第二話:筋肉プロテインと、アヴァンギャルドな南蛮シャツ
奥州・伊達家の朝は、けたたましい音と共に幕を開ける。
「一、二! 筋肉は裏切らない! 三、四! 小田原北条など、この上腕三頭筋で粉砕してくれるわぁぁッ!」
朝霧が立ち込める道場で、上半身裸になり、巨大な大太刀を担いでスクワットをしている男。伊達成実だ。
彼の周りには、怪しげな猪肉の粉末と大豆を混ぜた特製「プロテイン」の樽が転がり、道場にはむっとするような男の汗の臭いが充満していた。
「……成実殿。朝からその暑苦しい声と臭いは、我々のモチベーション(士気)の著しい低下を招くというデータが出ております。早急にバルクアップ(筋肥大)を中止し、朝のミーティング(軍議)に参加してください」
道場のふすまをピシャリと開け、南蛮渡来の伊達メガネを押し上げながら、片倉小十郎が進み出た。手元には、昨日から一晩中弾き続けている木製そろばん(タブレット端末)が、カチカチと乾いた音を立てている。
「小十郎! お前はこれだからダメなんだよ! データばっかり見てるから、大胸筋が育たないんだ! 秀吉の成金グループに対抗するには、ウチの会社の全社員(藩士)のフィジカル(肉体)を強化するしかないんだよ!」
「清正のような脳筋を相手にするなら、フィジカルも必要でしょう。ですが、我々伊達家はIT(情報通信)とイノベーション(革新)で勝負する奥州のベンチャー企業。力押しはコンプライアンス違反です」
「ゴチャゴチャうるせぇ! コンプラだのガバナンスだの、ワシの筋肉が下がるような横文字使ってんじゃねぇ!」
成実は大太刀を床にドンッと置き、小十郎を睨みつけた。
「オーマイガッ! 朝からなんてアンビリーバブルな争いをしてるの! 二人とも、全然『映え』ないから配置変えてよ!」
突然、南蛮渡来のフリル付きシャツを着こなし、髪を怪しげなポマードで固めた男が、派手な扇子をヒラヒラとさせながら現れた。
支倉常長である。彼は自称「意識高い系ファッションバイヤー」として、政宗の許可を得て南蛮との貿易ルートを開拓しようとしている男だ。
「常長、お前はその格好何なんだ! まるで南蛮のピエロじゃないか!」
「アヴァンギャルドと言ってちょうだい、成実殿。これが今、マドリードで大流行中の『マタドール・スタイル』よ! 宗次郎のその地味な着物も、全然ナウくないから、私がプロデュースしてあげる!」
常長は、道場の隅で静かに木刀の手入れをしていた神堂宗次郎に絡んでいった。
「いやあ、私はこの古びた着物が一番落ち着くので、結構ですよ。アハハ」
宗次郎は、ポカポカとした春の陽だまりのような笑顔を浮かべて頭を掻いた。
彼は伊達家剣術指南役でありながら、攻撃が一切できない完全防御の男。成実や常長のような強烈な個性を持つ家臣たちからも、その穏やかな人柄で密かに慕われていた。
「宗次郎! お前も、常長の怪しい外国語に騙されるな! 大事なのは筋肉だろ、筋肉!!」
成実が宗次郎の肩をガシッと掴む。
「小十郎! お前もそろばん弾いてないで、一緒にスクワットだ!!」
「……やめてください。データがバグります」
伊達家の首脳陣は、今日も朝からマネジメント不能のドタバタ劇を繰り広げていた。
***
一方、その頃。
遠く離れた上方(大坂)では、成金メガバンク『豊臣』のドン、豊臣秀吉が、黄金の玉座でふんぞり返っていた。
ズンチャ、ズンチャ、ズンチャ……!
大坂城の巨大な大広間には、重低音を響かせるEDM雅楽が爆音で鳴り響き、秀吉は金のネックレスを何重にも巻き、金の扇子をバサァッと広げていた。
「イェーーーーア!! もっと光らせろ! 光ってねぇもんは、ワシのモンじゃねぇんだよ!!」
「秀吉様〜! この金屏風、全然『映え』ないから配置変えてよ〜!」
淀殿(茶々)が不満を漏らす。舶来品の高級絵画セットを手に、秀吉の膝の上で我が儘放題だ。
「スマンスマン、すぐに映えスポットに作り変えさせるからな! おお、清正! 小田原への『TOB(敵対的買収・参陣要求)』の進捗はどうだ!」
金の玉座の下で、ヤンキー座りで酒を煽りながら、リーゼント型の兜を被った加藤清正(か藤 きよまさ)が威嚇する。
「秀吉様! グダグダ言ってねぇで、俺の虎退治の槍で北条も伊達も、まとめてカチコミ(物理)入れてやらぁ!」
「おやめなさい、清正殿。脳筋の力押しでは、企業の買収(M&A)は上手くいきませんよ。ヒッヒッヒ」
陣幕の暗がりから、ノートパソコン(分厚い密書の束)を抱えた黒田官兵衛がヌッと姿を現した。
「すでに小田原のシステム(城郭)には、我が情報網のバックドアを仕込んであります。北条グループの買収は時間の問題。……問題は、奥州のベンチャー野郎、伊達政宗ですね」
官兵衛の言葉に、秀吉は金の盃を一気に飲み干し、下卑た笑みを浮かべた。
「伊達政宗か。若えのにやり手らしいじゃねぇか。だが、ウチのメガバンクの資本力には勝てねぇ。小田原への召喚状を送っとけ。……なんでも、伊達には天下に名高い『極上の美少女』の妹がいるらしいじゃねぇか。ワシの新しいコレクション(側室)に加えてやる。もし逆らうなら……伊達の会社ごと、この黄金で叩き潰してやるよ」
***
数日後。伊達家の道場。
成実や常長との絡みもひと段落し、宗次郎は一人で愛刀『玄武』の手入れをしていた。
通常の刀の三倍の厚みを持つ峰。その刀身には、誰も見たことのない奇妙な絡繰が仕込まれている。
「……宗次郎。またそのヘンテコな刀をいじってるの?」
道場のふすまが勢いよく開き、一人の美しい少女が木刀を片手に乱入してきた。綺羅姫である。桜色の小袖を袴にたくし込み、ポニーテールを揺らす彼女の姿は、芯が強く凛とした美少女。薫のようなお転婆娘だ。
「綺羅様。ヘンテコとは失礼な。これは、誰も傷つけずに戦いを終わらせる、一番優しくて強い刀なんですよ」
「もう! 二人きりの時は『綺羅』って呼んでって、いつも言ってるじゃないですか!」
「あはは、そうでしたね。ありがとう、綺羅」
宗次郎が優しく頭を撫でると、綺羅の顔は一瞬にして林檎のように真っ赤に染まった。
「……宗次郎。小十郎が言ってたデータ、本当なの? 宗次郎の剣は、実戦におけるキルレシオ(撃破率)の低下を招くって……」
綺羅が心配そうに覗き込んでくる。
「綺羅。私は、誰かを傷つけるための力は、もう二度と使わないと誓ったんです。消えない悲しみも、かつての戦の綻びも、この小さな手と笑顔があれば、それでよかったねと笑える気がした……だからこそ、私は、道端の石ころにでもなれたならいいなって、いつも思うんです」
宗次郎は、自分のゴツゴツとした手を見つめた。
彼の手の平のタコは、木刀の素振りで作られたものではない。数え切れないほどの火縄銃の引き金を引き、熱い銃身を握りしめ、かつての戦場で「夜叉」として血を浴び続けてきた罪の証だ。
「……あたしは、あなたが石ころだなんて思いません」
綺羅は、宗次郎の大きな手に、自分の小さな手をそっと重ねた。
「あたし、あなたに会えて本当に嬉しいんです。だから……ずっと、あたしのそばにいてくださいね」
宗次郎の胸の奥が、痛いくらいに締め付けられた。
あなたの名前を、いつか堂々と呼べる日が来ればいいのに……。
「绮羅。ありがとう。……でもね、私には、あなたを守るための『絶対防御』の力があるんです」
宗次郎は『玄武』を手に取り、綺羅の前でその刀身を構えた。
「綺羅。木刀で全力で打ち込んできてください」
「えっ!? そんなことできないわよ!」
「大丈夫。私の『玄武』が、必ずあなたを受け止めますから」
宗次郎の真剣な瞳に、綺羅は意を決し、木刀を上段から振り下ろした。
「うおおおっ!」
その瞬間。
宗次郎は『玄武』を盾のように前に突き出し、刀身にある隠しボタンを押した。
――ガシャンッ!!
奇妙な絡繰が作動し、玄武の刀身が一瞬にして扇状に展開。通常の刀の三倍の厚みを持つ峰が、完璧な『大盾』へと変貌したのだ。
「えっ……!?」
綺羅の木刀が、玄武の大盾にツルリと滑り、完璧にいなされた。
彼女の全力の一撃は、宗次郎を石ころ一つ動かすことなく、無力化されたのだ。
「これが、夢想静水流の絡繰大盾刀、『玄武』です。一切の攻撃型を持たず、相手の斬撃を水のように受け流し、無力化することのみに特化した絶対防御の剣術。……私は、この小さな手と笑顔を守るためだけに、この力を使うと誓ったんです」
宗次郎は『玄武』を元の刀の形態に戻し、静かに微笑んだ。
綺羅は、呆然としながらも、宗次郎のその「優しさ」と「隠された不器用な愛」に、深く心を打たれていた。
「……宗次郎。あなたって、本当に……バカみたいに優しい人ね」
綺羅の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
消えない悲しみも、かつての戦の綻びも、この小さな手と笑顔があれば、それでよかったねと笑える気がした。
二人の確かなぬくもりの上に、戦国の過酷な嵐が、もうすぐそこまで迫っていた。




