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 とか暢気に寝こけている場合じゃなかったーっ!

 黴と鉄の匂いのする、どこかの武器庫らしき場所の片隅に転がされたリシェリアは、ダラダラと滝のような汗を流していた。痛めつけられた節々が、特に子どもらしい軟らかな肉を裂かれた二の腕のあたりがじんじんと痺れる。木造の床は、彼女を連れ去ってきた男たちが落ち着かなげに歩くたびに軋んだ。

 ……そうです。

 わたくしはまんまと間抜けに誘拐されていたのでした!

 リシェリアはあまりのアホ加減に涙を堪えられなかった。なんてこったい。本物のリシェリアと違い、自分はきちんとこの事前情報を知っていたはずなのに。何寝てた自分。いや、言い訳できるならば、この件(・・・)が十の儀式に付随したものだったことまでは、覚えていなかったのだ。

 おそらく、だが。この誘拐は、リシェリア・ドッグワーズのトラウマの原点、その最たるもの——誘拐・強姦のダブルコンボである。

 やべえええええ。まじやべええええ。そうだそうだよそういえばそうっ、小さい頃にこんなことされるって設定だったよ! 誘拐とか、それ自体はわりと日常茶飯事だったと思うけど、それはこう、ぎりぎりで、ちゃんと助けられていて、というかいたんだろうと推測する。で、唯一完璧に間に合わなかったのが、コレなんだ。最悪だ。つーか何? つまり今から犯されるってこと? げええええむりむりむりむり!

 内心パニックを起こしているリシェリアだったが、攫われたときに与えられた傷と両手足の拘束、そして行使者(アクター)による術によって起き上がることさえままならない。位置固定に空間縛りの合わせ技だろうか、上から押さえつけられたかのような圧迫感。腕痛いし。ああほんとにありえない。逃げられない! じわりと目尻に涙が浮かび、こらえきれずにほとりと頬を滑る。唇を噛み締めてなんとか嗚咽だけは我慢した。この空間内にいる男の数は五人にも満たない。逆に言えば五人もいる。なるべく、目が覚めていることに気づかれたくない。でも、でもなあ。わたし、打たれ弱い駄目人間なんですけど。こんなのむりだよ、泣くわ。泣き言が胸に渦巻くなか、どうにか思考をシフトさせる。考えるべきは逃げる方法だ。ぱっと見た感じ、隙はない。では次に、どのようなものに捕らえられたのかを把握するべきだろう。それが分かれば現在地を特定できるかもしれないし、それによっては逃走方法も思いつくやもしれない。

 まず、目的は何だろうか。

 今日は十の儀式。一族郎党が集まる、この厄介な日が敢えて選ばれた。それは今日でなければならなかったのか——あるいは、明日では遅いということか。既にドッグワーズ家の鼻つまみものと名高い自分を、危険をおかしてまで攫う理由。それも身代金目的ではなく、幼い子どもを犯すという悪事を働くほどの。

 犯す。

 つまり、穢すということ?

 ふいに、脳裏を様々な情報と感情が駆け巡った。十の儀式は、己の血を捧ぐことによって、純潔と祖への敬慕を証し立てるというものだ。大いなる異霊をいただき、その子孫でもあるドッグワーズ家はもとより高い能力を有するが、儀式を行うことにより祖以下の異霊との繋がりが深くなる。また、素養のあるごくひとりにぎりのものでは、祖と精神を通わせる——契約することもできるようになる者もいた。

(————まさか、それか!)

 ドッグワーズ家は能力に起因して格の高い家であるが、だからこそ反発されがちである。持たざるものは持てるものを羨み、そして相手の手のなかのものを欲しがるものだ。もしそれがかなわないなら、せめて相手からも失わせたい、そう思うのだろう。

 この誘拐がドッグワーズ家の力を削ぎたい反対勢力によるものならば、自分が犯される予定にあるのも分かる。純潔を奪い取る、つまり穢れなき身(・・・・・)の証し立てを不可能にするつもりなのだ。

 ぞっとする。十の儀式でこれを行えなかったものは、少なくとも今まではいなかった。というか、そもそも皆十歳児なのだ、それも当たり前だろう。だからドッグワーズ家の誰もが、この証し立てに神経を張ることはなかった。考えもしなかったのだ、儀式を行う条件が満たされなくなることなど。

 推測していくうちにどんどん気持ち悪くなってきたが、ここで思考放棄するわけにはいかない。ドッグワーズ家の趨勢を厭う、あるいは危険視するということは、おそらく他の五家のいずれかの手のものだろう。大いなる異霊の血脈を受け継ぐ一族は国内には六家ほど存在する。ドッグワーズ家は中でも力の強い異霊を祖としているが、ここ十数年以上祖を喚べたものは数えるほどだという。霊力の強い子どもも、そこらの家のものにくらべればもちろん多いものの、興国の頃に名を馳せたドッグワーズの誇る化け物級など滅多に生まれない。そういうわけで——あくまで六家のうちのランクとしてのことで、国からすれば充分名門なのだが——今現在はそんなに権の強い家柄ではない。序列でいって三、四位あたりをふらふらしている。不動の最上位と内外に認められる二家を除き、危ういのはグラズリー、オヴルレール……、ショーンズウィンは基本的に排他主義で他家には興味がないから外せるとして、そのあたりだろうか。グラズリーは直情型の多い家系だが、かといって冷静な人間がいないというわけではない。どこにでも毛色の変わった者はいる。リシェリアが言うことではないが。それに直系と傍流ではまた性質が違う。が、主君に仕えることを最重要とするグラズリー家が、権力の保持に固執するだろうか。しかしオブルレールにしても、祖と契約できるともしれぬ他家の直系女児を攫う危険を犯すほど切羽詰まった家ではないはずだ。下がりはしないが上がりもしない、六家の中でも中立的な、優等生の一族なのである。

 とはいえ、どこにでもよからぬことを考える輩はいる。傍流などには直系に打ち勝ち返り咲きたいと思うものもいるだろう。ドッグワーズだとてそうだ。逆に傍系過ぎて一族から離れた家もあるが。

 だが、こういう結論に行き着くと、結局どの家の手か分からなくなってしまう。これでは振り出しだ。いやそもそも、狙いの前提も合っているのか定かではないのだが。

(……ん? いや、ちょっと待って。わたくしは、現在については知らないけれど、でも、末路は知って——)

 

 ——そのうえ、自分を犯したものに連なる人間たちを惨殺する。


 思い出した! 

 そうだそうだった、『リシェリア』はアニメの本編時間の中で、おそらくこの誘拐犯の一族を皆殺しにするのだ。それがアニメの中のひとつの起伏、いや事件となっていた。そして、そう、訳も分からず復讐されたとばっちりかつ生き残りとして、サブメインくらいの登場人物がいた。なぜ、と絶望するその人物と友人だったゆえに、主人公は、犯人がリシェリアと知ったときに打ちのめされるのだ。

 だが、それはどの人物だったか。

 どの、というのは違うか。キャラクター自体はなんとなく覚えている。透き通るような緑の髪が特徴的な、女顔の少年。実家が惨殺されるまでは地味だが穏やかだった彼は、その事件を契機にすっかり変貌し、憎しみに囚われてしまい、どこか危うい闇を抱えるようになる。この事件の回のラストで、血溜まりの中に座り込み、涙を流して充血した目で犯人への憎悪を露にするシーンはよく覚えている。アップで「許さない……絶対に……!」と唸るように吐き、徐々に薄暗い配色でアングルが下がり、暗転——からのエンディング。即座に次回予告も飛ばして次話に飛びました。ああすっごい見返したい。もっかい見たい。じゃなくて、だから問題は、キャラのことはともかく、その家名が思い出せないということだ。くそー、このポンコツ脳みそめ、と苛つきながら息を殺すリシェリアは、ふと違和感に内心首を捻る。

(あれ、でも、あの事件のあと、六家のうちのどこかが欠番になったりは、してないよね……? 少なくとも二大家のアンブロウドとエフェキアンはない。そうだったら展開的に覚えてるだろうし、そもそもいくら『リシェリア』でも、六家のいずれかを全てぶっつぶすことができるほど化け物なみに強くはなかったはず)

 いや、どうだろう。グラズリー以下ならあるいは。だけどそういう、六家のうちひとつが滅んで五家になったって、そんなのあったか?

 んんー? でもそれじゃあ、これの黒幕は六家ではないということになる。なる、が。

(腐っても六家に喧嘩売れるような勇気のある家なんて、あったかなあ……)

 腑に落ちない。

 というか、こんなに考えてもまるで突破口が思いつかない。やっぱり駄目だ。頭よくないもん。だいたい、この怠惰の権化リシェリア様にそんなミラクル起こせるわけなかった。

 でもこのままも嫌だ。強姦なんて嫌だ。痛いのも嫌だ。こんなところに一秒だっていたくない。くそう、チンピラ誘拐犯のくせして、なんでこの術はこうも強力なのだろう。強制介入しても解けないだろう。というより、身体が動かないどころか声も出せないので、異霊を呼ぼうにも呼べないのだが。

 もう嫌だ、と思った。誰か、助けてほしい。いますぐ近くに正義の行使者(アクター)が通りかかって華麗に助け出していただきたい。


「おい、そいつ起きてねえ?」


 けれど祈りも願いも完璧に裏返り、最悪な展開に進んでしまった。できうる限り寝たふりを心がけていたが、起きている以上圧迫感に対する無意識の反抗は殺せなかったらしい。術者に感じ取られてしまったのだろうと察する。

 どん、と目の前に土のついた焦げ茶のブーツが叩きつけるように踏み込んできた。内心びくついたが、無反応に努める。たぶん、睫毛だって震えていなかったはずだ。だけど。


「ああ、起きてやがるぜ」


 ははっ、と嘲るような笑い声に次いで凄まじい衝撃が腹部にきた。蹴られたのだ。吹っ飛んだ身体は背後の壁に衝突し、ゴミのように転がったリシェリアの肩を大きな足が踏みにじる。一瞬で解かれた術は一時解除だったのだろう、もう戻っている。地べたを這いつくばらせる圧迫感と直接的な暴力が一緒くたになってリシェリアを痛めつけた。嗜虐的な笑みを浮かべたその男は、まるで戯れるようにしかし何の躊躇もなく彼女の顔を、腹を、肩を、足を、腕を蹴る。頬を突かれた際に自らの歯が口の中の肉を傷つけ、内臓に与えられた痛みによって唇から血が溢れる。痛い。痛い、痛い、痛い。それ以外何も考えられない。繰り返し与えられる攻撃はかさを増し、つまるところ蹴る人間が増えたのだということさえ分からない。


「ははっ、ははは! おきれいなお嬢様が、ぼろ雑巾みてえだな」

「やべ、おれ興奮してきちゃったかも」

「ばっかおまえ変態ー」

「おまえだってクソ楽しそうじゃねーか」

「うっせ。おら、泣けよお姫様。かわいくかわいくみじめったらしく泣いてごらーん」

「ははははは! おめーが一番変態だっつーの」

「きめえ! はは!」


 暴行は止まらない。日々の鬱憤を晴らすかのように蹴られ続ける。蹴り飛ばされる。髪を掴み回される。踏みにじられる。

 リシェリアという少女を、こんなに簡単に踏みにじっていく。


「っと、遊んでる場合じゃねえや。ヴィフィスさん呼んでくるわ」


 誰かがそういって部屋を出たと同時に、新しい靴音が響いた。


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