第四話 夢見昼顔
「素晴らしい。思っていた以上だわ」
「ほんとにこんなんでお金もらっていいの?」
「もちろん。今日は試すだけのつもりだったけれど、これなら即実用化できるわね」
涼子さんはドロシーの触ったものが一瞬で腐っていくのを眺めながら、まだ信じられないという口ぶりで言った。
「見事としか言いようがないわ。そのスピードでその量がいけるなら、単純計算で3ヶ月も働いてくれれば、あなたたちの崩した橋を直せるくらいのお金が生まれるわよ」
「ほんと? あたし、役に立ってる?」
「それはもう。正直こんなにうまく行くとは思ってなかったわ。後でちゃんとお給料をお支払いします」
涼子さんはドロシーの頭を撫でながらにっこりと笑いかけた。
涼子さんが試したいことがあるというので、わたしとドロシーは時子さんの運転する車に乗り、今日は朝から涼子さんの職場のひとつに来ていた。
涼子さんがどうしてお金持ちなのかは今まで謎だったが、自分の周りが夏になることを活かして大規模な農園を経営しているのだという。社長であり、地主なんだとか。
夏の野菜や果物を季節に関わらず年中自然栽培できるとあって、結構な利益が出ているらしい。
「えっ、何? なんで頭触んの?」
「褒めてるのよ。あなたはすごいことをしたんですよ、それはとても素晴らしいことですよ、って意味」
「ふーん……なんか変な感じ」
ドロシーはあまり頭を撫でられたことがなかったのか、顔を変な感じに歪めて目線を泳がせていた。褒められてうれしいのを隠し切れないようである。
涼子さんは農場の経営の他にも関連した事業をいろいろと手掛けているらしく、そのひとつが肥料に使う堆肥や腐葉土の製造だった。
そこでドロシーの出番である。有機物を腐らせてつくる肥料なのだから、確かにドロシーが触れれば一瞬で出来上がるわけだ。
今わたしたちが来ているのは、涼子さんの持ち会社のひとつである有機肥料の製造所だった。
涼子さんに簡単な説明を受け材料に触ったドロシーは、最初は腐らせすぎないように加減するのが難しいようだったが、すぐにコツを掴んだ。何でも一瞬で朽ち果てさせるまでに能力を鍛え込んだ本人の感覚では、ほとんど何もしていないレベルらしい。山のような量を前にしても、指先でちょんとつつけば十分だった。
ドロシーは自分の能力が戦闘以外で役に立つのがよほど嬉しいらしく、涼子さんに言われるがままに次々と肥料を仕上げていった。
「社長、今月出荷する予定分の製造がすべて完了してしまいました!」
一緒に様子を見て回っていた作業着の男性が悲鳴をあげた。
「まあ。困ったわ。ドロシーちゃん、張り切りすぎよ。今日はそのくらいでいいわ」
「え、もういいの? あたしなんかマズイことしちゃった?」
「いいえ、これはうれしい悲鳴というの。彼も私も喜んでいるのよ」
「そうなんだ。よかった!」
ドロシーは得意げに胸を反らせた。腰に手まで当てて、どうだという顔でわたしの方を見る。
「すごい! すごいよドロシーちゃん!」
「でしょ? どんなもんよ!」
わたしも自分のことのように嬉しくて、きゃあきゃあ騒ぎながらドロシーに抱きついて頭をぐりぐりと撫で回した。
ドロシーの能力をまさか生産的なことに活かすとは、涼子さんの発想は大したものである。ドロシーの能力について「私ならもっと素敵な使い道を思いつくのに」と初めの頃に言っていたが、どうやら素敵にお金が生まれたようだ。
橋を壊した分の損害をいつかは請求されるだろうとは思っていたが、稼ぎのないわたしでは返済は絶望的だとも思っていたので、ドロシーが稼いでくれるのはありがたい話だった。
保護者としては情けない気もするが、もともと身の安全もドロシーの能力に頼って居たし、わたしはどちらかというと庇護される側になりつつあった。
「希、もう安心して。これからはあたしが希の分までたくさん稼ぐから、お金に困らなくて済むよ」
「ドロシーちゃん……!」
今までお姉さんのつもりだったけど、もうドロシーはわたしより立派なのかもしれない。経済的に自立し始めたし。
……いや、わたしだってまだまだ役に立つはず。裁縫も再開するし、料理だって習い始めたし!
「……もうわたしドロシーちゃんのお嫁さんになろうかな」
「え? いいよ」
「あ。わたし。もうだめ。今ので完全に惚れました」
「おめでとうございます、希さま」
それまで涼子さんに付き従うだけで何も言わなかった時子さんが、ここぞとばかりに祝福してきた。胸の前で小さく拍手までしている。
「ふたりとも、一旦帰ってお昼にしましょう。時子、車を出してちょうだい」
「はい、涼子さま」
時子さんの運転で屋敷に戻り、早見さんの用意してくれていた昼食を摂りながら、わたしたちは午後の予定について話した。
「そうそう、ドラゴネッティさんから連絡があったそうよ。注文していた裁縫道具が揃ったみたい。希ちゃん、時子をつけるから、取りに行ってもらえないかしら」
「はい、行ってきます。本当にありがとうございます!」
「いいのいいの。何だったら少しお小遣いをあげてもいいくらいの気分よ。私は今ドロシーちゃんのおかげでとっても機嫌がいいから」
窓際に吊るされてる風鈴が、涼子さんの言葉に応えるように涼しげに鳴った。
「私は用があるから残るけど、そうね、希ちゃんとドロシーちゃんと、時子の三人で行ってらっしゃい。何か欲しいものがあったらついでに買ってきてもいいけれど、夕飯に間に合うように帰ってきてね」
「わかりました」
「それからドロシーちゃん、これは今朝の働きの分のお給料よ」
「あ、うん」
涼子さんから封筒に入った現金を渡されると、ドロシーは口元をほころばせた。
「橋を壊した分の賠償は次のお給料からでいいわ。今回のお金は好きなように使ってくれて構いません。その代わり、これからも定期的に力を貸してちょうだいね」
橋の賠償についてはこれまでうやむやだったが、わたしたちに支払い能力があるとみなされたらしい。
「うん。わかった」
ドロシーは涼子さんの顔を見ながらコクコクと頷いた。
時子さんの車で街にやって来たわたしたちは、まずは真っ先に裁縫屋に向かった。
相変わらず凄みのある顔つきの店主に内心ビクビクしながら要件を伝えると、重々しく頷いた店主は店の奥から裁縫箱を持って来た。
所々ツタや葉の絡まるような飾り彫りのされた、素朴だが上品なデザインの木箱だった。
「わ、綺麗な箱ですね」
「高級品だ。お嬢ちゃんがいきなり使うには、少し贅沢かもしれんな」
「が、がんばって勉強します……!」
箱には何段か引き出しがついており、蓋を開けた内側にも道具が納まっていた。機能性も高そうである。
「希うれしそう。よかったね」
「うん。とってもうれしい」
ドロシーに返事をして、わたしは自分の道具として与えられたこの箱を大事に抱えた。
裁縫を始めたきっかけは施設にいた頃の不安を紛らわすためだ。不器用なわたしはつくるのにいつだって時間がかかったけれど、その分完成したときの達成感も大きかったから、不安とかは抜きにしても、わたしは裁縫が好きだった。
今日からやる裁縫は、いままでよりずっと楽しいものになる気がする。涼子さんにはよくよく感謝しなければ。
「ありがとうございます。大切にします」
わたしはドラゴネッティさんと時子さんにお辞儀をした。
「お礼でしたら帰ってから直接涼子さまにお伝えくださいませ」
時子さんに笑いかけられ、わたしもはいと返事をし、ドラゴネッティさんにもう一度お礼を言って店を後にした。
「希さま、よければこのあと本屋に寄って行かれませんか?」
「本屋ですか?」
「はい。涼子さまより、裁縫の本を買って差し上げるよう言付かっております」
「え! いいんですか、そんなものまで」
「はい。希さまに勉強する意思がございましたら、ですけれども」
「ほ、欲しいです! わたし勉強したいです!」
「それは良うございました。せっかくの応答なお道具が無駄になってしまってはもったいのうございますからね」
とてもうれしい申し出だった。実は施設にあった唯一の裁縫の本は英語で書かれていて、英語の読めないわたしは図からなんとか想像して学ぶことしかできなかったのだ。ちゃんと学べるとなればこれほどうれしいことはない。
わたしたちは時子さんの案内で本屋に向かうことにした。
「……ん?」
街中で二人について歩いていたドロシーは、ふと足を止めた。道端に小さな薄桃色の花が咲いていたのだ。
とりわけ奇抜な見た目や色をしているわけではなかったが、その花はなぜかドロシーの目を引いた。しばし立ち止まり、その花を眺めてから、どこかで見たことのあるようなその花の名前を希に聞いてみようと思い立ち、顔を上げる。
「あれ」
いつの間にか希と時子の姿が見当たらない。道行く人々の中にもそれらしき姿は見当たらず、後ろを振り返って見ても、やはり見知った姿はない。
「希? 時子?」
急に不安に駆られた。施設を出てからはずっと希と一緒だったせいか、自分が今ひとりだということを強く意識してしまう。
突然知らない街に放り出されたような気分で、ドロシーは辺りを見回した。街を歩く人々はドロシーの方を見もせず、何を話しているのかもよくわからなかった。
昼下がりの街がまるでこの短時間に不気味で得体の知れない場所に変貌してしまったかのように、さっきまでとはまったく違うものに見えた。
うっすらと、怖いと思った。
それはドロシーの体験したことのない種類の恐怖だった。生死を賭けた戦闘なら慣れっこだったが、これは違う。さっきまで普通に見えていた景色が、まったく知らない、何か別のものに変わってしまっている。
これはなんだ。明るい昼間の街中で、どうしてこんなに不安な思いをしなくてはならないんだ。
焦りと共に希の名前を何度も呼ぶが、どこからも返事は聞こえない。
何度か希の名前を呼び続け、返事がないことを確かめると、まるで自らの不安をかき消そうとするかのように、徐々にドロシーの恐怖は怒りに転じ始めた。
ふたりとも、黙ってどこかに行ってしまうなんて!
希よりも戦闘向きの能力を持つドロシーは、自分こそがいざというとき大切な友人を護る立場なのだと、常日頃から思って来た。どんなに強大で恐ろしい追っ手が現れても、自分なら、希のためなら立ち向かえると確信していた。
なのになんだ、この言葉にできない感覚は。この不気味さは。
ひとりになったくらいで不安や恐怖を感じたと認めてしまった自分に、腹が立った。
きっと希は、裁縫の本を買ってもらえたからうれしくて、早く帰りたいんだ。希も時子も、私よりずっと背が高く、歩幅も広い。きっと私が立ち止まっている間に、時子とおしゃべりしながら、見えないところまで先に行ってしまっただけなのだ。
ドロシーはイライラしながらもう一度足元の花に目をやった。元はと言えばこの花だ。この小さな花になぜか目を奪われてしまったせいで、こんな思いをする羽目になったのだ。
これではまるで、迷子の子供ではないか。
まさしくそうに違いないのだが、自分で自分を子供だと認めるのが癪だったため、ドロシーは希を探しに行くことにした。そんなに長い間足を止めていたわけではないはずだから、急げばすぐに追いつくだろう。そう考え、ひとまず目についた路地に入ってみることにした。
足元の花から伸びたツタも、壁沿いに路地の奥へと続いていた。
路地を奥へ奥へと歩きながら、不意にドロシーは先ほど見た花の名前を思い出した。
昼顔だ。涼子が教えてくれた。
「ねえ涼子、これなんて花?」
「それはね、ひまわりって言うのよ」
「ふーん。じゃあこれは?」
「それはね、朝顔。朝に花が咲くのよ」
「へー。じゃあヒルガオとかヨルガオもあんの?」
「ええ、あるわよ」
そう言って涼子が地面に手をかざすと、朝顔と似たような形の薄桃色の花と、白い花が咲いた。
「桃色が昼顔で、白色が夜顔ね。夜顔の方は夕方に咲くから夕顔ともいうの」
まただ。ここにもやはり、昼顔の花が咲いている。
入り組んだ路地を進む内に、いつしか壁沿いに生える昼顔を目印にするように、ツタの伸びる方へとドロシーは歩いていた。
そのまましばらく歩き続けると、やがて開けた場所に出た。家々の間にたまたまできたような、中央に噴水のある小さな広場だった。壁や地面にはそこら中にプランターが置いてあり、たくさんの花が咲いている。そのほとんどは、ドロシーがいつの間にか追っていた昼顔だった。
中央にある大きな噴水は二段になっており、上の段から渾々と湧く清水は夏のぎらつく陽射しを受け、まるで上等な水飴のように透明でなめらかに流れている。
その噴水の縁に腰掛け、本を読んでいる女性が居た。
年齢は二十代前半だろうか。日よけなのか、おしゃれというよりはむしろ農家のかぶるような、実用性重視の大きな麦わら帽子を被っていた。長袖に丈の長いスカートで、暑くないのだろうかとドロシーは思った。これも日焼け対策だろうか。この女性の他には広場に人の気配はない。
その女性はドロシーの気配に気づいたのか、被っていた大きな麦わら帽子を傾け、本から視線を上げてドロシーの方を見た。ドロシーと女性の目が合う。
女性は丸い縁のメガネをかけていた。透明な丸メガネのレンズの奥に見えたのは、薄い鳶色の瞳だった。その明るい茶色は希の瞳を連想させたが、目の前の女性の瞳の色は希のそれよりかなり薄く、どこか緑色にも見える不思議な色だった。髪の色もやや茶色く、肩下くらいまでの髪を三つ編みにして胸元に垂らしている。
「……こんにちは」
どことなく涼子に似ているような、知的で掴み所のない雰囲気を感じ取りながらしばし瞳に魅入ってしまっていると、彼女がためらいがちに声をかけてきた。
「……えと、こんちは」
ハッとしてドロシーは返事をした。少し珍しい色の瞳とはいえ、初対面の人をそんなにジロジロ見ていいものではないだろう。ドロシーには少し常識があった。
彼女が座る石造りの噴水の縁にも昼顔のツが絡みつき、薄桃色の花を咲かせていた。それを見ていたドロシーの様子を見て、彼女は首を傾げた。
「どうかしたの?」
「別に。さっきから昼顔、よく見るなと思って」
「ああ、これ」
彼女は自身の足元にも咲いていた昼顔に目をやった。
「この辺は街中だけど、地下にはたくさん水があるの。だから石畳の隙間から、下の土の中で育った植物が生えてくる、なんてことが、あるかもしれないね」
ゆったりとした話し方で女性はそう言うと、再び手元の本の視線を戻した。
「ふうん」
ドロシーは希を探して辺りを見回した。どうやら行き止まりらしい。もっとも、空中を歩ける希なら行き止まりなんてものは関係なくどこへでも行けるのだが、今回は時子も一緒なのだから、さすがに地面を歩いているだろう。
ドロシーが昼顔を辿って来た道は一本道だったから、ここに居ないとなるとそもそもこちらには来ていないようだ。
かなり前まで引き返すことになる。ちょうど喉も渇いてきたので、ここらで一度休憩することにした。
ドロシーは噴水に近づき、両手で水をすくった。天然の湧き水なのか、気温に比べて嘘みたいな冷たさが肌に心地よい。そのまま手ですくった水を飲むと、女性が少し驚いた様子でドロシーの方を見た。
「それ、水道水じゃないから、飲んだらお腹壊すかも」
「あたしお腹壊さないから」
ドロシーは今まで、何を飲み食いしてもお腹を壊したことがなかった。そういう体質なのか、本人は「まあ能力のせいだろう」くらいに勝手に理解していた。
「……そう。地下水だから、冷たいとは思うよ」
「うん。うまい」
ドロシーは噴水の縁に腰掛けると、ふうと息をついた。
「あなたはこの街の子?」
隣の女性がふと口を開いた。
「ううん。最近来たばっか」
ドロシーは本当のことを言っていいか少し悩んでから、わざわざ隠すほどのことでもないかと思い素直に答えた。
「そう。私もね、最近この街に来たばかりなの」
女性は読んでいた本を閉じ、ドロシーと目を合わせた。
「ね、この街の魔女の噂を知ってる?」
「魔女?」
涼子のことだろうか。この街では涼子がそう呼ばれていると、確か早見か誰かに聞いた気がする。
「そ、魔女」
知っているも何も、その魔女の家でお世話になっているわけだが、正直に答えて良いものか少々迷う話だった。どう答えたものかとドロシーが黙っていると、女性は知らないという意味だと捉えたのか、語り始めた。
「昔、この街がまだ荒地だった頃、ひとりの女が夏を連れてきた」
女性の後ろで、噴水の水がぽちゃりと跳ねた。
「夏の太陽の恵みで荒地には街ができたが、女が居る限り夏が終わらないことに気づいた街の人々は、女を山の中に追いやってしまった。それ以来、ずーっと街は夏のまま。きっとその女は悪い魔女で、この街は魔女に呪われてしまったんだ、ってお話」
「……ふーん。初めて聞いた」
涼子は街の人からそんな風に思われていたのか。だからわざわざ山奥に住んでいるのかな。
ドロシーは涼子のことを可哀想だと思った。助けたはずの人々に裏切られ、ひどい扱いを受けたのなら、それは理不尽な思いをしただろう。能力の制御ができないせいでそういう思いをしたのなら、“能力を無効化する能力”を求めていたのも理解できた。
能力のせいでろくな扱いをされて来なかった境遇は、自分と似ている。
「その魔女は今でも生きていて、たまにこの街に顔を出すんだそうよ。君、会ったことある?」
「……ん? 今でも?」
ドロシーは首を傾げた。
「それって結構、昔の話?」
「そうでもないよ。だいたい十年くらい前の話みたい。昔話って呼ぶにはちょっと新し過ぎるかもね」
女性は口元に手を当てくすりと笑った。
涼子って何歳なんだろう。ドロシーは中高年の女性をあまり見たことがなかった。それ故に女性が何歳まで若い見た目のままでいるのかよくわからなかったので、涼子がもしかしたら若くないのかもしれないと思うことはあっても、年齢までは想像がつかなかった。
「……ふーん。よくわかんないけど、その魔女の人、可哀想だね」
「あら。どうして?」
「だってその人のおかげで今の街ができたんでしょ。でも街の人が嫌がっても夏のままってことは、きっと自分でもどうにもできなかったんじゃないの。何とかしようとしたけど、きっとダメだったんだよ。なのに街の人から嫌われてんのは、やっぱ可哀想」
ドロシーは涼子に、能力の制御ができないのは努力が足りないせいではないかと言ったことを思い出していた。あの時は何の努力もせずに他人の能力に頼ろうとしているように見えて腹が立ったが、今では涼子も相当な苦労をした上でどうにもならなかったのではないかと思い始めていた。
「君はやさしい子だね」
女性は微笑んだ。
「……ね、君は魔法の存在って信じる?」
「魔法? 何それ」
「願いを叶える力のこと」
さっきから魔女だの魔法だの、妙なことを言うやつだとドロシーは思った。
「それを使う女のことを、魔女って言うのよ」
「ふーん。便利そうだね」
「ふふ。そうでもないよ」
そろそろまた希を探しに行こうかと思っていたドロシーは空を眺めながら適当に返事をしたが、女性と微妙に会話が噛み合ってないような気がして、女性の方を見た。
「なに? あんた魔法使えんの?」
「人は誰でも、願いを叶える力を持っているんだよ。それを本当に望んでいるかは別としてね」
「よくわかんない。あたし難しい話苦手」
「簡単な話よ。自分が思い描いたことを実現させる力は、誰にでもあるって話」
「それってもしかしてアレ? 深層発現症候群ってやつ?」
雲行きが怪しくなってきたので、ドロシーは自分から少しつついてみることにした。
「あら。知っているのね。最近はそういうのもあるみたいだけど、あれは現代病でしょう?」
ドロシーには彼女の言いたいことがよくわからなかった。
「新型の精神疾患で能力を得た患者と違って、生まれつきの能力者はほんの少しだけど大昔から居たのよ。それが魔女や魔法使いの伝承の正体ではないかという説もあるの」
この女性はどうしてそんな話を、初対面の、よりによって能力者である自分にするのか。ドロシーは女性をやや警戒し始めた。
「……へー。そうなんだ」
「ええ。でもこの街の魔女の伝承はね、まだ生まれてから十年そこそこだから、深層発現症候群の存在が世界に知られ始めた後の話なの。だから魔女が、“本物”かどうかはわからない」
「本物って、生まれつきの能力者ってこと?」
「そ。君は頭が良いのね」
「何それ。バカにしてんの? そんくらいわかるよ」
ドロシーは女性が怪しい態度ばかりで警戒すべき相手なのかわからず、段々とイラつき始めていた。
「ごめんなさい。馬鹿にしたつもりはなかったの。ただね、この話を聞いてくれる人が居なかったから、うれしくなっちゃって」
「てかさ、能力がどうとかどうでも良くない? 単にこの街の魔女のことを知りたいってことでしょ?」
「やっぱり君は頭が良いね。そういうこと。私はこの街の魔女のことを調べてるんだ」
女性は浮かれ気味に語った。
「あっそ。でもあたし、さっきも言ったけどその魔女のこと全然知らないから」
ドロシーはこの辺りで切り上げることにした。噴水から降り、元来た路地に向かって歩き始める。
「あたしもう行くね。はぐれた友達を探してるとこだから」
「ああ、そうなの。早く見つかるといいね」
女性は少し残念そうにしながら、ドロシーに向かって手を振った。
「じゃあね」
ドロシーは手を振り返すわけでもなく、再び路地の奥に戻っていった。
「あ、ドロシーちゃん! どこに居たの? 探したんだよ」
路地を抜けると、希と時子が裁縫屋の前に立っていた。
「なにそれ! あたしだって希探してたんだよ。知らないうちにどっか行っちゃうし」
「う……ごめんね、置いてきぼりにして」
「見つかって良うございました。今度は手でも繋いではいかがですか」
「それいいね。希手繋ごう!」
「いいよ。行こっか」
すぐに期限を直したドロシーは希と手を繋ぎ、上機嫌で歩き始めた。
「そういえばドロシーちゃん、喉渇いてない? この先においしそうなフルーツジュースの屋台があったんだけど」
「飲む! さっき水飲んだけどもう喉渇いたし」
「え、そうなんだ。どこで飲んだの?」
「さっきの道の奥に広場があって、そこの噴水」
「おや、噴水でございますか。水が出ていたのですか?」
「え? ドバドバ出てたよ。地下水? とかいうので、ちゃんと冷たかったし」
「はて。あの噴水は、随分前に水が枯れてしまったはずですが」
「そうなの? ドバドバ出てたけど」
「ドロシーちゃん、もしかしてドバドバって言葉気に入っちゃったの?」
「うん。結構。ドバドバ使うよ」
「あはは! なにそれ面白い! わたしも使おっかな」
「希もドバドバ使っちゃって」
「うん。まずはドバドバ裁縫の本を読むよ」
「そうそう。そんでドバドバ縫っちゃって!」
「あは、縫う縫う! ドバドバ縫うよ」
希とドロシーがくだらない話で盛り上がっている横で、時子だけがやや首を傾げた。
(また水が出るようになったのでしょうか。一応涼子さまに報告しておきましょう)
時子はひとり合点して、仲良く手を繋いで歩く二人の後を追った。
三人の後ろで昼顔の花が、いつの間にかその花弁を閉じ始めていた。
「お待たせ」
ドロシーの去った後、噴水のある広場に別の女が現れた。
「ほい、コーヒー」
「おかえり。ありがと」
彼女は両手に持っていた紙製のコーヒーカップの片方を、噴水に腰掛けていた女に渡して隣に腰掛けた。
二十代半ばくらいの若い女だった。額の真ん中で分けられたセミロングの髪は明るい金に近い茶色で、毛先にかけてウェーブがかかっている。やや釣り上がった意思の強そうな瞳は黒く、堀の深い目鼻立ちのはっきりした顔つきのせいか、噴水に座っていた女よりも年上に見えた。
噴水に座っていた女はコーヒーを受け取ると、読んでいた本を閉じて膝の上に起き、ポケットからタバコとライターを取り出した。慣れた手つきで一本取り出して咥え、火を点ける。
「しほりさあ、今日タバコ多くない?」
コーヒーを啜っていた茶髪の女が言った。
しほりと呼ばれた女は意に関せずとばかりに深く煙を吸い、ゆっくりと吐き出した。
一息ついて、カップのコーヒーを飲む。
「……知ってる? タバコとコーヒーはね、相性抜群なの」
「それ何回も聞いたから」
「マリアもやってみればわかると思うわ。おいしいのよ、なぜか」
「だからあたしはタバコやんねーから」
マリアと呼ばれた女はしほりを適当にあしらうとカバンから雑誌を取り出して読み始めた。料理雑誌だった。
「知ってるわよ。未来の旦那様とキスする時に、タバコ臭いって思われたくないんだもんね」
「いいじゃんかよ別に!」
マリアは雑誌で顔を隠した。
「……まったく乙女なんだから」
その様子を見たしほりはくすくすと笑い、コーヒーをもう一口含んだ。
「……ね、今度の相手、やっぱりこの街の魔女で確定よ」
「へえ。魔女?」
マリアが顔の前から雑誌を下ろし、しほりの方を見た。
「魔女って言うと、あれか。やっぱ黒い格好のおばあちゃんなわけ?」
「いいえ、そこまで年寄りじゃないわ。見た目はマリアと同じくらいじゃないかしら」
「マジ? あれかな、やっぱ若さを保つ魔法とか使ってんのかな」
「そうかもね。美肌を保つ魔法とか」
「日焼けしない魔法とか」
「痩せたいとこだけ痩せる魔法」
「ムダ毛が生えない魔法」
「汗臭くならないのに髪はツヤツヤの魔法」
「乳が垂れない魔法」
「え?」
マリアは手を伸ばしてしほりの頭から麦わら帽子を奪い取ると、自分で被った。元はマリアのものだったらしい。
「とっとと捕まえて聞き出そ。キレイの秘訣」
「いざ行かん、失われた古代の美容魔法を求めて」
雑誌を閉じて立ち上がったマリアにおどけた口調で応えると、しほりはタバコをもう一息吸った。
煙を吐き出しながらタバコを噴水の上にかざすと、申し合わせたかのようなタイミングで水面から手元まで水が跳ね、タバコの火を消した。
「魔女狩りと行きましょう」




