第一話:防御力特化のスマイル指南役と、奥州ベンチャー伊達家
「神堂先生! また逃げる気ですか! 剣術指南役ならば、一本くらい打ち込んできたらどうなんです!」
奥州・伊達家の城内にある広大な道場。
初夏のカラッとした風が吹き抜ける中、若い藩士の怒号が響き渡っていた。
道場の中央で木刀を構えているのは、額に汗を浮かべた血気盛んな若侍。そして彼と対峙しているのは、伊達家が誇る(?)剣術指南役、神堂宗次郎である。
「いやあ、面目ない。君の太刀筋があまりにも鋭いものだから、つい避けることしかできなくてね。アハハ」
宗次郎は、木刀をだらりと下げたまま、ポカポカとした春の陽だまりのような笑顔を浮かべて頭を掻いた。
彼の剣術『夢想静水流』は、完全なる防御特化。相手の攻撃を水流のように受け流し、いなすだけで、自分からは絶対に打って出ない。いや、正確には「打って出ない」のではなく、「打つ型が存在しない」のだ。
「先生のそのヘラヘラした態度、見ていてイライラするんですよ! 次は絶対に当ててみせますからね! うおおおっ!」
若侍が上段から渾身の唐竹割りを振り下ろす。
しかし宗次郎は、まるで散歩中に水たまりを避けるような軽い足取りで半歩だけ横にズレ、若侍の木刀を自らの木刀の峰でツルリと滑らせた。勢い余った若侍は、そのまま道場の床に盛大に顔からズッコケた。
「ほら、足元がお留守になっているよ。怪我はないかい?」
「くっそォ! 剣術指南のくせに、攻撃ができないなんて前代未聞ですよ! もう先生の稽古は受けません!」
若侍が顔を真っ赤にして道場を出て行こうとした、その時だった。
「ちょっと待ちなさい!! 宗次郎をバカにする輩は、この私が許しませんよ!!」
パーン! と道場のふすまが勢いよく開き、一人の美しい少女が木刀を片手に乱入してきた。
伊達政宗の妹、綺羅姫である。
桜色の小袖を袴にたくし込み、ポニーテールを揺らす彼女の姿は、可憐でありながらも凛とした野花のような強さを持っている。
「き、綺羅様!?」
「宗次郎の剣は、誰かを傷つけるためのものじゃありません! 相手の力をいなして、誰も血を流さずに戦いを終わらせる、一番優しくて強い剣なんです! それが分からないなら、私が相手になります! かかってきなさい!」
綺羅がビシッと木刀を突きつけると、若侍は「ひぃっ、姫様に怪我をさせたら切腹だ!」と慌てて逃げ出していった。
「綺羅様。あまり彼らを怒らないであげてください。私が不甲斐ないのは事実ですから」
宗次郎が苦笑いしながら近づくと、綺羅はプクッと頬を膨らませた。
「宗次郎は優しすぎます! もっとビシッと言い返せばいいのに。……それに、二人きりの時は『綺羅』って呼んでって、いつも言ってるじゃないですか」
「あはは、そうでしたね。ありがとう、綺羅」
宗次郎が優しく頭を撫でると、綺羅の顔は一瞬にして林檎のように真っ赤に染まった。
身分違いの剣術指南役と、大名の妹。決して許されることのない関係だが、二人の間には確かに、言葉以上の深い情愛が通い合っていた。
「ヘイヘイヘーイ! そこの二人、朝からイチャイチャしてて生産性下がってない? 恋のシナジー効果もいいけど、ウチは実力主義のベンチャー企業だからね!」
突然、パンパンと手を叩きながら、三人の男たちが道場に足を踏み入れた。
先頭を歩くのは、伊達家当主・伊達政宗だ。
陣羽織の代わりにスタイリッシュな黒いレザージャケットを羽織り、右目にはハイブランドのロゴが入ったような特注の眼帯。完全に「若きITベンチャーのカリスマCEO」の出で立ちである。
「お兄様! イチャイチャなんてしてません!」
「まあまあ。俺は別に社内恋愛を禁止にするつもりはないぜ。社員のモチベーション・アップは会社の利益に繋がるからな!」
政宗がウィンクを決めると、その背後から、南蛮渡来の伊達メガネを押し上げながら、片倉小十郎が進み出た。
「政宗様。先月の道場の維持費と、若手藩士の成長率のROI(投資利益率)を算出したところ、宗次郎の防御特化の指導は、実戦におけるキルレシオ(撃破率)の低下を招くというエビデンスが出ております。早急なアジェンダの修正を提案します」
小十郎は手元の木製そろばん(彼にとってはタブレット端末)をパチパチと弾きながら、極めて冷徹な声で報告した。
「小十郎、お前はデータばっかり見てるからダメなんだよ! 大事なのは筋肉だろ、筋肉!!」
さらにその後ろから、巨大な大太刀をバーベル代わりに担ぎ、凄まじいスピードでスクワットをしながら現れたのは、伊達成実だ。
「政宗様! 小田原攻めの話が来てますが、あんな遠征行く前に、まずは奥州の全員でバルクアップ(筋肥大)すべきっすよ! プロテインが足りません!」
「成実は黙ってろ。……まったく、ウチのボードメンバー(幹部)は個性が強すぎてマネジメントが大変だぜ」
政宗は肩をすくめた。
「まあいい、宗次郎。お前の剣術が理解されにくいのは分かってる。だが、いざという時の『アレ』の腕前は、俺も小十郎もエビデンス付きで信用してるからな。引き続き、綺羅のボディガードも頼むぜ」
「ははっ。お任せください、政宗様」
宗次郎は深く一礼した。
宗次郎が背負っている大きな布袋。その中には、誰も見たことのない極厚の絡繰大盾刀『玄武』と、無数の「火縄銃」が眠っていることを、伊達家の首脳陣だけは知っていた。
***
一方、その頃。
遠く離れた上方(大坂)では、規格外の「怪物」が天下を完全に掌握しようとしていた。
ズンチャ、ズンチャ、ズンチャ……!
大坂城の巨大な大広間には、重低音を響かせるEDM風にアレンジされた雅楽が爆音で鳴り響き、煌びやかなレーザー光線(を反射する鏡の仕掛け)が乱舞していた。
「イェーーーーア!! もっと光らせろ! タイム・イズ・マネーだぞ猿ども! 光ってねぇもんは、ワシのモンじゃねぇんだよ!!」
純金でコーティングされた巨大な玉座にふんぞり返り、首に極太の金のネックレスを何重にも巻いている男。
メガバンクグループ『豊臣』を束ねる絶対的ドン、豊臣秀吉である。
「秀吉様〜! この金屏風、全然『映え』ないから配置変えてよ〜!」
秀吉の膝の上で、最新の南蛮渡来のカメラ(舶来品の高級絵画セット)を手に不満を漏らしているのは、淀殿こと茶々(ちゃちゃ)だ。
「おお、茶々! スマンスマン、すぐにフォロワー100万人のインフルエンサー呼んで、最強の映えスポットに作り変えさせるからな!」
秀吉がデレデレと笑っている横で、眉間に深いシワを寄せて霧吹き(度数の高い焼酎)を空間にシュッシュと撒き散らしている男がいた。
「秀吉様、城内での過度な宴会はコンプライアンス違反です。経費の私的流用という監査の目が光っております。それに、未だ傘下に入らない小田原の北条と、奥州の伊達への対応案(稟議書)にハンコをいただきたいのですが」
超エリート官僚・石田三成である。
「ああん? 三成、テメェは固ぇんだよ! コンプラだのガバナンスだの、ワシの気分を下げるような横文字使ってんじゃねぇ!」
「そうだぜ三成! グダグダ言ってねぇで、俺の虎退治の槍で北条も伊達も、まとめてカチコミ(物理)入れてやらぁ!」
ヤンキー座りで酒を煽りながら、リーゼント型の兜を被った加藤清正が威嚇する。
「おやめなさい、清正殿。脳筋の力押しでは、企業の買収(M&A)は上手くいきませんよ。ヒッヒッヒ」
大広間の暗がりから、ノートパソコン(のような分厚い密書の束)を抱えた黒田官兵衛がヌッと姿を現した。
「すでに小田原のシステム(城郭)には、我が情報網のバックドアを仕込んであります。問題は、奥州のベンチャー野郎……伊達政宗ですね」
官兵衛の言葉に、秀吉はニヤリと笑い、金の扇子をバサァッと広げた。
「伊達政宗か。若えのにやり手らしいじゃねぇか。だが、ウチのメガバンクの資本力には勝てねぇ。小田原への『TOB(敵対的買収・参陣要求)』のついでに、あの生意気なベンチャー社長にも召喚状を送っとけ」
秀吉は、盃の酒を一気に飲み干し、下卑た笑みを浮かべた。
「なんでも、伊達には天下に名高い『極上の美少女』の妹がいるらしいじゃねぇか。ワシの新しいコレクション(側室)に加えてやる。もし逆らうなら……伊達の会社ごと、この黄金で叩き潰してやるよ」
***
その日の夜。奥州・伊達家の縁側。
そんな迫り来る大坂の脅威など知る由もなく、宗次郎と綺羅は、二人並んで星空を見上げていた。
「今日の宗次郎、転んだ藩士の子に手を差し伸べてましたね。あれじゃあ、ますますナメられちゃいますよ」
綺羅がクスリと笑うと、宗次郎も「あはは」と静かに笑った。
「誰かの居場所を奪ったり、傷つけたりして生きるくらいならば……私は、道端の石ころにでもなれたならいいなって、いつも思うんです」
宗次郎は、自分のゴツゴツとした手を見つめた。
誰も知らない彼の手の平のタコは、木刀の素振りで作られたものではない。数え切れないほどの火縄銃の引き金を引き、熱い銃身を握りしめ、かつての戦場で「夜叉」として血を浴び続けてきた罪の証だ。
だからこそ、彼は誓ったのだ。もう絶対に、自分からは攻撃しない。愛する人たちの日常を『防御』するためだけに、この力を使うと。
「……あたしは、あなたが石ころだなんて思いません」
綺羅は、宗次郎の大きな手に、自分の小さな手をそっと重ねた。
「あたし、あなたに会えて本当に嬉しいんです。だから……ずっと、あたしのそばにいてくださいね」
宗次郎の胸の奥が、痛いくらいに締め付けられた。
消えない悲しみも、かつての戦の綻びも、この小さな手と笑顔があれば、それでよかったねと笑える気がした。
(あなたの名前を、いつか堂々と呼べる日が来ればいいのに……)
二人の確かなぬくもりの上に、戦国の過酷な嵐が、もうすぐそこまで迫っていた。




