2.おはなしをしましょう(じこしょうかいはげんきよく)
気が付くと、勇者と魔王は冷たい地面の上に折り重なるように倒れていた。
「いてててて……うぇ」
胃の中身が逆流するような嘔吐感と鈍い痛みに勇者は腹を抱える。
「う~~~~~、うむむむむ……」
頭の中でガンガンと大太鼓を鳴らされ、滅茶苦茶に揺さぶられる痛みに魔王は頭を抱えた。
「お目覚めかしら」
その声に二人が顔を上げると、仁王立ちの鬼神が立っていた。
「おはよう変質者たち」
にっこり女は笑うが、目は全く笑っていない。その足は先ほど勇者と魔王と一撃でしとめた凶器でしかなく、いつでも蹴り倒せるぞと、とんとんと床を叩いた。
先ほどの下着姿ではないが、着込んだ服も軽装で、上はTシャツ、下はハーフパンツのみだ。
しかしどう見てもいたって普通の妙齢の女性。
魔族の翼が生えているわけでもなく、武器を下げた逞しい体の賞金稼ぎでもなく、普通の一般人だ。
普通だからこそ、先ほどの一撃必殺が自分達を叩きのめした状況が理解できないが、ただらなぬ女の気配に圧倒されるように勇者と魔王は座ったまま後ずさりをする。なんとなく、立ったら間違いなくあの足が一閃される気がした。
「変質者ではない」
勇者の言葉に女はへぇと器用に片眉を上げる。
『勇者・魔王だ』
十秒ほど熟考した女は理解できないその言葉に、米神を押さえて呻いた。
「………………なんですって?」
「俺を知らないのか。お前余程の田舎者だな。勇者レイノルズ・アルダン・コンスティーム・フォン・ヴァルガードの名を聞いたこともないというのか?」
「……誰?」
「ほう、勇者だけでなく我も知らぬと戯言を申すか。エストダルガー・ハービュン・レ・ウェスユクシーン。今代の魔王よ」
「出てけ」
間髪入れぬ女の言葉に、しかし利は我にありとばかりに勇者はふんと鼻で笑った。
「お前こそが出て行け。そもそもここは『救世の地』。一般人風情が踏み入っていい場所ではない」
「はぁ? ここあたしの部屋よ、あんた達が出てけ。いきなり現れて。玄関も窓も閉めてるのにどっから入ったの」
「なにをいうのだ、此処は――……………………………………何処だ」
絶世の美貌と謳われた顔を、間抜けにぽかんとさせた魔王を見た勇者も訝しげに周囲に目をやる。そして偉大なる天才彫刻家の最高傑作だと言わしめた顔が、呆気に取られた。
「………………なんだ此処」
明るく照らされた照明、小物がキチンと収められたカラーボックス、肩ほどの高さの白い冷蔵庫と、調理道具が細々と置かれた小さなキッチン。女の背後にある開かれたドアの先にあるのは、淡い色のシーツで整えられたシングルベッドに、小さなテーブルと二脚の椅子。
いわゆる一般的な都会一人暮らしの部屋だ。
ただし地球に限る。
玄関のコンクリートに座り込んだままぽかんとする勇者と魔王を尻目に、女は二人の背後の玄関ドアを開ける。
「はいはい、出口はこっちよ。とっとと出てって」
押し出された二人の目に映るのは、夜の帳が訪れているにも関わらず、眩しいほどに明かりに照らされた街だった。星よりも明るい街灯や走る車のヘッドライト。絶えることのない人の歩み、走り抜ける車の音、宮殿よりも、城よりも、神殿よりも大きな建物群が薄闇の向こうに聳え立っている。
そして夜の空に浮かぶ月は、自分達の世界のものよりずっと小さかった。
呆然とその光景を見る二人の背後でギィと鉄の扉が鈍い音を立てた。
「出頭するんなら、警察は降りて左よ。じゃーね」
そのまま扉を閉じようとする女に、先に我に返った勇者が慌てて詰め寄る。
「ちょっと待て! ここは何処だ!?」
「はぁ? 本当に何言ってんの?」
「話を聞け、扉を閉じるな! 痛いじゃないか!」
「ちょ、足を押し込むな! 悪質訪問販売か!」
「ま、待て待て!!」
扉の押し合いをしている勇者と女の攻防に、漸く衝撃から我に返った魔王が慌てて縋り付き、閉じられようとしていた扉を強引に開け、再び部屋の中に転がり込んだ。
「いい加減出てってよ! 不法侵入で警察呼ぶわよ!?」
女はテーブルの上に置いていた携帯電話に手を伸ばす。
それすらも勇者と魔王に見覚えがあるはずもなく、ここが全く違う場所だという事実が襲い掛かってくる。
「ここは『救世の地』ではないのか?」
恐る恐る魔王が訊ねるが、それが場所か、店名なのか、そもそも何をさす名称なのかも分からない女は訝しげに眉を寄せる。
「なにそれ、急性? 飲み屋?」
「違う、ナポッタは? アルーンデならわかるか?」
「パスタ?」
矢継ぎ早に魔王が質問を重ねるが、どれにも覚えがない女はアルデンテのことかと思うが、どれも違うらしい。
「ど、どうなっているのだ?」
「……魔王、気が付かないか?」
「……?」
じっと何かを探るように険しい表情をした勇者は掌を出す。
「空気が、違う。ダーナンユレイストでは味わったことがない。それに……体が、重い」
「そういえば……」
「……あの『救世の地』について魔王が知っていることは何だ」
「…………『空が裂け、大地が割れるほどの勇者と魔王の激しい戦いは七日目に達した』」
「そうだ」
「『世界の悲しみを見た神は、二人をヴァルレイに誘う。その地で幾多の試練を乗り越えた者のみが勝者となる。そしてさらに七日目、唯一の救世主が地に降り立つ。空は晴れ、大地は産声を上げ、新たな世界の囁きが始まる。これ救世の地なり』」
「ああ、俺の国の伝説と同じだ。数百年前に起こった前代勇者と魔王の戦い。その時の救世主がわが国の祖となった」
「……何か呪いが施されていたと?」
「いや、これほどの強大な魔力は一つの国だけでも賄いきれない。神の領域だ」
「神、だと?」
「ああ、俺達は恐らく、全く違う世界に飛ばされたんだ」
「…………ヴァルレイが異世界? しかし、否定する要素がないな。我の内に漲っていた魔力が殆ど感じられぬ」
「俺もだ」
「……一体、何のために」
「考察するにも情報が少なすぎる。しかし、『救世の地』には普通人は足を踏み入れない。いや、その地が全ての侵入を拒絶するからな」
「ああ、魔族もだ。本能的にあの場所を避ける」
「人間も魔族も、動物、植物。全てが分かっている。あの場所は選ばれたものしか入れない」
「だからこその『救世の地』」
「救世主が降り立つ場所。世界の未来を決める地。神のみぞ知る真意」
「…………戻れると思うか」
「……分からない。だが、伝説にもあるだろう『さらに七日目、唯一の救世主が地に降り立つ』と。可能性はゼロじゃない」
「戻るのは、我か、それともお前か……」
「ここで勝敗を決めてもいい。しかし、此処はダーナンユレイストではない。俺達が戦ったときに元の世界に戻る保障もない」
「試練と我らの戦闘は同一ではなく、戦えば元に戻ることも、下手をすれば世界諸共崩壊する可能性も十分ある」
「そうだ……」
ちらりとお互いを見る。
「…………納得はいかないが、一時休戦だ」
「そうだな、お互い元の世界に戻ることを優先にしよう。だがゆめゆめ忘れるな、勇者。我は魔王なり。その首を斬られたくなかったら邪魔立てするな」
「お前も精々油断しないことだな。あの背中の一太刀、効いていたはずだぞ」
「ふん、あんなもの痒くもないわ。勇者こそ内臓を毒の風が切り裂いたと思うがな」
「生憎だが、これっぽちも痛くない。そよ風にも感じられなかったな」
「なんだと勇者」
「やるか」
「で、お話は済んだわけ?」
いつの間にか女はふーっと紫煙を燻らせ、呆れた表情で二人を眺めていた。
「なんか納得したみたいだけど、警察より救急車呼んだほうがいいかしら? あんたら頭大丈夫?」
訳の分からないことを言い出した二人に、何か変な薬でも服用したのかと女は思った。
「俺は正常だ。だが、この状態は異常ということに変わりはない」
「そうね。連休の初日を、変な格好の変質者どもに荒らされる状態にあたしは泣きたいわ」
「俺達は異なる国から――、いや、全く違う世界からやってきた」
「…………なんで、またあたしの部屋に」
「分からぬ。だが、我の世界とお前の世界は一時的に繋がり、此処に飛ばされ、そしてその糸は断絶された」
「じゃあ結んでさっさと帰れ。勇者と魔王なんでしょ」
「繋がらない。そもそもそれに必要な力や魔力が一切感じられない。魔法も使えないようだ。言い伝えによれば七日後、その糸が繋がり元に戻るらしい」
「………それってつまり」
「ああ、一般人。ここで待たせてもらう」
勇者は言い切った。
「気にするな。とりあえず停戦協定は結んだから、惨劇の場になることはないぞ。試練とやらが分からぬ以上、無駄に戦って体力を削りたくないからな。まぁ多少流血の事態になるかもしれんが」
魔王は追加事項を告げる。
仕方がないことだと息を吐いた勇者は、きょろきょろと辺りを見る。
「さて、女。部屋に案内しろ。なんだここは馬小屋か?」
「いや、勇者。この狭さは犬小屋だろう」
女はわなわなと身体を震わせ、思い切り息を吸い、壁を打ち破らんばかりの大声で怒鳴った。
「今すぐ出てけ!!!!」
耳鳴りがするほどの怒声に、人間より聴覚が優れた魔王は思わず耳を覆った。
「断る! 此処でなければ戻れないかもしれないじゃないか」
何を言うのだと勇者は女を睨む。
しかし怯むことなく女は怒鳴った。
「冗談じゃないわよ!! そんな馬鹿げた理由、信じると思ってんの!?」
「しかし真実だ。受け入れろ!」
「嫌に決まってるでしょうが! それに、なんでわけわかんない変質者どもを、一週間も部屋に置かなきゃなんないのよ!!」
「向こうとこちらが同じ時間の流れとは限らん」
「この場所とも限んないでしょうが!! っていうか、見返りは何なのよ。あたしには一銭の得にもなんないじゃない」
「困っている人を助けるのは義務ではないか!」
「変質者を助ける義務なんぞない! 世の中ギブアンドテイク!!」
魔王は慌てて女に詰め寄る。
「頼む、迷惑はかけん!」
「今まさに迷惑だ! っていうか土足で上がるな、靴脱げ馬鹿野郎!!」
女の怒鳴り声に、いつの間にか床に上がりこんでいた魔王は慌てて靴を脱ぎだす。
しかし勇者は憮然とし、女を睨みつけ、靴のまま上がりこんだ。
「脱げっつってんでしょうが! 聞いてんの!?」
「女、口が過ぎるぞ」
「はぁ? ふざけたことぬかすんじゃないわよ。いいからさっさと出てけ!」
「こうして直々に頼んでいるではないか!」
「それが人に頼み事する姿勢? なんでそんなに上から目線なのよ」
「――っ、一般人風情がいい気になるな! 誰に向かって口を聞いているんだ!」
「いや、あんた知らないし」
「大国ヴァルガードの第一王子であり、勇者だぞ!? 女、頭が高い!」
「だからなんなの」
「敬え、従え、ひれ伏せろ! 今なら謝れば許してやっても良いぞ」
「誰がするか。あんたが謝れ」
「下賤の身が愚かにも逆らうか!」
「ここはあんたらの世界じゃない! 勇者だか王子だか知らないけど、今のあんたは不法侵入の変質者で、礼儀も知らない頭のネジが吹っ飛んだ大馬鹿だ!!」
「言わせておけば……」
「へー、何するの? 女に暴力振るうの? この外道が、やれるもんならやってみなさいよ!」
「くっそ、一般人覚悟しろ!!」
すると勇者は腰に佩いていた鞘から聖剣を閃かせた。
斬られれば、人間など胴体が真っ二つになり、魔族にいたっては灰すら残さず消滅してしまう。何百、何千という命を屠ってきた剣が女に襲い掛かる。
その行動にぎょっとし、体を強張らせる女の表情が目に入った。
無論、勇者とて丸腰の女に本気で斬りつけようとしたわけではない。ちょっと脅かせば泣いて許しを請うと思っていた。ほんの少し、血の一滴でも流させればと。
だが、
ぽきん。
折れた。
「………………あ、ぁあぁぁぁぁああああああああああっっ!!??」
女の肩に当たった瞬間、刃の真ん中から見事に真っ二つに折れた。前代の勇者が鍛え上げ、数多くの魔族を屠ってきた剣が、まるで枯れた小枝を折るが如し。
「お、折れた!? せ、聖剣が、聖剣が折れたっ!?」
目の前で起こった事実が余りにも衝撃的で、折れた剣を抱えて勇者は大声で喚いた。
その視界の端を白い何かが閃いた。
それが足だと思う暇はなかった。
「何すんのよ!」
女の容赦ない跳び蹴りが勇者の顎に炸裂し、その衝撃に身構えることも、防ぐことも出来ず、勇者は凄まじい衝撃と共に後頭部から床に叩き伏せられた。脳震盪を起こした勇者は身動き一つできず、剣があたったはずの女の肩にはまったく傷などなかった。
魔王は愕然とする。あれほどまでに自分と互角で戦い、死闘を繰り広げ、停戦協定を結んだ勇者が、目の前で一撃で倒された。
「ゆ、勇者あああああっ!?」
「なによ! あんたもやる気!?」
ぎっと眼光鋭く女が魔王を睨みつける。そのあまりの殺気に血の気が失せ、顔が引きつる。
殺すか、殺されるか。
本能的に恐怖を感じ、魔王は殺される前に殺すんだと女に向かい合った。元の世界に戻る云々はその頭から綺麗に吹き飛んでいた。
「おのれ一般人!!」
魔王は両手を握り合わせ、攻撃魔法の中でも最上位に位置する殲滅魔法を練り上げる。それの直撃を食らえば人の身体など一瞬で蒸発し、触れただけでも肉体が腐り落ちる威力がある。
「これでも食らえ!!」
逃げる場所もない室内、光の弾が女に襲い掛かる。
だが。
ぶすぶすと煙を上げ、へろへろと今にも床に落ちそうな、非常にゆっくりとした速さで攻撃魔法は女に襲い掛かった。
「え」
その光景に魔王がぽかんとする。女はまるで刺身を箸で摘むような動作で、ひょいとその光の弾を摘んだ。
「なにこれ」
「せ、殲滅魔法を素手で掴むだと!?」
するとぶすっと小さな黒煙をあげ、光の弾は消えた。
「ああああ!? どうなってる、消えたではないか!?」
「掌が煤だらけになっちゃったじゃない」
喚く魔王を尻目に、女は魔王の服の裾をひょいと掴み、ごしごしと自分の掌を拭った。
「拭くな一般人!」
「うるさい!」
「あぃっ、だあああ――――っ!!」
先ほど靴を脱がせ、裸足だった魔王の足先を女は踵で思い切り踏んだ。