦力差は更に広がる。時間的な猶予はほとんどない。それにしても、敵の高機動部隊の指揮官は優秀だな。逃げ出す隙が見付からん……そうは言っていられないか……)
その時、重巡航艦戦隊の指揮官から通信が入った。
「フェイ・ツーロン准将から意見具申! 至急繋いで欲しいとのことです!」
フェイ准将は四年前にターマガント星系でのアルビオンの哨戒艦隊との遭遇戦において、倍近い戦力を有していたにも関わらず敗れた男だった。しかし、マオの前任であるフー・シャオガン上将の評価は高く、マオも彼を重用していた。
司令官用のコンソールに映し出された男は、この絶望的な状況でも無表情を貫き、事務的とも言える口調である提案をしてきた。
「撤退のための策を考えました。先ほど送付した計画書をご覧下さい……」
マオはそのような時間は無いと思ったが、一縷の望みをフェイに賭けてみようと思い直した。
そして、計画書の骨子を確認し、僅かに目を見開いた。
「これに賭けるしかあるまい。確かに天底側の敵の動きは鈍い。これならば混乱するはずだ。ご苦労だった、准将」
フェイとの通信を切るとすぐに参謀たちに命じていく。
「作戦参謀はフェイ准将の計画書を各戦隊に転送せよ。情報参謀は敵戦艦の到着時間を再確認……」
そして命令を終えると、直ちにJ5要塞司令部に通信を入れる。
「この命令を受信後、直ちに天底方向にある敵高機動部隊を砲撃せよ。効果はなくとも構わん。とりあえず打ち込めばよい」
要塞砲の射程は二光分。現在の位置はその倍以上であり、いかに強力な要塞砲といえども拡散してしまい、輸送艦の防御スクリーンですら防げてしまうだろう。戦闘指揮所にいる将兵たちはマオが錯乱したのではないかと青ざめる。
「十分後に天頂方向の敵に一斉砲撃を加える。直後に天底方向に最大加速で突撃を掛ける」
冷静な口調でそう命じると何事もなかったかのように指揮官用のコンソールを操作し、艦隊の状況を確認していく。CIC要員はその様子に一瞬だけ唖然とするが、すぐにマオの意図を理解し、自らの仕事に没頭していった。
十分後、普段冷静なマオが吼えるように命じた。
「天頂方向の敵へ一斉砲撃! ミサイルもすべて撃ち込め!」
マオ艦隊の各艦は艦首を一斉に天頂方向に向け砲撃を開始する。今までのようなのらりくらりという感じはなく、アルビオン艦隊の指揮官たちは敵が最後の賭けに出たとほくそ笑む。
天頂方向の分隊を指揮していたエルフィンストーン提督は敵艦隊の豹変に驚きを隠せないものの、最大の好機であると迎撃を命じた。
「敵の最後の足掻きだ! これを凌げば敵の気力は底を突く! 敵の攻撃が緩んだところで反撃するぞ! 撃て!」
彼の命令は結果から言えば空振りだった。
マオ艦隊は最初の斉射こそ激しかったが、すぐに艦首を反転させ、天底方向に向かったからだ。
エルフィンストーンは敵艦隊の動きに疑念を感じたものの、敵を掃討できる好機と捉え、攻撃を命じようとした。
「敵要塞より高エネルギー反応! 要塞砲を発射したと思われます!」
エルフィンストーンは「何!」と声を上げ、要塞に目を向けた。一瞬、情報担当士官が見間違えたのかと思ったが、確かに要塞を映すスクリーンには高エネルギーを放射したデータが表示されており情報に誤りはなかった。
それは僅かな隙だった。
エルフィンストーンがそう感じたように、天底方向にあるリンドグレーン分艦隊でも要塞砲の攻撃に疑念を抱いた。更に要塞砲の放った陽電子が彼らを包み込み、通信機器などに僅かなノイズを乗せた。そのため、自分たちに艦首を向けたマオ艦隊への対応が遅れてしまった。
マオはその隙を逃さなかった。
叩きつけるような砲撃とステルス性など無視したかのように最大加速度で発射されるユリンミサイル群。極近距離での戦闘であり、僅かなタイムラグでマオ艦隊一万二千隻の攻撃が分艦隊一万隻に叩きつけられる。
混乱していなければ冷静に対処できたのだろうが、僅かな混乱とゾンファ艦隊の気迫に押され、艦同士が入り乱れる混戦となってしまった。
主導権を奪われ、後手に回ってしまったリンドグレーンは秩序を取り戻すため、敵艦隊との距離を取ろうと考えた。そのため、分艦隊は左右に開くような機動を行った。
マオはそれを待っていた。
「敵の中央をこのまま突破するぞ!」
敵の分艦隊を突破できれば、敵分艦隊が邪魔になり後ろから追い縋ってくるエルフィンストーン艦隊からの攻撃は限定的とならざるを得ない。
また、追撃しようにもリンドグレーン分艦隊が散開しているため邪魔になり、加速のタイミングが後れてしまう。マオはこれに賭けたのだ。
エルフィンストーンはリンドグレーン艦隊の醜態に対し、「リンドグレーンは何をしている!」と小さく毒突くが、すぐに自らの艦隊に指示を出していく。
「中央は敵のケツに食らいつけ! 左翼、右翼はリンドグレーン艦隊を迂回しつつ回りこめ!」
エルフィンストーンの命令は緩慢な動きで散開していくリンドグレーン分艦隊が邪魔になり、自慢の機動力を生かしきれない。何とかリンドグレーン分艦隊を避けるように機動し、マオ艦隊に追い縋ろうとするが、混乱から脱するのに十分という時間を浪費してしまった。
マオ艦隊はその僅かな時間を有効に使い、加速を開始する。
この十分の時間がマオ艦隊を救った。僅か十分だが、先に加速を開始したことが功を奏したのだ。エルフィンストーン艦隊より加速度に劣るマオ艦隊だが、両艦隊ともほぼ停止している状態からスタートしていること、更に比較的短距離の移動ということで加速力より加速時間が明暗を分けた。
マオ艦隊は僅かな差ではあるが、要塞砲の射程内に逃げ込むことが可能となった。
マオ艦隊に追いつけないという計算結果を聞き、エルフィンストーンは床を蹴り付けて悔しがった。
部隊を再編しながら、総司令部に謝罪の通信を送った。
「申し訳ございません、提督」
サクストン提督の旗艦プリンス・オブ・ウェールズ03の戦闘指揮所のメインスクリーンに僅かに頭を下げるエルフィンストーン提督の姿があった。
サクストンは「謝罪は不要」とだけ答え、傍らにいるハース中将に頷きかける。
ハースはエルフィンストーンに向かって、
「今回は十分な戦果を上げておりますので問題はありません。特にミサイル攻撃のタイミングは絶妙でした。これで敵は容易に打って出られなくなりました」
ハースの言うとおり、この第一次ジュンツェン会戦と呼ばれる戦闘はアルビオン側の圧勝だった。
ゾンファ側は参加艦艇約二万二千五百隻。降伏を含む全損五千余、中破約二千、小破八千余と、損失率二十二パーセント超、参加艦艇の三分の二が何らかの損傷を負っていた。
特に軽巡航艦、駆逐艦、高機動ミサイル艦などの小型の高機動艦の損失が大きく、今後の作戦の幅を狭めることは確実視されていた。
戦死者はティン・ユアン上将を筆頭に五十万人以上。地方都市の人口に匹敵する人間が宇宙の塵となった。
一方のアルビオン側は参加艦艇約二万七千六百隻のうち、廃棄処分を含む全損二百隻余、大破約百、中破約三百、小破約千と損害は五パーセント程度であり、そのうち七割以上が工作艦での補修が可能であった。但し、その損害のほとんどがリンドグレーン分艦隊のものだった。
今回の会戦でハワード・リンドグレーン提督の評価は大きく下落した。
元々、先の戦争での武勲はまぐれであったとの声が多く、やはりという声が大きくなっただけだが、敵の奇策に対応しきれず、混乱を収拾できなかった醜態をジュンツェン進攻艦隊の全ての将兵が目の当たりにしている。
特に敵艦隊を殲滅し歴史に残る圧勝の直前であったことから、侮蔑に近い視線を送る者すらいた。
サクストン総司令官とハース総参謀長は艦隊内の不協和音を無くす努力をしたが、当のリンドグレーンは自らのプライドをズタズタにされ、部下たちに当たり散らしていた。
このことが後の戦いに大きな禍根を残すことになる。
■■■
マオ・チーガイ上将に率いられたゾンファ艦隊はJ5要塞に逃げ延びた。
マオは多くの部下を失ったことにより心が折れそうになるが、傷付いた部下たちの手前、それを顔に出すことは出来なかった。
「敵はシアメン側ジャンプポイントに展開するだろう。本国からの増援に加え、ヤシマから引き返してくる味方艦隊と力を合わせて敵を殲滅しなければならない。傷付いた将兵諸君は治療に専念して欲しい。また、傷付いた艦は早急に修理し、戦列に復帰させなければならない。我らは負けたのではない。敵の戦術を一つ無効化することが出来たのだ! 次の戦いでは圧倒的な戦力差で敵を殲滅できる。諸君たちには今出来ることを全力で遂行して欲しい! 以上!」
敗軍の将兵たちはマオの演説に力なく応じる。彼らは増援がくることに対し、疑問を感じていたのだ。本国ゾンファは三十パーセク――約百六十三光年――彼方にあり、情報が届いたとしても増援が来るには三ヶ月近く掛かる。また、ヤシマに派遣された艦隊が命令を無視して戻ってくる可能性も低いと考えていたからだ。
彼らが絶望を感じているのは、食糧事情も関係していた。
正確な情報は伏せられていたが、J5要塞に食糧が少ないことは周知の事実であり、二ヶ月程度しか備蓄がないことは知れ渡っている。
彼らの士気を更に下げる映像が要塞のスクリーンに映し出された。
スループ艦から送られてきた映像は、食糧補給基地である第三惑星がアルビオン艦隊に攻撃され、食糧生産工場と、生産された食料を宇宙空間に運ぶ軌道エレベータが完全に破壊された映像だった。
さすがに質量兵器――整形した小惑星――による無差別攻撃は行われなかったが、生産工場とエネルギー供給基地は跡形もなく破壊され、完全復旧するには年オーダーの期間がかかると試算されていた。