3.とくぎをあぴーるしましょう(できることはなんですか)
その後も出て行け、出て行かない、殴るぞ、やってみろ、ざまあみろの攻防の結果、勝ち誇った女と、その足元に、最終決戦以上に襤褸切れと化した勇者と魔王が正座していた。
「家主はあたしよ。言うこと聞くのが嫌なら出て行きなさい」
平伏し、頭を床に付け、良いと言うまで上げさせない、日本の伝統礼式、土下座を異世界での人類の勇者と、人類の敵である魔王にさせた女はきっぱりと言った。
女の出す条件を、勇者と魔王が全て無条件で受け入れるという大前提をもって、二人はこの部屋に留まることを許された。
女の言うことを聞く。
女には逆らわない。
帰れることになったら最上級の御礼をする。
至って簡単な条件だが、勇者と魔王にとってそれは屈辱以外のなにものでもなく。受け入れるまでにも紆余曲折があったが、最終的には拳で叩き伏せられ、甘受することと相成った。
日も落ちた夜に、大騒ぎの大乱闘を繰り広げた。幸か不幸か、女の部屋は角部屋。隣と下の階の住人は連休で旅行に出かけ、上の階の住人はヘッドフォンを付け大音量で音楽を聴いていたため、誰も気が付かなかった。
そしてこのマンションは防音対策がきちんと施されていたのだった。
「…………わかったぞ、魔王。あれは女の皮を被った化け物だ」
酷く疲れた声で勇者は言った。最高級の防具は解れて、びりびりに破け、美しかった金髪はところどころ毟れ、ぼっさぼさになっている。片方の頬を腫らし、服の下は恐らく青痣だらけになっているだろう。
「いや、猛獣だろ」
渇いた鼻血を魔王は拳で擦る。長かった黒髪はザンバラになり、頭部の片方の角は折れ曲がっている。ボロボロの服から覗く肌は引っかき傷だらけ。尖った耳は散々引っ張られ、真っ赤に腫れている。
殴るわ、蹴るわ、投げ飛ばすわ、引っかくわ。関節技、締め技、飛び技までとありとあらゆる攻撃パターンを披露し、勝者は燦然と輝き、勝利のタバコを満足げに吹かしている。
「……あの急所を外さぬ的確な攻撃。死線を見たぞ」
「ああ、最強の敵だ…………我らが共に戦っても敵わぬ相手」
「素手だぞ、素手。どうなってるんだこの世界は……」
「恐ろしい…………あの一般人、中に大魔王が入っているに違いない」
「魔王はあんたでしょうが」
呆れた顔で女は手刀打ちを魔王の頭に落とす。頭にも肘鉄を喰らって大きなタンコブが出来ていたため、魔王は頭を抱えて悶絶した。
女は短くなったタバコを灰皿に押し付け、慣れた手つきで箱から新しいタバコを銜え、火をつけた。
「あんた達が居ていいのは一週間、それ以上は一切認めないからね。言うこと聞かないなら、近所のビルから紐なしバンジーさせるわよ」
『…………』
バンジーが何か分からない二人だが、生きて帰れないことだけは本能的に察し、ごきゅっと喉が鳴った。魔王にいたってはうっすらと涙まで浮かんだ。
「返事!」
火がついたタバコを二人の顔面に向ける。
『はい!!』
ぴんっと背筋を伸ばした勇者と魔王が声を張り上げる。
「よろしい。で、あんたら特技は?」
「…………特技?」
「当たり前でしょ。何にもしないで一週間居候させろっていうの? あんたらが金持ってるとは思えないから、出来ることは肉体労働しかないでしょ」
「素振り百回?」
勇者は日課として剣術の稽古に勤しんできた。その腕は大陸において右に立つものは居ないといわれている。
「阿呆か。そんなの何に役立つの」
「……マーティス教聖典の暗唱」
「あたし仏教だから」
「夜の相手か?」
「また金的喰らいたい?」
さっと魔王は青ざめ、股間を咄嗟に隠した。未だかつて味わったことのないあの強烈な痛みで、すっかり縮み上がったままだ。
「むぅ…………あ! 聖剣があるぞ!」
「聖剣? ああ、さっき折れた棒?」
「棒って言うな! 前代の勇者から伝わる由緒正しき聖なる剣だぞ!?」
「あーっそう。で、何ができんの。売って金に替えろって?」
「売るな、違う! 何でも切れるぞ」
「折れたけどね」
「茶々を入れるな。あれはきっと金属疲労してたんだ」
「これまで持ってたのに、折れるのが今?」
「しつこい! 一般人、何か切りたいものはあるか」
「とりあえずあんたをぶった切りたいわね。じゃあこれは?」
女は冷蔵庫の扉を開け、中からたまねぎを取り出す。
不思議な白い箱に興味を惹かれた魔王は、ぺたぺたと冷蔵庫を触りだす。
「なんだこれは。棺桶か?」
「違うわよ冷蔵庫。これ微塵切りにしてよ」
「ほう、面白いな」
「用もないのに開け閉めしないで。電気代がかさむでしょうが」
「細かくすればいいのか。ふん、それしき、容易いことだ」
「でんき?」
折れた聖剣をキッチンの水道で洗い、残された刃の部分でまな板の上に置かれたたまねぎを切ろうとする。
が。
「……………………ふっ、切れたな」
「切れてない。これは押しつぶしたって言うの」
聖剣の刃が当てられた部分は押しつぶされているが、数ミリも切れていなかった。
「この鈍らが」
「うるさい、手が滑っただけだ!」
「んなわけないでしょうが。大体なに、その持ち方は。突きでもするわけ? あんた包丁握ったこともないの?」
「高貴な俺はそんなことしない」
「……ああ、お坊ちゃんか」
「何だその目は、馬鹿にするな! これしき完璧に――って、え、ちょ、目が痛い、痛い! 何だこれ!?」
たまねぎの成分に目を刺激され、勇者は慌てて目を押さえるが、成分が突いたままの掌は火に油を注ぐだけだった。
「ぎゃああああ!! 目が、目がああぁぁぁぁ!!」
結果勇者は床に転がってじたばたともがいた。その勇者を女は白い目で見下ろしていた。
「勇者は役立たずか。魔王、あんたは?」
冷蔵庫の背後を覗き込もうとしていた魔王は自信満々に振り返った。
「我は僕たる配下を作れるぞ!」
「どうやって」
「えーと、本来ならば我の魔力だけで肉体と魂を作り上げられるのだが、今宿る魔力はごくごく僅かだから、作るのは難しい…………待て、続きがあるから拳を下ろせ」
こいつもかと拳を振り上げかかった女を慌てて止め、魔王はキッチンに置かれたカボチャを手に取った。勇者は相変わらず涙を流して呻いている。
「例えば、このようなものを肉体の代わりとして、魂だけを入れる。今の力では一師団を殲滅するほどの威力はないが、絶対役に立つぞ!」
「そんな物騒な配下はいらないってば」
「遠慮するな! ではいくぞ――」
複雑な呪文を唱え掌に持ったカボチャに僅かな魔力を集中させる。
すると、ぽんっと軽い音と白い煙がカボチャから立つ。
「けほっ。どうなったの」
「成功したぞ……っ!」
まるで褒めてもらった子供のような満面の笑みを浮かべる魔王。
「え、嘘でしょ」
まさか本当に作ってしまったのかと女は思うが、煙が晴れると、相変わらずのカボチャが魔王の掌に乗っかっていた。
「…………」
どう見てもカボチャだ。
サイズが大きくなっているわけでもなく、色がショッキングピンクになっているわけでもなく、相変わらずつやつやとしておいしそうな色だ。
何が違うかというと、目が出来て、鼻が出来て、大きな口が出来ている。
まるでハロウィンのジャック・オー・ランタンのように。
「……………………」
見下ろし固まる魔王に、呆れた女はふーっとタバコをふかす。
「失敗ね」
「ち、違う! 違うんだぁ!! 我はもっと大きな体躯の、蝙蝠の翼の生えた、蟹の鋏を持った配下を創造したんだ!!」
「え、もっと要らない」
「なんのこれしき、もっと寄越せ! 次こそは!!」
「野菜戦隊でも作る気か! 笑うカボチャなんぞハロウィンだけで十分だ!!」
二度目の踵落しの衝撃に魔王は飛び上がり、思わず落としたカボチャが反対の足の甲を直撃する。のた打ち回る魔王からころころと転がったカボチャは、壁にあたると器用に方向転換して戻ってきた。まるで意思を持っているかのように。
「え」
「は」
女と魔王の元に戻ってくると、じっと視線を投げかけてきた。
眼球などないから何処を見ているのか今一分からないが、普通カボチャと目は合わない。
「…………戻ってきた」
「…………………………い、いいぃちおう、せ、成功していたのだな」
そう言うと、カボチャはぴょんと一度跳ねた。
「鈍らの剣に、跳ねるカボチャ……まったく、あんた等は…………ん、んんん?」
何かに気が付いたのか、女は隅に置かれた小さな箱の中を覗き込んだ。
「なんだ?」
目を真っ赤にし、若干鼻を垂らした勇者が訝しげに声をかける。
「……どうしても捕まんないすばしっこい奴だったのに」
「なにが」
「黒い悪魔」
「は?」
「名前を言ってはいけないあの虫よ。不思議ねぇ……あれ?」
今度は壁に掛けられた温湿度計に目をやる。
「湿度が下がってる。温度も……」
「何の話だ?」
未だ衝撃から立ち直れない涙を浮かべた魔王が訊ねると、はたと女は勇者と魔王の顔をまじまじと見た。
「もしかして、あんた達のせい? 今日熱帯夜だって言うのに、なにこの温度。冷房もろくに使ってないのに、快適じゃないの。湿度も下がってじめじめしてないし。おまけにあれも死んでる」
感心したように女は言った。
「やるじゃない。あんた達、空気清浄機と害虫駆除になるんじゃないの」
「は?」
「だったらいいわよ。冷房要らずで電気代も下がるし、鬱陶しい虫が寄り付かないなら、快適生活じゃない」
「どういうことだ」
「だから」
ぴしっと勇者を指差す。
「あんたはエアコン」
次いで魔王を指す。
「あんたはホ○ホイ」
女は心からの満面の笑みを浮かべた。
「いやー、ムダにあんたキラキラしてると思ってたけど、そういうわけか」
「……く、空気を綺麗にするだけか?」
「それだけ。穀潰しじゃなくて良かったわね」
「お、俺の魔力は、存在意義はそれだけか!?」
「それだけだけど、役立たずの汚名は返上したわ。とりあえず、邪魔だからその鈍らは傘立てにでも入れときなさい」
「鈍らと言うな!」
「ホ○ホイ…………まさか、我の瘴気か?」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ勇者とは対照的に、愕然とした魔王は呟いた。
「それに当てられてるのかもね。やー、あんたは窓際に居なさいね。そうすれば蚊が入ってこないから」
今まで恐れ、奉られてきた自分が全く持って役に立たず、本人の意思とは無関係な部分が褒められ、魔王はなんだかしょっぱい涙を流した。