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【アップ】2025年3月23日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(不思議のパルプンテ)

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782



【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪


※過去にアップしたものを再アップしております^^



【本日のメッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=KCocNTgW2-0


【ブログ】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12891982392.html

(ブログを見てくださると聖書を閲覧できます)


讃美歌〜♪


讃美歌225番

https://www.youtube.com/watch?v=5zSTFbOBrq4


1

すべてのひとにのべつたえよ、

かみのたまえるみおとずれを。

あめなる父はみ子をくだし、

すくいのみちをひらきませり。

2

あまねくのべよ、よき知らせを、

まことの幸を もとめつつも、

むなしきものにさそわれゆく

世のはらからにのべつたえよ。

3

十字架のうえに死にたまえる

み子こそ永久のすくいなれや。

かみのたまえる この知らせを、

地のはてまでも告げひろめよ。


2025年3月23日 礼拝説教 聖書箇所


実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。

ローマの信徒への手紙10章17節


話すことも、語ることもなく 声は聞こえなくても その響きは全地に その言葉は世界の果てに向かう。そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。

詩編19編4,5節


はじめに

主の受難と復活をとくに覚える、今日、福音宣教を、自らの使命と祈り求めたい。

1

「ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。」から、三つの問いを重ねる。「聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう」と。使徒パウロの問いの根底にあることは「なぜ、どうして」。わたしたちの生活において「なぜ、どうして」と問うとき、そこに、祈りの心を問うとき、信仰の道は近いものとして示される。なぜ、人は死ぬのか。なぜ、人は争うのか。なぜ、人は苦しむのか。パウロにとって、なぜ、同胞ユダヤ人は、キリストのもとに来ないのか、は切実な問い。パウロは、ローマ世界の各地をおとずれ、主の福音を宣べ伝えつつ、その思いを証してこう伝える。「しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。イザヤは、『主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか』(イザヤ53章1節)と言っています」。十字架のつまずきを抜きにして、福音を伝えることはできない。パウロの苦しみは、異邦人の救いを見ながら、多くのユダヤ人が、十字架にかけられたイエスをキリストと認めることを拒絶すること。

「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まる」。

ここに、パウロの「なぜ、どうして」との問いに対する、一つの答えがある。それは、「信仰」は「キリストの言葉」を「聞いたこと」から生じる。「キリストの言葉」とは、写本によっては、「神の言葉」ともあり、いずれにしても、その「言葉」は、神とキリストの言葉に聞き従う者たちが、宣べ伝えている「福音」。さらに、問いを重ねることがゆるされるとすれば、なぜ、キリストの言葉、「十字架の言葉」「十字架につけられたキリスト」「召された者には、神の力、神の知恵であるキリスト」(コリント一1章18,23,24節)は、それを聞いたすべての人(神の御前に失われた者たち(罪人))にとって、「福音」なのか。それは、「罪人を救う」ただ一つの道であるゆえ。じつに、「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値」する(テモテ一1章15節)。

「それでは、尋ねよう。彼らは聞いたことがなかったのだろうか。」と、パウロは、今度は、ユダヤ人への問いに向かう。その答えは「もちろん聞いた」。しかも、「その声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ」(詩編19編5節)と言う。「主の律法は完全で、魂を生き返らせ」「主の定めは真実で無知な人に知恵を与え」「主の命令はまっすぐで(正しく)、心に喜びを与え」「主の戒めは清らかで、目に光を与える」。実に「信じる者すべてに義をもたらすために」、キリストは、「主の律法」の「完全・真実・正しさ・清らかさ」をすべて満たされた。キリストの救いは、個人の救霊に留まらず、被造世界全体に及ぶ、普遍的なもの(ローマ8章19節以下)。「それでは、尋ねよう。イスラエルは分からなかったのだろうか。このことについては、まずモーセが、『わたしは、わたしの民でない者のことで あなたがたにねたみを起こさせ、愚かな民のことであなたがたを怒らせよう』と言っています」等と、使途パウロは、イスラエルの民への神の御意志を明らかにし、なおも、忍耐しながら、主の憐れみによって救われる日の来ることを待ち望みつつ、福音を伝え続ける。

おわりに

主イエスの宣教命令は、「行って、すべての民をわたしの弟子にせよ」と命じる。主の命令に応える宣教教会は、主の福音を聞き、主の名を呼び求める。主の救いに仕えたい。


(Mynote)


二〇二五年三月二三日(日曜日)、今日と兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。

(子供メッセージ)

『スコットランド教会新カテキズム』

「使徒信条に於ける三つ目の箇条は何を含んで居ますか。」

「イエス・キリストが、この世の中に来られた事です。」

イエス様が生まれた時の事が引用されて居た。イエス様はベツレヘムに生まれた。光の源であるイエス様は、この世に信仰の光を照らす為に神様の元から来て、闇を明るくする。罪は闇を好み、その内に身を浸らす。その闇の内には罪による滅びしか無く、イエス様に依り現される光は、その滅びの闇の内から全ての罪人を救い出し、光の中に住まわせる為に在る。

(公同礼拝)

『ローマ人への手紙』(第一〇章一四〜二一節)

『詩篇』(第一九篇二〜一五節)

『詩篇』では、

「誰が自分の誤りを知る事が出来ましょうか。どうか私を隠れた咎から解き放って下さい」

と人の正義に在る曖昧を語り、どうしようも無いあやふやで、生来すぐ罪に走る罪人をどの様に神様が救い、又その為にイエス様がこの世に来られ、福音が伝わるか?…と言う事を主に語る。その次の箇所に在る、

「又、あなたのしもべを引き留めて、故意の罪を犯させず、これに支配される事の無い様にして下さい」

とは、この現代に生かされる全ての人にとって、至難の業に在ろうか。これを守れる者が果して居ようか?イエス様のほか誰も居ないと断言出来るなら、全ての人はイエス様を通して神様から教えられた御言葉に生き、その御言葉を守り、聖霊の働きに依り救われる事が必要になる。

神様は、全ての人を賄って下さる。賄うとは、生前から死後に至る迄、その人の全てを救い、守り、信仰の為に生きる糧が与えられると言う事。

或るクリスチャン(牧師)は、

「信仰生活に入り、祈る事が一番難しかった」

と言う。祈り。これは神様とその人の交わりに在り、見えない・聞こえない・感じられない様な関係と空間の中、心の正直を告白し、その上で信仰に救われる様にと神様に訴える事にある。何故この「祈り」が難しくなるのか?現代人を見ても、誰に、何処に向いて祈って居るのか、夫々の人によりバラバラである。夫々の神を作り上げて居る。人が作り上げた神は誠の神に無く、偶像であるため何の力も持たず、救いを得られず、迷う。

祈りとはまた無言に在る。神様との応答関係が中々成り立たない。これは御言葉に真剣に聴いて居ない証拠?

「しかし、信じた事の無い者を、どうして呼び求める事があろうか。聞いた事の無い者を、どうして信じる事があろうか。宣べ伝える者が居なくては、どうして聞く事があろうか。遣わされなくては、どうして宣べ伝える事があろうか。

本気で自分の罪・人間の罪を思い知り、その罪の淵から思いきり声を上げて神様に訴え、救いを与えて下さい!!!と祈り願わなくては、本当の信仰は成らない。誰でも病魔に苦しむ時、その断末魔の時、苦しい時の神頼みで、本気で救いを祈り求める。これと同じ本気の祈り願い、又「死んでも生きる」とイエス様に教えられたその御言葉を以て言えば、それ以上の覚悟と本気を以て神様に救いを祈り願い求める事!この事が必要になり、その状態に立つ人は必ずそうして祈り願うのだ。

詰りこの両箇所は、信仰の本気と正しさ(正義)に就いて教える。嘘気の信仰やその場限りの信仰、人が作り上げた信仰であればその全ての信仰は萎え、枯れる様に消え果てる。神様のもとで誠の信仰に救われる様に努め、神様がイエス様を通して全ての人(兄弟姉妹)に教えた御言葉を守り、生かされる事に喜びを得ようとするなら、その信仰は「死んでも生きる」と約束された誠の信仰に至り、神様に喜ばれる息子・娘に成れるのである。こう信じる事が必要になる。人は神様から教えられた軸・正義が無ければすぐ迷い、人の勝手に滅びや虚しさを見て、生きながらにして死んだ様になる。だから神様とイエス様の元に常に在る事が大事に在り、そう出来る様に常に祈り願う事が必要になる。

なぜ人は生きるのか?なぜ人は死ぬのか?なぜ人の世はこう在るのか?なぜ罪が在るのか…争いや派閥があり、怒りや哀しみがあり、また喜びがあるのか?これ等の事を問うのは人の純粋に在り、正しい信仰と神様のもとへ辿る契機に成る。

人はいずれ老いて死ぬ。その間に多少なりの苦しみがある。キリストの真実(キリスト教)に依る救いのみを語り聞けば魅力的なれど、十字架の苦しみ無くして天国への救いは無い。その苦しむ時、不安・恐怖に在る時、十字架で苦しまれたイエス様が常にその人と共に居る事、その愛と恵みと励ましを知る事が必要である。人の心身はこの世でどの様に在っても、信仰に生かされるなら、その人の全ては神様に救われる。この事を信じる強さが信仰に依り与えられたい。

人はよわい為、すぐ目前の救い(救いに見える)物に縋り付く。しかしどの様にしても地上を去る定めは同じである。

「誰が思い煩ったからとて、自分の寿命を僅かでも延ばす事が出来ようか」(『マタイによる福音書』第六章二七節)

この御言葉を思い出す。

福音は全世界に宣べ伝えられる。全ての人はキリストの救いを既に聴いて知って居る。人に聴かずとも、イエスキリストの言葉に依り福音を聴いて居り、その信仰に依る救いへの契機に与って居る。全ての人は神様から生まれた。神様の事は、既にその細胞レベルで知って居る。信仰に向く心を研ぎ澄ます事で、神様の事、信仰に依る救いに気付く。これは再び改めて思い知り気付くのであり、神様は罪人である全ての人に、自力でも努めて信仰に向かう歩を望んで居られる。こう信じる事は妥当に在ろうか。正しい信仰、信仰の正義に全ての人が着く様に。キリストに依る救いは今何処にでも在り、身近に在る事を知る。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/


Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」

https://www.youtube.com/watch?v=MCyjy8BuIIw&t=2s


「SEIZE THE DAY / 今を生きる」

https://www.youtube.com/watch?v=A7Aobi9nmWM


イエス・キリストの生涯をたどる旅 II (1)

https://www.youtube.com/watch?v=vPB9SBXalPA


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬



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