外伝「狐が生まれた日」第2話
この街に農園を起こしてから数年が経ち、経営も軌道に乗って来たこの頃の私は、有能な部下を探していた。
土地探しに労働者探し、賃金の確保、流通ルートの整備から金勘定まで、当時はひとりで何でもやった。
悪夢の力を得てから世界中を放浪して得た経験と知識、そして培った人脈を総動員して、私は自らにかけられた夏の呪いの世界を常夏の楽園に変えるべく、何かに取り憑かれたかのように、すべてをそこに捧げた。
たったひとりでこの荒れ果てた街を復興させるという挑戦は、夏に呪われた私にとって、自らの人生まで呪わないための挑戦でもあったのだ。
しかしそろそろ、ひとりで捌くには仕事が増え過ぎたと思う。
農作業に従事する労働者以外にも、経営に関する雑務が増えてきたのだ。秘書なりなんなり、人を雇う頃合いだろう。先述の通り、私は有能な部下を探していたのである。
そんなとき出会ったのが、彼女だった。
正確には、彼女の方から訪ねて来た。
「高木涼子さん、ですか」
女性にしては背の高いすらりとした体型に、爽やかなストライプのシャツと黒のタイトスカート。こんな山奥に訪ねてくるだけあって、踵の低いパンプスを履いている。観光客などではないだろう。やや短めに切り揃えられた黒い髪の彼女は、にこやかに挨拶をした。サングラス越しに見える切れ長の目と、東洋系の美しい面立ちであることが伺える。
「どちらさまかしら」
その時、私は庭のテラス席で昼食をとっているところだった。
テラス席といっても、当時住んでいた山小屋の外に、簡単なテーブルと椅子、パラソルがあるだけの簡素なものだ。どれも知り合いの大工につくってもらったものだが、こういうのは気分が大事なのだ、気分が。
サンドイッチを頬張るのを一旦止め、彼女の顔をまじまじと見ると、彼女はサングラスを外した。目を細めて人当たりの良い笑みを浮かべる。
「ご連絡もなしに突然の訪問、どうかご容赦下さいませ。ずっとお会いしたかったのですが、なかなか連絡がつかなかったものですから。わたくし、大英貿易日本支部農業課の森永奈津子と申します」
彼女はすらすらと謝罪と挨拶を述べると、名刺を差し出した。
「ああ、それはどうも、わざわざこんな山奥まで。高木涼子です」
名刺を受け取る。手触りのいい上等な紙だった。私も自分の名刺を取り出し、手渡した。
「存じております。高木様は、この地方の気候をうまく活かして、農業で町興しをなさったのだとか」
「ええ、まあ、そうね。よくご存知ですね」
この地方の気候というか、私の周りの気候というか、まあ、初めて会う人だし黙っておこう。私の周りが見渡す限り夏になるだなんていう悪夢の力を説明するのは、事実にしてもあまりにも突拍子も無く聞こえる話だ。
「もちろんですとも。大変な評判ですよ。当社でも農産物の輸出入を扱っているのですが、今評判の高い高木様の農園の品を是非とも拝見したいと思いまして。今日はこうしてご挨拶に伺いました」
「まあ、そうなんですか。願ってもないお話です。良ければおかけになってください。お茶でもいかがですか?」
「恐れ入ります。昼食中とは知らず失礼致しました。食べながらで結構ですから、お時間よろしければ、少しお話させていただけますか」
「いえ、こちらこそ失礼しました。是非ともお願いします」
こうして私は、大英貿易の森永奈津子と名乗るこの女性と、しばし会話することとなった。
彼女はその知的な雰囲気にふさわしく、農場の経営から野菜の目利きまで、こちらの振るありとあらゆる話題に、豊富な知識を元に、時にはウィットを交えながら応えた。軽妙な語り口の彼女の話もまた面白く、私たちはそのまま小一時間談笑したほどだった。
「ところで高木様、そろそろ本題に入らせていただきます」
「ああ、ごめんなさい。あなた話し上手なものだから、つい話し込んじゃったわ。農産物の輸出の件だったわね」
「光栄ですわ。ええ、それもあるのですが、実はもうひとつ」
それまでと変わらない調子で、彼女はこともなげに言ってのけた。
「わたくし共に、その夏を分けていただけませんか?」
私は微かに目を細めた。
「どういうことかしら」
「別段、隠しているわけでもございませんでしょう。季節を従えるそのお力、是非ともお貸しいただけないかと」
どうやら彼女は、私の能力のことを知っているらしい。
言いふらして回っているわけではないが、農作業に従事している人にはある程度は正直に伝えてあるし、その家族、そしてそこから街の人々にも伝わっているだろう。知られていること自体はおかしな話ではないが、わざわざ能力目的でやって来る輩は警戒するに越したことはない。
「隠してはいないわ、確かにね。貸して欲しいっていうのは、具体的にはどういうことかしら」
「私共の目的の為に、協力していただきたいのです」
「目的?」
「はい。しかし私共も、高木様のお力の全容を把握しているとは到底言えません。ですので、まずはその能力にどこまでのことができるのか、確かめさせていただきたいのです」
「ふうん。そうなの」
微妙に誤魔化されている。もう少しつついて見るか。
「それで、目的というのは?」
「大変申し訳ございませんが、我が社の重要な機密に関わる事柄でして、今すぐにはお答えできかねます。ですが協力していただければ、相応の謝礼をご用意させていただきますことを、先にお伝えしておきますわ」
「教えてくれないのね。ま、私もあなた達がどこまで知っているかわからないから、このままだとこの話、これ以上進みようがないわよ」
「はい。仰る通りにございます」
どうやら彼女の方にも、簡単には言えないことがあるらしい。おそらく、私が友好的か、いや、“使える”かどうかを推し量っているのだろう。私とて同じである。
ここまでのやり取りで、彼女とは上辺だけの会話なら延々と続けられることはわかっていた。これ以上は話が進まないだろう。どちらかが、情報を出さない限り。
「ところで」
おそらくは同じことに思い至っているであろう彼女が、先に口を開いた。
「中と外がズレていること、お気づきですか。“真昼の魔女”様」
彼女の笑みに、今までとは異なるものが、混ざり始めた。
おそらくは、悪意。
「……ドヴォルザークだったかしら」
私は昔から、魔女と呼ばれることが多かった。
今住んでいる街の人間からも、夏に囚われた魔女などと呼ばれている。
世界中を旅したはずなのに、どこへ行っても、不思議と魔女と呼ばれがちだった。
自分でも理由はわからないが、この真昼の魔女というのは、今まで呼ばれた中では割と響きのいい方だ。
「私に踊りながら子どもを殺す趣味はないわよ。失礼なお嬢さん」
ドヴォルザークが民話に基づいて作曲した交響曲、真昼の魔女。設定は今言った通りなので、初対面の相手に使っていい呼び名ではないと思う。
「さすが、長生きしていらっしゃるだけあって教養がおありです。若づくりの秘訣を是非ともご教授いただきたいですわ」
「嫌だわ、若づくりだなんてとんでもない」
本当に失礼だな。
私はゆっくりとアイスティーのグラスを傾けた。
「中身がずっと、若いだけよ」
「ご老人は皆そう仰います」
どうやら、私が歳を取らなくなったことも知っているらしい。
知っている人はもう、ほとんどこの世にいないはずなのだが。
「戦争が終わって何年経ったかご存知ですか。貴女のことを調べるのには苦労いたしました」
少し厄介なのに捕まったかもしれない。私は警戒を強める。
「さっきから失礼な子ねえ。最近の子ってみんなこうなのかしら。ビジネスをやるつもりないでしょう、あなた」
「ええ、初めからそのつもりにございますよ。まさか信じていらしたので」
「そうね。少なくとも銃口を向けられるまでは、信じてみても面白いかと思っていたわ」
「それは可哀想なことをいたしました。どうかご容赦くださいませ」
そういうと彼女は、私に向けた銃口をまったく揺らさずに微笑んだ。
「丁寧なのは口先だけじゃないようね。ご丁寧に拳銃まで持ち出して、どう見ても、人にものを頼む態度には見えないわよ」
「人にものを頼むときはこうするもの、と教わって育ちましたので」
「そう。育ちの悪いこと」
私は時間を稼ぎながら、どうやってこの場から逃げおおせるか考えていた。
彼女があまりにも自然に、何気ない動作で拳銃を取り出して銃口をこちらに向けたものだから、驚くことすらできなかった。いつの間にか窮地に立たされている。こんな風に銃を扱える人間もいるのだな。
こうなってしまうと大英貿易とかいう会社が本当にあるのかすら怪しいが、あるとしてもあまり誠実な組織でないことは確かだろう。ビジネスパートナーに銃口を向けるような輩とは、できれば取引したくないものである。
無法地帯も多いこのご時世に、街ひとつ力で治めようとしている私も私だから、いずれこういう輩が寄ってきてもおかしくはないと思っていた。問題は、身ひとつでこういったゴロツキに対処できるかどうかだ。
やっぱり部下が欲しいなあ。
こういう時に備えて、用心棒も必要だ。
「それで、いかがでしょう。私共が“頼んでいるうちに”言うことを聞いていただいた方が、お互いのためかと思うのですが」
「貴女の丁寧さは見せかけだけね。所作が美しくないもの。これじゃあ単なる脅迫よ、お嬢さん」
「はて。では脅しとは、どのようにするのが美しいものなのでしょうか」
「少なくとも拳銃を使うのは、品のない部類に入るわね」
言い終えた瞬間、爆発のような耳障りな大音量が耳朶を打った。
とっさに耳を抑え、音の発生した後ろをに視線をやった彼女を尻目に、私は目の前の机を蹴り上げ、身を翻した。
彼女の後ろから大きな黒い塊が浮かび上がる。
それは間近で聴くにはあまりにも耳障りな羽音を身を震わせて鳴らしながら、宙に霧散していった。
「あはは! “蝉”ですか!」
一瞥して正体を見破った彼女は、どこか楽しげに笑ってそう言った。
私の蹴り上げた机も物ともせず、すぐさま体勢を立て直すと、私を狙って立て続けに発砲する。
机を貫通した銃弾が何発か肩を擦る。痛みを無視して近くの林の方に走りながら、地面に手をかざした。
夏の主たる私を守るべく、地面から急速な勢いで大量のヒマワリと紫陽花が伸び、私と彼女の間を鮮やかな色の壁となって遮った。
「これはこれは」
花々に身を隠しながら走る私を追うわけでもなく、彼女は言った。
「確かに美しい能力ですこと!」
そう言うと彼女は、距離も目隠しも物ともせず、一発で私の脚を撃ち抜いた。
「ぐうっ!」
何とか悲鳴は嚙み殺したものの、その場に倒れ込んでしまう。
「気候を夏にするだけではなく、夏の昆虫、夏の植物を生み出し、操るというわけですか。ここまで急速に成長させることができるとは、実際に目の当たりにするまでは信じられませんでしたよ」
撃たれた足を庇いながら、それでも私は地面を這って逃れようとした。
彼女は容赦なくもう一方の脚も撃ち抜いた。
「ああっ!」
「魅力的なお力ですねえ」
両足を撃たれ、身動きが取れない。
痛みをこらえ、反撃の手段を探して必死に頭を回転させる。
こちらに銃口を向けたまま、悠々と草木をかき分け、彼女が近づいてくる。
「貴女が居れば、夏の休暇が申請し放題です」
「この世は年中バカンスよ、私にとってはね」
彼女が十分近づいたのを見計らい、私は不意に立ち上がり、彼女に飛びついた。
懐から取り出したナイフの切っ先は、彼女に届く前に手首を掴んで止められた。
「おや」
腹部に強烈な膝蹴りを入れられる。
痛みと衝撃で胃の中身が逆流し、口の端から吐瀉物をこぼしながら身を折ると、間髪入れずに顔面が銃底で殴られた。
視界に光がちらつき、衝撃で無理矢理上半身が起こされる。掴まれていた手が引かれ、同時に足を払われる。
バランスを崩し、背中から地面に叩きつけられると、肋骨に肘打ちまで入れられた。
骨の軋む感触は嫌なものだ。凹んではいけないところが凹んでいるのを感じる。
立ち上がった彼女は、ナイフを握った手首を踏みつけた。
あまりの痛みに放してしまったナイフが、すぐさま蹴り払われる。
なんと念入りな。
見事な手際に私は感心すらしていた。
遠くへと地面を滑っていくナイフを、私は血反吐を吐きながら、無意味に目で追った。
「まだ立てる力があったのですか」
靴底で手首をぐりぐりと踏みにじられる。
私は苦痛に悲鳴を上げ、彼女の足を弱々しく掴んだ。もっとも、私の弱い握力でしがみつかれたところで、彼女が止まるわけはなかったのだが。
「もう立てなくなる場所を撃ったつもりだったのですが。私としたことが、狙いを外してしまったかしら」
脇腹を蹴られ、仰向けに転がされる。
苦痛にうめく私の額に、彼女はしっかりと銃口を向けた。
「それとも、意外と鍛えてらっしゃるとか?」
咳き込んで口の端から血を垂らしながら、彼女を黙って見上げる。
吐血が止まらない。内臓が損傷しているのかもしれない。自分で体を張るのは、こういうことがあるから嫌なのだ。
こういう異常な身体能力を誇る輩には、私の能力が効くのにも時間がかかる。
「おっと」
不意に彼女がふらついた。
すぐに踏みとどまり、銃口を私に向けたまま一切動かさなかったのはさすがというべきだろう。ここまで長い時間耐えたのは彼女が初めてである。
私は彼女を黙って見上げていた。薄ら笑いを浮かべて私を見下す彼女も、何か不可解なことが起きていることには気づいているようだった。
「どうやら貴女の能力、まだまだいろんなことができるようですねえ」
彼女は今、おそらく強烈な目眩と熱っぽさに苛まれていることだろう。
なぜなら私の能力は、『およそ夏に起こることすべてを起こすことができる』というものなのだから。
熱中症。
強い陽射しに長時間晒され、脱水症状と目眩、危険なレベルになると意識を失うその症状は、夏に起こるものだ。
私は周りにいる人間を、触れることなく熱中症にすることができた。
私との距離が近ければ近いほど、早く、強い症状を引き起こすことができる。
直接触れれば一瞬なのだが、なんとか触れる機会を得るまでに、かなりの代償を払う羽目になった。彼女の身体能力が異常に高く、体力があったこともあり、触らないままでは弱らせることすらできていなかったのだ。危なかった。
私にできるのは、せいぜいが辺りの気候を夏にすることと、蝉を産んだり、夏の植物を生やしたりすること、つまり攻撃的な力は持っていないと思わせる。
仕上げに素人丸出しの動きでナイフで反撃することで、彼女の推測を確信に変えることができた。
油断した彼女は、私が彼女に触れる機会をつくってしまったのだ。
こちらのダメージも大きかったが、なんとか引き分けというところか。
「今日はご挨拶ということで、このくらいでお暇することにいたしますわ」
額の汗を軽く拭った彼女は、涼しい顔でそう言った。
苦痛に耐えているのを隠すのは、私より上手だな。
「このまま死んでしまわれては可哀想ですし、お医者さまぐらいは呼んで差し上げますから、ご安心を。それでは、わたくしどもとのお話、どうか前向きにご検討くださいませ」
彼女は私の手から足を退けると、後ろを振り向いて去って行った。
バイクのものらしきエンジン音が聞こえる。
音は徐々に遠くなっていった。本当に帰ったらしい。
怪我の苦痛にしばし私は悶絶していたが、やがて動きを止め、むくりと上体を起こした。
「……ああ、痛かった」
血塗れになった服を苦労して脱ぎ捨て、撃たれた足の傷を触ってみると、傷口は塞がっていた。
内臓の痛みも引いた。吐血も止まったし、もう動いて問題ないだろう。
「ひどいことするわ」
この体は夏に囚われてからというもの、最初の夏の姿以外を許さなかった。そういう呪いだ。
怪我をしても、たちどころに治ってしまう。
なぜなら最初の夏、私は健康そのものだったから。
ちなみに日焼けもしない。その点だけは便利だと思う。
しかし傷がすぐに治るとはいえ、タフネスに頼りきりの今の戦法は正直しんどいな。
痛いものは痛いのだ。
やっぱり用心棒を雇った方がいいかもしれない。
「あ、いいこと思いついた」
立ち上がり、彼女が去っていた方を見る。
我ながら名案だ。
「あの子を雇っちゃえばいいんだわ」




