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第五話 魔女狩り

「六月はね、好きよ。知ってる? いろんな呼び名があるの」

 早見さんの淹れたコーヒーを一口飲んでから涼子さんはドロシーに言った。

「旧暦の六月は夏真っ盛りだったから、水が枯れ尽きるという意味で、水無月。他にも涼暮月、蝉羽月、常夏月、風待月、葵月……あと何だったかしら。まだ他にもあった気がするわ。どれも美しい呼び名よね」

「別にひとつで良くない? 単に六月の方がわかりやすい」

「ひとつの物事をいろんな見方で見てみるのも大事なことよ。六月をいろんな特徴に注目して呼ぶことで、それらすべての美しさを持つものとして、改めて六月というものがわかる。そういうことなの」

「ふーん」

 ドロシーは涼子さんの話を興味なさげに聞いていた。

 実際すぐに彼女の関心は目の前のクリームソーダに移ってしまったらしく、スプーンでつついたり混ぜたりしながら上のアイスを食べ始めた。

 お気に入りのメロンソーダがワンランク上の飲み物に変わったとあって、彼女としては「味を確かめないわけにはいかない」と真剣そのものの表情である。

 街に買い物に言った日から何日か経ち、わたしたちは涼子さんの屋敷からあまり出ない生活を送っていた。

 もともと山奥にあるこの屋敷からは出かけるような場所もなく、街も車がないと行けないのだからそうなる。

 しかしいつまでもお客さん気分でダラけているわけにはいかないと思い、日中わたしは時子さんや早見さんの家事を手伝った。

 といっても家事なんてあまりやったことがなかったから、教わってばかりだった。初めのうちは二人の手間を増やしてばかりだったが、この頃は段々できるようになってきた。良い勉強になったと思う。

 空いた時間は裁縫をして過ごした。街の本屋で買ってもらった教本を見ながら、真新しい裁縫道具を使っていろんな縫い方を練習した。残念ながらどれもすぐには上達しなかったが、以前に比べれば驚くほどすんなりと針が動かせるようになった。やはり読める言葉で書いてある本というのはすばらしい。

 今まではやり方の理解が浅かったから、よくわからないまま手を動かしては失敗していたが、今はじっくりと針の動かし方や糸の軌道を理解して縫い方を覚えていけた。

 すぐにはできるようにならなくても、理解できるのが楽しくて、針と糸を片手に延々と教本を読んでいられた。学べるということそのものが嬉しかったし、楽しかった。好きなことの勉強は楽しい。

 ドロシーは結構暇らしく、日中は扇風機の前でゴロゴロしたり、庭や屋敷のどこかで遊んだりしていた。たまにわたしが裁縫をする様子を眺めていることもあるが、すぐに飽きるらしく、あまりじっとしていることはなかった。真夏でも元気なものである。

 外で時子さんに遊んでもらうこともあった。時子さんが蔵から持ち出してきた一輪車や竹馬、縄跳びなどを一緒にやるドロシーはとても楽しそうだった。

 わたしも一緒にやってみたが、運動はあまり得意ではないので、すぐに転んだり息切れしたりした。

 ドロシーはあの細い体のどこにそんな体力があるのかと思うほど、それこそ昼間から暗くなるまでずっと動き回って遊んでいるのだが、わたしは途中でついて行けなくなり、結局日陰に移って裁縫をしながら見守るのが常だった。

 ちなみに時子さんは体を動かすこと全般が得意らしく、何をやらせても面白いほど見事にこなしてみせた。とはいえ一輪車に乗りながら助走をつけてジャンプし、空中で横回転したのを見た時はさすがに我が目を疑った。しかもいつものメイド服のままやってのけるのだ。フィギュアスケートか。

 本人曰く、体を使うことに関しては悪魔的才能の持ち主らしい。例えばドロシーとバドミントンをしている時も、ドロシーがどんなに明後日の方向に打ったとしても、時子さんは悠々と追いついて綺麗なフォームで打ち返していた。ドロシーは本気で悔しがっていたが、あれは勝てないと思う。もうそういう能力なんじゃないかと思った。

 どうしてそんなことができるのかと尋ねてみたところ、「女は度胸でございます」などと言われた。答えになっていない。

 今日もそんな穏やかな日を過ごし、先ほど夕飯を済ませたわたしたちは、今に集まってくつろいでいるところだった。

 早見さんの運んできた飲み物を各々が楽しみながら、話をしたり、本を読んだりした。涼しくて過ごしやすい夜だった。

 涼子さんはコーヒーを飲みながら何かの書類を眺めていた。たまにさっきのようにドロシーと話したり、他の誰かと雑談しては、書類に目を戻していた。ほんの少し首を傾げている。

「ずいぶん機嫌がよろしいようですね」

 早見さんがお茶菓子を涼子さんの前の机に並べながら言った。

「ええ。ちょっといいことを思いついたものだから」

 涼子さんは書類から顔を上げないまま答えた。

「ほう。どのようなことですか」

「そのうち教えてあげる」

 涼子さんはちらりと早見さんの方に視線だけ向けて、まるで面白いいたずらを思いついた子供のように微笑んだ。

「それはそれは。楽しみにしております」

 早見さんも目を細めて答えた。この人は笑うときに目尻に皺が寄る。さっき夕飯の支度をしているとき気づいた。

 なんだか大人の男女がこうしてふたり微笑みあって視線を絡ませているのを見ていると、少しドキドキする。こんな会話をしている人たちって本当に居るんだな、って。なんかわたしの生きている世界とは別世界な感じ。

 このふたりは主人と使用人でしかないのだろうけど、そういう間柄で長いこと信頼関係が続いていれば何かしらの男女関係に発展したっておかしくないのではないか、なんてつい想像してしまう。

 涼子さんの機嫌がいいことを早見さんはなぜか見抜いていたし。なんかそういうのって特別な関係を匂わせる感じがしませんか!?

「希さま、何を興奮なさっているのですか?」

「はっ、へ!? なんでもないです!」

 ひとり心の中でキャーキャー言っていたわたしは突然時子さんに声をかけられ、ひどく動揺しながら言った。

「何を慌てていらっしゃるのです。よいですか、良い女は常に余裕があるものです」

「は、はい……えっと……?」

「たとえば内心がどれほどピンク色のロマンスへの空想に遊んでいても、表面上は優雅に落ち着き払って構えておりませんと」

「ぴんくいろ……は、はい」

「言うなれば、気品でございます。女たるもの、気品がなくてはいけません」

「気品、ですか」

 いつの間にか妙な講釈が始まっていた。

「気品と申しますのは、気取らず気さくに上品に。丁寧な美しい所作と、穏やかな微笑みから生まれるものでございます」

 早見さんの注いだアイスティーを優雅な仕草で飲みながら、言葉通り微笑んで時子さんは言った。

「ゴテゴテと着飾った豪奢な美貌ではなく、シンプルで良質な、洗練された美しさを目指すのです。そのように振る舞えば自然と、いつしか美しい気品を身に纏うようになることでしょう」

「はあ。つまり、えっと、どうすれば……?」

「微笑み、そして微笑みでございます」

 失礼ながらこの人の微笑みは、気品漂うというよりは、何を考えているかわからない胡散臭さを感じる笑みだった。

 まともなことを言う時も嘘を吐く時も、表情を変えることがないのである。

「時子、希ちゃんが半信半疑の顔をしてるわよ」

「いえ、決してそういうつもりじゃ」

「今のは適当にそれらしいことを言って、暇つぶしをしただけでございます」

「そうだったんですか!?」

 もしかしてこの人、思っていたよりかなりいい加減な人なのではないだろうか。

「少し散歩をしてくるわ。時子、この辺の書類を片付けておいて」

 涼子さんが立ち上がり言った。

「かしこまりました。いつ頃お戻りですか?」

「そんなに長くは出ないつもり」

「承知いたしました。行ってらっしゃいませ」

 涼子さんはそのままふらりとどこかに行ってしまった。どこか夢遊病のような、ふわふわした足取りだった。

「こんな時間に散歩ですか?」

 涼子さんの様子が少しおかしかったように感じて、私は時子さんに聞いた。

「ああ、あれは何か考え事をしたい時の、涼子様の習慣でございます。歩きながら考えごとをするのがお好きなようで。主人が外出となれば本来なら身支度のお手伝いくらいして当然なのですが、ああいう時の涼子様はなるべく邪魔をせぬようにと仰せつかっておりますから、お履物のご用意すらさせてくださらないのです」

 時子さんは残念そうにそう言った。

「もともと散歩のお好きな方なのですが、夜にわざわざ散歩なさる時はたいてい考え事のある時ですね。そのうち眠くなったら帰ってきますよ」

 早見さんもそう言った。

「お二人とも、涼子さんのことを本当によく知っているんですね」

「まあ使用人自体、昔からわたくしたち二人しかおりませんからねえ」

「やっぱりそうなんですね。さっきも機嫌が良いってわかってましたし」

「ああ、あれは首を傾げていらっしゃったからですよ」

 早見さんが答えた。

「涼子様の機嫌が良い時の癖なのです。なんでもない時に首を傾げていらしたら、それは機嫌が良いということです」

「そうだったんですか」

 確かに涼子さんは書類を見ながら首を傾げていたっけ。

「希さま、ドロシーさま、そろそろお風呂になさってはいかがですか?」

「あ、はい。ドロシーちゃん、部屋行くよ」

「へーい」

 わたしたちは自分たちにあてがわれている部屋へと着替えを取りに向かった、

 最初の頃はお風呂に入る時も着替えから何まですべて用意してもらっていたのだが、毎日お世話になり続けるのも心苦しくて、せめてできることはしたいと着替えの準備くらいは自分でやることにしていた。

「ドロシーちゃん、今日も楽しかったね」

 部屋で着替えやタオルを準備しながら、わたしはドロシーに言った。

「え? うん」

 ドロシーは今夜寝巻きに着るTシャツを選ぶのに忙しいらしく、気もそぞろという風だった。

「涼子さんには本当に感謝しないとね」

「ん。そだね」

 洋子さんはいつまででもここに居ていいと言ってくれているが、そうもいかないだろう。今はありがたく甘えさせてもらっているが、親切にしては良くしてもらい過ぎていると思う。少なくともいずれどこかで職を見つけて、自立しなければと思っていた。

 それでもついこの間までの逃亡生活と比べれば、夢みたいな状況だ。

「……あ」

 部屋を出る瞬間、突然頭の中に、ある光景が浮かんだ。

 そのままさまざまな光景がフラッシュバックして、わたしはその場に立ち尽くした。

 追っ手との戦いの光景だった。

 敵の怒声。向けられた銃口。仲間の叫び声。首元に刺さる麻酔針。体が痺れる感覚。獣を捕らえるかのような捕獲ネット。谷底に落ちていく、人、人、人。

「希。大丈夫?」

 わたしの様子がおかしいことに気づいたドロシーが、正面に回って抱き締めてくれた、自分の体が震えていることに、今更ながら気づく。

「……あ、あ、うん。平気。大丈夫」

 私たちが能力者だと知って追ってくる人はもう居ないはずだ。施設からの追っ手も撃破し、賞金稼ぎの傭兵部隊も退いた。能力さえ見られなければ、よっぽど大丈夫なはずなのだ。

 それでも心の底ではどうしても、不安と恐怖があった。ふとした拍子にまた逃亡生活に戻ることになる可能性は、ずっと続くのだ。

 それは籠から逃げ出したわたしたちの、自由の代償なのだろうか。自由のために、どうしてわたしたち能力者だけが、そんな理不尽な不安を抱えて生きていかなければならないのか。

 こんな怖い思いを、しなくてはならないのか。

 わたしがドロシーを守るはずだった。

 けれどいざ自分の命が懸かる場面になると、いつもドロシーに守られていた。わたしより小さなこの子は、今もわたしを安心させようと抱き締めてくれていて、なのにわたしは、わけのわからないタイミングでフラッシュバックする恐怖に、震えてばかりで。

 ふたりで強く生きなければいけないのに。

 ドロシーはわたしの顔を見て眉間に皺を寄せると、手を伸ばして頭を撫でてくれた。

「あたしが希を守るから。だから大丈夫だよ」

 ドロシーのわたしより小さな手に頭を撫でられていると、なんだか泣きそうになった。

 それはドロシーが、ついこの間まで涼子さんに教えてもらうまで、知らなかった愛情表現だった。ドロシーが誰かの頭を撫でられるようになったことが、うれしかった。

「ドロシーちゃん、ごめん。わたしがしっかりしないといけないのに」

「希はしっかりしてるよ。でも怖いときは言って。あたしがこうしてあげるから。なんかしてほしいことあったらなんでも言って」

「うん。うん。ありがとう」

 わたしもドロシーを抱き締めた。目を閉じると、涙が頬を伝う感触がした。

「もう二度と希に、怖い思いはさせないから」


 その晩、涼子さんはついに帰って来なかった。


 佐野時子は地面を見下ろして立ち尽くしていた。

 その手には携帯電話と薄いカーディガンが握られている。どちらも地面に落ちていた、涼子のものだった。

 足元には主人の好んだ朝顔の花が咲いていた。色とりどりのやわらかで薄い花は、まだ開いたばかりなのか、朝露を湛えているものもある。一輪だけまっすぐこちらを向いた花弁は主人の瞳と同じ紫色だった。

 時子は手にした主人の上着を握り締めると、視線を朝顔のツタの伸びる先へとやった。


「涼子様が戻られておりません」

 翌朝、朝食の時に早見さんが言った。

「え、まだ帰って来てないんですか?」

「はい。午前七時までに戻られなかった場合、こちらから安否確認のご連絡を差し上げることになっておりますが、メールにも電話にも反応がありませんでした」

 壁掛け時計を見ると、針は午前八時を指していた。

「先ほど携帯の位置をGPSで辿り時子様が探しに向かったのですが、その場所には携帯と衣服のみが落ちていたそうです」

 早見さんの声が微かに緊張しているのがわかる。

「誘拐の可能性がございます」

「誘拐!?」

 驚いて、口にしかけていたソーセージを落としそうになった。ドロシーはトーストをかじりながら、黙って早見さんを見ている。

「昨夜散歩に出掛けてから午前七時までに、一度も連絡は取っていないんですか?」

「はい。考え事の邪魔をしないよう、滅多なことでは連絡するなと言われておりました。稀にですが朝帰りすることもこれまでに何度かありましたし、朝食は何があっても食べたがるお方ですから、それまでには帰ってくるだろうと気を抜いておりました」

 早見さんは悔しそうに言った。この人が感情を見せるのは珍しい。

「誘拐されたと思われる場所には、涼子様が能力を用いて抵抗した痕跡があったそうです。相手はそれでも誘拐に成功する程度には腕の立つ、能力者との戦いに慣れた者、プロの賞金稼ぎの可能性が高いと見ております」

 涼子さんに匿ってもらうことで、わたしたちを狙う人からの脅威に晒してしまう危険性があるとは思っていたが、まさか涼子さんの方が直接狙われるとは、

 そもそも賞金稼ぎに狙われているのはわたしとドロシーだけではなかったことを今更ながら思い出す。

「探しに行きましょう! 早く助け出さなくちゃ……!」

「もちろんです。そのためにわたくし共がおります。しかしながら、敵がどこまでの情報を持って動いているのかがまだ不明です」

「どういうことですか?」

「希様とドロシー様の存在に気づいているのか、ということです」

 早見さんは何かを思案するような口ぶりで言った。

「わたしたち、ですか?」

「はい。現在この屋敷には、使用人が私と時子様しかおりません。現在時子様が誘拐犯と思しき人物の跡を追っていますが、私も出るとなると、このお屋敷には希様たちだけが残ることになります。敵がお二人のことも狙っている場合、それでは敵にみすみすチャンスを与えるようなものです」

「……あたしが居るんだけど」

 それまで黙って話を聞いていたドロシーが不満げに声をあげた。

「ドロシー様の能力は確かに強力ですが、希様を守りながら戦うのでは分が悪いでしょう。例えば催涙ガスと発煙筒が突然投げ込まれ、わけのわからないうちに希様だけがさらわれる可能性だってあるのです。そういった事態にドロシー様だけで対応できますか?」

「……あんたが居たらなんとかなんの?」

 ドロシーは反論できず、ムスッとした表情で言った。

「最悪、希様だけでも抱えて逃げることぐらいはできましょう。この屋敷には避難用の隠し通路もございます。ドロシー様には銃弾程度でしたら効かないと聞いておりますから、自力でなんとかしていただく他ありませんが」

「……ふん。そりゃあたしはどうとでもなるけどさ」

「だったらやっぱりわたしたちも行きます。早見さんと一緒ならいいんでしょう?」

「……やはりそう仰るのですね」

「わたしたち、涼子さんにはとても良くしていただきました。恩を返したいんです。戦闘で役に立つかはわかりませんが、わたしの能力だって銃弾くらいは防げます」

 早見さんは驚いた顔をすると、少し間を置いて言った。

「涼子様は、お二人がこれ以上命のやり取りをしなくても済むような、穏やかな生活を送らせてあげたいと仰っていました。能力のせいで苦労されて来たあなた方に昔の自分を重ねておられるのかもしれません。どうかあの方を悲しませるようなことにだけはならないよう、十分にお気をつけください。私もできる限りお二人をお守りします」

「……はい」

 わたしは頷いた。

「余計な心配しなくていいよ。希はあたしが守るから」

 ドロシーは早見さんに妙な対抗心を燃やしているようだった。

 頼もしいけど、わたしは守られてばっかりでちょっと情けない。

 いや。わたしはわたしのできることをしよう。施設をみんなで脱走した時だって、わたしは精一杯考えて、自分にできることをした。

 考えるんだ。深層発現だけが能力じゃない。

「早見さん。状況をもう一度、詳しく教えてくれませんか」

「希は頭いいからね。ちゃんと素直に言うんだよ」

「わかりました」

 ドロシーの言葉に早見さんは少し笑ったあと、すぐに真剣な顔になった。

「現在、時子様が敵の追跡をしております。涼子様が残した目印があったらしく、それを辿っているそうです。今は本来の暦では秋ですが、気温を考えるとまだこの屋敷は夏のままです。つまり涼子様の能力範囲を考えると、涼子様との距離は二十キロメートル以内ではあるはずです」

 二十キロか。敵が今も移動しているか、どこかに拠点を構えているかで対応は変わってきそうだ。

「こういった場合、捜索は時子様ひとりにお任せすることになっております。彼女はプロフェッショナルですし、それに下手に手分けしてしまうといざ発見した際にすぐに駆けつけることができず、戦力が分散してしまうからです。時子様が場所を特定次第いつでも出発できるよう、私たちは準備をいたしましょう」

「はい」

「準備するものなんかないんだけど」

 ドロシーが早見さんをにらみつけると、早見さんはポケットから鍵を取り出して見せた。

「ドロシー様の場合は確かに武装の必要はないでしょうが、連絡が取れるよう全員が無線通信機くらいは持っておいても良いでしょう。武器庫にご案内します」

 朝食を急いで食べ終え、わたしたちは早見さんの案内で裏庭の蔵に向かった。時子さんが一輪車や竹馬を出してきた場所だった。

 早見さんが奥にある机をひとつ退かすと、床に扉がついていた。鍵を開けて扉を開くと、ハシゴがかかっているのが見える。地下室があるらしい。

 早見さんについて降りると、そこには銃器や刃物が並んでいた。遊び道具の下にこんなものがあったとは。

「銃を扱ったご経験は?」

「な、ないです」

「使ったことない。いらないし」

「わかりました。訓練する時間はありません。これで戦うというよりは、交渉手段として念の為持っておく、くらいに思ってください。使い方も簡単にご説明しますが、使うのは本当に危ないときだけにしてください」

 わたしは早見さんから最低限の銃の操作を教わり、小さな拳銃を懐にしまった。これも護身用にと小さなナイフを渡され、腰にベルトでくくりつける。

 ドロシーは武器を壊してしまうだろうと本人が言ったため、特に武装はしないことにした。

「わたし武器なんて使ったことないので、あまりお役に立てないと思いますけど、盾くらいにはなれると思います」

「希様、命を粗末にするようなことは言うものではありません。盾になどなられても、残された側はそれを望んでいないこともあるのですよ」

 早見さんは珍しくわたしの目を見ずに言った。

「……わかりました。でも必要だと思ったらわたしはやります。わたしは早見さんにも、ドロシーにも、死んでほしくない」

「そんな状況にならないよう手は尽くしますが、どうか早まった真似だけはなさらないように。本当なら連れて行くことすらためらっているのですから」

 わたしは黙って頷いた。わたしだって自分が戦闘向きの能力者じゃないことくらいわかっている。

 だからわたしの役目は、死なないこと。

 ひとりここに残って敵の仲間にさらわれたり、涼子さんをさらった敵を刺激したりせず、状況の把握に努めてみんなに伝えること。能力を使うべき時は、迷わず使うこと。

 早見さんの携帯が鳴り、画面を見た早見さんが言った。

「時子様から報告です。涼子様の居場所を特定したそうです」

 空気にわずかに緊張が走る。

「ここから車で行ける距離に涼子様の別宅がございます。今の時期人が居ないのを利用し、監禁に使っているそうです。敵の人数は確認できているのが二人。屋敷の外に伏兵は見当たらず、時子様は屋敷の近くに潜伏しています」

 二人だけか。腕に自信のある賞金稼ぎならありえる人数だ。

「別宅の監視カメラはすべて壊されてしまったようです。壊される直前の映像を外部からアクセスして取得したので、ご覧くださいとのことです」

 早見さんが壁際に置いてあったパソコンを操作すると、画面にいくつもの暗い映像が表示された。画面の端に表示された時刻は昨晩九時頃だ。

 画面を見ていると、少しして大きな麦わら帽子を被った女が玄関に現れたのが映った。

 周りを少し確認して、普通に玄関のドアを開けて入ってくる。

「どうやって鍵を開けたのかはわかりませんが、この女性が目につく監視カメラを準に破壊していったそうです」

 その女は特に隠れるわけでもなく、まるで正当に招かれた客人のように堂々と、しかし間取りはよくわかっていない様子で屋敷の中を歩いていった。

 監視カメラの存在に気づくと、女性は一瞬立ち止まり、すっと画面から消えた。すぐさま映像が乱れ、分割されていた画面のスペースがひとつ真っ黒の画面になる。

「女性が武装している様子はありません。この別宅に人がいないことを知った上で、監禁場所に使うために忍び込んだのだと思われます」

「もしくは武装する必要がない能力者か、ですか」

「はい。むしろそのつもりで備えた方がよいでしょう。抵抗する涼子様をさらうのはただの武装集団程度では不可能です。時子様によりますと、現在別宅の中にはこの女性ともう一人、仲間と思われる女性がいるそうです。そして涼子様も。救出する上では戦闘を覚悟する必要があります」

 早見さんは話しながら支度を始める。

「ひとまず時子様と合流しましょう。別宅までは少し距離があります。車の中で時子様と通信しつつ、作戦を練ることといたしましょう」


「ねえ、日焼けしない魔法とかないの? 美肌を保つ魔法とか、あ、それ真似できない感じ? 当たり前か。え、そもそも魔法でなんでもできる能力じゃないの? へー。てか髪めっちゃキレイだね。この辺紫外線ヤバくない? あ、てかこれ自体があんたの能力なんだっけ。ずっと夏なんでしょ? よく髪の毛傷まないね。ケアすんの大変じゃない? 長いとやっぱさあ、うっとおしいし暑いよね」

(よく喋る子ねえ……。)

 目隠しをされ手足が椅子に縛り付けられた状態で、のんきに涼子は思った。

 近くの椅子に腰掛けて雑誌をめくりながら涼子に話しかけているのは、希たちが監視カメラで目撃した麦わら帽子の女だった。

「え、日焼けしないの? マジ? それズルくない?」

「それに関しては、本当に得したと思っているわ」

「ええーいいなあ! でもさあ、若い頃の日焼けって歳食ってからシミになるって言うじゃん? あたし今二十八なんだけどさ、もうすでに若干気になりつつあるからね。あんたもさあ、日焼けしない体質でもなんか対策しといた方がいんじゃね?」

 一応見張り役なのだろうが、涼子をこの部屋に監禁してから一緒に居るこの女は、終始この調子だった。特に怯えるわけでもなく延々と世間話を続ける涼子も涼子なのだが、誘拐犯と賞金首の会話というよりは、ただの女同士の会話だった。

「化粧品もさあ、最近ちょっと高めのやつ使うようになったんだよね。スキンケア特に。やっぱ三十手前にもなるといろいろ気になってくるじゃんか」

「そうなのよねえ。そろそろ基礎化粧品にお金かけた方がいいかな、って思い始めるタイミングってあるわよね」

「そう! ほんとそれ。てかあんたいくつ?」

「さあ。忘れちゃったわ」

「ウケる。でも実際あんたあれだよね、てっきり昔の写真しか出回ってないのかと思ったんだけどさ、ほんとに若いままなんだね」

「どういう意味かしら」

「あんたさ、いつから歳とってないわけ?」

 涼子は目隠しをされたまま、口元だけで微笑んで見せた。

「いつだったかしらね。確か二十六、七歳の頃だったと思うわよ」

「うわ、微妙に年下アピールうざ」

「いいじゃないの。実際はあなたよりずっと年上なんだから」

「まあね。見た目の割にあんた落ち着いてるしね。この状況でもあたし相手にビビってないし」

「怖がるようなことはされていないもの」

「誘拐、監禁、拘束! 普通ならビビるけどね。あんたマジ肝座ってるわ」

 昨夜のことだった。

 考え事をしながら散歩していた涼子は突然背後から後頭部を殴られ、倒れ込んだところを強い力で押さえ込まれた。そのまま手際良く目隠しと猿轡をされ、連れ去られたのである。

 頭を殴られて意識が朦朧としていたが、なんとか目印になるようなものは残したつもりだ。時子が気づくのも時間の問題だろうと涼子は考えていた。

「お待たせ」

 部屋の扉が開く音がして、別の女の声がした。

「おかえりー。どうだった?」

「外に一人、隠れてるみたい。きっとお仲間じゃない?」

 今までも賞金稼ぎに誘拐されることはあったが、潜伏している時子が先に気づかれるのは珍しいことだった。この二人は手強い。

「どうする? こいつをこのまま換金所に持っていこうにも結構距離あるしさあ、外のやつに邪魔されるよね」

「マリア、あなたが相手をしてあげて。私もこの人とお話しがしたいから」

「あいよ。じゃ、ちょっくら行ってくるわ」

 マリアと呼ばれた麦わら帽子の女は立ち上がり、部屋から出ていった。

 扉の閉まる音がし、目の前で椅子の軋む音がする。

「お久しぶりね、涼子姉さん」

「しほりね」

 涼子の目隠しが外された。

「大正解」

 丸メガネにおさげのその女は、レンズの奥で鳶色の瞳を輝かせ、うれしそうに言った。

「久しぶりじゃないの。なんだか大人っぽくなったわね」

「そりゃあそうよ。私もう二十歳だもの」

「そんなに経つかしら。早いものね。今は何してるの?」

「見ての通り賞金稼ぎ。有能な相方を見つけたの」

「あらそう。なんでも私の真似ばかりしていたあなたが、知らない間にずいぶんとたくましく育ったじゃない。私、感動しちゃった」

 涼子が笑いかけると、しほりも微笑み返した。

 涼子の体から、透明な何かがゆらりと立ち昇った。

「でもね、しほり」

 室温が急速に上昇する。

「ちょっと、やんちゃし過ぎね」

 二人の居る部屋は一瞬にして熱帯林のような暑さと湿気に包まれていた。灯りのついていない薄暗い部屋の中で、窓から入る日差しだけが、床としほりを照らしている。

 汗ひとつかいていない涼子の顔には濃い影が落ち、その紫色の瞳だけが爛々と輝いて、静かにしほりを見つめていた。

 額の汗をゆっくりとハンカチで拭ったしほりは、ますます口の端を吊り上げた。

「まあ怖い。やっぱり涼子姉みたいな美人に凄まれると迫力があるわ」

 しほりは立ち上がり、涼子の目の前に立って腕を組み見下ろした。

「ごめんね、これも仕事だから、涼子姉ならうまいこと逃げ出すでしょ? 私たちはお金だけもらったらさっさととんずらするから」

 黙って見上げる涼子の紫色の瞳がぬるりと不吉な光を放つのを、しほりの鳶色の瞳が真正面から受け止めた。

「だから少しの間付き合ってよ。私だって乱暴はしたくないの」

 机に置いてあったカップが、カタカタと音を立てて揺れ始めた。

 やがて部屋中の家具どころか、部屋全体が、館全体が小規模な地震でも起きたかのように揺れ始める。

「どうせ、ちょっとやそっとじゃ死なない体でしょ?」

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