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 * 3 * 今度はあたしの番だもの

 その日、隆臣くんがあたしを連れて行った場所はカラオケボックスだった。

「いやぁ、俺さ、カラオケに行ったことないんだよね」

 もの珍しそうに部屋の中を見てはしゃいでいる様は、確かに初めて来たように見える。御坊っちゃんはカラオケに行かないものなのだろうか。

 ――こんだけ喜んでくれたら、一人でカラオケに入る勇気を出した甲斐があるよ。

 心の中でクスッと笑いながら、あたしは問う。

「何歌いますか? あたし、入れますよ」

 彼の姿が他の人間には見えていない――それは店に入ったときにも証明された。御一人様ですね、そうはっきり告げられた衝撃はあたしの心に影を落とす。

 ――本当に、隆臣くんは死んでしまったのだろうか。

「おぅ! じゃあ――」

 彼が指定した曲はいずれも洋楽で、ロックが多かった。隆臣くんはあたしにも歌うように促したのだが、頑なに断る。

 ――あたしが酷い音痴であることはバレるわけにはいかないのよっ!

 あたしの返事につまらなそうな顔をした隆臣くんであったが、最後はノリノリで叫びまくっていた。

 幽霊である彼の声はマイクに拾われない。あたしにしか聴こえない彼の歌声は、歌詞がちんぷんかんぷんでも心に響くような気がした。ちょっとした優越感がもたらしたものかもしれない。

「――あー、すっきりした!」

 二時間丸々一人で歌いきった隆臣くんは、すがすがしい顔で大きく伸びをした。

「成仏できそうですか?」

 夕暮れの帰り道、あたしは回りに誰もいないのを確認しながら問う。

「そんな気配は微塵もない。だから、次に行くぞ!」

 あっけらかんと隆臣くんは言い放った。

「はい?」

「今晩は江戸川さんの家にお邪魔しよーっと」

 楽しげに宣言すると、ニカッと笑う。

「ちょっ……それって困ります!」

 あたしは足を止めて隆臣くんと向き合う。彼は止まらずにあたしの身体をするりとすり抜けた。

「何? 部屋、散らかってるのか? ゴミ屋敷だとか?」

 慌てて追いかけるあたしに、にやにやしながら隆臣くんは問う。

「か……片付いてはいますけどっ! でもっ!」

「なら気にするなって。どうせこの身体じゃ何もできないし」

 ――何もできないって……!

 あたしは全身がかぁっと熱くなるのを感じる。

「女の子の部屋って入ったことないんだよねー」

 楽しそうにしている彼を説得することができなくて、あたしは結局隆臣くんを連れて家に帰ることになったのだった。


 翌日の天気はやっぱり雨で、あたしは少々臍を曲げていた。

「なぁ、悪かったって。反省してるんだ。だから機嫌直してくれないかな? 江戸川さん」

 いつもなら澪と一緒に登校するのだが、彼女は朝練があるために今はいない。その代わりにあたしの後ろを傘を持たない隆臣くんがくっついて来ている。

「俺を認識できるのって江戸川さんだけなんだからさ、無視されるとスゲー寂しいんだけど? な? 聞こえてる? それともさ、俺が見えなくなっちゃったってこと?」

 彼はあたしの周囲をぐるぐる回って気をひこうとしている。前に立ちふさがっても止めることができずに、あたしは隆臣くんの身体をするりとすり抜ける。

「ん――じゃあさ、遥奈ちゃん。ずっと無視するならさ、俺、別のところに行くけど?」

「なんで反省している人が脅迫してくるんですか?!」

 あたしは堪り兼ねて返事をする。さりげなく名前を呼ばれたことが嬉しかったのは黙っておくとしよう。

「なんだ、やっぱり聞こえているんじゃん」

「返事をしたのと、許したのとは別ですからねっ!」

 ――まさか寝顔をじっくり見てくるだなんて思わなかったんだもん!

 今朝。あたしが目覚めると隆臣くんの顔があった。恥ずかしさと驚きで思わず悲鳴を上げてしまい、色々と面倒だったのだ。彼は寝顔を見ていただけだと主張したけれど、その真意がさっぱりわからないので疑わしく思っている。

 ――不覚……。

 今朝のことを忌々しく思っていると、隆臣くんは続ける。

「許さなくっても構わないけどさ、まだ付き合ってほしいことがあるんだ。――俺のことが嫌いになったなら、それで最後にするよ」

 ――最後。

 あたしは足を止める。

「付き合いますよ。あなたが無事に成仏するまでは」

 たぶんあたし、むすっとした顔をしている。それでも彼を真っ直ぐに見つめて言った。

「あんた、本当にイイヤツだな。こんな俺に手を貸してくれるなんて。――それが他人を好きになるってことなのか?」

「さぁ、知りませんよ。あたしがたまたまそういう人間ってだけかも知れませんよ?」

「ふぅん……。しかし、そうだとしても」

 隆臣くんはあたしの頬に触れる位置に手を伸ばす。

「俺はあんたに会えて良かった。俺があのとき遥奈ちゃんを助けたのも、こういう運命を暗示していたのかもしれねぇな」

 言って、彼はニカッと笑う。しかしその表情の奥に、どこか暗いものが揺らめいている気がした。

 ――なんで、彼は死ななければならなかったのだろう。命を奪われなきゃならないなんて……。

 彼の輪郭が歪んで見える。

「――!? ちょっ……遥奈ちゃん? な、泣かないでくれる? 涙拭えないっ」

 慌てる隆臣くんの様子をやっと認識する。あたしは指摘されて袖で目をこすった。

「な……泣いていませんよ? よく見て下さい。雨粒がどこかから落ちてきただけですから」

 あたしは無理矢理笑顔を作る。隆臣くんを心配させちゃいけない。

 ――自分で言い出したことなんだからメソメソしちゃ駄目よ。

 自分に何度も言い聞かせる。

 ――強くならなきゃ。彼はいずれいなくなる人なんだから。そもそもあたしとは縁がない遠い人なんだから。

「――それで、今度は何をしたいんですか?」

 あたしは精一杯微笑んで、彼の頼みに耳を傾けた。


 やってきた週末の土曜日は晴天だった。梅雨の最中だというのに珍しい。

「賭けは俺の勝ちみたいだな、遥奈ちゃん。俺、晴れ男なんだぜ」

「えぇ、大したもんですよ」

 昨日の夜の天気予報では晴れは望めないと言っていたのに、雨はすっかり止んでいる。家を出たときはまだ曇っていたが、現在は爽やかな快晴。辺りにいる家族連れや若いカップルたちが足元の水溜りを避けながら歩いているのが視界に入る。

「――でも、どうして遊園地に?」

 そう、今あたしがいるのは遊園地だ。端から見ると一人で遊園地に行くという奇妙な状況なので、隆臣くんの頼みを断る口実として「晴れたら行きましょう」と天気予報を見ながら約束したのだ。正直、勝てると思っていた。しかし、まさかこうなるなんて。

「単純に行ったことがないからさ。遥奈ちゃんは結構行くの?」

 機嫌良さそうに辺りをきょろきょろしては目を輝かせる隆臣くん。そんな様子を見られただけでもよしとしよう。

「えぇ、澪ちゃんたちと一緒に。年に一回は必ず」

「なるほど、友だちと行けば良かったのか」

 隣を歩きながら、隆臣くんはふむふむと頷く。

「こういうところはデートでいくもんだと思っていたからなぁ」

 ――デート!?

 言われてはっとする。そうだ、これはデートなのだ。あたしにしか分からないけど。

「……? なんか変なこと言ったか?」

 頬が熱くなっている。あたしは顔を覗いてきた隆臣くんを避けるように足を早めた。

「なんでもありませんよ」

「あ」

 そこで気付いたらしい。彼はニヤリと笑む。

「自分でコクっておきながら、意識してなかったわけだ。なんだかなぁ、そういうの。同じ屋根の下で生活する仲なのにさぁ」

 指摘されて、あたしの身体はますます熱くなる。これは陽射しが強いせいではない。

「か、からかわないでくださいっ! これはデートじゃなくて成仏するための儀式みたいなもんなんですからっ!」

 照れ臭くて心にもないことを言ってしまう。そう言い放つと、彼は足を止めた。

「――俺さ、こんな日々が続くなら成仏しなくても良いって思うよ」

 ボソリと呟かれた台詞。悲しげな瞳が揺れている。

 ――隆臣くんは明るく振る舞っているけど、本当は……。

「……なぁんてな。今のナシナシ。忘れてくれ! 今日は目一杯遊ぼうぜ」

 ニカッと笑って、隆臣くんは走り出す。向かう先にはお化け屋敷が見える。

「あ、待って下さいよぉっ!」

 あたしは控え目に言って追いかけた。


 陽が暮れるまでたっぷり遊び、最後に観覧車に乗り込む。一人で乗ろうとしているように映るあたしを係員はいぶかしげに見てきたが、断られはしなかった。

「――いかがでしたか?」

 ゴンドラに二人きり。あたしは正面に座って地上を眺めている隆臣くんに問う。

「すっげー楽しかった!」

 こちらを見て、彼は満足げに微笑む。

「良い想い出になったな。サンキュー」

 最初のお化け屋敷で全然怖がらなかったあたしを、今度はジェットコースターに連行した。しかしあたしは絶叫系もへっちゃらで、むしろ彼の方がダメージを受けていたほどだ。どうやら隆臣くんはその手の乗り物が苦手らしい。心臓に悪いからとかなんとか言って避けながら、迷路などのアトラクションを楽しんだのだった。

「いえ。あたしも楽しかったです」

「……よし。んじゃ、次に行ってみるか!」

「……はい?」

 どうやらまだやり残したことがあるらしい。断らないと決めていたあたしは、もうしばらく彼のやりたいことに付き合うことにしたのだった。


 翌日の日曜日は博物館で恐竜展見学。月曜日はあたしが部活に出るのにくっついてきて、火曜日は美術館で絵画鑑賞。水曜日は映画館でアクション物の洋画を字幕で見た。木曜日はショッピングモールをうろうろして帰宅。そして金曜日は、嫌がるあたしを机の前に座らせて勉強会。成績が芳しくないのがバレて、「俺が連れ回したせいで成績が落ちたって思われるのは癪だからな」と家庭教師になってくれたのだった。

 さすがにホーガクに通っているだけあって、彼の頭の良さは指導からも伝わってきた。付き合いが悪いみたいな話を澪から聞いていただけに、教え上手であるのがとても意外に感じられた。カラオケで洋楽を選択していただけあって英語が得意らしく、聞けば一時期海外で暮らしていたそうだ。教科書を見つめる横顔が凛々しくてみとれてしまい、彼に「集中しろ!」と怒鳴られてしまったのは良い想い出なのかもしれない。

「明日、晴れたらさ――」

「なんですか?」

 なんの強化合宿だろうかと思える勢いだった勉強を終えて片付けをしていると、隆臣くんが話しかけてきた。

「俺が知っている取って置きの場所に案内してやるよ」

「取って置きの場所?」

「自転車でちょっと走るけど、すげー良い場所なんだ。遥奈ちゃんにも知ってほしいと思って」

 言ってニカッと笑う。しかしどこかその顔には影があった。最近は無邪気にはしゃぐ様子が減り、ふとした瞬間に寂しげな色を滲ませている。自分の境遇を不安に思う気持ちが日々増しているのだろう。

 ――そんな顔しないで、隆臣くん……。

 気持ちを抑えて、あたしはにっこりと微笑む。

「それは楽しみですね。晴れると良いんですけど」

「俺が行くんだから大丈夫だ」

 どこからそんな自信が湧くのか謎であるのだが、彼は任せろとばかりに胸を叩いてウインクしたのだった。


 翌日。

 太陽は顔を出さなかったが、見事に雨は止んでいた。本当に大したものだ。

 自転車に乗って隆臣くんに案内されること一時間。昼過ぎに着いた場所は、小高い丘になっている場所に設けられた展望台だった。

「うわぁ……」

 木製の手すりの前に立ってあたしは街を見下ろす。それほど高い場所にやってきたという印象はなかったのに、開けた視界に映る街並みはミニチュアのようだ。あたしの通う高校やホーガクの広い校庭もギリギリ見える。

「どうだ? 良い場所だろ?」

 隆臣くんはあたしの隣に立って問う。

「晴れていれば、海も見えるんだぜ」

「海? まさかぁ」

 海が見えるはずがない。車で一時間以上走らないと海には出られないのだもの。

「天気が良い時に来てみりゃわかるって」

「だったら――また、一緒に見られますかね?」

 あたしは彼を見て問う。隆臣くんは一瞬目を見開いた。

「なんだなんだ? あんたは俺を成仏させるつもりじゃなかったのか?」

 ごまかすように笑って視線を外す。

「それは……そうなんですけど」

 あたしも視線を外す。見ていられない。このままずっとというわけにはいかないのだとわかっているつもりだった。でもやはりその気持ちは『つもり』でしかなかったのだ。

「だけど……もしも生まれ変わることがあるなら、また遥奈ちゃんに会いたいもんだな。これくらいしか礼ができなかったし」

「そんな。そもそも、これはあたしの命を助けてもらったお礼でもあるんですから。迷惑とか面倒だとか微塵も思っていませんから、礼だなんて」

 あたしは慌てて首を横に振る。

「だったら――あんたに会う理由を無理に作らなくてもいっか。ただ会いたい、それだけで」

 照れ臭そうに笑って、彼は大きく伸びをした。ドキドキすると同時に哀しみが込み上げる。

「あたしは――」

 ポツリポツリと落ちてくる雨粒。涙が雨に混じり、雨が涙に溶け込んだ。

「うっそ、降ってきたし!」

 隆臣くんは空を見上げる。次第に雨脚は強くなってくる。

「遥奈ちゃん、帰ろうぜ。このままここにいたら風邪引くぞ」

 差し出される右手。その手を取りたくても触れることはかなわない。

「はい……」


 哀しい告白だった。そしてそれが別れの言葉だった。

 自転車の後ろに乗っていたはずの隆臣くんは、駅前商店街に着く頃には姿を消していた。

 ――ぼんやり歩いてないで、自分の歩く道くらい真っ直ぐ見ろ。

 彼があたしにくれた台詞が脳裏をよぎる。

 視界が歪む。前を見ることができない。

「隆臣くん……」

 あたしは自転車を止めて、涙を拭う。涙なのか雨なのか、もうわからない。

 ――これで良かったのかな……。

 つかの間の幻影はあたしの前から消え去ってしまった。彼が現れる前に戻ってしまった。

 ――あたしは間違ってなかったのかな……。

「……るなっち……遥奈っち!」

 声を掛けられていることに気付かなかった。あたしは肩をポンと叩かれて、やっと澪が傘を差して立っているのに気付いた。

「ケータイ何度も鳴らしたのに、あんたこんなところで何やっているのよっ! 急ぐわよ!」

 澪はあたしが泣いていた理由を問わずに腕をひっぱり歩き出す。

「え? 急ぐって……あの、自転車が……」

 状況を理解できないあたしはどうでもいいことを口走る。

「清瀬隆臣の行方がわかったのよ! だから、急ぐわよ」

 何故、それで急がなくてはならないのか、意味が繋がらない。

 ――それより。

 あたしは澪の手を振りほどく。

「や、ヤダッ! お墓なんて行きたくないっ!」

 隆臣くんは死んでしまったのだ。もうこの世にはいない人なんだ。

 叫んだあたしを、澪は目をまるくして見つめ苦笑した。

「何縁起でもないこと言っているのよ? 彼は危篤状態だけど生きているわよ?」

 ――危篤?

「だから、万が一のことになる前に、遥奈っち、気持ちを伝えにいこう!」

 まだ混乱している。

 ――どういうこと?

「――ようやく見つかったみたいですね、あの隆臣に惚れたっていう奇特なお嬢さん」

 別の場所から聞こえる少年の声。それは通りに停められた車の中からだった。

「あぁナイスタイミング! 佳佑けいすけさん、このまま直行できる?」

 澪がつかつかと高級そうな車に寄って問う。

「何のために僕が協力しているんだと思っているんですか? しかし、この僕を足に使ったツケはちゃんと払ってもらいますからね」

 にっこりと、しかし声には苛立ちを含ませて答えると、彼はドアを開けた。

「――えっと……どちら様?」

 金持ちのくせにケチ臭いんじゃー、と怒鳴りながらあたしの腕を引っ張る澪に訊ねる。

「清瀬隆臣の情報をくれたホーガクの友人よ?」

 ――なんとっ!? このさわやかイケメンが?!

「詳しいことは移動しながら説明するわ。――日野美記念病院までお願いします!」

 完全に澪のペースだ。あたしは強引に車に乗せられると、日野美記念病院に向かって動き出したのだった。


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