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 * 4 * この想い、伝われ

 雨の中を車は進み、高速道路を使うこと二時間。その移動中に聞かされた話はあたしが思ってもいないようなことだった。

 隆臣くんは元々心臓が弱く、その治療のために長期間海外にいたこと、完治はできなかったが体調が落ち着いてきたので鳳凰寺学院に通い始めたこと、長生きはできないだろうと言われていたらしく友だちを作ろうとしなかったことなどが佳佑さんの口から語られた。

 隆臣くんはあたしにそのことをずっと黙っていた。やたら英語が得意だったり、友だちの話をすると少し寂しげな顔をしたり、ジェットコースターで心臓に悪いと言って避けたりしていたけれど、まさかそんな態度の裏にこんな話が隠されていたなんて――。

 日野美記念病院に到着し、あたしたちは佳佑さんの案内で中を進む。集中治療室の前に来て、佳佑さんは足を止めた。

「さすがに中には入れないそうです。親類でないと、と断られてしまいました。僕の力ではここまでが限界ですね」

 言って、佳佑さんは室内を覗ける窓に目を向ける。

 ――隆臣くんだ。

 様々な機械が配置されている室内。その手前のベッドに、酸素吸入のマスクをつけた隆臣くんの姿があった。入院しているのが事実であることを認識する。

「あぁ、やっぱり」

 澪はがっかりした気持ちのこもる声を出す。落胆振りは当事者であるはずのあたし以上だ。

「充分だよ。ありがとう、澪ちゃん」

 窓に手をあててあたしは部屋を覗く。眠っている隆臣くんを見るのはこれが初めてだった。

 ――目を覚ましてくれたらいいのに……。

 危篤で意識不明で眠っている。そう医者に言われたのなら回復する見込みは低いのだろう。それでも、願わずにはいられない。

 ――もっと、お話がしたいよ。隆臣くん……。あたし、こんなに近くにいるんだよ? 気付いてよ、お願いだから……。

 あたしは目を閉じて祈る。何もしないよりはしたほうが良い。後悔はしたくなかった。

「……なんで……あんた」

 声。

 あたしは目を開けた。声の主を必死に探す。そして見つけた。廊下の奥に立つ幽霊の隆臣くんの姿を。

「隆臣くん」

 あたしが声をかけようとすると、彼はくるりと向きを変えて走り出した。

「待って!」

 思わず手を伸ばし叫ぶ。

「遥奈っち?」

「江戸川さん?」

 唐突な行動に驚いたらしい二人がこちらを見る。

「ごめんなさい、澪ちゃん、佳佑さん。そしてありがとう。――あたし、行ってくるから」

 すでに足は彼を追いかけ始めている。見失うわけにはいかない。

 ――今度こそ、ちゃんと伝えなければ。あたしの言葉で、気持ちをちゃんと。

「え? 行ってくるってどこに?」

「すぐに戻るから行かせて!」

 あたしを引き止めようとする澪を、佳佑さんがその手を掴んで止めているのが見えた。佳佑さんはあたしにさりげなく手を振る。行っておいで、そう応援されたように思えた。

 ――必ず、このお礼はしますから。

 頭をわずかに下げると、あたしは隆臣くんの影を追いかけた。


「――逃げないでください、清瀬先輩!」

 人気のない診察室の集まる区画。本日の診療は終わっているらしく、辺りの照明が落ちていて薄暗い。

「――よくここがわかったな」

 隆臣くんはあたしに背を向けたまま呟く。

「あなたの友人の佳佑さんがここまで連れて来て下さいました。素敵な友人がいらっしゃるじゃないですか」

「佳佑? あぁ、あのお節介野郎か。また面倒くさいことしやがって……」

 言って、彼は自分の頭を掻く。

「――なんで黙っていたんですか? まだ生きているってこと。あたしはてっきり……」

「どーせこんな病気持ちの身体じゃ長生きできねーだろうからな。言ったってしょうがないだろ?」

「しょうがなくないですよ! ――あなた、言っていたじゃないですか。あたしを助けてくれたとき『もしものことが起きたら悲しむヤツの一人や二人はいるだろ』って。あたしにはその一人になる資格もないんですか?」

 彼の背中に向かってあたしは問う。

「俺なんかのために傷つくのは勿体ない」

「だから友だちを作るのを避けていたんですか? それこそ勿体ないです!」

「関係ないだろ! 俺は先に去る人間なんだ。俺ができることはそれくらいしかないじゃねーかよ!」

 隆臣くんの叫び。彼の肩が震えているのがわかった。彼はつらいのだ。残していく人間の多さを思うと、その優しい心が耐えられなかったのだ。

 あたしは返す。

「それこそ関係ないですよ! 自分の想いを犠牲にしてまで、一生を終えるのは勿体ない生き方です! 『ぼんやり歩いてないで、自分の歩く道くらい真っ直ぐ見ろ』――それって、ただぼんやり生きるんじゃなくて、自分がどこを歩いていくのか意識すべきだってことじゃないんですか? 後悔しないために、今を一生懸命に生きるべきだってことじゃないんですか?」

 彼は振り向かない。

 あたしはゆっくりとその距離を縮めると、震える彼の身体を抱きしめるように腕を回した。触れることはできなくても、その気持ちが伝わればそれでいい。

「清瀬先輩、あたしはあなたのことが大好きです。ちゃんと起きているあなたに伝えたいです。それで、もっとあちこちデートに行きたいです。カラオケに行きたいです。遊園地に行きたいです。あの展望台から海を見たいです。もっともっと、あなたとの想い出を作りたいです。――ですから、成仏なんてしないで、自分の身体に戻ってください。でないと、あなたを抱きしめることもかなわないんですから」

 涙をこらえて、ただただ気持ちを言葉に託す。

「お願いです、清瀬先輩――ううん。隆臣くん。成仏しろだなんて言ってすみませんでした。お願いですから、目を覚ましてください。あたしの流す涙を拭ってください……」

 もう抑え切れない。あたしはその場にぺたんと座り込むと、溢れてきた涙を拭う。

 歪んだ視界に、隆臣くんの手が映る。

「……結局、また泣かせてしまったな。もう泣き顔を見たくないから別れたってのに」

 顔を上げたあたしに彼の困ったような顔が近付く。

「あんたにはもっと笑っていて欲しい。あんたの笑顔は素敵だからな。――だから、もっと俺に見せろ。泣かせておいてなんだが、もう俺の前では泣くな」

 あたしの頬に添えられる両手。隆臣くんの顔がさらに近付く。

「待ってろ。すぐに行く。――できるかどうかはまだわからないけど」

 閉じられる瞼。そして感じることのできない接触。

 ――キス。

 彼はあたしの身体を抜けることなく、目の前から光の粒となって消失した。

「隆臣くん……」

 待ってろ、そう言われたが、彼は意識を取り戻せるのだろうか。

 ――これで戻らなかったら……。

 あたしは首を横に振って悪い考えを追い払う。

「――あぁ、良かった! いたいた!」

 病院の廊下に響く明るい声。

「また一人で泣いていたの? 遥奈っち」

 澪はあたしの前にしゃがむと、ポケットから取り出したハンカチであたしの頬をぺたぺたと拭う。

「でも、もう悲しむ必要はないわよ。清瀬隆臣、意識を取り戻したって!」

「澪ちゃん……!」

 涙で前が見えない。あたしは澪に抱きついてわんわん泣いたのだった。


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