1.はじめましてのあいさつをしましょう(だいいちいんしょうはじゅうようです)
創めに空があった。
神はその余りの美しさに涙を流す。一滴の雫は大河となり、やがて海を作り出す。
空を抱く海はその青さに感嘆の溜息を零し、雲を空に散りばめる。
輝く空、降り注ぐ雨粒、光る稲妻。
空が眠りにつくと、子守唄となるべく満天の星が夜空を彩る。
美しい星に触れようと見上げる海が手を伸ばし、それは大地と化す。
これがダーナンユレイストの始まりである。
大地は芽吹き、木々を育て、実を結ぶ。
神は大地に生命を生み出す。
大空を羽ばたく鳥、海で泳ぐ魚、大地を駆ける生き物、そして人間。
母なる大地を苗床に命が生まれる。
だが、光があれば闇がある。
闇を母とし、生まれた命――魔族がこの世界には存在した。
ダーナンユレイストの始まりと共に歴史を歩んできた人間と魔族だが、その道が交わることはなかった。
魔族の寿命の半分にも満たない一生を過ごし、魔力を有する者も圧倒的に少ない弱い人間が、大陸各地で数を増やし生きているのは、強さを好む魔族にとって許しがたいものだった。
人間の苦痛や絶望は魔族を歓喜で満たす。そしてなにより人間は魔族にとって食糧にしか過ぎなかった。
いつしか人間と魔族との境界線は曖昧なものとなる。
小さな争いはやがて大きな戦いの火種となる。
牙を持たない人間は強靭な力を持つ魔物に成すすべもなく、その命を散らせた。大地は血で染まり、大河は死体で多い尽くされ、空は赤い雨を降らせ、世界は暗黒の手に飲まれかけた。
魔族が台頭し、魑魅魍魎が跋扈する世界を救うため、人間は剣を持つ。
自由を。
生を。
暖かな命の産声を。
大陸暦3193年。
ダーナンユレイストの中央に位置するこの場所。
枯れた草木、渇いた地面。動植物の僅かな息吹きすら感じられぬ大地。
そこは人間と魔族の最終決戦の舞台として選ばれた。
「くそっ!」
舌打ちし、一歩飛び下がる。後を追うように、凄まじい衝撃が男の身体のすぐ傍を切り裂く。切り裂かれた地面は大きく口を開け、男を奈落の底に引きずり込もうと地獄の蓋を開ける。
「避けたか、やるな」
その男の咄嗟の動きを賞賛するように、背後から別の男の声が掛かる。
「ぬかせ!」
振り向き、予備動作なしで剣を振りかぶり斬りつけるが、相手も魔力で展開した魔剣でその刃を防ぐ。
「いいぞ、いいぞ! それでこそ面白い!」
恍惚ともいえる笑みを浮かべ、拮抗を楽しむ長い黒髪の男の瞳の色は紫。その頭部から捻じ曲がった二本の角が生え、笑う口元からは鋭い犬歯が覗いている。
切られた頬を伝う赤い血をぺろりと舐める異様に長い舌の先は、蛇のように分かれている。その風体からじわじわと身体を蝕む瘴気が流れ続け、触れた地面の岩はどろりと解け落ちる。
生れ落ちた瞬間から強大な魔力を持ち、掌を振るうだけで街を炎で包み、血の一滴で湖を毒の水に変えてしまう。その姿は美しく誰もが目を奪われるが、そうなってしまったら最後、魂まで喰われて輪廻の道に進むことすら許さない。
残虐残酷冷酷非道、魔族の中でも類を見ないほど邪悪な魔物。魔族の頂点に立つもの――魔王である。
「笑っている余裕があるのも今のうちだ。魔王、お前はここで死ね」
対するは光り輝く金髪を乱し、青い瞳で魔王を睨みつける美貌の男が一人。
防御、攻撃魔法無効化、身体能力増大等、魔法技術の集大成で作られた防具を身に付け、その両手で白く輝く剣を握り締めている。
光り輝く剣は聖剣。唯一人の主が持つことしか許さぬ至高の剣。それは止まぬ血の雨を切り裂き、炎の海を蒸発させ、毒の湖を聖水に変えてしまう。
その主は選ばれた人類最後の希望――勇者のみ。
男は大陸最大国家の次代後継者、王子としても名を馳せている。
悪を滅ぼし、蔓延る魔族を消滅させ、再び大陸に光をもたらすため旅を続けていた。
様々な猛者が魔王を倒すため声を上げ、旅に出たが多くのものが命を落とした。その中で唯一この男のみが魔王の元へ辿り着いた。
そしてその最終決戦がこの地。
数百年前にも前代勇者と魔王の戦いが行われた同じ場所。『救世の地』である。
「ふん、『救世の地』とはうまく名づけたものだ。この地で勝ったものだけが世界を救う。それは人間の世界か、それとも我ら魔族の世界か」
「黙れ、俺が勝って世界を救う。それが勇者たる俺の使命だ。負けるなどありえない」
「それは我も同じことよ。この世界に魔族が治める国家を築くのだ。素晴らしい最強のな」
「次で最後だ」
「勝つのはお前か、それとも我か――」
同時に大地を蹴り、走り出す。
既に戦い始めてから何十時間も経過し、お互いの体力も魔力も残すところ僅かだ。傷だらけの身体を奮立たせる。救援など望めない。この地に立つことが出来るのは、選ばれたものだけだ。
しかし此処で己が倒れれば、世界はどちらの坂を転がりだすのか分からないほど危うい均衡の上に立っている。勇者が勝てば人間が、魔王が勝てば魔族が。その結果を知るのは神のみ。サイコロを振るい、台の上に投げる。どちらの面が出されるのか、世界の行く末は自分に委ねられている。
「うぉぉおおおおおおお!!」
「はぁああああああああ!!」
二人の刃が接するそのとき――
世界が光に包まれた。
次に勇者と魔王を襲ったのは衝撃だった。まるで肩くらいの高さから落ちたような。
「っいってぇっ!!」
「ぶっ!!??」
勇者は握り締めていた聖剣の柄が腰の骨に当たった痛みで叫び、魔王は受身も取れず強かに顔面を打ちつけた。
余りの痛みに勇者は腰を抑えて悶絶し、魔王は初めての鼻血を体験した。
「〜〜〜〜っ、痛いじゃないか! 何するんだ魔王!!」
「ぃぃい、いったいのは我のほうだ! 見ろ、我の美しい鼻から血が出てしまったではないか!!」
「はっ! その低い鼻がちっとは高くなったじゃないか!?」
「我の美貌は完璧だ、血すら似合う! お前には精々土くらいだ、泥だらけの顔で近づくな!」
「誰のせいだと思ってるんだ! そっちだって汗臭い!!」
「何をほざくか勇者、お前のせいじゃないか!」
しゃがみ込んだままお互い顔面を突き詰め、ぎりぎりと睨みつける。
両手を互いに掴み相手を倒そうと押し合い圧し合いを始める。
すると、
「…………なんなのあんた達」
第三者の声が勇者と魔王の耳に飛び込んできた。
お互い聞いたことのない声に、はたと顔を向けると、そこには女が一人立っていた。
胸の下にまで届く長さのある艶めかしい髪は茶色。すっと通った鼻梁に、見開いた大きな瞳の色は黒で、美しい顔立ちだ。
肩からタオルを提げ、豊満な胸が押し上げる肩が剥き出しの薄い肌着と、下着のみを身に付け、すらりと長い太腿があらわになっている。
風呂上りだったのか、白い肌は瑞々しく、濡れた髪からぽたりと雫が一滴落ちた。
『………………誰だ』
そう勇者と魔王が言うと、女は肩からタオルをぽいと放り出した。
「は?」
その行動についていけない勇者の肩を掴み上体を引き上げると、下着から覗く白い足を一閃し、右膝を勇者の鳩尾に叩き込んだ。防具に覆われおらず、絶妙な位置だった。
「げっふぅっ!?」
内臓が飛び出しそうな奇妙な声を上げ、勇者は白目を剥いて気絶した。
「は、ぁ?」
その光景に呆気に取られぽかんとした魔王の米神に、一切の容赦もなく女は左足を叩き込んだ。丁度角のない、的確な位置に。
「ぐべっ?!」
珍妙な叫び声を上げ、衝撃で脳みそを揺さぶられた魔王は失神した。
世界の覇者たる勇者と魔王を一撃で昏倒させた女の怒鳴り声は、二人の耳には入らなかった。
曰く、不法侵入の変質者ども。