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外伝「狐が生まれた日」第3話


「お久しぶりね」

 私はカウンター席に座ると、バーテンダーに声をかけた。

「農家の魔女様じゃねえか。いらっしゃい」

 髭面で目つきの鋭い南米系の彼は、グラスを磨く手を止めないまま、こちらを見もせずに言った。

「ロンドン・ウィッチを」

「面白いもん知ってんな。あんたなりのジョークのつもりかい」

「彼女との再会を願って、よ。できる?」

「もちろんだとも」

 やがて出された赤い色のカクテルに口をつけ、私は酒場の中を眺めた。

「誰か探してんのか。チンピラ共で良ければいくらでも紹介するぜ」

「せっかくだけど、若い子なら間に合ってるわ」

 森永奈津子と名乗る女に襲われた翌日、私は山を降りて、街の酒場にやって来ていた。

 彼女についての情報を集めるためだ。

 待っていても彼女はまた来るだろうが、情報は少しでも多いに越したことはない。むしろ昨晩の間に拉致されるくらいのことはあってもいいと思っていたのだが、彼女はそんなに急いでいないらしい。

 とはいえ森永奈津子というのも、どうせ偽名だろう。彼女が名乗っていた大英貿易とかいう会社も、カモフラージュ用のものだろうし、手がかりはほとんどない。

 幸い、この街はあまり大きくない。人相風体で探ってみれば、運が良ければ何かがわかるだろう。

「でも、そうね。ひと段落したらまた農園を大きくするから、食いぶちに困ってそうなのが居たら紹介してちょうだい。悪いようにはしないから」

「よく言うぜ、まったく。あんたのおかげで、この街のチンピラ共は真っ当に働いて金を稼ぐことを覚えちまった。おかげでビールばっかり売れんだよ、労働者の酒だっつってな。どうしてくれんだ。俺はカクテルがつくりたくてバーテンやってんだぜ」

「あら、商売繁盛でいいことじゃない。カクテルなら私が頼んであげるわよ。ホワイト・ウィッチできる?」

「あるぜ、あんたくらいしか飲まねえけどな」

「嬉しいわ。用意してくれてるのね」

「ああ、俺の趣味でな」

 次に出された白く甘い味のカクテルを飲むと、私は本題を切り出した。

「ねえ。ショートカットで黒髪の女を探しているのだけれど。ご存知ないかしら」

「女? なんだ、男でも取られたのか」

「あなたのそういう遠慮のないところ、結構好きよ。顔は好みじゃないけれど」

「顔の話はすんじゃねえ。酒の腕なら負けねえよ」

「ええ。あなたのつくるカクテルを飲みに、わざわざ降りて来てるもの、私。で、どうかしら。アジア系で、多分日本人なの。何か知らない?」

「ショートカットで黒髪の日本人女ねえ……少なくとも最近の客にはいねえな。客の顔なら覚えてる」

「あら、そうなの。残念」

「まあな。だがまあ、直接は見てねえが、話題には上ってたぜ。黒髪の日本人女の話だ」

「なんだ、知ってるじゃないの。どんなお話?」

「ちょっとは遠慮しろよ、客のプライバシーなんだからよ」

「とんでもない。言い出したのはあなたでしょ。開店から面倒見てる店の主人が自分から喋りたそうにしてるから、これは聞いてあげなくちゃって思っただけよ」

「わかった、わかったから。出資してもらった恩は忘れてねえよ。言えばいいんだろ。先週あたりな、黒髪の日本人女に振られたって、クダ巻いてる客が居たんだよ」

「よろしい。それで?」

「でよ、この辺で黒髪の日本人女って言えばあんたぐらいだろ。あんたの周りで惚れた腫れたの話なんざ聞いた試しがねえからよ、俺は興味が出ていろいろと話を聞いたわけよ」

「へえ、面白い話ね。身に覚えがないところが特に」

「だろ。実際よくよく話を聞いたらよ、あんたのことじゃなかったってわけだ。ショートカットってのもそん時に言ってたな。確か客の男は白人だったぜ。ラフな英語だったが、訛りがアメリカ系じゃねえ。ありゃあイングランドだな」

「英国人。ふうん」

 私の探している彼女、森永奈津子は、自身の所属を「大英貿易」と名乗っていた。

 ありがちな日本企業の名前かと思っていたが、「英」がもし、「英国」のことだったとしたら。

 彼女はあながち、まったくのでたらめを言っているわけではないのかもしれない……少し強引か。

「もう少し情報が欲しいわね。ギムレットくださる?」

「イギリスにちなんだカクテルだな。相変わらずよく飲む姉ちゃんだ、はいよ」

「あら、これでも控えてるのよ。今日はあまり働いていないから」

「昼間だから、じゃねえのかよ。働いてたらどんだけ飲むつもりなんだか」

「そうだわ、せっかくイギリスの話題になったんだから、やっぱりビールを飲まなくちゃ。あるわよね」

「あんた、情報集めに来たのか酒飲みに来たのかどっちなんだよ。店にとっちゃ嬉しいけどよ」

「もしかしてもうないの?」

「あるよ! まったく」

バーテンは肩をすくめると、呆れた顔で泡立つビールをグラスに注いだ。

「おいバーテン、こっちにもエールを頼む」

カウンターの、私からやや離れた席に座っていた男が注文の声を上げた。

「はいよ。あんたも昼間っから酒かい」

「うるせえ。黙って注ぎやがれ」

「はいはい。それでよ、魔女の姉ちゃん。さっきの客の話の続きなんだがな、その客といったらまあ飲むんだわ、あんたみたいにな。しかもだ、惚れた女の悪口大声で言いながら飲んだくれてるくせによ、他の酔った客が調子合わせてその女を悪く言うと、ブチ切れて暴れ出すんだよ。まったく手がつけられやしねえ。そんで……」

「おい。おいバーテン!」

「あ?」

「その話はそこで終いだ」

 先ほどエールを注文した男が言った。

「なんだと」

「それ以上はやめろと言ったんだよ。今日はこうして大人しくしてやってんだからよ」

 男が被っていた帽子を取ると、淡い金髪が露わになった。

「てめえ、この間の客じゃねえか! よくもまあ昨日の今日で来れたもんだ、俺の店をめちゃくちゃにしやがって! 出てけこの野郎!」

「だから今日は大人しくしてんだろうが! 店の修理代を払いに来てやったんだよ、ついでに酒も飲んで金落としてくんだからありがたく思え」

「何を偉そうにしてやがんだコラ! 修理代払うのは当たり前だろうが!」

「ねえ、ちょっと良いかしら」

 思うところあって、私は熱くなる客とバーテンダーの間に割り込んだ。

「おいおい姉ちゃん、今は見ての通り取り込み中だ、わかるだろ? 俺はこいつから金だけとって追い出したいんだよ」

「ね、マスター。私、この方とお酒が飲みたいわ。今日の所は私に免じて、寡黙なバーテンの仕事に戻ってもらえないかしら」

「そうは言ってもよ、こいつがまた暴れ出したら……」

「私、あなたが黙ってシェイカーを振って、綺麗なカクテルが出来上がるのを見てるのが好きなの。それが見たくて、ついいろんなお酒を頼んじゃうのよね」

「はあ。わかった、わかったよ。まったく、おいてめえ、今日は暴れんじゃねえぞ」

「悪かったよ。今日は普通に飲むだけだ。ところでこのお嬢さんは?」

「まあ、お嬢さんだなんて。私いくつに見えてるのかしら。まずは乾杯と行きましょう。素敵な出会いに」

 彼と私のグラスが小気味良い音を立ててぶつかる。

「涼子よ。よろしくね」

「ジェームスだ。ジムと呼んでくれ」

「ジム。エールがお好きなの?」

「ああ、イングランドの労働者はこいつを飲らなきゃ調子が出ねえんだ、昔からな」

「古き良き英国のパブ文化ね。ビールのことをエールと呼ぶのも。この街では見ない顔だけれど、傷心旅行か何かかしら?」

「おいおい、初対面で聞く質問か? この歳でようやくわかってきたぜ、客の秘密を守れねえバーテンと黒髪の日本人女には、関わるとろくな事がねえ」

「何が客の秘密だ、大声で垂れてる振られ話を秘密とは言わねえよ」

「てめえまだやるつもりか」

「マスター、エールのお代わりよ。この方にもね」

「はいよ。よお旦那、この姉ちゃんによくよく感謝して味わうんだぞ。本当なら今頃あんたは店の裏のゴミ溜めにぶち込んでる予定だったんだからな」

「言うじゃねえか。やってみろよ」

「マスター、お代わりよ」

「もう注いだだろ、って、もう飲んだのか? 信じられねえ。もっと味わって飲めよ」

「よく飲む姉ちゃんだな。日本の女はみんな酒に強いのか」

「やっぱりこういう酒は十パイントは飲まないと気が済まないわね。それとも、お酒に弱い、すぐに頬を染める大和撫子の方が好みだったかしら」

「いいや、好みだ。おいバーテン、俺にももう一杯だ」

「お前金払えよちゃんと」

 ひとしきりエールを飲み交わすと、赤ら顔になった男は勝手に黒髪の女のことを話し始めた。

「へえ。そんなに何度も振られてるのに、諦めないのね」

「おうよ。あいつ以上の女は英国中探してもいやしねえ。何よりあいつが仕事の時に見せる目つきがよ、ゾッとするほど冷たくて、そりゃあもう美しいんだ」

「ベタ惚れねえ。彼女とは職場で?」

「同僚だ。入ったのは同じ時期だったんだが、初めっからあいつは他の奴らのずっと先を歩いてた。今じゃ間違いなくナンバーワンだよ、おかげで俺は永久にナンバーツーだ。男としちゃ恥ずかしい話なんだがよ」

「そんなことないわ。その子がいなければあなたがナンバーワンでしょう。この街にはお仕事で?」

「いいや、プライベートだ。あいつが仕事でしばらくこの街に滞在するって聞いたからな」

「それでわざわざ追いかけて来たの? めげないわねえ」

「けっ、なんとでも言え。俺は執念深さでナンバーツーまで上り詰めたんだ、そこだけはあいつに勝ってると思ってる。まあしかし、あいつはなまじ自分が有能なもんだから、自分より無能な男には興味がないとのたまうんだ。困ったことにな」

「キャリアにありがちね。身近にこんなに努力してる素敵な男性が居るのに、見えてないんでしょうね」

「なんだよ慰めてくれてんのか。結構だ、俺はあいつを超えねえことには欲しいものは手に入らねえってわかってる。仕事も恋愛も」

「夢に向かって努力してる男性は魅力的だと思うわよ、私はね。あなたみたいな人に好かれてる幸せな彼女のこと、もっと教えてくださらない? 名前はなんて言うの?」

「奈津子だよ、あいつは仕事の時はいつもそう名乗る。俺たちは“カティ・サーク”と呼んでるがな」

「へえ。奈津子。古風な名前ね」

 私に勧められるがままに散々エールを飲み干して饒舌になったジムは、うっかり口を滑らせたことに気づいてないようだった。彼が永久にナンバーツー止まりなのも頷ける。

 「仕事の時はいつもそう名乗る」と言うことは、どうやら「森永奈津子」が偽名なのは間違いないだろう。

 それは同時に、偽名を使うようなことに手を出している組織に、彼女が所属しているということでもある。

「カティ・サークって、確かイギリスの有名な高速紅茶運搬船よね。蒸気機関ができる前、もっとも速いと言われた伝説の帆船の名前であり、若く妖艶な魔女、ナニーの通称」

「おお、物知りなレディだな。その通り。実は俺たちは紅茶の貿易をやっててな。ナンバーワンの人間には、名誉あるカティ・サークの称号が与えられるんだ。古いしきたりだが、俺は結構気に入ってる。何よりあいつにぴったりの呼び名だからな。由来となった詩を知ってるか?」

「バーンズよね。確か、農夫が魔女の集会を見てしまい、下着姿で踊る魔女に魅了され、歓声を上げたせいで気づかれて追いかけ回される、っていう」

「そうとも! “シャンタのタム”だ。風のような速さで走るカティ・サークに、馬に乗って逃げた農夫のタムはギリギリ追いつかれちまう。遂には馬の尻尾を掴まれるが、掴んだ毛が抜けてなんとか助かった、って話だ。“風のように速い若く妖艶な魔女”、あいつにぴったりの呼び名だ。もっとも、うちのカティ・サークは捕まえたら逃がしゃしねえけどな」

「そうね。ぜひともお会いしてみたいものだわ」

 どうやら私は、紅茶の貿易に拳銃を使うタイプの魔女に狙われているらしい。冗談のような話である。

 紅茶という言葉自体が何かの隠語である可能性はあるが、表向きは本当に、大英貿易という会社で紅茶商をやっているのかもしれない。

 森永奈津子と同僚だという彼と出会い、迂闊に口を滑らせてくれたのは幸運だったが、調子の良い男に見える彼もまた、もしプライベートでなければ私を狙う側の人間だっただろう。彼の話を信じるならば。

 彼に関わることは、一歩間違えば危険なことになる可能性も大いにあるということだ。

「ねえ、私、今有能な人を探しているのだけれど」

「んん? そりゃあんたの仕事絡みか?」

「ええ、こう見えて経営者なの。そろそろ部下が欲しくてね。良かったらその子、紹介してもらえないかしら」

「カティ・サークをか? やめとけやめとけ、これは親切心からの忠告だ。あの女に関わろうとするんじゃない」

「あら、どうして。話を聞く限りだと、優秀で魅力的な人なんでしょう」

「そりゃ間違ってないけどな、ただでさえ周りを巻き込むことを毛ほども気にしない女なんだ。そんなやつに自分から進んで関わろうとするのは、俺みたいに惚れてるんでもない限りろくな結果にならないぜ」

「あら、惚れててもろくな結果になっていないようだけれど」

「痛いとこ突くレディだな。だが俺は人が良いからよ、もっとわかりやすく言ってやる」

 彼はこちらを向き直ると、声をひそめた。

「いいか、これは真面目な警告だ。カティ・サークに近づくんじゃない。あんたがまだ、夜は家族で暖炉を囲んで、のんびりスコッチでも飲りたいと思ってるんだったらな」

「生憎だけど、私の家に暖炉は必要ないの。私は夏の魔女だから」

「何? あんたがそうなのか?」

「ええ。私がそうなの」

 目を丸くする彼を見て、私は思わず笑いそうになった。

 今の言い方だと、おそらく森永奈津子のターゲットが私であること自体は知っていたのだろうが、彼はその仕事から外されているらしい。よりによって私に、所属する組織と森永奈津子の情報を与えてしまったのは、さすがに間抜けという他ない。

「おたくのカティ・サークさんとも、昨日会ったばかりよ。素敵な人だったわ。次に会ったらヘッドハンティングしようと思っているところなの」

「参ったな。どうやらこのお嬢さんは頭の中までひまわり畑らしい」

 ジェームスは大げさに肩をすくめて見せた。

「俺がこの場であんたを捕まえるかもしれねえ、とは思わないのか。カティ・サークが駆り出されるほどの案件だ、出世に飢えた俺にとっちゃあ、金の卵を見つけたようなもんなんだぜ」

「いいえ、ジム。あなたは私を見逃すわ。だってあなたにとっては、出世よりも愛しのカティ・サークちゃんの獲物を横取りして機嫌を損ねる方が、怖いでしょう?」

「参った、降参だ。俺はもう喋らないぞ。女にやり込められるのは愛しのナニー相手だけで十分だ。今回ばかりは見逃してやるよ」

「まあ、ありがとう。間抜けなダブル・オー・セブンさん。今回だけは見逃してあげるわね」

「ふざけたお嬢さんだよ、まったく! この“エアリアル”様がボランティアで情報をくれてやるなんて、世紀に一度あるかないかなんだぜ。あーあ、金にならないことはもうやめだ、どうやら俺は極東の熱と湿気にあてられちまってたらしい。おいバーテン、勘定だ。じゃあな、お嬢さん。あんまり生き急ぐんじゃねえぞ」

「ええ。忠告ありがとう、“風の妖精さん”。楽しい時間だったわ。行方不明には気をつけてね」

「クソッ、日本人の女はみんなこうなのか? 教養は人をからかうために有るんじゃねえんだぞ、まったく」

ひとしきりクダを巻いた彼が去ると、私はしばし思案した。

「おい魔女の姉ちゃん、あんた、今度は何に首突っ込んでんだ」

 店のマスターが水を差し出しながら言った。

「あら、心配してくれてるの。大丈夫よ、この店のビール樽を全部空にしても、私は多少機嫌が良くなるくらいだから」

「人の親切をなんだと思ってやがる。そっちの話じゃねえよ、あのイギリス人がまともな仕事してるやつに見えたのか」

「まさか。紅茶商ってのはカモフラージュでしょう。茶葉を運ぶって言い方も、まあ素直に捉えても、“モノ”か“情報”の運び屋の隠語でしょうね。大麻か何かかしら。それじゃ安直すぎるか。ま、彼が本当にナンバーツーだとしたら、ちょっと心配になっちゃうくらいの組織だけれど」

「そりゃあんたみたいなのに言い寄られちゃあ、男はな」

「あら、私も今度からカティ・サークを名乗ろうかしら。それともファム・ファタール? マタ・ハリもいいわね」

「まったく、人が真面目に心配してやってんのによ。危ねえってわかってて首を突っ込むんなら、うちの用心棒でも貸してやろうか」

「なあに、本当に心配してくれてるの。南米の男の女に弱くて純情なところ、結構好きよ」

「もちろん金はもらうぜ。俺はもっとグラマーなのが好みなんだ、南米系だからな。あんたはちと、痩せ過ぎだ」

「失礼ねえ。しょうがないじゃないの、お酒と野菜が好きなんだから」

「健康にいいんだか悪いんだかわかんねえな、あんたの食生活は」

 私は肩をすくめてみせると、席を立った。

「また来るわ」

「おい、本当にいいのか。用心棒の一人や二人、いつでも貸すぜ」

「ありがとう。でも結構よ」

 私は彼に背を向け、微笑んだ。

「面白くなってきたところなの」

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