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第十話 夏になったら会いましょう

「あー。やると思った」

「やると思った、ですって!? いいわ、あなたたの“読み”と私の“視力”、どちらが上か……」

「しほり、静かにして」

「はい涼子姉♡」

「うわあ……」

「てかさー、しほ、涼子ちゃんのこと好き過ぎじゃね? こんなキャラだったっけ」

 涼子さんとしほりさんの戦いが終わって、わたしたちは涼子さんの屋敷に戻り、お風呂に入っていた。

 旅館と見紛うほど広い露天風呂には、このくらい大人数で入るのがちょうどいい気もした。最初はちょっと恥ずかしかったけど、慣れてくると案外楽しいものである。

 話しているうちに何かが逆鱗に触れたのか、しほりさんが温泉のお湯を上空まで噴き上げさせたが、涼子さんに一言たしなめられただけで大人しくなっていたのは見ていて面白かった。

 マリアさんの言うとおり、この人は本当に涼子さんのことが好きなんだな。


 あの戦いの後、時子さんだけが奇跡的に無事だったバイクで屋敷へと戻り、すぐに大型の車に乗って戻ってきた。

 しほりさんを含めた全員が車に乗り、途中、しほりさんの頼みで木陰で伸びていたマリアさんを拾った。時子さんと激しい肉弾戦を繰り広げたという彼女は、わたしの服の直撃を喰らって地面に叩きつけられたにも関わらず、屋敷に着く頃にはかなり回復していた。元気な人だと思った。

 しほりさんは車の中で、涼子さんにもたれかかって眠りこけていた。さっきまであんなに殺すだのなんだの言って戦っていた敵たちの中でのんきなものだと思ったが、涼子さんが頭を撫でてあげていたので、すっかり安心してしまったようだった。自称極悪賞金稼ぎ(しほりさんがさっき自分でそう言っていた)もこうなってしまえばかわいいものである。

 しほりさんとドロシーが本気でお湯を掛け合って喧嘩し始めた(仲が良い)のを適度にはやし立てながら見ていると、湯船の中をマリアさんが近づいてきた。

「てか今更なんだけどさ、のぞっちは涼子ちゃんの妹かなんかなわけ? 親戚の子?」

「え? それは、えっと」

 突然話しかけられ、わたしは少し身構えてしまう。

「あ、もしかしてまだあたしのこと警戒してる? そだよねーいきなり信用しろっつっても無理あるよね」

「いえ、あの、そういうわけではないんですが……」

「いーよいーよ、無理に合わせなくて。のぞっちくらいの年で自衛するためにはさ、そのくらいが正しい反応だと思うし。世の中物騒だからさ」

 しほりさんが割と極端なことや過激なことばかり言うのに比べて、このマリアさんという人は常識的だった。良いコンビだと思った。

「ま、つってもあたしは、しほが涼子ちゃんに会いに行くって言うから、ついでに賞金でも稼ごうってことくっついて来ただけだからさ。わざわざのぞっちたちを襲う気なんてこれっぽっちもないわけ。仲良くやろーぜ」

 そういうとマリアさんは気さくな笑みを見せた。

「は、はい。マリアさん」

「お、うれしいねえ。名前で呼んでくれるんだ」

「苗字の方がよかったですか?」

「ううん。いいよマリアで」

 マリアさんはふうと息をつき、空を見上げた。

 つられてわたしも夜空を見る。

「うっわ。星エグくね? さすが山のてっぺんって感じ」

「え、えぐ……?」

「え? エグいって言わない?」

「すみません、それはどういう……」

「うっそ、エグいもすでに時代遅れってこと? うわーついにあたしも若者じゃなくなったってことかー! きっつ……」

「わ、若者言葉なんでしょうか? すみません、わたし同年代の友達がほとんどいなくて……」

「え? のぞっちダチいねーの? てか話戻るけどさ、のぞっちって結局涼子ちゃんの何なわけ? どういう関係?」

 マリアさんに尋ねられ、わたしは涼子さんの家に居候させてもらえるまでに至った経緯を話した。

 なんとなく、この人は信用してもいい気がした。

「うっわマジで!? 超つらかったっしょ、よく頑張ったね!」

 突然マリアさんはわたしの肩をがっしりと掴むと、目を潤ませて言った。

「のぞっちその年でそんな苦労してるとか、超大変じゃん!」

「そんな、ありがとうございます。苦労は、まあそうかもしれないですけど、でも今はだいぶ楽させてもらっているので」

「うわマジいい子だね! 言い方がもうさ!」

「そう、なんですか? よくわかんないです」

「のぞっちはめっちゃいい子だよ! マジで! 今までそんな苦労してきたのにさ、その年でさ! しかも謙虚! くぅー泣かせるねぇ! 困ったことがあったら何でもこのマリアさんに言いな!」

 そういってマリアさんはわたしを抱きしめてきた。

「あ、ありがとうございます」

 正直こんなに好意的に来られるとは思わなかったので、やや困惑した。

「自分が大人になるのもいいけどさ、キツイときは周りの大人にうまく甘えられるようになんないとダメだよ。ドロシーちんと一緒に居て、自分が保護者になんなきゃって気張ってたんだと思うけどさ」

 マリアさんの言葉に、わたしはうつむいて沈黙する。

「……いつもなんです」

「ん?」

 知らず、言葉が口をついて出た。

「わたし、いつも危ない時は、ドロシーちゃんに頼りっぱなしで。……本当は、戦うのも怖くて」

「うん」

「……今まで何回も、怖い人たちに襲われました。わたし、その度に、ドロシーちゃんに守ってもらってて」

「うん」

「……ほんとは、わたしが守ってあげないといけないのに」

 マリアさんはわたしを抱きしめたまま、ただ話を聞いてくれた。

「でも、わたし、ダメなんです。怖いんです。戦うのも、銃も、捕まえるための網も。麻酔の、針も」

「うーん。怖いのはさ、別にいいんじゃね?」

「……そう、でしょうか」

「そんなのさ、あたしだって怖いよ。あのメイドなんかひでーよ? 素手のあたしに向かってライフル、ナイフに、あげく二丁拳銃だよ? 容赦ないよなぁ!」

 マリアさんはそう言って笑った。

「……でも、わたしが怖がって、結局、ドロシーちゃんに頼って。ドロシーちゃん、まだ十四歳なのに。わたし、何もできなくて。それが……情けないんです」

 本心だった。

 強大な能力を持つドロシーを、非力なわたしが守ろうとする不合理。

 わかっていても、どうしても自分を責めてしまっていた。

「だからさ、いいんだって。怖くても。のぞっち無理し過ぎ。しっかり者は結構だけどさ、余計な苦労まで背負い込むことないって。だいたいそれ言ったらのぞっちだって、まだ十七でしょ? あたしなんか今年で二十九だよ!?」

 二十九、の部分でマリアさんの語気が強まった。

「あたしから見たら二人ともまだまだガキだから! 対して変わんねーよ!」

「そう、なんでしょうか……」

「そうだよ。だってまだ知らないっしょ? 朝起きて化粧のノリが悪いなって思うこと、ないっしょ!?」

「マリアさん……」

「待って、哀れみの目で見てない?」

「見てないです」

「なんかやけに口調はっきりしたね?」

「してないです」

「まあいいや。それにさ、のぞっちが怖がってるからこそ、きっとドロシーちんも力が出るんだよ。のぞっちのこと大事みたいだし」

 そういうものだろうか。

「不本意かもしんないけど、怖がるのも、頼るのも、別に悪りぃことばっかじゃないよ。自分が怖がってることをまずは認めないと、対策も立てれないっしょ」

 自分が怖がっていることを認める、か。

「……そうですよね」

 なんだか不思議な気分だった。

 こんな気持ちを誰かに話したこと、今までなかったのに。

 話してみると、心のもやもやが少し、晴れた気がした。

 きっと思考の堂々巡りから生まれていたこの気持ちは、悩んでも仕方ないと、どこかで吹っ切る必要があったのだ。

「ありがとうございます。なんていうか、少し、すっきりしました」

「いいっていいって。ガールズトークならいつでも大歓迎。またおいで」

「ガール……?」

「おい喧嘩売ってんのか十七歳」

 わたしはその後も、マリアさんと少し話した。

 年は離れているけれど、こういうのを、友達って呼ぶのかな。

「皆さま、御夕飯の支度ができましてよ。そろそろお上がりくださいませ」

 少しして時子さんが脱衣場から顔を出した。

「あーっ! てめえ、能力は卑怯だろ!」

「悔しかったらあなたも使ってみれば? この腐れ金髪娘」

「ぐぬぬ……! 言ったなクソおさげ!」

「ふたりとも。そろそろ夕飯よ」

「はい涼子姉♡」

「うわぁ……なんかやる気なくす……」

 しほりさんとドロシーが戯れるのを涼子さんが一言で止めてしまい、なんだかお母さんみたいだなと思いながら、わたしはみんなと一緒にお風呂を上がった。


 お風呂上がり、わたしとドロシーは涼子さんからもらった浴衣を再び着せてもらった。

「ずるいわ! 涼子姉に着付けしてもらうなんて!」

 それを見たしほりさんが騒いでいたので、見かねた涼子さんが自分の他の浴衣をしほりさんに貸してあげていた。本当に賑やかな人だな。

 わたしたちが出るのと入れ替わりでお風呂に入っていったはずの時子さんは、あっという間に出てきた。

「涼子さま、着付けでしたらわたくしが」

「いいの。私がやるわ」

「さようでございますか」

 涼子さんはしほりさんの浴衣を着付けしてあげていて、しほりさんは満足げにニコニコしていた。

「では失礼いたしまして」

 時子さんは白地に黒の縦縞の入ったシンプルな浴衣を手早く身につけ、タスキをかけながら脱衣場を足早に出ていこうとした。「ああ忙しい忙しい」と小声でぼやくのが聞こえる。

「あの、時子さん」

「はい、何でございましょう」

「今さらなんですけど、何かわたしに手伝えること、ありませんか?」

「まあ! 助かりますわ。ですがお気持ちだけで十分でございます」

 相変わらず飄々とした態度で余裕の笑みを見せる時子さんは、そう言うと「ではでは」などと言いながら手を振り行ってしまった。

 うーむ。早く支度を済ませた方がよさそうだ。

 そうは言っても着付けができるのが涼子さんしかいなかったので、わたしたちは脱衣場で順番に涼子さんに浴衣を着せてもらった。

 しほりさんとマリアさんは先ほどの戦いで荷物が流されてしまったらしく、どのみち着替えはなかったらしい。

 しきりと遠慮するマリアさんにも、せっかくだからと涼子さんは自分の浴衣を貸してあげていた。着てみたら吹っ切れたのか、この際だからとかんざしも借り、長い金髪を慣れた手つきでまとめていた。綺麗だった。

「ん? なに、のぞっちもやる?」

 わたしがマリアさんの手つきに思わず見惚れていると、マリアさんが声をかけてきた。

「いいんですか」

「いいよ。ってか、あたしはいいけど、涼子ちゃん、かんざしもう一本ある?」

「ええ、これなんかどうかしら」

「おーいいね。んじゃのぞっち、鏡の方向いてて」

「はい!」

 涼子さんに渡されたかんざしを使って、マリアさんが髪をまとめてくれた。

「すごいです! わたしもこういうのやりたいんですけど、どうも不器用で、あんまりうまくできなくて」

「こういうのは数っしょ、数。あとは見よう見まねでやるだけじゃなくて、美容師にコツ聞いたりとかするといいよ。ほい、終わり!」

 わたしはドロシーの髪の毛を結んであげたのを思い出した。

 大人のお姉さんに結んでもらうっていうのも、いいな。

「マリィ見て! これ涼子姉とお揃いよ、お揃い!」

「やば。しほ浴衣超似合ってんじゃん」

 涼子さんに着せてもらった浴衣を満足げにマリアさんに見せびらかすしほりさんは、まるでお気に入りの変な柄のTシャツをわたしに見せに来るドロシーのようだった。

 きっとこの人も、まだ子供なんだ。


 涼子さんにとっては、始めからこうなる前提で事が動いていたらしい。

 つまり夜一人で散歩に出たところから、帰ってみんなで夕飯を食べるところまでが、想定の範囲内だったというわけだ。敵わなかった。

「さ、みんな。ご飯にしましょう」

 机の上には時子さんと早見さんが用意してくれた豪勢な食事が所狭しと並んでいた。

「みんな、今回はわたしの昔の知り合いが迷惑をかけたわね。希ちゃん、ドロシーちゃん、危ないのによく助けに来てくれました。力を貸してくれてありがとう」

「いえ、そんな。お世話になった恩返しです」

「そうだよ涼子。気にすんなって」

「ふふ。二人は優しいわね。しほり、みんなにごめんなさいは?」

「わたしは悪いことをしたつもりはないわよ。涼子姉に力がついたところを見てもらいたかっただけだし。それに涼子姉を守る立場の周りの者たちが軟弱じゃ、涼子姉の身が心配だもの。ちょっと実力を試しただけよ」

「屋敷の修理代」

「大変申し訳ありませんでした」

「素直な子は好きよ」

 涼子さんが笑いかけ、しほりさんは遠い目をして庭を眺めていた。あの別宅の修理代はしほりさん持ちのようだ。当然と言えば当然だが、はたして払えるのだろうか。

 まあわたしとドロシーも橋の修理代で実質涼子さんに借金しているようなものだし。少し同情した。

「さ、みんな食べましょう。グラスは持ったかしら? ふふ、これ、一度言ってみたかったのよね」

 涼子さんはお酒の注がれたグラスを掲げ、周りを見回すと、今日見た中で一番楽しそうに微笑んだ。

「乾杯」


「っぷはー! 生き返ったわ! このために仕事してるって感じするわね!」

「しほ、おっさんみたいになってんぞ」

「マリィ! あなたちゃんと飲んでるの? そうせ今日も乙女ちっくな甘いカクテルでも飲んでるんでしょう?」

「うっせーよ! 別にいいだろ好きなんだし。あ、早見さぁん、こっち来て早見さんも飲みましょうよぉ!」

「マリア様、あまり早いペースで飲まれますとお体に障りますよ」

「えー心配してくれるんですかぁ! うれしいー! てか早見さんていくつ? 待って、当てるね! 三十は行ってないっしょ?」

「ちょっと涼子姉! グラスが空いてるわよ! 何飲む? 何飲む?」

「そうねえ。ああ、そうだわ、時子、十四代はまだあったかしら」

「ええ、こちらに」

「十四代じゃない! さすが涼子姉、日本酒もいいのを知ってるわ!」

「あはは……賑やかな人たちだなぁ……」

 お酒の入ったしほりさんとマリアさんは、想像以上に騒がしかった。大人ってお酒飲むとみんなこうなのかな。

 しほりさんは開幕のビールを一気に飲み干すと、その後も次々とお酒を飲み干し、涼子さんの隣で「さすが涼子姉さんだわ!」を連呼するお姉ちゃん大好きっ子と化していた。

 涼子さんにとっても、別れた時は子供だったしほりさんがお酒を飲める年齢になったのが嬉しいようだった。時子さんにいろんなお酒を出させては二人で次々と飲み干していく。二人ともお酒が強いらしい。

「てかこれ全部早見さんがつくった? えやばー! 料理できる男っていいよねー!」

 マリアさんはよく早見さんに話しかけていた。この二人は直接戦ったわけではなし、敵対していた意識も薄いのか、話しやすそうだった。

 でもマリアさんの話し方が、なんだかさっきまでと違うような。

 そういうものなのかな。

「ありがとうございます。ですがつくったのは私と、時子様の二人ですよ」

「あんなコスプレ女なんてどうでもいいじゃないですかぁ! てかあたしも結構料理好きなんですけどぉ、今度教えてほしーなーって!」

「早見、その女は怪力だけならわたくしといい勝負の、ギャルのコスプレイをするゴリラですよ」

「うっせーぞクソメイドォ!」

「と、時子様といい勝負……!?」

「あぁん違うんです早見さん、違うんですってば! おいクソメイドてめえのせいで早見さん引いてんだろーが!」

「笑止千万ですわ」

 早見さんは「飲み物をとって参ります」などと呟きながら席を外そうとしたが、立ち上がった先で今度は涼子さんとしほりさんに捕まってしまっていた。

 周りが酔った女の人ばっかりで大変だろうな、早見さん。

「なんでこいつらこんな騒がしいわけ?」

 お気に入りのメロンソーダを飲みながら、ドロシーが大人たちを横目に言った。

「お酒飲んでるからじゃないかな」

「ふーん。酒ってそんなうまいの?」

「さあ? わたしも飲んだことないし。でもみんながいつもより楽しそうにしてるのは、見てて悪い気分じゃないよね」

「ま、ガキっぽいなって思うけどね。どいつもこいつも」

「ドロシーさまのおっしゃる通りでございます」

 追加の料理を運んできた時子さんが、わたしたちの前に皿を並べながら言った。

「なぜなら大人はみな、子供がなるのですから」

「大人ねぇ……」

 ドロシーは肉料理をつまんで口に運ぶと、楽しそうに騒ぐ大人たちを頬杖をついて眺めていた。

「じゃあとっておきを披露するわね! こほん。いくわよ。“夏の陽のように気が長いけれどついに我慢の限界を迎えてしまい、さすがにそろそろ怒るよ、という言葉をそれでも極力マイルドに伝えようとしているやさしい夏の魔女、高木涼子姉”」

 前髪を流して涼子さんっぽい髪型にしたしほりさんが、いつもより低めの落ち着いた声で言った。

「……“そろそろ夏至を過ぎたわ”」

「ぷっは! 言いそう! 涼子ちゃんマジいいそうだわ!」

「涼子さまなら絶対言いますわねぇ!」

 マリアさんと時子さんが大ウケするなか、モノマネされた当の本人もくすくす笑っていた。

「ふふふ。似てる、似てる。声までそっくりよ、しほり」

「そうでしょ!? 練習したもの!」

 はしゃぐしほりさんは涼子さんに褒められてうれしそうだった。

 しほりさん、初めて会った時とだいぶイメージ変わったな。

 信じがたいけれど、今回の騒動は本当に涼子さんのところに遊びに来たことの延長なのだろう。おかげで溺れかけたけど、この様子を見ていると許したくなった。

 やがて酔ったしほりさんは能力の制御が甘くなったのか、お酒を一杯飲み干すたびに庭の池から水柱が上がるようになった。それを見て涼子さんが笑い上戸と化すと、庭の地面からにょきにょきと生えてきたひまわりたちが葉を揺らして踊り始めた。それを見たしほりさんもキャッキャと笑い、二人は酒を酌み交わしては、いつまでも笑っていた。

 涼子さんも、しほりさんと会えたのがやっぱりうれしいんだろうな。

「……いいなあ」

「なにが?」

 わたしが小声で呟いたのが聞こえたのか、ドロシーが反応した。

「知り合いがいて、久しぶりに会って。それがお互いうれしくて。なんかそういうの」

「ふーん」

「きっとお互い大好きなんだろうね。お互いのことが」

 ドロシーは涼子さんにじゃれるしほりさんを眺めたまま、しばらく黙っていた。

「……ねえ希」

「うん?」

「希にとって、好きな人ってどんな人?」

 好きな人、か。

「……こんなことがあった、うれしかった、悲しかった、そういうことを真っ先に話したい人、かな」

「……ふーん」

 ドロシーは少しだけ間を置いて言った。

「あたしは好きだよ、希のこと」

「ありがとう」

 ふふ、と、機嫌の良い時の涼子さんのような、小さな笑い声が出た。

「わたしも好きだよ、ドロシーちゃん」


「ああぁー……」

「なに。二日酔い?」

「そろそろやめようかしら」

「酒? タバコ?」

「賞金稼ぎ」

「マジ? 次何やんのよ」

「そうねえ……」

 しほりは考える素振りを見せ、湯面に浮かぶお盆のお猪口を手に取って、ぐびりと水を飲み干した。

「トレジャーハンターかしらね」


 宴会の翌朝、というより遅く起き出した昼頃に、わたしたちは贅沢にも朝風呂に入りに来ていた。

 わたしとドロシーが入りに行くと、入れ替わりでしほりさんとマリアさんが出てくる。

「おはようございます」

「のぞっちじゃん、おはよー」

「あら、あなたたちも朝風呂? いいご身分ね」

「子供に嫌味言うのやめろって。大人気ないぞ。悪りぃね、のぞっち、ドロシーちんも」

「いえ、いいんです」

「ドロシーちん……」

 マリアさんはドロシーのことを頑なに「ドロシーちん」と呼ぶのをやめないので、初めは抗議していたドロシーも、今では床に斜めに視線を向けて諦めていた。

「それにしほ、あたしらだって居候だろ。いいご身分じゃねーの」

「ま、それもそうね。さーて朝食よ、朝食! 涼子姉はもう昼を食べ始めてるかしら」

「お前ほんと涼子ちゃんのこと好きな」

 賑やかに会話する二人が出ていき、入れ替わりでわたしたちがお風呂に入っていくと、時子さんが居た。

「あ、時子さん。おはようございます」

「これはこれはお二人方。おはようございます」

 湯船に浸かって体を伸ばし、珍しくくつろいだ様子だった。

「居ないと思ったらお風呂だったんですね」

 体を洗い、時子さんの近くで湯船に浸かってわたしは言った。

「ええ。お客様のおもてなしは昨日で十分果たしたと、涼子さまに言われまして」

 今まで気づかなかったが、裸を見ると時子さんはすごい体をしていた。

 すらりと長い腕や足は引き締まった筋肉で覆われているし、腹筋は見事に割れていた。くびれた腰に長い手足、鍛え上げられた無駄のない筋肉のみならず、その上出るところははっきりと出ている時子さんの体は、素直に綺麗だと思った。どうやったらこんな体になるんだ。

「今日は休暇を取るようにとのご命令です」

「そうだったんですか。時子さん、働き詰めでしたもんね」

 考えてみれば彼女は、朝一で涼子さんを追跡し、監禁されている場所を足で探し出し、能力者相手に生身で戦闘して逃げ切り、わたしたちを助けに来てバイクスタントをやってのけた後、屋敷と別荘を往復してわたしたち全員を送り届け、さらにはわたしたちがのんびりお風呂に入っている間に大急ぎで宴会の支度までしてくれたのだから、どう考えても今回一番働いているのはこの人だった。

「いえいえ。わたくし、こういうスリル満点の救出劇があるのも、この職場を選んだ理由のひとつでございます。満足はしておりますよ」

 ですから特別任務にボーナスがつかないことも、納得しておりますよ、ええ納得しております、と小声で付け加えていた。

 納得してないんだろうな……。

「お二人は今後、どうされるおつもりですか?」

 不意に時子さんが、そんなことを聞いてきた。

「わたしは、少し考えていることがあって。また涼子さんのお力を借りてしまうことには、なると思うんですけど」

「そうでございますか。ドロシーさまは、何かお考えで?」

「あたし?」

 ドロシーはそこまで言ってから、湯面を見つめながら黙ってしまった。

「……わかんない」

 ドロリーがぽつりと漏らしたその言葉は、きっと本心なのだろうと思った。

 わからない。

 それもひとつの回答だろう。わたしたちはもともと施設を逃げ出して宛てのない旅をしていたのだ。先のことなんて、わたしだってまだわからない。

 今は運良く涼子さんの元でお世話になっているが、いずれはどうにかしてお金を稼いで出ていくべきだろうと、きっとドロシーも思っている。

「でも、ちょっとだけ、いいなって思った」

「うん? なにが?」

「あいつらみたいなの」

「あいつらって、しほりさんとマリアさんのこと?」

 ドロシーはしばらく返事をせず、空を見上げていた。

「……ドロシーちゃん。賞金稼ぎってことは、能力者相手に戦って」

「あー、賞金稼ぎがしたいわけじゃなくて」

「え?」

「うーん、なんて言うのかな。うまく言えないけど。あいつらって、自分の力で、金稼いで、やりたいことやってるわけじゃん。なんかそういうの。けどあたし、バカだから」

 そう言うと、ドロシーはお湯に口まで浸かってぶくぶくと泡を出し始めた。

「でしたら、まずはお勉強ですねえ」

 時子さんの発した一言に、ドロシーは目だけ動かしてそちらを見た。

「やりたいことを好き放題いたしますのは人生の大きな醍醐味のひとつでございますが、それには力が必要です。深層発現の能力などではなく、生きるために自分で身につけた力。すなわち、教養でございます」

「……“キョウヨウ”って、どうすれば身につくの」

 ドロシーがお湯の中で泡を出すのをやめて言った。

「勉強と実践あるのみにございますよ、ドロシーさま」


 お風呂から上がり、昼食を兼ねた遅い朝食の席で、わたしは涼子さんに頼み事をした。

「いいわ。仲介はしてあげるから、頑張ってみなさい」

「はい! ありがとうございます」

「でも希ちゃん、今のあなたの話だと、ドロシーちゃんとはどうするつもりなの?」

「それについては、ドロシーから」

「涼子。話がある」

「ちょうどいいわ。私もあなたに話があったの。お互い決して悪い話ではないはずよ」


 それから一週間が経ち、わたしたちは涼子さんの屋敷の庭に居た。屋敷を出発するしほりさんたちの見送りだ。

「世話になったわね。短い間だったけれど、とっても楽しかったわ」

「次は素直に遊びに来ましたって言いなよ、クソおさげ」

「うるさいわよこのミードが! 人が愛しの涼子姉との別れを惜しんでいる時に!」

「はあ!? 誰が、えっと、みーど? だ! ……希、ミードってなに?」

「蜂蜜酒(腐ったハチミツ)のことにございますよ」

「誰が腐ったハチミツだ! やんのかコラ!」

「ふたりとも落ち着いて! 時子さんも悪意のある翻訳はやめて!」

 相変わらず仲の良いしほりさんとドロシーの口喧嘩に、わたしは慌てて割って入る。

「この一週間、賑やかで楽しかったわ。しほり」

 涼子さんはしほりさんのいる間ずっと上機嫌だったけれど、今は少し、寂しそうだった。

「ああ私もよ、涼子姉! また会いに来るわ! 手紙も出すから読んでね!」

「ええ」

「そうだわ、写真を撮って一緒に送るわね! 春だって秋だって冬だって、私がいくらでも見せてあげるんだから!」

 涼子さんは少し驚いた顔をした後、にこりと微笑んだ。

「楽しみにしてるわね」

 しほりさんは相変わらず自信に満ち満ちた表情で、ふふんと鼻を鳴らし満足げに笑った。

「マリィ!」

「はいよ」

 しほりさんの言葉を合図に、マリアさんの足元から巨大な猿の手のひらが出現し、指を広げる。

「じゃあね! のぞっちもドロシーちんも、元気でやりなよ」

「はい! マリアさんたちもお元気で!」

 しほりさんとマリアさんが乗ると、猿腕はふわりと宙に浮かんだ。

「涼子ちゃんもありがとな。世話になったよ」

「こちらこそ。またあなたも、しほりを連れて遊びに来てちょうだい」

「ああ。あんたんとこのメイドとは、いつか決着をつけたいしな」

「一昨日来やがれですわ」

「てめえ!」

「マリア様落ち着いて!」

 時子さんに飛びかかろうとしたマリアさんを、早見さんが止めに入った。

「じゃあまたね、涼子姉さん」

「ええ、また」

 二人を乗せた手のひらが徐々に高度を上げる。

「夏になったら会いましょう!」

 しほりさんの言葉を最後に、やがて二人は雲の彼方に飛び去っていった。

 遠く、水のように青い夏空の下で、庭のひまわりがゆっくりと風に揺れた。


「てかさあ、しほ。次の夏って言ったら来年じゃん。あんなに好き好き言ってた割に、しばらくは会いに行かないわけ?」

「……冬山に閉じこもって生きてきた私にとって、涼子姉の連れてきた夏が、一緒に旅した年月こそが、本物の夏だったわ。私の夏は今でも、涼子姉と一緒にいる時だけ」

「んん? つまりどゆこと?」

「涼子姉と会えば、それすなわち夏よ。要するに、会いたくなったらいつでも会いに行くわ」

「ずるくねそれ」

 サングラスをずらし、広げた地図を眺めながらしほりが言った。

「何よ。あなただって、あの使用人に会いたがってたじゃない」

「は!? ちげーし! あれはちょっといい男だなって思っただけで、てか待って、結局早見さんって今付き合ってる子いるんだっけ!? ヤバい酔ってて全然覚えてない! しほどうだっけ覚えてる!?」

「ああ、待っててね涼子姉! いつか私が! 必ず!」

「聞けよ!」

 騒ぐマリアを無視して、しほりは思った。

 かつて村八分にされ、自らの力を恨み、呪って生きてきた自分に、自分自身を認める生き方という魔法を教えてくれた、あの憧れの魔女のように。

 死ねるかわからないだなんて、そんな呪いは、私が解いてみせる。

 今度は私が、あなたの呪いを解く番だから。

「季節は巡るものよ、涼子姉さん」




 その日も、いつものように暑かった。

 街の外れにある物静かな通り、その一角にぽつりと立つ小さな裁縫屋の前で、少女は足を止めた。

 シンプルなデザインの赤いワンピースを着た、美しい金髪の少女だった、

 こめかみの辺りで編み込まれた長い金髪の髪が、風を受け、秋の麦畑のようにきらめきなびく。

 優しい目元からは一見柔和な印象を受けるが、その深いエメラルドグリーンの瞳は何を見てきたのか、仄暗い。

 何かを探すかのように目をきょろきょろさせ、額の汗を無造作に手の甲で拭う仕草からは、まるで外で遊ぶことが大好きな少年のようにやんちゃな性格を連想させた。

 相反する印象とそのアンバランスさは、十代後半の少女だけが持ちうるどこか危うい美しさを生み出していた。

 開け放たれたドアの近くで少女が耳を澄ますと、店内からはかすかにミシンの音がする。

 暑さに参った様子でやや疲労気味の顔をしていた少女だったが、その音を聞くとパッと表情が明るくなった。手ぐしで髪を整え、服の裾や肩紐の位置を調整すると、こほん、と咳払いをして店内へと足を踏み入れる。

 カウンターには誰も居ないようだった。ミシンの音は奥の小部屋から聞こえている。

「ごめんください」

 少女が声を張ると、カウンターの奥ではなく、天井の方からガタガタと音がした。

「え、ドロシーちゃん!? わあ! 久しぶり!」

 壁の奥にはさまざまな色や素材の布が、吹き抜けの二階くらいの高さはある天井のすぐ下まで詰め込まれていた。

 返事をする声がした方を見上げると、棚の一番上の段、天井スレスレのところから布を取り出そうとしている女性がいた。セミロングの茶髪を後ろで結い、かんざしで留めている。

 どう見ても支えなしで空中に腰掛けているようにしか見えない彼女は、真下を向いてずれ落ちそうになったメガネを慌てて直すと、そのまま空中を階段でも降りるかのように駆け降りてきた。

 尋ねてきた金髪の少女の前に降り立つと、どちらからともなく抱き合う。

「半年ぶりだね! 元気にしてた?」

「元気元気。希こそ、働き過ぎで風邪とかひいてない?」

「あは、心配してくれるんだね! ありがとう。でも好きでやってる仕事だから。わたしも元気だよ」

「それならよかった。あ、そうだこれお土産。今年の新作」

「わあ、いいの? こんな高そうなものもらっちゃって」

「いいんだよ。希に飲んでもらおうと思って持ってきたんだ」

 照れくさそうに笑う金髪の少女に渡されたワインボトルを受け取ると、希はにっこりと微笑んだ。


 わたしたちが涼子さんの元でお世話になり始めてから、三年が過ぎた。

 涼子さんがしほりさんにさらわれたあの騒動の後、わたしは涼子さんに紹介を頼み、ドラゴネッティさんの裁縫屋で働かせてもらうことになった。

 初めの一年くらいは街の端にある小さな小屋でドロシーと二人暮らしをしていたが、ここ二年ほどの間はわたし一人で、お店に住み込みで働いている。

 ちなみに涼子さんにプレゼントしてもらったと思い込んでいた立派な裁縫道具一式は、実はお金の支払いを立て替えてくれただけらしく、給料から自分で払いなさいと言われた。わたしの社会人生活は小さな借金と共に始まったのである。

 まあそのくらい差し引いても、涼子さんには十分過ぎるほどお世話になったのだから、このくらいあって当然だろう。

 お店の給料で裁縫道具の借金もすでに払い終わり、昔壊してしまった橋の修理代も、ドロシーの頑張りで完済した。

 橋の方は正直わたしだけでは無理だった。ありがとう、ドロシーちゃん。

 ドロシーはというと、二人で暮らしていた間はその能力を活かして涼子さんの会社でアルバイトをしていた。腐葉土や有機肥料をつくる手伝いをして給料をもらっていたのだ。

 わたしが裁縫屋に住み込みで働き始めると、ドロシーは涼子さんの家に居候することになった。仕事がない日でも涼子さんの家で勉強を教わるためだった。

 これはドロシー自身が言い出し、涼子さんに頼み込んだことだった。

「やりたいことをやるためには、自分で身につけた力、すなわち教養が必要」という時子さんのアドバイスを受けて、彼女なりに考えて決断したことだった。たいていのことは感覚的にこなすタイプのドロシーだが、意外にも勉強は嫌いではないらしい。

 やがてしばらくして、ここら一帯の大地主で大規模農園の経営者でもある涼子さんは、ドロシーを正式に雇用して新しい事業を起こした。

 ワインづくりである。

 能力の制御ができなかった幼い頃、口に入れた食べ物まですべて腐らせていたせいで味覚障害を患ったドロシーに、よりによって食品関係の仕事をさせるなんてどうなのかと、最初は不安に思った。

 涼子さんはといえば「大丈夫よ、平気平気」などとニコニコするばかりだし、当のドロシー本人は「味があればうまい」などと言っていたレベルだし、さすがに心配していたのだが。

 しかし涼子さんの慧眼は冴え渡っていた。

 熟成された年代物のおいしいワインを、ドロシーは味ではなく、腐り具合をもとに忠実に再現した。

 上等なワイン、おいしいワインというのは、彼女の感覚で言うと「妙な腐り方をしている」らしく、酒豪である涼子さんの所有する高級ワインたちを味わうことで“おいしい腐り加減”を知った彼女は、その発酵具合を再現するために能力を加減することを覚えた。

 完全に発酵させるとおいしくないらしく、かなり繊細な能力の使い方を要求されたようだったが、ドロシーは天性の勘でその微妙な腐らせ具合を探り出し、覚えていった。触れるものすべてが腐り、朽ち果てる彼女にとって、腐らせることで何かを生み出せるのは、心の底からうれしいことだったのだ。

 熟成の期間をまったく必要とせず、熟成した状態で出来上がるという、彼女にしかできない常識破りの製法でできたワインは、やがて通の間で「まるで未来から現れたかのような円熟した味」と呼ばれ、評判を呼んだ。

 やがてドロシーは齢十七にして、涼子さんのワイナリーの看板職人となった。


 店の奥のドラゴネッティさんの作業場よりもひとつ奥にあるわたしの部屋で、わたしはドロシーにもらったワインを開けた。

「希の部屋に来るのも久しぶりだね。なんか前より狭くなってない?」

「いやあ、だんだん物が増えてきちゃって。元は物置だったから、初めからいろんな物が置いてあったしね」

 布や道具の置き場だった物置をなんとか開けてもらったのがこの部屋だ。その分店内の天井近くまである棚はぎちぎちになったのだが、高いところにある棚から物を出し入れするのはわたしの仕事だ。

 触れた布をその場に固定できる能力を持つわたしにとって、靴下の中に仕込んだ布を固定し空中を歩くのは得意技だった。

 店主のドラゴネッティさんに「あれを取ってこい」と言われて、すぐさま天井近くまで空中を駆け上がり、「これですか!」「違う」などとこき使われる日々を送っている。けっこう楽しい。

「じゃ、二人の再開を祝して。乾杯」

 ドロシーはワインを注いだグラスを小さく掲げてみせた。

「乾杯。ふふ、ドロシーちゃんがそんなことを言うようになったなんてね」

 グラスに注いだワインを一口飲むと、ほんのりと甘い香りと軽い飲み口に、口の中が華やぐ。

「わあ、これおいしいね! わたしあんまりお酒強くないんだけど、飲みやすくて不思議な感じ」

「ほんと? よかった。希でもおいしく飲めるような味に仕上げてきたんだ」

 ドロシーはこの三年でずいぶんとやわらかく笑うようになった。特に変わったのは目元だ。やさしくなった。

「ドロシーちゃん、ほんと綺麗になったよね。その髪型は時子さんにやってもらったの? 素敵」

「これね、自分でやったんだよ。すごくない?」

「え、すごい!」

「学校でやるような勉強の他にも、化粧とか髪の結び方とか、食事のマナーとか、そういうことも教わってるんだ。あたしはあんま興味ないんだけど、これも教養なんだってさ。じゃあやるしかないか、って」

「そうなんだ。なんだかお嬢様みたいだね」

「見た目はね。中身はそんな変わってないよ、時子とか早見に教わってた勉強していると、あたしすげーアホだなーってよく思うもん」

「アホって。全然そんなことないよ。昔から物覚えも良かったし」

「そうかな。でもやっぱ、希に褒められるとうれしい」

 ドロシーは昔よりもやさしくなった目元をほころばせ、ワイングラスを口に運んだ。

「そういえば普通にワイン飲んでるけど、平気なの? 十七歳だよね?」

「あたしお酒にすごく強いみたいでさ。能力のせいかな。なんか、全然酔わないんだよね。多分勝つんだよ、体がアルコールに」

「ええ……いいのかな。仕事とはいえ未成年でしょ。うーん……いやダメだよね。飲み過ぎないようにしないとダメだよ。涼子さんに今度注意しとくから」

「大丈夫。ワインの味見って、ほんとに飲むわけじゃないから。たくさんテイスティングして酔っちゃわないように、口に含むだけなんだよ。まああたしは飲むけど」

「飲んでるじゃん!」

「だって、涼子だって、いつもかっぱかっぱ飲んでるし」

 涼子さんはたまにふらっとこの店に顔を出すので、ちょくちょく話をする機会があった。

 ドロシーをワイナリーの要職に就けた涼子さんだったが、こんなにうまくいっているのに、これ以上ビジネスとして大きくする気はないらしい。

 ドロシーに自分の力でお金を稼ぐ術をひとつでも身につけさせたかったのと、ドロシーの能力を生産的なことに使えないかというアイデアを試したかっただけなのだという。

 ドロシーが他にしたいことがあればそれでいいし、そのために必要なお金や教養は働いて得ること。機会は提供する。そういうスタンスらしい・

「この子にしかできないやり方で、少量だから価値があるのよ。あんまり大量生産しても仕方ないの。口コミがワイン通の間で広まり始めたから、しばらくは市場に出回る量を調整して、限定生産モノとしてギリギリ手に入るくらいの量で引っ張るわ。ヴィンテージワインの市場とは微妙な関係だけど、競合はしていないから、これからは気まぐれにつくりたいときにつくってくれた方がむしろ市場価値は上がる段階でしょうね。ま、のんびり暮らしましょ。他にやりたいこともあるでしょう」

 以前ドロシーと一緒にわたしの居る店を訪れた涼子さんが、相変わらずの様子でそんなことを言っていた。その話振りはやはり社長である。その割に本当に執着はないらしい。

 それでもこの人は、過去しほりさんの生き方を変えたように、ドロシーの今後の生き方を大きく変えたのは間違いない。

 幼い頃から生物兵器として扱われてきたドロシーが、その能力を人殺しではなく価値のあるものづくりに使えるようになり、普通に働いて、勉強して、ここまで真っ当な生き方をできるようになったのだ。ちょっと前なら考えられないほどの、魔法のような変化だった。やはり涼子さんは魔女だった。

「涼子と会ったばっかりの頃にさ、六月の呼び方をいろいろ教えてくれたことがあるんだけど」

「ああ、そんな話してたね」

「うん。同じ六月なのに、水無月とか、蝉羽月、常夏月、風待月とか、葵月とか、ほんといろんな呼び名があるんだけどね」

「え、すごい! すらすら言えるんだ。よく覚えてるね」

「教養だよ、教養。そんで涼子が言ってたのはさ、同じ六月でもいろんな見方ができるってこと。でもそれは、どれも紛れもなく六月で、それぞれの見方で見た全部の六月が合わさって、改めて六月ってものがわかるんだ、って話だったんだけど」

「うんうん」

「あたしの能力もさ、見方を変えると、まあワインとかつくれるわけじゃん? 試したことないけど、多分チーズとかヨーグルトとか、蜂蜜酒とか、発酵食品なら他にもいろいろ」

「そうだね。作り方さえ勉強すればいろいろできそう」

「でしょ。あたしの能力がさ、何かを壊すだけじゃなくて、何かを生み出すこともできるんだっていうのに気づかせてくれた涼子は、本当にすごいと思う。感謝してる。でもさ、かといって昔あたしがいろんなものを壊してたのも事実じゃんか。それはさ、なんていうか、ううん、難しいんだけど……諦めてた、っていうか」

「諦めてた?」

「うん。例えばさ、花をね、あたしが持つと、枯れちゃうわけじゃん。それって当たり前でさ、もうなんとも思ってないつもりだったんだけど、やっぱり最初は悲しかったんだ」

「ああ、そっか」

「だからさ、諦めてた。あたしの力はこういうもんなんだ、って。ものをダメにすることしかできないんだから、いっそ全部ダメにしてやろうって、そう思ってた部分が、どっかにあって」

 ドロシーはグラスを持ち上げ、赤い液体を灯りにかざして透かし見た。

「けどさ、腐らせるってことは、別にダメにするってこととは限らないんだなって、こうやってワインつくれるようになってわかったからさ。なんか、壊すのも、つくるのも、どっちも自分の力で、見方が違うだけの同じ物なんだなって。使い方やどういう気持ちで使うかの問題で、力自体は、ただの力なんだなって。最近そう思うんだ」

「なんだか大人になったね、ドロシーちゃん」

「そうかな。でも希にそう言われると、うれしいな」

「うん。ドロシーちゃんは大人になったよ。だって自分で自分のことを認められたんだもん。それはきっと、とっても大きな力になると思う」

「うん」

「ふふ。大人でもなかなかできないんだよ」

「ふふ、だって。涼子みたい」

「あは、似てた? そういえばそのワンピース、着てくれてるんだね! うれしいな、似合ってるよ」

「へへ、ありがとう。可愛い服はやっぱまだ苦手なんだけど、まあ、希にもらったやつは別かな」

 うーん、はにかむドロシーもかわいいな。

 そうそう、なんと不器用だったわたしも、ついに服を仕立てられるようになったのだ!

 我ながら感涙ものである。これも厳しくもやさしい師匠のおかげだ。

 ドラゴネッティさんはいかつい見た目のひげもじゃのおじいさんだが、強面な顔とは裏腹に、つくるのがいちばん好きな服は女の子向けのかわいい服だということがしばらくして反面した。わたしたちは師匠と弟子の壁を超えてがっちりと握手を交わしたのだった。

 金髪に緑眼、色白美少女のドロシーを前にして、わたしと師匠は何が似合うかという話で盛り上がり、すっかり打ち解けた。

 師匠の趣味だとやっぱりフリルやレース、リボンを使った可愛らしいものをドロシーに着せたいらしく、図面や型紙、イメージ画や時には実物までつくって見せてくる。

 わたしはそこまで複雑なものはまだつくれないので、シンプルなワンピースやスカートをなんとか頑張ってつくっていた。もちろんドロシーの可愛さが光るよう、シルエットにはこだわるけれど、簡単なものほど奥が深く、ベストなデザインというのはなかなか生まれてこない。まだまだ量をこなす必要があると思う。

 たまにふらっと店にやってくる涼子さんは、わたしとドラゴネッティさんが意外と仲が良いことを面白がりながらも、服や布を買ったり、仕立て直しを依頼しては去っていく。その時一緒にわたしがドロシーのためにつくった服も屋敷に持って帰ってくれたのだ。

 街を歩いている時は、時子さんや早見さんと顔を合わせることもあった。

 いつものメイド服姿で街をうろつく時子さんは、わたしを見かけると相変わらず胡散臭い笑みを浮かべながら近づいてくるので、傍目にはちょっとあやしい。でもわたしは久しぶりにその笑みが見られてちょっとうれしかったりする。

 ドロシーが勉強を教わっているのは主に時子さんからなので、ドロシーの様子を聞いたりして話は尽きない。

 早見さんは、涼子さんの意向もあってか、わたしとドロシーが二人暮らしをしていた最初の一年よく様子を見に来てくれた。

 やっぱり大人の男の人がいると安心だったが、ドロシーは「希を守るのはあたしだからね」などと対抗意識を燃やして、早見さんが来るたびに不機嫌になっていた。ついでに食事の支度をしてくれる早見さんの料理を食べると、すぐに機嫌が直るんだけど。

 早見さんは相変わらず不器用なわたしに料理を教えてくれたり、力仕事を手伝ってくれたりいた。おかげで最初の頃よりはかなり料理もできるようになった。特に初めて習った冷奴は、今では揚げ出し豆腐にレベルアップしている。

 早見さんみたいな人が身近にいるので、わたしの男性のタイプは俄然、頼れる年上の人になりつつある。まあ客商売やっててもお客さんとはなかなかそういう風にはならないし、そもそも裁縫屋に来る男性客なんてほとんどいない。まだしばらくは独り身だろうけど、それでいいと思っている。

「そういえばドロシーちゃん、しほりさんとマリアさんとは最近会った?」

「ああ、あいつらね。ちょうど今うちに遊びに来てるよ。多分二週間くらい居るんじゃないかな」

「そうなんだ」

 マリアさんとは初めて会ったとき以来なぜだか気が合って、すっかり友達だった。

 しほりさんが涼子さんの家に遊びに来ているとき、ひとりで店の方に会いに来てくれることもよくあった。

 その日ばかりはわたしも休みを取って街へ出て、二人でランチに行ったり、イケメンバーテンダーのいるバーで一緒に飲んだりするのだ。

「のぞっち最近どう? 彼氏できた?」

「うーん、しばらくは無理そうです。マリアさんは?」

「全滅。マヂ無理。世界中飛び回ってんのになんで? あたしがマッチョ好きだから?」

「マッチョならたくさん居そうですけど」

「そりゃね、マッチョってだけならたくさん居るよ。でもさ、やっぱいざって時に頼れる男がいいじゃん?」

「あーわかりますそれ」

「でしょ? そーなるとさ、まずあたしより弱い男は論外なわけ。筋肉だけあってもダメなんだよね」

「一気に条件が厳しくなりましたね」

「そーかなあ? 結構ハードル下げていろんな男と戦ってんだけど、なーんか、みんな弱いんだよね。最近の男って軟弱」

「マリアさん、今夜は飲みましょう」

「おっ、のぞっち言うようになったね! 飲も飲も! あ、待って今の店員さん割とイケメンじゃね!? ねーお兄さんちょっと腹筋見せて! ちょっとでいいから! あと触らせて!」

「すみません、この人もう酔ってるんでお冷ください」

 わたしはそんなにお酒が強い方ではないのであまり飲まずにいるのだが、たいていこうやって酔ったマリアさんの世話をすることになるのだった。案外悪い気分ではない。

 わたしもいつの間にか二十歳なのだ。

「わたしもたまには、会いに行けるといいんだけど」

「希は働き詰めだしなー。そうだ、今度のしほりとのやつは希も一緒に来る? 希の能力ならきっと役に立てるよ」

「あはは。それも面白いかもね」

 ドロシーは時たま、ふらっと涼子さんの家にやってきたしほりさんについていって、一ヶ月ほどいないことがあった。

 なんでもしほりさんは賞金稼ぎを引退してトレジャーハンターになったらしく、ドロシーの能力が必要な時は連れて行くのである。

 しほりさんは容赦無く危ないところにも出かけるので、聞く限りでは心配で仕方ないのだが、ドロシー本人は相当楽しんでいるようだった。どうやらドロシーがやってみたかったことの一つは冒険だったらしく、いつも大満足で帰還しては、わたしに土産話を聞かせてくれた。

 以前一度だけ、しほりさんが冒険前にドロシーと一緒にこの店に顔を出したことがある。

「涼子姉を狩ろうだなんていう不届な輩が現れないか監視するために賞金稼ぎをやっていたけれど、涼子姉とあの側近たちなら放っておいても大丈夫そうね。なんか悔しいけど。というわけで、宝物が見える能力を活かしてトレジャーハンターに転職したわ。ちなみに一番得意なのは温泉を掘り当てることよ。温泉を宝だと思う人が近くにいれば、水脈が光って見えるの。便利よね。私の能力を使えば地面なんか掘らなくても直接温泉を地上に引っ張って来れるし。この遠目塚しほりが建てた温泉旅館の数はこの世に数知れないわ」

「こいつほぼ温泉ハンターみたいなもんだからね」

「地底湖に沈められたいの?」

 などとドロシーと愉快な会話をしていた。二人ともなんだか息が合っていて楽しそうだった。


 わたしもドロシーも、いろんな人に会った。

 いろんな人と話をした。共に過ごした。

 今もまだそういう人たちとの縁が続いているし、それはこれからも増えたり、もしかしたら減ったりするだろう。

 それがこんなにも楽しいことだったなんて、籠の中に居た頃は思いもしなかった。

 わたしたちは脱走し、何度も捕まりそうになりながら死地をくぐって、この街に辿り着いた。

 わたしたちはとても運が良い方だろう。涼子さんたちと出会えたのは本当に幸運だったし、いくら感謝してもしきれない。涼子さんやこれまで関わったいろんな人の助けがあって、今わたしたちは、自分の力で生きられるようになった。

 生きることに必死なのは、脱走した頃と変わらない。だけどそれを補って余りある自由は、他では得難い喜びは、ぼんやりと過ごしていたあの頃にはなかったものだ。

 わたしは思う。

 外の世界は、良いものだ。

「ねえ希」

「なあに、ドロシーちゃん」

「今日泊まっていっていい?」

「もちろん」

 わたしはドロシーを見て微笑んだ。

「今日はいっぱい話そうね」

「うん」

 ドロシーもうれしそうに笑って言った。

「希に話したいことが、たくさんあるんだ」

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