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12.そして(いっけんらくちゃくです)


 ダーナンユレイストの中央に位置する『救世の地』。

「ああ、今日で七日目だ……レイノルズ王子は戻ってくるのか……」

 百ベイルほど離れた場所から、不安を隠しきれぬ焦燥しきった表情でその地を見つめているのは、大国ヴァルガードの宰相である男、カーマイン・オーシェスである。

 ヴァルガードの後継者たるレイノルズ王子が聖剣によって勇者に選ばれたときから、助力すべく一緒に旅をしてきた。長引く戦いで心身ともに疲労が蓄積し、齢五十にもならないが、そうとは思えないほど顔に深い皺が刻まれ、髪も白に染まり、初老のようにも見える。



『救世の地』は神に選ばれた者しか入ることが出来ない。

 動植物の命すら感じられない渇いた大地は、人間であっても魔族であっても本能的にその場所を避ける。

 数百年前にも前代勇者と魔王が戦った場所は、その主を失い、不気味なほどに静まり返っている。

 七日前、命を削り死闘を繰り広げていた勇者と魔王だが、突然の眩い光に包まれたかと思うと、次の瞬間その姿は消えてなくなっていた。

 三百ベイル離れた地で戦いの行く末を見守っていたオーシェス達はその行方を捜したが、七日たった今でも見つかっていない。





 伝説は語る。

『空が裂け、大地が割れるほどの勇者と魔王の激しい戦いは七日目に達した。世界の悲しみを見た神は、二人をヴァルレイに誘う。その地で幾多の試練を乗り越えた者のみが勝者となる。そしてさらに七日目、唯一の救世主が地に降り立つ。空は晴れ、大地は産声を上げ、新たな世界の囁きが始まる。これ救世の地なり』



 大陸各地で伝わるこの伝説が真実ならば、今人類の救い手である勇者は過酷な試練と戦っているはず。

 そして必ずや魔王を倒し、唯一の救世主として、ダーナンユレイストに戻ってくるに違いない。

 人類の未来が、あの勇者一人に託されているのだから。





 ふぅと溜息を吐く。

 傍らで望遠鏡を覗いていた臣下が、心配げに顔を曇らせた。

「オーシェス様、少しお休みになられては」

「いや、いつ戻ってくるか分からないのだから休んでなどいられない」

「そうおっしゃられてもう七日、殆どお休みになられていませんよ。魔族にも今のところ動きはありませんし」

「だからこそ、まだ油断は出来ない」

 オーシェス達がいる陣から『救世の地』を挟んで反対側、そこにも魔王の配下たる魔族が集まり、主の行方を捜している。勇者たちが戻らない今、破滅の道を選ぶかもしれない危うい停戦状態が保たれているが、それも長くは持たないだろう。

 一刻も早く勇者が戻らねば、恐らく魔族は攻撃を仕掛けてくるかもしれない。勇者不在の中、魔王がいずとも残りの戦力で勝てるかは五分五分だ。いざとなったら、この地で命を散らす運命も甘んじて受け入れよう。

「せめて、食事だけでもきちんと摂られてください。勇者様が戻られる前に貴方が倒れてしまいます」

「……ああ、そうだな…――」

 すると晴れ渡っていた空に、突如雲が広がりだした。


「……なんだ?」

「こ、これは一体」

 異様な天候の変化に陣内は騒然となる。

 広がった黒い雲を見上げていると、突如稲妻が光り、猛烈な風が襲い掛かる。

 次の瞬間、目を開けていられないほどの眩しい光が辺りを包む。その光は七日前、最終決戦の最中のあの光と同じだった。

「!? な、何が――っ」

 混乱に包まれる中、強力な力が『救世の地』に集約し出すのをオーシェスは感じた。

「れ、レイノルズ王子――っ!?」







 轟音共にその眩い光は消滅し、砂煙が舞い上がる。

 その中心に何かが蹲っている影が見えた。


 誰もが固唾を呑んで見守る。

 身動きするものは一人もおらず、静まり返った中、人々はただその影を見つめていた。

 空に広がっていた暗雲の間から澄み切った青空が覗きだし、太陽の光が辺りを照らし出した。



「……ぅ」

 影から呻き声が聞こえる。

 身動ぎし、蹲った上体を起こす。

 太陽の光で眩いほど光り輝き、青く澄んだ海のように深い瞳。そして何より焦がれるほど待ち望んだその顔立ち。

「レイノルズ、王子……っ」

 何もなかったはずのその場所に勇者がいた。

 湧き上がってくる歓喜。


 戻ってきた、我らが人類の救い手、救世主が戻ってきた――!!



 耐え切れないほどの歓喜に身震いさえ感じる。一刻も早く、勇者の下へ駆けてゆきたい。その無事を、その安心を、この世界が救われたことを確認したい。陣内が沸き立つ中、オーシェスは勇者の下へ走り出そうとした。

 オーシェス達の目線の先で、ふらりと覚束ない足取りで立ち上がった勇者は、ふと足元に視線を向け、手を伸ばす。

「?」

 その手を取り立ち上がったものがもう一人いた。

 夜を切り取ったかのように黒い髪、頭部から生える捻じ曲がった角。残虐残酷冷酷非道、人々を虐殺し、滅ぼしかかった邪悪な存在、魔王そのものが勇者の手を握っていた。

「ま、魔王……っ!!」

 ざっと陣内に恐怖が走る。

 何故此処にいるのか。

 勇者が倒したはずではなかったのか。

 そして、何故敵に手を差し伸べて、あまつさえその手を握っているのか。



 衝撃的な光景に誰もが身動き出来ない中、勇者と魔王は何かを確かめるかのように、辺りをぐるりと見渡す。

 そして相手をじっと見詰める。


 すると。









 がしっとお互いを力強く抱き締めた。



「魔王ぉぉぉぉぉ――――っ!!!!」

「勇者ああぁぁぁぁあああっ!!!!」




『…………………………は?』

 抱き合い喜ぶ勇者と魔王の姿を、オーシェス達はぽかんと口を開けて見た。






 帰還を待ちわびた勇者は魔王と共に涙を流し、歓喜に飛び跳ねている。

「帰ってきたああぁぁぁぁぁあああっっ!! 帰ってきたぞ、魔王――っ!!」

「良かったぁぁぁぁあああっ!! 帰ってこれたぁぁぁあぁああああ!!」

「やったぞ! 俺たち帰ってきたんだ、生きて帰ってきたんだ!!」

「ああっ!! あの恐怖の大魔王の元から帰ってこれたぞ!!」

「うっうっうっ、これまでの長く厳しい道のり……」

「何度死ぬかと、試練を投げ出したいと思ったことかっ……」

「もう俺、帰ってこれただけで満足だ……」

「ああ……世界征服とかどうでも良くなってきたな」

「寧ろあの一般人がラスボスだったな」

「だが、もういないっ」

「ああ、いないんだっ!」

「何と素晴らしいことよ」

「世界はこんなにも美しいんだなぁ……」

 キラキラと子供のような表情で眩しげに空を見上げる。ふとお互いの姿を見ると、苦笑し、肩を叩き合った。

「ぼろぼろだ、勇者」

「ははっ、そっちもだ」

 まるで歴戦を潜り抜け、長き旅を共にしてきた仲間を労わるように。





「ま、魔王様……?」

 その光景を愕然と見守るのは人間のみならず、魔族達も同じだった。

 魔王の側近中の側近、ジェスタ・クリファース参謀。

 残虐な殺しを好み、死に掛けた体から腹を裂き、臓腑を引きずり出す。その血の流れる臓腑で飾り付けをした酒宴を虐殺の限りを尽くした後で楽しみ、その恍惚ともいえる微笑で人々を恐怖と絶望に突き落としてきた。

 他の魔族より抜きん出た体躯、氷河のように深い銀灰色を称える髪、人間を虫けらのように睥睨する冷たい青い瞳。

 それもまた呆気にとられたように間抜けに見開いていた。


 何故敵である勇者と抱き合い、喜んでいるのか。

 あんなにも嬉しそうに、涙まで流して飛び跳ねているのか。

 そしてなにより、何故勇者を殺そうとしないのか。



 焦燥感に苛まれながら魔王の帰還を切望し、待ち続けたこの七日間。

 もし勇者が救世主として戻れば、魔族の選択肢は死のみ。強大な力を有する魔王がいなければ、如何なる猛者といえども、魔王を倒し、聖剣を持つ勇者に勝てるはずもない。



 結果としてそれは覆された。

 魔王は戻った。


 何故か勇者と共に。






「れ、レイノルズ王、子……っ!」

 わいわいきゃあきゃあと生還を喜び、噛み締めていた勇者と魔王は、酷く動揺した声がかけられたことで、漸く抱き合っていた腕を外し、周囲を見渡した。

 いつの間にか自分たちの周りに人だかりが出来ていた。オーシェス達人間だけではない。幾度か見かけ、息の根を止め損なってきた魔族の姿もある。皆一様に絶句し、驚愕の表情を浮かべている。

「オーシェス、久しいな」

 七日離れていただけだが、何十年も会っていなかったような郷愁が胸一杯に広がる。自然と笑みが込み上げてくる。

「レイノルズ王子、ご、ご無事でっ……」

 その笑みに勇者の無事を痛感し、オーシェスは胸が熱くなる。

「レイノルズ王子……一体どちらにっ、そのお姿は……」

「これか」

 オーシェスが目にするのは、未だかつてないほどの酷い怪我を負った勇者だった。

 光り輝く金髪はボロボロに毟れ、片方の頬は真っ赤に腫れ、渇いた血の跡が全身にある。最高級の術師が紡ぎ上げた防具もボロボロに解れ、見る影もない。前代勇者が鍛え上げた聖剣までも折れてしまっている。それほどの怪我を負いながら、勇者の表情は達成感に満ち溢れていた。

 魔王も目の端で見るが、そちらも勇者と大差ないほどの怪我を負っている。

 多くの人を魅了し、闇の道へ引き込んできた美貌は打撲、引っかき傷で酷く損なわれている。頭部から生える二本の角は両方折られ、長い耳は真っ赤に腫れている。左目の瞼を青紫色の打撲で腫らし、碌に見開くことも出来ないように見える。だが、魔王もまた、満ちたりた表情で微笑を浮かべている。

「伝説は真であった。神によって、俺たちはヴァルレイに飛ばされ、そこで幾多の試練に遭った」

「そ、それほどまでに困難な試練が……」

「ああ、厳しかった……幾度も挫けそうになった」

「しかし、何故魔王と手を……このままでは戦が」

「もう心配することはない。ダーナンユレイストに戻った俺たちは以前とは違う。この世界に新しい風を起こすべく、試練を乗り越え戻ってきたんだ」

「私どもは、貴方様が帰って、こないのでは、と……っ」

「ああ、心配かけた……すまなかったな」

「!!??」

 その謝罪の言葉にオーシェスは耳を疑い、絶句した。




「魔王様……っ」

「クリファース参謀……元気にしていたか?」

 魔王は駆け寄ってきたクリファースの肩を労うかのように軽く叩く。

「!!」

 クリファースは息を呑んだ。

 未だかつて、魔王からこのように触れられたことはない。冷たい視線を向け、陰湿な笑みを見てきたことしかないのだ。

 だが、一体何があったのか。

 柔らかな笑みを浮かべ、勇者と時折視線を交わしては頷きあう魔王の姿を、信じられない気持ちで見つめた。

「ま、魔王様、一体なにがどうなって……」

 狼狽するクリファースに魔王は言った。

「クリファース、我は人間を滅ぼすのはやめた」

「なん、ですとっ!?」

「苦楽を共にしてきたのが勇者だ。勇者がいなければ生きて戻ってこれなかったからな……人間から手を引け。それが我の出来る贈り物だ」

「ま、魔王様」

「伝説では唯一の救世主と記されているが、それも予言ではない。我と、勇者。二人が救世主なんだ」

「救世主……」

「ヴァルレイで多くの困難と試練を乗り越え、そして多くのことを学んだ……如何に自分が愚かだったのか。これから先の未来を、血塗られたものではない、別の未来を望みたくなった。なぁ、クリファース。人間も捨てたものではないぞ」

 これが、あの魔王なのか。クリファースは目を疑った。

 生まれながらに強大な魔力を持ち、人間など塵以下だと屠り、狂喜の笑みを浮かべていた魔王。しかし今浮かべる笑顔は、未来を待ち望む、希望に満ちた優しい眼差しそのものである。

「それに、ハーレムを作りたいといってのはクリファース、お前だが……あれはいかんぞ。ハーレムを作りたいなら、まず女のことを大事にしなければな。女はか弱く、脆い。だから大切にしなければ。ありさのように」

「ありさ?」

「いや、なんでもない。さぁ、行こう。試練は終わり、敵は去った。もうこの地に用はない」

 澄み切った純粋な目で微笑む魔王。

 その穏やかな笑顔を向けられたクリファースは呆然と立ち尽くした。

「戻ろう。我らの国に」

 肩を叩かれ、皆『救世の地』に背を向ける。
































「――――ちょっと、待て」





 その静かな声は、誰もが聞き逃してしまいそうなほど小さなものだった。

 しかし、勇者と魔王はぴたと足を止めた。


 聞こえるはずのない声。

 いるはずのない存在。

 なぜならば此処は地球でない。ヴァルレイの試練から戻った、ダーナンユレイストだ。




 帰還の喜びで上気していた頬は青ざめ、ぎぎぎぎぎと油の切れたからくり人形のように振り返る。


 何故今まで気が付かなかったのか。

 勇者の魔王の背後に、スーツを身に纏い、パンプスを履いたまま仁王立ちする、恐怖の大魔王も裸足で逃げ出すほどの怒りの表情を浮かべた異世界の女が立っていた。



 美しい顔は憤怒の表情を浮かべていても、その美が損なわれることはなかった。

 艶やかな茶色の髪は丁寧に櫛で梳かれ、見開いた瞳は青白い業火で燃え燦然と輝き、噛み締めた唇は誘惑の赤に染まっている。しっとりとした白い首筋が露になり、すらりと長い足に、服の上からでもわかる豊満な体つき。その美しさにオーシェス達人間や、クリファース達魔族は目を奪われる。

 だが、勇者と魔王は恐怖で震え上がる。一気に血の気が引き、顔色は真っ青になり、がくがくと本能的に震えだす体。

「どうなってんのこれ」

 鈴の音のように可愛らしいとオーシェス達やクリファース達が感じた声も、二人にとってそれは地獄の囁きでしかない。


 途端、何かに気が付いたのか二人はさっと顔色を変えた。

「…………はっ、魔王、敵だ!!」

「ああっ、こんなところまで追いかけてくるとは、執念深いにも程がある!!」

 戦闘への興奮で瞳は光を取り戻し、爛々と輝きだす。

「だが、ここは俺たちの世界!!」

「魔力が戻ればこっちのもの! 行くぞ勇者っ!!」

「最後の敵を倒すんだ、魔」



 魔王と言い切る前に、勇者の眉間にパンプスのヒール部分がめり込んだ。突き刺さったというほうが正しいかもしれない。

 女の渾身の力で投げ付けたパンプスは恐ろしい凶器となり、喰らった勇者は地面に倒れこんだ。

「あいっっ、だああぁぁぁぁああああ――――っっ!!!!」

 額を押さえ、ごろごろと転げまわる。ちらりと赤い血も見えた。

「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!! 勇者ああぁぁぁあああああ!!??」

「一体何しでかしたの、こんの大馬鹿野郎ども!!」

「ひっ!」

 魔王に向かって走り出す女。片方のみになったパンプスは脱ぎ捨てた。

 あまりの剣幕の恐ろしさに、魔王は咄嗟に防御魔法を展開する。どんな剣であろうと、毒や砲弾であろうと、攻撃魔法さえも防ぐ魔法だ。一師団の集中砲火に晒されても展開が済んでいれば、虫一匹通さない。

 展開が成功し、女が駆けつける前に魔王の周囲、十リーフが防御魔法で囲われる。

「はははっ! どうだ、ちかづ――」

 防御魔法で弾かれ、魔王に触れることも出来ないはず。

 だが、するりとそれを抜けきった女は、笑う魔王の顔面に飛び蹴りを食らわし、防御魔法の陣から叩き出す。ぷしゅんと主を失った陣は跡形もなく消え去る。ずざざざざざざざと顔面を大根おろしのように盛大に擦りながら魔王が地面をすっ飛ぶ。




「なぁんでだぁぁぁああああっっ!?」

「何故魔法がきかぬぅぅぅぅぅっ!!」

「なんであたしまでこっちに来てんのよ!? あんたたちが消える前に、巻き込まれないように部屋から出てたっていうのに、どうなってんの!!」

「知るかぁぁああ! さっさと帰れっ!!」

「あんたらのせいでしょうが! どうしてくれんの!!」

「ごふっ、ま、痛い痛い痛い痛いっ!」

「やかましいっ! 今すぐあたしを元の世界に帰せっ!!」

「頼むから帰ってくれ!! く、やるなっ、て、な、なんで俺より強いんだっ!?」

「知るか!! あんたらが弱いんだ、よっ!!」

「げ、ぐふぅっ!?」

「勇者ああぁぁぁぁあああ!? 死ぬなぁぁぁあああ!!」

「それに!! あんたら、七日間も居座っといて感謝もなし!?」

「帰れっ! 帰ってくださいっ!!」

「大体敵ってなによ! そういう目であたしのこと見てたわけ!?」

「ひぎっ、ま、それ痛い痛い! 骨折れる!!」

「仕事もあるのよっ!? クビになったらあんたらのせいだ!!」

「何で攻撃が効かないんだ! 化け物か、お前はっ!? うぃ、ぎっ、ぐはっ!!」

「ぎゃぁぁあああっ! 砕ける砕ける砕けるぅ!!」

「土下座しろ!! 誠心誠意謝れ、この馬鹿ども!!」

「な、んだ、ぐべっ!!」

「勇者ぁぁぁあああ!?」




 顎が外れそうなほど大口を開け、その光景から目を放せず、人間も魔族もただ見ていた。

 人類の救い手である勇者が女に殴り飛ばされ、魔族の導き手である魔王が回し蹴りを喰らい宙を舞う。

 勇者が短くなった聖剣を振り回し、魔王が攻撃魔法、防御魔法を展開しようとも簡単に弾き飛ばし、着実に拳を喰らわせている。隙のない動き、息一つ乱さぬ華麗な足運び、疲れを見せぬ体術。


 そしてなにより女は美しかった。







「ぜぇ、ぜぇっ……な、なぜだ、勇者の俺が、勝てぬとはっ」

「我の魔法が効かぬ、効かぬぞぉぉぉ……」

「一体どうなってんのよ……」

 地面に這い蹲り、満身創痍で頭を地面に擦りつけ土下座をする勇者と魔王の頭を、これでもかと踏みつけた女は、スーツのポケットから煙草を取り出し、仁王立ちでぷかぷかと吹かしていた。

 しかしあれだけの大立ち振る舞いを見せたにもかかわらず、女は息を切らせるなどの疲労の影は一切に見えない。二対一であり、ダーナンユレイストに戻っている。

 にもかかわらず、一方的強大な力で反撃も出来ず叩き伏せられた勇者と魔王。

「おかしいっ、おかしすぎるぞ。魔力も充分元に戻っているのに、なんでだ!」

「一体、何がどうなっているんだ……一般人の力、あちらより強まっていないかっ!?」

「あれ、そういえば、あんまり疲れてこない気が」

「な、なんだとっ!?」

「体が軽いって言うか、動きやすい」

 ぐるぐると腕を回し、首を捻るが、疲労の気配を全く女は感じなかった。息切れすらしていない。

「ま、まさか、ダーナンユレイストの環境が一般人にとって最適だということか……」

 発覚した事実に二人は戦々恐々する。

 脳裏を走馬灯のように、地球で過ごした七日間の記憶が駆け巡った。


 殴られ、蹴られ、落とされ、貶され、嘲笑われ、張り飛ばされて、怒鳴られて、傷を負って、泣かされて。



 ざぁぁっと血の気が引く勇者と魔王。

「勝つ可能性がなくなったのかっ!? 俺たちが勝てないってことは、完全無敵じゃないか!!」

「だが、実際傷一つ負っていないぞ! 一刻も早く帰さねば。もう誰も一般人を止められないぞ!!」

「『救世の地』の伝説はこちらへの帰還で終わっている! どうしろというんだ!?」

「我に聞くな、帰す方法など知らない!」

「その無駄に溢れる魔力でどうにかしろ! 強制送還だ!」

「無茶苦茶言うな! 魔法が全く効かないというのに、一般人に通用する魔法があるか!!」

「ちょっと、このまま帰れないってこと!?」

 女の怒声に二人はぴょっと縮み上がる。

「し、調べて見なければ分からないっ」

「伝説は他にも沢山あるんだ、きっと一般人の戻る方法もあるはずだ!」

「帰れなかったらどうしてくれんの」

『…………』

「冗談じゃないわよ! 死んでも方法見つけなさい、わかった!?」

『はいいいぃぃぃっ!!』








『救世主様ぁぁぁぁぁあああああああっっ!!』

 突如響き渡った声。




「は?」

「貴女こそ、貴女様こそ、世界の救世主!!」

 女が胡乱げな視線で見つめる先に、滂沱の涙を流し、地面に両膝を付け、羨望の眼差しで見つめる大勢の人々がいた。人間だけではない。角や翼が生えた、明らかに人間ではない魔族までもが地に両膝を付けている。

 叩き伏せられた勇者と魔王ではなく、誰もが女を見つめていた。



「……なんなの、あんたら」

 女の声に、最前線で身を伏せていた白髪交じりの男、オーシェスががばっと顔を上げた。

「救世主様、貴女様のお陰でこの世界、ダーナンユレイストが救われました!」

「はぁ?」

「唯一絶対の存在、救世主様……あああ、なんと神々しい……」

 まるで神聖な崇め奉る対象を拝むようなその姿勢に、状況がさっぱり分からない女は頭を傾げる。

「……えーと」

「ヴァルガード国の宰相、オーシェスと申します。貴女様のお陰です。貴女様のお陰で、人と魔族の争いに終止符が打たれました……これで長らく途絶えていた平和な世界が戻ってきます……」

「…………話が見えないんだけど」

「そして何より!! 勇者様が、あの王子が見事改心なさったっ!! 俺が神だと豪語していたあの王子が! 謝罪の言葉を述べるとは!!」

 殊更声高に叫ばれた言葉の内容に、女は呆気に取られた。

「は?」

「あの唯我独尊天上天下自分が一番、ジャイアニズムを遺憾なく発揮し、常識知らずで無鉄砲、将来の夢は世界中に自分の銅像を建てることだと豪語していた王子が……あんな素直な姿勢を見せるとは、何たる奇跡!!」

「こいつそこまで馬鹿だったの……」

「会話を聞かせていただきました。ヴァルレイ…そこにおられたのが救世主である貴女様。そして王子に素晴らしい教えを説き、まっとうな道へ導いてくださったのですね……うっうっうっ」

 大の男が大粒の涙を流し、咽び泣く姿のあまりの剣幕に女は若干身を引いた。


 すると、とんと背中が何かに当たり振り向くと、銀灰色の髪を靡かせ、恋焦がれる相手を見つめるような熱い視線を浮かべた大きな体躯の男、クリファースが跪いていた。

「勇者だけではない、魔王様もだ……一体どんな魔法をかけたのですか、美しき救世主よ……」

「ええ?」

 冷たい青い瞳が潤んだかと思うと、つつっと涙が零れた。ついでに鼻もぐずぐすと鳴らしだす。

「あの無邪気で残虐だった魔王様が、自己中心自分勝手で好き嫌いが激しく、言葉を交わすのも面倒くさいと気に入らない配下も簡単に殺してしまっていたというのに、労わりの言葉を口にするとは……う、か、感激の余り涙がっ。救世主様のお陰です……本当に、何と礼を言ったら良いものかっ」

「いや、救世主じゃないし」

「いいえ! 正しく貴女様が救世主です。貴女様がヴァルレイよりこの世界の道標として降り立ったのですから、これが何よりの証」

「…………」

「新たな時代の始まりです……さぁ、大地が産声を上げます…………」






 ぽかんと口を開け、跪く人々と魔族を見る女。

 愕然とし、言葉も失う勇者と魔王。

 人類の救い手である勇者と、魔族の導き手である魔王を見向きもせず、唯一立っている女を崇めるように取り囲む人々と魔族。


 誰もが女を見つめた。



『異世界より来られし美しき人! 貴女様が真の救世主です!!』








 あらゆるものを拒み、生命の息吹も感じられなかった荒廃した地、『救世の地』は歓喜の声に包まれた。




 真タイトル:勇者と魔王と一般人(救世主)



 完。





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