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6.いただきますをしましょう(くわずぎらいはいけません)

 ぐつぐつと煮え、湯気が立ち上がる鍋。

 葱やキノコ、豆腐に白滝、肉。様々な具材が煮込まれ、食欲をそそる匂いが鼻腔を擽り、空腹を訴えてくる。

「…………」

「…………」

 ぽたりと汗が一筋頬を伝って落ちる。

「………………熱い」

「………………そうだな」

 今日も熱帯夜。真夏に外で行う鍋は、大層発汗を促してくれる。





「ほらほら、もう火は通ってるからどれ食べても大丈夫よ」

 ベランダにダンボールを敷き、小さな机の上に卓上コンロと鍋が乗せられている。その両側を挟むように勇者と魔王は座り込んでいる。

 隣に椅子を持ち出し腰掛けた女は、グラスを片手に、焦げ付かないように時折菜箸で中身を動かす。

「……これは何だ」

「鍋。大人数で囲むなら古今東西、季節問わず鍋って決まってんのよ」

「何故」

「あんたらお腹減ってないの?」

 きゅぅ。

「…………」

 二人の腹が見計らったかのように鳴る。体は正直だ。口より先に意思表示をしてくれる。

「……一般人、お前が先だ」

 勇者は隣の女を促す。

「心配しなくても大丈夫よ。火もしっかり通ってるし」

「一般人も食べないのか? この量は我らだけでは」

「あたし作りながら摘んだから、お腹減っていないもん」

 これで十分よとひらりと振るうグラスからは、僅かに酒精の香りがする。

 美味そうな香りだが、熱い。

 熱いが、美味しそう。

 美味しそうだが、その茶色の塊の正体が何なのか分からない。

 はっきり言って、勇者も魔王も空腹だ。戦っている際は空腹といった欲求など遥か彼方にすっ飛んでいたが、こうして腰を落ち着けると俄かに胃が空腹を訴えてくる。

 しかし、しかし。

 腹は減っているが、見たことがない食材に手が伸びない。

 案の定箸を使えなかった勇者と魔王はフォークとナイフを持って、じっと鍋を見つめていた。

「………………魔王、先に食べてみろ」

「勇者だろう。勇気を出して食べみろ」

「勇気があるから勇者というわけではない。百戦錬磨の剣の腕があるからだ」

「その腕を鍋に伸ばせ。敵は熟しているぞ」

「断る。魔王、お前の胃袋ならどんな劇薬でも消化してくれるだろう」

「我の胃は繊細なんだ……」

「あー、はいはい、毒なんて入ってないからとっとと喰え」

 ひょいと箸で熱々の豆腐を挟むと、女は徐に勇者の口に放り込んだ。

「!!!???」

 思わず飲み込み、その熱さに慌ててコップの水を飲むが、食道を下る豆腐の熱さに腹を抱えて耐えた。

 女はその暴挙を目前に蒼白になる魔王の鼻を摘み、その口にも豆腐を放り込もうとしてくる。慌ててその手を振り払った魔王は、鍋に手を伸ばし、葱を取り、恐る恐る口に運んだ。



「………………」

 もぐもぐと口を動かす魔王。

「どう?」

「……………………美味いな」

「でしょ」

「ああ。このようなもの食べたことがない」

「良かった。ほら、勇者。あんたも食べなさいよ」

 唇と顔を真っ赤にした勇者はぷいと顔を背けた。

「このような下賎のものが食べるものなど、俺の口に合わない。熱いだけじゃないか」

「あそ、食べたくなければそれでいいわよ」

「………………」

「はい、魔王。こっちのお肉もいいわよ」

「おお、では…………う、美味い!」

「そりゃ良かった」

「ああ、まるで地獄の阿鼻叫喚肉体煮込みのような見た目だが美味いな!」

「なにそのえげつない例えは」

「………………」

「美味い! 一般人、これは何だ? 紐か?」

「白滝」

「面白いな。これは?」

「それもお肉。って、お肉ばっかりじゃなくて、野菜も食べなさいよ」

「おお」

「……………………」

 ぱくぱくと口いっぱいに頬張る魔王と、隣でグラスをあおる女。それを無視するようにそっぽを向く勇者。

 やがて。




 きゅうるるるるるるる、ぐぅおおおぉぉぉぉぉおおお。






 勇者の腹が盛大に空腹を訴えた。

「………………」

 思わず女と魔王が顔を見合わせ、勇者に目を向ける。

「………………」

「………………」

「……………………くっ、卑怯な」

「いや、何もしてないし」

「目の前で空腹を訴え、尚且つ美味そうな香りと、舌鼓を打つ他の者の賛辞を聞かせ、懐柔させるなど、卑劣極まりない行為だ」

「……勇者、美味いぞ」

「……素直に食べたいって言いなさいよ」

「…………………食べてやってもいい」

「あんたって本当に可愛くないわね」

 しぶしぶといった雰囲気ながら、座りなおす勇者はいそいそと鍋に手を伸ばしだした。


 腹が減っては戦は出来ぬ。






 ぐ、とフォークが肉に刺さり、掬い上げようと動かす。しかしそれを阻止するようにもう一つフォークが肉に刺さる。

「………………」

「………………」

 睨みあうは勇者と魔王。

「……放せ、魔王。これは俺のだ」

「なにを言う。これは我の肉だ」

「言い訳するな、俺の側にあったんだから俺のに決まっている」

 ぐいぐいとお互い肉を引っ張りあう。

 一歩も譲らぬ二人。これが最後の肉だった。

「やるか!!」

「望むところだ!!」

「ほんっとうに、あんた達懲りないわね」

 今まさに掴みかかろうと立ち上がり、怒鳴り合おうと大口を開けた二人の口の中に、女はぽいっと残った豆腐を器用に放り込んだ。

『!!!???』

 二回目の豆腐攻めに勇者は慌ててコップに手を伸ばすが、中身が空なのに気が付き、キッチンに走り込んで行った。

 魔王は只管大口を開け、顔を真っ赤にしてとにかく耐えた。

 女は調理ハサミで残された肉をぱちんと二つに切り、勇者と魔王の皿に載せた。

「こんなくだらないことで、よく喧嘩出来るわね」

「く、くだらないなひ……」

「そういえば聞いてなかったけど、なんであんた達戦ってたの?」


 ふと女は思い出す。

 今まで勇者と魔王の非常識ぶりに思わず手が出ていたが、よくよく考えれば事情など全く知らない。見てくれはいいかもしれないが、中身はそれを見事に裏切る残念ぶり。

 

 はっきり言って、馬鹿だ。


「セオリー通りにいけば、魔王が人間を滅ぼそうとして、勇者が魔王を倒そうとしてるってこと?」

「……確かにそうだが。そう簡単に言われれば、これまで死んだ同胞が浮かばれん」

「ふん、大体先に手を出したのは人間だ」

「何を抜かす、アーハヤードの泉を血で染めたのはお前達だろう。あれは聖地なんだぞ」

「元々我らの居住地だ、それを開拓しおって」

「生きるためだ。手付かずの地があったから進出したまでだ」

「魔法技術の発達で、ろくでもない力を手に入れたからだ。抱えきれなくなった人間がこれまで不可侵としてきた境界を越えてきた」

「それで人間を殺すのか。かつて自分が支配者だと人間を滅ぼそうとし、逆に殺された先代の魔王がいい例だ」

「身の丈に合わぬ力など、自分の首を絞めるだけだ」

「それで国は栄え、人々は豊かな生活を送れるようになる」

「怒りを買って殺されてもか?」

「力を持たない人間を八つ裂きにするのが楽しいか。低俗な趣味だな」

「驕るな人間風情が」

「黙れ魔族が」

「おーい」

 徐々に白熱する中、女が制止する。

「……長いようなら結構。唯でさえむさ苦しい男二人に囲まれてるんだから、疲れる」

「む、むさ苦しい……っ!? これでも黄金の貴公子と言わしめた俺だぞ!」

「キラキラしてるだけじゃん」

「我も暗黒世界至宝の輝石と呼ばれた身だぞ。どこに欠点があるというのだ! 見ろ、この美しい髪! 顔立ち! 肉体!」

 さらりと髪を梳き、胸を張る魔王。

 んーと、女は魔王の頭の天辺から、足の先まで視線でなぞる。

「男の長髪は、生理的に無理」

 がーんとショックを受ける魔王。

「そもそも美人だったり、格好よかったりしても、美意識って個人で違うんだから」

「……その言葉、撤回させてやる」

 ゆらりと魔王が立ち上がる。その目はぎらぎらと燃えている。

「は?」

「我は魔王だ。体の造形を変えることなど簡単だ! 子供にも、老人にも、性別を変えることもできる!!」

 どうやらこれまで誇っていた自分の美を念入りにへし折られ、何が何でも女に認めさせたいと自棄になってきたらしい。

「つまり、美人な女になって見せると」

「その通りだ。へーんしん!!」

 ぱぁっと魔王が光り輝く。

「わぁ、なんてお決まりな台詞」

 棒読みでおざなりな反応を返す女。

「どうだ。これでむさ苦しいなどとは言わせんぞ!」

 光が収まり、えへんと得意げに胸を反らす魔王。

 絹のように艶やかに波打つ黒髪。柔らかな肢体は雪のように白く。大きな瞳に男を魅惑する長い睫。口紅をさしているかのようにぷっくりと魅力的な小さな唇。

 女性体になった魔王も大層な美人だ。



 美人だが。

「………………なんでまた」

 先ほどまでぱっつんぱっつんだったTシャツの首周りから覗く、柔らかな胸部の膨らみは非常に物足りず、豊かだと想像された臀部の膨らみもなくぺったんこ。男性体の時は女より大分高かった身長も縮み、小さくなっていた。

 いわゆるツルペタ、ロリっ子だった。

「え、普通こっち?」

「美人だろう」

「可愛いって方向でしょ。もうちょっとぼいーん、きゅっ、ぼーん、て妖艶な美人になるんじゃないの?」

「魔族の女達は大凡そちらだな。男を惑わし引きずり込むのが本能だが、逆に多すぎる。こちらのほうが数が少ないし、何より背徳的だと側近に進言された」

 ふふんと魔王は意気込むが、嫌そうに女は顔を顰める。まるで蛞蝓か蛭でも見るように口を歪める。

「えらくマニアックな……。下も?」

「下もだ。完全に女だからな、子も産めるぞ」

「産むのか。それにしてもさ、最初からこっちになっておけば服困らなかったんじゃないの?」

 その言葉に、はたと自分の姿を見下ろす魔王。

「…………思いつかなかった」

 伸びきった首周りが寂しかった。

「で、勇者的にはどうなの?」

 もぐもぐと白菜を頬張っていた勇者はじろりと魔王を見ると、ふんと鼻を鳴らす。

「女は好かん」

「え、あんた女嫌い?」

「嫌いだ。媚を売って賛辞を述べておきながら、頭の中は打算で一杯。いかにいい男を自分のものにするか、そればかり考えている」

「否定しないけど、それって男も一緒じゃないの」

「それでも女は嫌いだ」

「勇者、子供も嫌いなのか?」

「餓鬼は五月蝿い」

 女の子になった魔王はどこか寂しそうな、微妙そうな表情を浮かべる。ふーんとさして興味もなさそうに、女はグラスを呷る。

「……それにしても、よく飲むな」

 魔王が女の周囲に目を向けると、椅子の足元には空になったビール瓶やワインのボトルが転がり、空き缶がタワーを作っている。

 鍋を食べだす前からグラスを持っていたことから、彼是数時間は飲み続けている。

 しかし酔ったという雰囲気でもなく、顔色も一向に変わっていない。

「お前、飲める性質か?」

「そうね、そこそこ飲めるわ」

 その言葉にきらりんと目が光り、アイコンタクトをする勇者と魔王。こくりと頷き、お互い酒瓶に手を伸ばす。



 作戦その三、楽作戦。

 女を楽しませておいて、その後惨めな目に遭わせ、せせら笑う。


「飲め一般人」

「は?」

「俺自ら酌をしてやる。ありがたいと思え」

 勇者が日本酒のビンを持ち、女に注ごうとしてくる。

「ありがたくないわね」

 口ではそういいながらも、酌をされればグラスを差し出すのが日本人たる習慣。

 王子である勇者はこれまで様々な宴にも出たし、魔族退治をすれば感謝する民から盛大なもてなしを受けてきた。それなりに酒に対して耐性もあり、慣れた身としては飲み比べで負ける気はない。

 一方魔王は、魔王だ。毒すら飲み干す体に酒など効くはずもなく、女一人を酔い潰すことなど赤子の手を捻るようなものだ。

 女のグラスが空になるたび、次々と注ぐ。酌に気を良くしたのか女も休むことなくグラスを呷り、お返しだと勇者と魔王のグラスにも同じ量を注ぎ返す。

 酔いつぶれた女が醜態を晒し、それを見下して笑い、屈辱を味合わせる。

 そう心に決め、二人もグラスを空にし続ける。





 数時間後。



「………………うぇ」

「うっぷ」

 異世界の酒は勇者と魔王の許容範囲を遥かに上回った。

 トイレとお友達になった二人を他所に、上機嫌で女はグラスを呷る。



 二日目終了。





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