外伝「狐が生まれた日」第4話
その晩、私は自宅にいた。
小さなテーブルランプの灯りで本を読みながら、彼女、森永奈津子を待つ。
昼間のパブで得られた情報は大したものではなかったが、私はますます彼女への興味を募らせていた。謎めいた組織のナンバーワンだという話も、私を訪ねてきたときの手腕を見れば頷ける。私は彼女の能力を高く見積もり、不思議と信頼していた。
彼女は再びやってくる。それも今回は、乱暴な手段は使わない。
前回四肢を撃たれていて何だが、そんな確信めいた気持ちがあった。
「待ってたわ、奈津子さん」
部屋の扉の前に音も無く立っていた彼女に気づいた私は、声をかけた。
「こんばんは。お元気そうで」
「ええ、おかげさまで。お茶でもいかが」
「頂きますわ」
夏物の黒いスーツを着た彼女、森永奈津子は、私に勧められるがまま隣に腰掛けた。
「ずいぶんとお元気そうではございませんか。あれでも念入りに痛めつけたつもりだったのですが」
「体質よ。昔から体は丈夫なの」
温かいハーブティーを飲みながら、私は答えた。
「体質、ですか。便利そうですねえ」
「場合によるわね。例えば拷問なんかされたら、悲惨なことになると思う」
「私に向かってそのお話をするのは、大した度胸だと言って差し上げますわ」
「平気よ。もうその心配はいらないから」
「おや。それでは、協力して頂ける決心がつきましたか」
「いいえ。貴女、うちで働かない?」
「これはこれは」
彼女は笑みを浮かべると、カップを口に運んだ。
「どうしたらその発想に至れるのか、不思議で仕方ありませんわ。ご自分の置かれている状況を、もう一度丁寧に説明して差し上げた方がよろしいですか?」
「必要ないわ。私、あなたみたいな部下が欲しいのよ。有能で、用心棒もできて、何より話してて飽きないわ」
「この業界長いと色々なことがございますが、引き抜きの勧誘なんてものは、たいてい命乞いと共にされるものですよ。そちらの方はよろしいのですか」
「それも必要ないわ。というより、興味がないわね。で、どうかしら。あなたを何でも屋さんとして雇いたいのだけれど。今のお給料はどのくらい?」
「本気ですので? わたくし、貴女を連れて帰るのが今回の仕事なのですが」
「ええ、知っているわ。でももうやらなくて大丈夫。先方には私から話をつけるから」
「そういう問題ではございませんよ。困ったお方ですねえ」
彼女は堪え切れないようにクスクスと笑い始めた。
「わたくしなどを雇って、一体何をさせるおつもりです」
「そうねえ。とりあえず、貴女みたいなのが襲ってきたら、追い払ってもらおうかしら。あとはまあ、雑用ね。お茶を淹れたりだとか。家事だとか」
「この私を捕まえて、やらせることが使用人の真似事とは! 勧誘するならせめて、今より魅力的な仕事だとアピールする努力ぐらいしていただけませんか」
「む、それもそうね。貴女、ご趣味は?」
「仕事の話をいたしません?」
「あら、これもちゃんと仕事の話よ。普段お休みの日は何をしているの?」
「まあ、車弄りなどを少々」
「素敵だわ。私、機械ってほんと苦手なの。車の運転も。そろそろ車も買うつもりだったからちょうどいいわ。買う車を見繕ってもらえないかしら。車関連は全部任せたいわ」
「それは、まあ、構いませんが」
「いいの? 嬉しいわ! 一緒に頑張りましょうね」
「いえ、待ってくださいまし。今のは言葉のあやでございまして」
「本当のことを言うとね、会社の経営も手伝って欲しいのよ。初めの内はそっちがメインで、ゆくゆくは他の人に仕事を振っていくつもり。ずばり秘書ね。どうかしら」
「ううむ、経営ですか。熱心に勧誘していただいて光栄ですが、あまり平和過ぎるのも退屈そうですわ」
「あらそう。もしかしてあなた、今の仕事はスリルが目的なの?」
「それもまあ、ございますねえ。お給料も十分にいただいておりますが、やはり退屈な仕事が一番いけません」
「そうなの。じゃあ悪くない話かもしれないわ。私、賞金首らしいから、定期的に襲われるの。能力者が襲って来ることもあるのよ。そいつらを、ビシッと! あなたの力で追っ払ってちょうだい」
「ああ、用心棒のお話がメインでしたか。それなら、わからなくもありませんが」
「え? ちがうけど」
「ええ? ちがうのですか?」
「メインはメイドだけど……」
「初耳ですわ」
彼女は呆れたように肩をすくめると、立ち上がった。
「どうやら想像以上に話の通じないお方だったようです。仕方ありません。手荒な真似は前回で終わりのつもりだったのですが」
「何よ。まだやるの?」
話が堂々巡りになりそうだったその時、扉をドンドンと叩く音がした。
「おい! 開けてくれ!」
外から聞き覚えのある男の声がする。
私と奈津子は顔を見合わせた。
「……開けて差し上げては?」
「……そうね。しょうがないわ。どちらさま?」
扉を少しだけ開け、外を覗くと、そこには昼間に酒場で話した金髪の男が立っていた。
「俺だよ、ジェームスだ。昼間酒場で会っただろう」
「あら。奇遇ね、こんなところでも会うだなんて」
「こっちから訪ねて来たんだよ!」
やや息を荒げ、やけに焦った様子で彼は言った。
「おい、カティ・サーク! 居るんだろ!?」
奥に向かって彼が叫ぶように呼びかけると、奈津子は渋そうな顔で窓の方に目線を逸らした。
「呼ばれてるわよ、カティ・サークさん」
「……はて、なんのことやら。わたくし、そのようなふわふわした金髪の男性のことは存じ上げませんわ。それより高木様、この男のことをご存知なので?」
「ええ、ちょっと昼間に、酒場でね。ね、エアリアルくん」
「“君”付けすんじゃねえよ! 二人して馬鹿にしやがって、いいか、よく聞け! ここはもうすぐ爆破される! 今すぐ逃げろ!」
「はい?」
「まあ。大変だわ、でも本当かしら」
私と奈津子が反応に困っていると、男は一層切羽詰まった様子で言葉を重ねた。
「お前らまとめて消されるんだよ! 単独で強くなり過ぎた、情報を知り過ぎたカティ・サークと! 利用できそうにない夏の魔女をまとめて消すっていうのが、今回の作戦の裏だったんだ!」
奈津子が眉根を寄せ、初めて男の方を向いた。
「エアリアル。ではなぜ、あなたはそのことを、わたくしたちに教えるのです。その話が本当だとすれば、あなたはわたくしを消す側でしょう」
「惚れてるからに決まってんだろうが!」
彼は扉を叩き、強引に開け放った。思わず私が扉から手を離すと、彼は奈津子を指差し、言った。
「何度だって言ってやるさ、俺はお前にベタ惚れなんだよ! お前が死んで持ち上がりで手に入る一位のポジションになんか何の価値もねえ、俺は生きててるお前を超えて、俺のモノにしたいんだよ!」
「素敵じゃない。聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるくらいだわ」
「他人様の前でまで堂々と……恥ずかしいところをお見せするのはやめなさい、エアリアル」
「知るか! とにかく今は時間がねえ、上に掛け合って何とか爆破の予定時刻は引き伸ばしたが、そろそろ限界だ、爆撃機が来ちまう! 外に車が停めてある、乗れ!」
「どうなの、奈津子さん。この子のいうこと、本当なの?」
「……この男の唯一好ましい点は、わたくしに嘘をつかないというところですわ」
「なんだ。満更でもないんじゃない」
「それが、わたくしよりも弱いという点が致命的でして」
「おいレディども! 頼むから外でやってくれ!」
彼の言うことを信じることにした私たちが外に出ると、奈津子が立ち止まり、空を見上げた。
「……どうやら本当のようですわ」
「どういうこと?」
「遠くに航空機の気配がいたします。上空から爆撃ということでしょうか、なんと手荒な」
「最初から本当だって言ってんだろうが! 急げ!」
「納得いきませんわねえ」
「いきませんわねー」
急かすエアリアルを尻目に、私と奈津子は立ち止まった。
「おい! 何してる、早く逃げるんだよ!」
「ねえ奈津子さん。変だと思わない?」
「ええ。とっても」
「何がだよ。二人ともいいから、車に……」
「女二人消すのに、わざわざ爆撃機を持ち出すなんて、ちょっと大げさだと思うのよね」
「ええ。わたくしどもを消すだけなら、この家に先回りして、爆弾を仕掛けておく程度で良かったでしょうに」
天の川の見える晴れた美しい夜空を見上げると、遠くでかすかに、飛行機のような音がした。
「でもこの音、確かに飛行機の音なのよね。この辺りって旅客機は飛んでないから、飛行機の音がするとしたら、確かに爆撃機なのかもしれないわ」
「そこでこの男の出番なのですよ、高木様。この男の狙いが何であれ、この男ならば、爆撃機の音の偽装は可能なのです」
「なんだ。そこが説明つくなら、話は早いねわ」
私と奈津子の話に、エアリアルは立ち止まってこちらを向いた。
「二人とも、何の話をしてるんだ? この音が聞こえるだろ、もうすぐそこまで来てるんだよ、爆撃機が!」
「なかなか演技派だったわね、彼。でもちょっと、キャラ設定がクサすぎない?」
「仕方ありませんよ。この男は嘘を吐くのが下手なのです」
「つけないんじゃない? あなたには」
「ええ。惚れた弱みというやつだそうで。そこだけは信じておりました」
エアリアルがゆっくりと私たちの方を振り返った。
「……気づいてたのか」
「ええ、今さっきつながったわ。ね、エアリアルさん。爆撃機が来てるだなんて、嘘でしょう」
私の言葉に、彼は目を細めた。
「もう下手な演技はおやめなさい。どうやらこの魔女さまは、すべてお見通しのようですよ」
奈津子が言った。
エアリアルはため息をついて言った。
「知ってたのか、カティ・サーク」
「もちろんですとも。組織でも上の者しか知らない情報でも、わたくしには筒抜けなのですよ。なにせスパイですからね」
「あら、奈津子さん。あなたスパイだったの?」
「ええ、実を言いますと。ボンド・ガールのオファーを断ったこともございますわ」
「まあすごい」
「冗談にございます」
「それで。エアリアルくんが爆撃機の音を偽装できたのは、どうやってなの?」
私が尋ねると、奈津子はエアリアルの方を向いたまま答えた。
「この男の持つ力は、高木様と同じく、あの戦争の残り香、悪夢の力。エアリアル、“風の妖精”の称号をこの男が持つのは、組織での地位の他に、その能力が由来しているのです。“風に乗せて音を届ける”。それがあなたの力でしょう、ジェームス」
「……初めて名前で呼んでくれたな。カティ・サーク」
エアリアル、ことジェームスは、静かにつぶやいた。
「その通りだ。この音は爆撃機の音なんかじゃねえよ。かなり遠くの、別の地域を飛んでる旅客機の音だ。俺はその音を拾って流しただけだよ」
エアリアルが指を鳴らしてみせると、遠くの空から聞こえていた航空機の音が嘘のように止んだ。
「なるほどね。彼、嘘は少ししかついてないわ。爆撃機がくるのは今すぐってこと、そこだけが嘘だったんでしょう?」
「ええ、おそらく。真相は直接本人に聞いてみることにいたしましょう。話してくれますか、ジェームス」
「そこで名前を呼ぶのは反則だろう、カティ・サーク」
「どうせもうお別れですから。わたくしたちを車に乗せられなかった時点で、あなたの目論見は失敗でしょう」
「……ああ、その通りだ」
彼は天を仰ぎ、目を閉じた。
深呼吸すると、目を開け、こちらを向いて語り始める。
「お前ら二人が消されるのは本当だよ。爆撃機が来るのも本当だ。嘘に聞こえなかっただろ? 俺はお前にだけは、嘘をつかない。誠実な男でありたいからだ」
奈津子は黙って目を細めた。
「ただし、爆撃機が来るのは今じゃない。俺が作戦に失敗した時だ。今回動いてるプランは、全部で三つある」
「三つ? 思ってたより面倒なことになってるのね」
「ああ、お前のおかげでな、夏の魔女」
私は「何のことやら」と肩すくめてみせた。
「一つ目の作戦は、カティ・サークによる夏の魔女の捕獲。表向きには、夏の魔女の力を手に入れて何かしら便利に使おう、ぐらいのものだとカティ・サークには伝えられたはずだな。だが実際は、お前ら二人をまとめて始末するためのものだ。これが二つ目の作戦だよ。カティ・サークが夏の魔女と一緒にいる最中、まとめて爆撃機で始末する。多少派手になっても構わん。そのぐらいしないと殺せないと思われてるんだよ、お前らは」
「光栄ですわ」
「しぶといからね、私」
「褒めてねえよ。そして三つ目の作戦が、爆撃機のプランに前倒しして、俺がお前らを始末する、ってのだ。事が派手になる前に、ナンバーツーの俺ならやれるかもしれん、一度やらせてみようということで、話は通った」
「なるほど、なるほど。わたくしの受けたのは偽の命令でしたか。組織が危険視しているのは夏の魔女だけではなく、わたくしもだったとは。これまで散々尽くしましたのに、随分な扱いですわ」
「その通りだ。だがカティ、俺はお前のことを助けたかった。心から愛してるからだ」
「まあ。この流れで愛の告白だなんて。ちょっとロマンチックだわ」
「この男はいつもこんな調子ですわ。わたくしの前ですと」
「うるせえ、本心だ。俺はお前を逃がすために、カモフラージュに三つ目の作戦として、爆撃の前に直接始末する話を取り付けた。夏の魔女とも偶然を装って接触し、できれば逃げてくれないかと煽ってみたんだが、そこは下手くそだったな。反省点だ」
「確かに下手だったわ。より一層興味を持っちゃったもの。カティ・サークさんにね」
「あんたがこの街から逃げ出して、もっと人のいる街に隠れてくれたら、上空から二人まとめて爆撃しようだなんて乱暴な作戦は延期になる。そうなってくれるのが、俺としてはベストだった。カティ・サークの生き延びる期間が延び、その間に俺はまた新しい対策を打てる。ところがそうはならなかった。お前ら二人が揃うのは今夜だと予想して、俺は俺の作戦を決行するしかなくなったよ」
エアリアルが動いた。
同時に、奈津子も動いていた。
エアリアルの抜いた拳銃は私の額を、奈津子の抜いた拳銃はエアリアルの額を捉えたまま、しばし三人は沈黙した。
「……ずるいわ、二人とも。私だけ銃を持っていないのに」
沈黙を破った私の言葉に、エアリアルが笑う。
「それはあんたの準備不足だよ。悪いがあんたはここで死ぬ。俺はカティ・サークを連れて逃げるよ。あんたの死体があれば、組織は目的の半分を達成する。その上ナンバーワンとナンバーツーが一度に抜けたとなれば、俺とカティを追って始末できるほどの人材はそういねえ。組織は半分の利益で今回は納得するしかない。しばらくは安泰って寸法さ」
「なるほど一理ありますわ。ですが、そう言われてわたくしが、素直についていくとでも?」
奈津子は銃口をエアリアルに向けたまま言った。
「ああ、ついて来てもらう。ここからは力づくだ。俺はこの女を殺し、お前を連れて逃げる。従ってもらうぜ、カティ」
「どうするの? カティ・サークさん。あなたも狙われる側みたいだけど」
「先ほど申し上げた通りですわ。この男の目論見は、わたくしどもを車に乗せられなかった時点で失敗しております。おそらくあの車には爆弾が仕掛けられていて、高木様のみを乗せた状態でなんだかんだと理由をつけ、わたくしと共に外に出て、起爆するつもりだったのでしょう」
「……さすがだよ、カティ。どうしてわかった」
「車がもう一台あるでしょう。聞こえていましたよ。音を遠くに飛ばすことはできても、消すことはできないようですね」
「参った。どんな聴力してるんだよ」
彼は笑った。笑いながら人に銃口を向けないでほしい。
「その通りだ。車ごと夏の魔女は爆破するつもりだった。組織に支給された車にはもれなくGPSがついてる。ここで足跡消しといた方が時間稼ぎになるんでな」
「ねえ、いいこと思いついたわ。三人で逃げない?」
「却下だ」
「ご免ですわ」
私のナイスなアイデアはすげなく却下された。名案だと思ったのに。
「いずれにせよ、俺はここで夏の魔女を殺す。邪魔するなよカティ。俺はお前を生かすためなら、なんでもするからよ」
言い終えた瞬間、エアリアルは引き金を引いた。
奈津子に向けて。
とっさに飛び退いた奈津子が、倒れこみながらもエアリアルに向けて発砲する。
「邪魔するってんならカティ! 悪いが無理矢理にでもおとなしくなってもらうぜ!」
「力づくで女をものにしようなどと。品のない男は好みじゃありませんわ」
発砲した直後、エアリアルはすでに動いていた。
軌道を読まれていた奈津子の銃撃は、彼の肩をかすめるだけで逸れていく。
発砲を繰り返しながら素早く距離を詰めた彼は、奈津子に向けて左手を振るった。
地面を転がり、すぐさま起き上がった奈津子が銃を構える間も無く、奈津子の目前にナイフの切っ先が迫る。
空いた手でエアリアルの手首を掴む。ナイフを止めた奈津子は、そのまま手首をひねり上げた。
痛みに耐えながら、エアリアルの銃口が奈津子の方を向き、奈津子は銃口を払いのけざるを得なかった。
間髪入れずに放った蹴りは、エアリアルの腹部に届く前に両腕でガードされる。
徒手格闘の合間に光る二人の銃撃は、どちらも譲らず腕ごと弾いて軌道を逸らされ、夜空へと放たれていく。
「ちょっと! 二人とも!」
「高木さま! お逃げになってください、こんなところで、よりにもよってこの男に殺されるなど馬鹿馬鹿しいですわ」
「カティ! どうしてその女を庇う!」
「納得がいかないからです! わたくしは最初から貴方の計画には反対していますよ、見ての通り!」
「ねえ! 聞いてってば! この音!」
切羽詰まった様子の私の声に何かを感じたのか、二人は銃口をお互いの顔に向け、ピタリと動きを止めた。
二人の銃声が止むことで、先ほどから聞こえていた音がよりはっきりと聞こえるようになる。
「……エアリアル、この期に及んで爆撃機の音の偽装など」
「……いや。この音は俺じゃねえ」
「やっぱり?」
二人の戦いを尻目に、夜空を見ていた私だけが気づいていた。
エアリアルが止めたはずの航空機の音が、いつの間にか再び鳴っていることに。
「嘘だろ? あいつら、俺まで消すつもりか!」
「見損ないましたよ、エアリアル。貴方はついに、わたくしにも嘘をつくようになったのですか」
「断じて違う! 俺はこんなの聞いてねえ!」
「二人とも落ち着いて。その反応、あの音はエアリアルくんの能力で鳴らしてるものじゃないのよね?」
ゆっくりと確認する私に、エアリアルは狼狽した様子で答えた。
「ああ、そうだ。カティ・サークへのこの想いに誓って、今は能力を使ってねえ。使っても意味がないからだ」
血走った目で早口に答えるエアリアルを見、奈津子に視線を移す。
「奈津子さん、どう思う? エアリアルくんはこれ以上、私たちに嘘をついているかしら」
奈津子は無機質な視線をエアリアルに送ると、空を見て音のする方に視線をやった。
「……いいえ、高木さま。この男の言っていることは本当でしょう。現にわたくし、見えております」
奈津子の見る方を振り向くと、晴れた夜空の端に、かすかに赤い光が点滅しているのが見える。
「あれってやっぱり、爆撃機?」
「おそらくは。見た感じですと、うちの無人爆撃機でしょうね」
「クソが! カティ、逃げるぞ! 休戦だ、頼むから車に乗ってくれ!」
「チッ……仕方ありませんね。高木さま、状況が変わりました。この男を信じて、今すぐここを離れましょう」
「気に入らないわ」
「はい?」
「ハア?」
私の返事に、二人は固まった。
「何を言ってらっしゃるので? これ以上は流石に時間がありませんわ。逃げるが賢明かと思いますが」
「無人なんでしょ? だったら」
遠くの空に徐々に姿を現した爆撃機を見て、私は言った。
「堕とす」
星が消えた。
「堕とすだと? お前に何ができるってんだ!」
「待ちなさい、エアリアル。空の様子がおかしい」
夜空を見上げたふたりは、気づいたようだった。
あんなに美しく澄んでいた夜空は、いつの間にか分厚い雲に覆われていた。黒い雲の合間に、ときおり稲光がきらめく。
低い音で雷鳴が轟くと、ポツポツと雨が降り始めた。
「ちょっと濡れちゃうけどね」
雨はすぐに土砂降りとなり、痛いほどに顔を叩いた。
「まさかこれもあんたがやってるのか?」
「もちろん」
うるさい雨音にも関わらず、耳元でクリアに聞こえたエアリアルの声に返事をする。おそらく能力を使って音を飛ばしているのだろう。なかなかスマートな使い方だ。
私は遠くの爆撃機をにらみつけた。
突然の暴風雨に機体が揺れ、バランスを崩しかけている。
「狙い撃ちよ」
一閃、稲妻が爆撃機を貫いた。
派手な爆発音とともに機体は空中で霧散すると、煙を上げて地面に墜落した。
やがて機体の炎が消えると、雨は弱まり、ついには止んだ。
「……本当に堕としやがった」
ずぶ濡れになりながら見守っていたエアリアルが呟いた。
「お見事です」
奈津子は髪をかき上げ、顔をぬぐうと、軽く拍手した。
「無人とわかれば話は早いわ。この空域にどうして飛行機が飛んでいないのか知ってたかしら?」
「なるほど。高木様のせいですわね」
「そ。機嫌悪いと天気も悪くなっちゃうの」
「めちゃくちゃな女だよ、あんた」
エアリアルが肩をすくめ、やれやれと言った様子で手を振ると、私たちに背を向けて歩き始めた。
「あら。奈津子さんはもういいの? エアリアルさん」
「ああ。行くんだろ、カティ」
「よくわかりましたね、エアリアル」
「惚れた女の考えだ。多少はな」
「どういうこと?」
私が尋ねると、奈津子は答えた。
「今回の任務にて、組織はわたくしと高木様を消そうとしました。おそらく理由は安っぽいものですわ。利用できないから消す。しかしそれも、先ほど失敗に終わりました。エアリアルはこの結果を組織に持ち帰ります。高木様はマークはされるでしょうが、迂闊に手を出すようなことは、今後しばらくいたしませんでしょう」
「その通りだ。そして俺が持ち帰る報告は、高木涼子は殺せなかった。カティ・サークには逃げられた。これだよ。どう考えても大目玉だ。怖くてたまんねえぜ」
「それだとあなた、一番ひどいことにならない? それこそ殺されないかしら」
「それはねえよ。カティが抜けたら、俺がナンバーワンだ。当分は惜しがって殺されねえよ。人材不足なんでな」
エアリアルは言った。
「あんたの暴れっぷりを見てたら馬鹿馬鹿しくなっちまった。今回は失敗でいいよ、もう。カティ、元気でな。またどこかで」
「ええ、あなたも達者で。ジェームス」
彼は立ち止まり、振り返ると、少しだけ奈津子を見つめた。
「名前で呼びたかったよ、お前のこと」
「佐野時子です」
エアリアルが大きく目を見開いた。
奈津子は小さく、しかしはっきりと言った。
「わたくし、佐野時子と申します」
「……そうか。感謝するよ、時子」
彼は満足げに笑うと、再び振り返り、去って行った。
「……で、あなたどうするの? 佐野時子さん」
「そうですねえ。行くあてもなくなってしまいましたし。仕事も失ってしまいましたから、とりあえず」
カティ・サークと呼ばれた女スパイ、森永奈津子は、佐野時子は、ニヤリと笑った。
「お風呂を貸していただけますか? これからはわたくしが支度いたしますから、使い方も教えていただけると」
「もちろん。嬉しい返事だわ。これからよろしくね、時子さん」




