外伝「エイミィを忘れないで」
俺は死んだのだろうか。
森の中をさまよっていた。真夏の暑い日中に、山に入ったのだった。
そして行き倒れた。そこまでは覚えている。
「お目覚めですか」
部屋に入ってきたのは、メイド服姿の女性だった。
「すみません、ここは」
「山の中で行き倒れていたのを見つけて、わたくしどものお屋敷に運んだのです。お加減はいかがですか?」
「なんともないです。ありがとうございます」
私は死んだのではなく、死ねなかったのか。
屋敷の主人は女性だった。
ただ、見た目が最悪だった。
長い黒髪も、白い肌も、美しい紫の瞳も、美しかった。
そしてつい先日死んだ恋人に、そっくりだった。
「あなた、名前は?」
「早見です」
「死のうとしていたわよね」
「……はい」
「この辺りの山はだいたい私の私有地なの。私有地で死人が出るのは嫌なのよ。わかるかしら?」
「はい。ご迷惑をお掛けしました。すぐに出ていきます」
「私を見ていないわね」
ドキリとした。
死んだ彼女もそうだった。その紫色の瞳に見つめられると、いつもすべてを見透かされているように感じた。
この人も、そうなのか。
「高木涼子よ。この辺りで夏の魔女をやっています。あなたが誰を重ねているのか知らないけれど、女性に対して結構失礼な態度だと思うわ。あなたの態度」
「重ね重ね、失礼を承知でお願いがあります」
「いやよ」
「俺を殺してください」
私はすべてを話した。勝手に話した。
恋人が目の前でトラックに跳ねられて死亡したこと。
彼女を守るべきは私だったのに、私を突き飛ばして、私を庇って、彼女だけが死んだこと。
死ぬつもりで山に入ったら、恋人にそっくりな見た目の涼子に拾われたこと。
もうどうしていいか、わからないこと。
「全部勝手に話したわ。この子やっぱり失礼ね、時子」
「仰る通りにございます」
涼子はため息をつくと、こちらを見た。
「いいわよ。殺してあげる。ただし料金をいただくわ」
「本当ですか」
肯定されるとは思っていなかった。
「全財産をお譲りします。大した額ではありませんが」
「いりません。その代わり、ここで使用人として働いてちょうだい。三日間よ。三日後に殺してさしあげます」
そこからの三日間は、奇妙な時間だった。
炊事、洗濯、風呂の用意、庭の手入れなど、使用人として雑用をこなす日々。
レストランで働いていた経験があったおかげか、特に料理は口にあったようで喜ばれた。
今までのすべての生活から離れて、山奥の屋敷で、ただ働く。
ただ誰かのために手を動かしていればいいこの時間は、この世のものかわからないほど、穏やかな時間だった。
三日目の夜、その時は来た。
あてがわれた部屋のベッドで横になり、俺は目を閉じていた。
部屋の扉が開く音がする。目を開くことはしない。
涼子に言いつけられていたのは、今夜殺すということ。
ベッドでただ眠っていればよいということだった。
ベッドに涼子が乗る気配がする。
顔に彼女の長い髪が触れる感触がした。
唇が、そっと押し当てられた。
驚いて目を開ける暇もなく、俺は急速に意識を失った。
翌朝、俺は普通に目を覚ました。
身支度をし、屋敷の中を歩き、涼子の元へ辿り着く。
「俺は生きているんでしょうか」
「さあ? 死んだんじゃないかしら」
涼子は新聞から顔を上げずに言った。
「あなたは恋人に抱きしめられながら、幸福な死を迎えた」
彼女は顔を上げて、瞳をこちらにまっすぐ向けた。
「いい? ここは死後の世界。あなたの生きていた世界に、四季はあったかしら。ここにはないわよ。ここにあるのは永遠に続く夏の三ヶ月」
彼女を見つめ返す。
「ねえ早見。同じ時間を延々と繰り返すのは、果たして生きていると言えるのかしら」
「……わかりません。今の俺には」
「そう。そうだ、あなたを殺した代金はまだまだ働いて返してもらうわよ。しっかり働いてちょうだいね。今日から私があなたの主よ」
「はい」
俺は膝をついて一礼した。
そうでないと、目の端に溜まった水が見られてしまうから。
「仰せのままに、涼子様」
「初めからこうなるとわかっていたのですか?」
「さあ」
お茶を出しながら時子が質問するも、涼子はいつもの調子ではぐらかした。
「ただの気まぐれよ。ちょうど使用人がもう一人くらい欲しかったものだから」
「まあ便利には違いないですね。よく気が付く男ですし」
「そうでしょ? それになにより」
涼子はうんとひとつ伸びをした。
「早見のつくる料理って、おいしいのよね」
終




