小悪魔な彼女。
少女漫画風味ではなく、あくまで大人の小説です。
朝は食欲がない。
だから決まって朝食代わりはカフェオレだ。甘党だってよくバカにされるけど、シュガーは二本。今も例にかなって熱いそれを流し込んでいる。鳥の鳴き声が少し空気を入れ替える為に開けた窓の外から聞こえてくる。空はまだ少し紫がかったオレンジで、時計は午前六時を指している。
まだ、少し、眠い。ほとんど熟睡できていないのだから当たり前か。自嘲気味にカップに残ったカフェオレを飲み干した。カフェインがきいてくれば眠気もひくだろう。俺は窓を閉めてパソコンの前に座った。昨晩途中で寝てしまったこの大学のレポートを仕上げる為に。
昨晩―――
夜の十時頃、コンビニ、桃色に染まる頬、つまらない板チョコ・・・昨晩の細切れのシーンがフラッシュバック。俺はレポートも大学もなかば放り出す気分でベットに倒れこんだ。
佳菜子はいわゆる小悪魔だ。二年前、大学の新歓で知り合い、住んでいる所がとても近いということですぐに仲良くなった。佳菜子の第一印象は意外にも
「地味目だけど可愛い」
だ。派手な服装や巻き髪の女子とも打ち解けていたが、特に目立っていなかった。それなのに俺の隣に座った先輩が、
「なぁ、佳菜子ちゃんって可愛くね?」
なんて言うから、適当な返事をしてしまったことを覚えている。
しかし、佳菜子と近くで話してみると、その魅力は歴然なのだった。
「えっ、ほんとに?竜崎くん、家すごく近い。」
そう言ってまばたきした佳菜子の長い睫毛にも、不思議と色気を感じさせる声音にも、さりげなく触れられた右腕の感触にも、心を奪われた。佳菜子の魅力は一瞬一瞬に細かく、計算されたかのようにちりばめられているので、こうやってその一瞬が後々まで残っていたりする。
佳菜子とよく遊ぶようになるまで、それほど時間はかからなかった。
携帯の番号を交換してから、ちょくちょく連絡を取り合い、大学の帰りに新しくできたイタリアンに行ったり、週末にドライブに出掛けたり―――付き合っている?まさか。大抵誘うのは俺からだったし、佳菜子はそんな俺を突き放すわけでもなくくっついてくるわけでもない。そんな関係だった。
はじめのうちは、なんでこんなに必死になって約束を取り付けたり、佳菜子からの突然の電話(佳菜子からの電話はいつも突然だ)に顔がにやけてしまうのか、さほど意識していなかった。
むしろ、彼女の前ではそうなってしまうのが当たり前かのように自然に引き込まれていた。
そんな俺を知ってか知らずか、佳菜子はいつでも余裕のあるオンナだった。長い睫毛をぱちぱちさせては俺を見、
「ねぇ、今キスしようとした?」
なんて言ってくる。
いつだったかな・・・。
そう、夏祭りの日だ。むせかえるような湿気の中、佳菜子は涼しげな薄紫の浴衣を着て、カラカラ下駄を鳴らしてやって来た―――
「遅れてごめんね、ナンパされちゃって。えへへ」
可愛らしく、しかし色香に満ちた佳菜子に、ピンクと紫の中間の様なその浴衣はとてもよく似合っていた。
出店の粗末なライトに照らされた頬が上気していたせいか、ナンパ男に嫉妬したせいかわからないが、すぐに佳菜子の手をひいて抱き締めたい衝動にかられた。
俺は、このオンナにはまっているんだ。
「ナンパ?変なのについてくなよ。・・あ、何食いたい?」
「んっとねぇー・・あっ綿飴食べたい!」そう言って甘えるように俺のシャツの裾をつまむ。
「ぷっ綿飴かよ、ガキか」
内心ドキドキしているのを隠すようについバカにしてしまった。
「笑うなー!翔ちゃんにはあげないからぁっ」
「わり、ほら、行くぞ。」
綿飴を買ってやると、佳菜子は本当に嬉しそうにありがとう、と受け取った。
「あっ・・!」
風が吹き、綿飴が髪を無造作にアップにした佳菜子の顔周りの後れ毛に絡まる。
「やっ・・もう」
しかめた横顔を綺麗だ、と思った。自然と手がのび、佳菜子の髪に触れる。
瞬間、目と目が合い、俺は猫の様な瞳に吸い込まれた。時が止まったような錯覚の後、佳菜子は俺の胸をとんとつついて上目遣いで言う。
「ねぇ、今キスしようとした?」
あの日から俺は自覚した。佳菜子がどうしようもなく好きだ。気紛れな電話も、いたずらな目線も、甘える声も、決して隙も、好きも、見せてくれない所さえも。
佳菜子は、当然俺以外の男にだって小悪魔だった。例のサークルの先輩とも、ちょくちょく遊びに行っている事を知っているし、もちろん先輩が苦戦している事も知っている。
佳菜子はいつだって誰にも隙を見せないはずだった。いや、俺に隙を見せてくれないのなら、誰にも見せないでいて欲しかった。
佳菜子のあんな顔、初めて見た―――
またも記憶がフラッシュバックしてくる。昨日俺はちょっと足をのばして、いつもは行かない方向のコンビニに出掛けた。レポートに熱を入れすぎて、甘いものでも食べたくなったからだ。夜風に冷やされた手をこすりあわせながら店に入ると、そこには
佳菜子がいた。
バイトの制服でレジに立っていた。しかしそこにいたのは、俺が知っている佳菜子ではなかった。頬を染め、恥じらいながら隣の同じ制服を着た男と話しては、何度も髪を触っている。
佳菜子は俺に気付かずに、休憩室へと入っていった。
「もう、年下扱いしないで下さいよ・・!」
なんて男を見つめてから。
たまらなかった。佳菜子の目は、声は、確かに恋をしていた。俺が佳菜子にむけるそれと、よく似ていた。くつくつと湧いてくる嫉妬に、なかば無意識だった。呆然としたまま板チョコを持ってレジに立っていた。
そのレジの男をちらりと盗み見る。すらりとした雰囲気に、無造作な黒髪とひげがよく似合っていた。この男は、あんな佳菜子をいつも見ているのか。そう思うと、たまらなかった。たまらなくなって店を出て、レポートにも手がつかないなんて、散々だ。
本当に散々だ、と思いながら、ベットサイドに起きっぱなしだった板チョコに手を伸ばす。チョコはこれでもかという程甘ったるかった。
俺は寝転がったまま、チョコよりも甘ったるい声を出す小悪魔な佳菜子と、それとは似つかない程少女のように頬を染めていた昨夜の彼女を思い浮かべ、またたまらなくなった。