第二話 逃亡不能のバイオスフィア・2
「オラァッ!!」
最初に動いたのは赤髪の男。
物を遠くへ飛ばすように思い切り振りかぶった腕を動かす。
その軌跡をなぞるように5つの火球が遅れて発射される。
赤髪の男の力は爆炎を操る能力だ。生粋の戦闘狂で『葬炎』という異名で呼ばれている。
爆音と共に吹き荒れる炎。連鎖するように響いたそれはレインのいた辺りで炸裂した。
それと同時に赤髪を残して他の3人は散開する。
彼らは微塵も油断していない。相手がそれほどの化物だと自覚しているからだ。
その証拠にレインはその全てを防ぎきっている。
【零壁】レインは超低温で周囲の水分を凝固させそれを壁として防御していた。
だが、その壁の向こうに既にその姿はない。
「魔笛!」
「承知していますよ――鋼魔も合わせて下さい」
「はぁい♪」
葬炎の呼びかけに静かに応えた銀髪の優男は周囲から『魔笛』と呼ばれる探知能力者だ。
次いで返事をしたのは黒髪の女性。彼女は『鋼魔』と呼ばれ鋼鉄を操る能力を持っている。
魔笛は懐からフルートのような物を取り出すと、綺麗な音色を響かせる。
淀みなく周囲を響き渡るそれは、物体に接触した瞬間に歪な音色に変わる。
ガラスをひっかくような音が周囲から響く中、何も無いはずの上空から歪な音色が響いた。
氷を見に纏い、光を乱反射させることで擬似的な迷彩を得ていた女王の位置が割れる。
「そこだぁ!」「そこね」
宙を駆けたのは矢尻がついた黒鉄の鎖と巨大な球体の爆炎。
何も無いはずの空間をまず鎖が貫く。とっさに身を逸らしたレインだったが零翼の片方を貫かれた。
そのまま逃がさないように鎖が翼をがんじがらめにする。
次いで迫る爆炎をレインは回避する術を持たなかった。
とっさに零壁を造り出して防御する。それと同時に翼の凝固を解除した。
「きゃっ!?」
あまりにも早いその判断に対応しきれなかった鋼魔が体のバランスを崩す。
レインはそのまま防御した爆炎の勢いを利用して葬炎らと距離を取った。
幸いスフィア内には剥き出しの鉄骨などの障害物には困らなかった。
その一つに背を預けたレインは自身の右腕を見る。
身に纏っていたトレンチコートは耐熱、耐刃、耐衝撃などの様々な攻撃を想定した代物だが、それが真っ黒に炭化している。勿論、中の右腕も無事ではない。
「この義体……思った以上に使いづらいな」
だが、レインはまるで痛みを感じていないかのように独りごちる。
事実、本来なら感じるはずの痛みをレインには殆ど感じなかった。
兵器として運用される異能者の体は普通の人間の物ではない。
最先端のナノマシンを体内に飼う有機的人工義体だ。
それはいくらでも変えの効く体であり、脳さえ無事ならどれだけ傷つこうとも問題ない。
ナノマシンはセンサーやレーダーの役割を果たすことも出来る。
異能者の体を義体に置き換えるのには3つの目的があった。
『身体能力の向上』『身体耐久度の向上』そして『異能者の支配』この3つだ。
『身体能力の向上』はそのままの意味だ。筋力や体力などを増強する。
『身体耐久度の向上』は義体としての耐久度だ。異能者は能力の成長につれて人の身では耐え切れないほどの力を発揮出来るようになる者もいる。その運用に耐えるため、全身を義体にする必要があるのだ。
『異能者の支配』は義体にする際に施される洗脳のようなもので、これを用いて各組織は異能者を扱う。主人として登録された者の命令は絶対服従だ。マスターが「死ね」と言えば絶対に死ななければならないほど強制力を持つ。
良質な義体は、増強の度合いが大きく耐久度が高い。それだけで強く、長持ちする兵器が造れる。
と言っても義体が限界に近づけばまた新しい義体に移し替えればいいだけなので、普通は耐久度を気にする必要は無い。
だが、レインだけは違った。
つい先日、能力の成長を経たレインは既に数回の能力行使で義体が崩壊するレベルにまでなっている。
故に特注したのが現在の義体だった。
身体能力向上を一切しない特殊な義体。その代わり耐久度がずば抜けて高い。さらには新エネルギーを使用した『ある機能』を持たせられているとレインは伝えられていた。
「……おぉ、すごい。治った」
炭化もしくは重傷の火傷を負ったはずの右腕が綺麗さっぱり治っていた。
『ある機能』とは、すなわち再生能力。
普通の義体が持つ数十倍のそれを、新エネルギーで編み出しているらしい。
新エネルギーが一体何なのか、専属の義体技師に聞いてみたが国家機密と言われていた。
「休憩終了のお知らせ~」
「っ!!」
突如として背後にあった障害物からナイフが生え、レインへと襲いかかる。
レインはそれを前に跳んでして躱した。
「んっふっふ~。びっくりした? びっくりした?」
障害物をぬるりとすり抜けて現れたのは金髪の少年。『死神』の異名で呼ばれる物質透過能力を持った異能者だ。
瞳を爛々と輝かせて問いかける『死神』にレインは凍てついた視線を投げる。
「全然ダメ。声かけて奇襲とかバカか?」
「しょんぼり……でもさ、直ぐに終わっちゃったらつまんないでしょ?」
何時の間にか接近していた他の3人も、それはそうだと言わんばかりに笑う。
レインはそれを、愚かしいと冷笑した。
「クズが」
たった一言でその場の空気が変わる。
襲撃者全員の中に渦巻くのはこれまでに受けた屈辱に対する怒り。それと同時に感じたのは――底知れない恐怖。
「ここでオレは死ぬようだから……折角だし一矢くらい報いさせてやろう、なーんて思ったがやめだ、やめ。お前らじゃ一生続けてもオレには勝てん」
「はっ……何を訳の――――言っ……」
異変に気づいたのは4人同時。だが、それはもはや手遅れとなったときだった。
義体が思い通りに動かない。能力が使えない。
手足も、頭も、唇も、鼻も、凍ったように動かない。何故か目だけが動く。
さらに異変は周囲へと影響を及ぼす。バイオスフィア内の至るところが音を立てて氷結を始めていた。
「何が起こっているか理解出来んだろう?」
目だけを一生懸命にギョロギョロと動かす4人を眺めながらレインは冷笑する。
「絶対零度といえど凍らない物は山ほどある。そう、例えば――電気。何故ならこれは現象だからだ。物理的に凍るはずがない」
やがて、周囲の凍結が4人の体にも及んでいく。
本来ならこの時点でナノマシンが作動するはずなのだが、その気配はない。
「だがもし、凍らせることが出来たなら――現象を凍てつかせることが出来たならば。電気信号無しで動くことの出来ない人間、もしくは義体に……負けるはずがない! フフ、フフフ――アハハハハハ!!」
哄笑が凍てつく世界に響き渡る。
脳だけがその氷結を逃れている中、4人全員はかつて無いほどに後悔し絶望していた。
「これがオレの力。『絶対零度の女王』だ」
もはやその声を聞く者は居ない。
凍てついた檻の中で、レインはただ一人立っていた。
「はぁ…………虚しい」
しんしんと真っ白な雪の降り始めた中、レインはごろりと寝転がる。
そこでようやくレインは異常に気づいた。
――バイオスフィアが暴走状態になっている。
内部で派手にやりすぎたからか。はたまた暴走するように細工されていたか。
レインにはどちらでも良かった。既にマスターから死を命じられていたレインには、自殺だろうと他殺だろうと死ねば問題無い。
他組織の異能者を刺客としたのは戦力を削ぐためだろう。だからマスターは『そこで、死ね』としか命じなかったのだとレインは考えていた。
雪の白よりも、もっと白い輝きが増すのをレインはぼうっと見ているだけだ。
「オレ一人には過ぎた墓標か……」
レインは考える。暴走したらどれだけの被害が出るのだろうか。自分なら、それを止めることが出来る。現象すら停止させる絶対零度なら、今すぐに。
「やる気なんて無いけど」
輝きが視界を埋め尽くす。自分の体を白が塗り潰す瞬間、レインの口から言葉が溢れる。
それは、何処か悲しげな笑みと共に、無くなりつつある空間に響いた。
「ハハッ……来世じゃ、普通がいいな」
その言葉を遺言に、輝きが全てを塗り潰す。
そうして――絶対零度の女王陛下と呼ばれた兵器、凍堂零雨はこの世界から消滅した。