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「ああ、なんだかいろぉんなことが、虚しいわねえ」


 リシェリア・ドッグワーズは典雅な天鵞絨張りの長椅子に寝っ転がり、ふわあと大きな欠伸を吐いた。傷つきやすい絹のように繊細な銀の髪が肘置きとクッションに散らばり、青みがかった銀の双眸が眠たげに瞬く。またそれですか、彼女の後方に控えていた従者が呆れた顔をした。これに対して彼女はかけらも頓着しない。ただただ怠そうに目を細めるだけ。ああ、なんだかとっても、哀しい気分。

 はるか昔の夢を見ていた。

 この世にドッグワーズ家の次女として生まれ落ちる前、魂が流転してきた以前のこと、耐震構造ばっちりのビルが立ち並び、階級社会など過去の遺物、アニメと漫画が堂々はびこる東の島国——漢字とひらがなとカタカナを操る日本人だった頃のことだ。

 過去を、つまりは記憶を引継いでいる。その認識が、おそらく生まれたときにはあった。

 ゆえに、だからこそ前世の記憶があること(それ)がおかしいことだと知っていた。幼子に似合わぬふけた思考である。ただし、はっきりと自我を持つ頃には、異なる世界の存在と、転生という現象に愕然としたものだが。

 しかし、さらなる驚愕の事実が発覚する。リシェリア・ドッグワーズというおのれの名前とその容姿に激しく覚えがあったのである!

 あの世の以前のこの世で息をした最期の日、彼女は長期休暇を利用して見倒そうと思っていたオリジナルアニメのDVDを借りてきて、一気見をしていた。何期か前のアニメで、作画と脚本と構成は新進気鋭のスタッフ、音響は雰囲気ぴったりに作ると有名なところで、声優陣は選び抜かれた豪華キャストの良アニメだったらしい。その評判を終わってから聞いた彼女は地団駄を踏んだ。当時は受験中で、その手の誘惑的な情報を断っていたので、うっかりリアルタイムでは見れずにいたのである。まったく嘆かわしい。

 それはともかく、内容としてはよくある学園鬱ファンタジーだった。わりときれいめの現代日本と古い時代の西洋を足して割っていいとこ取りしたような世界観で、異霊というものと契約して魔法を使う誓約行使者(ゲッシュ・アクター)の養成機関がメイン舞台となっている、陰謀愛憎渦巻く暗めのストーリー展開。じゃっかん女性向けなのか、イケメン男キャラが多く、主人公はふわふわのピンク髪と蜂蜜色の目の落ちこぼれという設定だ。落ちこぼれといっても反則的な天才型、というか、主人公っぽい面があるのだけれど。まあ、そんな彼女が挫折と裏切りとむごたらしい事件を経て、強くなっていく、ハードなダークさを除いて骨組みだけ見れば王道の成長ものだった。

 その、彼女の成長に。

 重要なポイントとなる、裏切りと災厄を与える敵のひとり。

 それに、腰まであるふわふわの銀の髪と、神秘的な薄紫の瞳をした、水竜の血脈の女、がいる。彼女は過去にその高貴なる血筋のため、誘拐され幼いうちに犯される、という惨憺たる過去があり、また冷えきった家族関係がこの件でさらに冷えて、それを契機に病んでいく——というか性悪になっていく、という。陽のもとを行くキラキラした主人公に嫉妬と憎しみを抱いた彼女は、美しい顔を引っ提げ優しく近寄り、とても良いタイミングで裏切り、陥れ、主人公の近くにいる男にモーションをかけては酷い目に合わせたり、はたまた逆に叩きのめされたりする。そのうえ、自分を犯したものに連なる人間たちを惨殺する。よくよく考えるとわりと可哀想なひとでもあるのだけれど、やることが過ぎるのである。主人公には「復讐は何も生まない」「もう、あなたも加害者なんだよ」「どうして、わたしたち、信じ合えなかったんだろう」とか何とか色々言われてしまう。ちなみに超人気シーン。みんな滂沱。

 ふたりの歪な友情は、確かに見所だった。彼女も画面の見過ぎで目を真っ赤にしながら、どばどば泣いてさらに眼球を痛めつけていた。いい話だった。ちょろい視聴者だったので、ほどほどの話でも好みだったら泣けたのである。

 しかし、それは過去の話だ。無関係だからこそ、の感動なのだ。

 ここまで詳細に述べれば分かるだろう。


 そう——わたくしは、アニメの悪役キャラだったのです。


 このネタ分かるひといるんだろうか。いやそれはおいといて。まじか。まじか! 五歳のリシェリア・ドッグワーズは焦った。たいそう焦った。そして、思ったのだ。

 自分が、頑張ればいいのだ、と。

 悪役になるフラグをことごとく叩き折り、品行方正、家庭円満になるよう努力すれば良いのだ、と。勉学に励み、水竜の血脈を継ぐものとして誇り高く、貴族的に生きるのだ、と。




 ……そんなことを思っていた時期が自分にもありました。








  ・・・









 透かし彫りの入った硝子の長机に山と盛られた菓子へ、ほっそりとした白い指を伸ばす。柔らかく、爪でつついただけでほろりと崩れてしまうような繊細なお菓子。丸くて白くて口の中でふわっと解けるのがまったくもってけしからんお味なのである。それを、軽くつまんで口に放る。んふふ、と怪しい笑いが唇から洩れいでた。


「んふ、ふ。おいしーい」


 しあわせぇ、と身を縮める。そりゃよかったですねえ、と従者が溜息混じりに言った。長椅子の上でごろごろしながら、リシェリアは先ほどまでの哀しい気分が一気に上昇するのを感じた。


「ナスティー、本持ってきてちょうだい。右から七番目の棚の、下から四段目ぜんぶ」

「まだ読むんですか? 本当に飽きませんね」

「だあってそれくらいしかやることないしい」

「勉強とか、鍛錬とか、いろいろあるでしょう……また奥方様にお小言くらいますよ」

「ああー、ねえ」


 でもそれは面倒なのよねえ、と彼女はあっさり言いきる。そう、面倒。面倒なのだ。

 悪役リシェリア改造計画。

 これは、なんということでしょう! 自分の性格によって早々に頓挫した。

 つまるところ、リシェリアは面倒臭がりだったのである。

 というより、もともとの性格が怠惰なのだ。努力なんてできない。いや、多少の努力、我慢、辛抱なら、達成できたかもしれない。だが、受験でもういっぱいいっぱいの元女子高生には、この国でも有数の血筋の子どもとしての成り上がり方は、程度が過ぎた。血反吐を吐くまでの、死ぬ気の努力で淑女にならなくてはいけなかったのだ。覚えなくてはならないことも、考えるべきことも、自らコントロールしなくてはならないことも、とにかくたくさんある。努力家にならなくてはいけないのである。

 無理だ。

 だって、だらけるのが大好きなのだ。休日は家でごろごろポテチ食べながらアニメを見ていたい人種だったのだ。メンタルだって強くない。いい家庭になるよう他人に働きかけるなんて、小心者にできるものか。

 それに、環境が悪かった。

 血を繋ぐために産み落とされた次女、そして名門ドッグワーズの名。権力に財力。何が言いたいかというと、開き直れば好きなだけ引きこもっていられる環境にあったということだ。

 というわけで、リシェリアは七つの頃にはあっさり人生ドロップアウトした。あまりの暢気さに、最初の頃は激怒していた両親も諦め、屋敷のものも放置してくれている。はやいところがドッグワーズ家の恥さらしとして腫れ物扱い、ほぼ黙殺状態だ。生活はさせてもらっているので、リシェリアとしては文句はない。なぜか、なんだかんだで従者は変わらずつけられているし。

 その従者ナスティは、接触する家人の誰もが冷たい目をする中で、呆れた顔はしても見放さないでつきあい続けてくれている奇特な少年だ。雇い主のドッグワーズ家当主に命じられているのだから、離れないのは当然だが、それほど嫌悪の目をしないのが不思議だ。


「ナースティー」


 簡易魔法を使って、さくさく本を持ってきた従者に、寝転がったまま呼びかける。絨毯の上にどっさり本の山をおいた彼は、今度はなんですかと面倒そうに振り向いた。


「あのねえ、わたくしの従者がぁ、いやになったらぁ、ちゃんと言わないと、ご当主さまは代えてくださらないわよう」


 ナスティは眉をひそめた。


「なんですか、僕はお払い箱ですか?」

「ええー、そんなこと言ってないじゃない。気を遣ったのになあ」

「下手なことしないでいいですよ。べつに大して不満はないですし。あなたの世話は楽ですから」

「えっ……」


 まじで? そうなの? リシェリアはけっこう驚いた。まあ、言われてみれば、彼女はろくに動かないし、この部屋と寝室にぼーっと控えていればいいのだから、楽といえば楽だろうが。しかしそれでいいのだろうか。


「可能性ある若い身空で、毎日漫然と過ごすなんて……」

「いやそれあなたもですよね。むしろあなたの方がちゃんとしろって感じですよね」

「わたくしはいいのよお、面倒臭いこと嫌いだしぃ」


 しかし、でも、そうかあ。もしかしたら、彼と自分は同じ人種なのかもしれない。なら、これ以上言う必要はないだろう。たぶん精神的には自分はひとりでも平気だろうけれど、話をする相手がいるのも悪くはない。新しい菓子をつまみながら、機嫌良く口角を引き上げる。鬱陶しい長髪を払い、読み終わった本を避けて次の本へと進む。ぱらり、と片手で頁を、


「そういえば、来週はリシェリア様の生誕日ですよね。十の儀式、するのでしょうか」


 めくりかけたところで硬直する。あー、と魂の抜けるような声が出た。

 大いなる異霊の血脈を受け継ぐ一族は、この国に幾らか存在する。貴族よりも格の高い家系である彼らは、十歳になると、祖に血を捧げ、穢れなき身と祖への敬慕の証し立てをする。それを、十の儀式と呼ぶ。まあ、プチ成人式みたいなものだ。


「どう、かしらねえ……」


 本来なら欠かしてはならない行事なのだが、しなければ災いが起こるというわけでもないうえ、リシェリアは一家の鼻つまみものである。いないものとして放置される可能性は高い。まあ、いいんだけどねえ。彼女は思う。立派な人間となるのは、無理だった。けれども、今の自分は怠け者なだけで、それほど歪んではいないはず。家族に対してアニメほどの感情は特にない。あーこういう家なんだなー、という感じだ。淡白なのだろう。だから、つまり、悪役になるフラグも、なんとなく折ることができたのではないだろうか。当初とは大分違う折り方だが。最終的に自分が酷いことにならなければいいのだから、結果オーライである。あとは主人公に関わらないよう気をつければいい。悪いがリシェリアには、わざわざ悪役を買って出て、主人公の成長やら恋やらの手助けをする気概もない。面倒臭いし。とにかく、なんとなく生きていければいいのだ。

 うん。世はすべてこともなし、だ。


「どうかしらねえ、じゃないですよ。旦那様に聞いといた方がいいんじゃないですか」

「えー、じゃあ、ナスティが聞いてきてよお」

「ご命令なら」

「うわっ、いやぁな感じぃ。いいわよ、べつに。やるなら当日には言ってくるだろうし、やらないならこれまで通りよ。どうでもいいわぁ」

「ほんっっと適当ですね……」


 今更の発言だ。リシェリアは日々いかに怠惰に生きるかに人生をかけている。

 それにしても、十の儀式、かあ。

 何かが記憶に引っかかる。なんだったっけ。前世のことだろうか。うーん、儀式で何かが起こるんだっけ? アニメの内容なんて、そんなにはっきり覚えてないからなあ。

 あ、なんか眠くなってきた。

 寝よう。

 


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