髪一束の願い
このエピソードの短編は薫の草案をもとに葉裏が書き上げたものです。その際薫の助言も入れています。
また睦月の眠りが浅くなって、スノードームがそれを見計らっていたかのようにコトリと動いて新しい夢の雪を降らせ始めた。
私はまたしても山の中を歩いていた。これは夢の続きだろうか? いや、でもあの山小屋は見当たらない。
それにまだ日も高く、道に迷ってる気もしない。
でも誰かが道に倒れている。見ればこんな山道には無理な感じのお年寄りのお爺さんだ。
「お爺さん、大丈夫ですか?どこか具合が悪いのですか?」
私は持っていた水筒の水を飲ませて、用意していたらしい携帯食も分けてあげた。
少し体を横たえていると、そのお爺さんは漸く意識もはっきりしてきて、喋り出した。
「あともう少しなんだ。もう少しであの、祠に辿り付けるんだ」
えっ、なんの祠? もしかして何かの願掛け?
するとそのお爺さんは語り出した。自分は色々な事に挑戦して、ずいぶん無茶なことや道を踏み外したことも一度や二度ではない。
けれどももう余生が残り少なくなった今、初めて気づいたんだと。
よそ見をせずにこうだと決めたことに誠実に向き合って、一途に生きるのがもっとも価値ある生き方だったんだと。
自分は様々な経験をしたので、どうすれば道を踏み外さずにまともに生きて行けるか今ははっきりわかるし、そうして行く自信は気持ちの上ではある。
けれども自分は齢を取り過ぎた。肉体的にもう衰えてなにもできない。
折角どうすれば意味ある人生をおくることができるか掴めたのに、すでに何もかも遅すぎた。だから、あの祠に行くんだと。
「その祠に行けば何があるんですか?」
私はお爺さんに聞いた。
「髪の毛の束を一つ捧げると、願い事を一つ叶えてくれるのだ」
見ると、その老人にはあまり髪の毛が残ってない。でもなんとかかき集めれば一束くらいにはなるだろう。
「そうだ。お嬢さんには何か願い事はないのか?
「私ですか?」
私はそう言って投げやりな笑顔をお爺さんに向けた。
「願ったところでどうにかなるものでもないし、そうね。そういえば私どうしてこの山に来たか思い出したわ」
「何を思い出したんじゃ?」
わたしはそれから見ず知らずのそのお爺さんに全てを話した。
両親が交通事故で死んで淋しい通夜を一人でしているときに、今まで付き合ったことのない遠い親戚とかが押し寄せて来て、両親に多額の金を貸していたのだという。
何枚もの借用書を見せて寄こすと、合計3000万円にもなる。私はいま住んでいる家を追い出されて、私の進学のために積み立てていた貯金通帳までも取られてしまった。
私は成人していないので、施設に行かされるという。その施設だって18になれば出なければならない。私は今17だけど高校中退になるから、あと1年足らずで中卒の身で仕事を見つけなければならない。
女の身で生きて行くとしたら、恥ずかしいこともしなければいけないかもしれない。
そんなことになるならいっそ山奥で自分の死に場所を見つけようとやって来たのだ。他人事みたいだが、なにやら私はそういう瀬戸際の身の上らしい。
「それならお嬢さんも儂と一緒に祠に行ってみようじゃないか」
「行ってどうするんですか?」
「お嬢さんが奪われた家やお金を返して貰うのさ」
私はそんなことができる訳がないとは思いながら、お爺さんをそこまで連れて行ってやった方が良いと思ったので、一緒に同行すうことにした。
その祠は草や藪に覆われていて、長く人が訪れてない様子だった。お爺さんは草刈り鎌を取り出すと祠の前の草を刈り取り、草の束で箒を作って祠の中を掃除した。
その祠は崖の下の岩壁をくりぬいて作ったものらしく、奥には岸壁を彫って作った観音像があった。
その観音には髪の毛がなかった。初めからそうだったのか、それとも長い年月の間摩耗してそうなったのかは分からない。
ふとお爺さんを見るとハサミを使って自分の頭髪を切ろうとしているが、手が届かず苦労している。
「お爺さん、私がやってあげます。無理をすると頭皮に傷をつけてしまいますから」
私は美容師さんがやるように、一つまみずつ髪を掴んで切って行った。
それをお爺さんが用意して来た和紙に包んで、細い紐できっちりと結んだ。
「お嬢さんも切ると良い」
お爺さんがハサミを貸してくれたので、私は右側の髪を一房掴んで切って和紙に包み紐で結んだ。
その後、左右のバランスを考えて左側からも同じ量の髪を切って、束にした。
「はい、お爺さん」
私は一束をお爺さんに渡した。
「これは……どうして?」
「だって、お爺さんは若返りたいのでしょう? それなのにそんな僅かな髪だったら、せいぜい若返っても中高年くらいにしかならないと困るじゃないですか。せめてナイスミドルくらいまでになって欲しいから。観音さまはそのくらいの応援は許してくれると思うの」
「そうかすまない。これじゃあ、一から十まで他力本願じゃな」
お爺さんと私は並んで願掛けをしてから髪の束を観音様の前に捧げた。
気が付くと、ナイスミドルどころか若々しい青年がそこにいた。お爺さんが着ていた服を着たまま。でもなんだか体が大きく見えるな?
そのとき、私のスマホの着信音が鳴った。こんな山奥なのに圏外じゃないんだ。
するとお爺さんの青年は私のスマホを取り上げて代わりに出ている。
何を勝手なことを……するとお爺さんの青年はそつなく電話に応対している。
「はい……はい……そうですか、それなら本人にそう伝えておきます」
そして通話を切ると私にスマホを返してくれた。でも受け取った私の手がとても小さい。
「ありぃえ? わたちどうなっちゃったのら?」
聞こえた私の声は舌足らずの幼児のものだった。
体も小さくなっていたが、幸い着ていた服も体に合わせて縮んでいる。
「おじいたん、こりえわ、どうなったんら?」
「すまない」
お爺さんの青年は私の前に手をついて謝った。
「うっかりしておったわい。願掛け観音は1人の人間から一つだけしか願い事を聞かないんだが、他の人間の代理に願い事を聞いてくれることもあると。その際はその人間の髪の毛を納めるのだということをうっかり忘れておったんじゃ」
どうやら観音様は「若返り」の願い事を私の分も叶えてくれたらしい。
「おじいたん、ちょのちゃべりかた、やめるのら。かおににあわないから」
「わかった。それでさっきの電話だが、君の両親と契約していた弁護士からだった。君の遠い親戚という連中は偽の借用書を偽造していたので、文書偽造で逮捕されたよ。だから、彼らが奪おうとした不動産や通帳などすべて戻ってくるそうだ。そればかりか、彼等は君の両親から借金をしていてそれをずっと返済してなかったことも分かったので、彼等の財産はすべて差し押さえされて競売にかけられ、その収入はすべて君に渡されるそうだ」
そこまで話すと青年は眩しいほどの笑顔を見せた。
「僕は新しい人生の目標を見つけたよ。幼女の君を守るために、君が成人になるまで手足になって頑張りたいと思う」
そういうと彼はヒョイと私をお姫様抱っこして言った。
「この山を険しい道を通って降りるのは君には無理だ。僕に任せると良いよ」
そう言った青年の口元で白い歯が光った。
どうも夢はここまでらしい。私はもう少しお姫様だっこしていてもらいたかったのだが。
スノードームは睦月の枕元でゆっくりと逆さまになってそこで止まった。
次の夢になるまでじっとうごかないで、ただ聞こえるのは睦月の静かな寝息だった。
ここまで読んで下さった読者の皆さんに感謝いたします。できれば引き続きご愛読ください。