6.
セレーネはほっと胸をなでおろす。ようやくこの茶番から抜け出すことができる。ローラントが急ぎ足で植物園にやってきたということは、緊急で処理が必要な案件があるのだろう。
ローラントはフローラとヴィンセントの姿を認めると、胸に手を当てて軽く膝を折る。王女であるフローラに礼をとっているのだ。どこかの誰かとはえらい違いだと、セレーネはチラリとヴィンセントに軽蔑の眼差しを向ける。
「フローラ王女殿下にご挨拶を申しあげます」
ローラントはフローラに挨拶をした後、ヴィンセントには軽く目礼で挨拶を交わす。同じ公爵令息という身分なので、公の場でない限り畏まった挨拶はいらないからだ。
ヴィンセントは少しムッとした表情ではあるが、同じく目礼でローラントに挨拶を返していた。
「ごきげんよう。ドレンフォード卿。お姉様を引き留めてしまってごめんなさい」
セレーネにとる態度とは違い、実に殊勝だ。フローラは人前では姉を敬っている体を装っている。裏表がある性格なのだ。
「とんでもございません。ご歓談のところを失礼いたしました」
「お姉様、わたくし達のことはお気になさらず、どうぞお仕事に戻ってくださいませ」
可憐に微笑んでいるように見えるが、もちろん愛想笑いなので心から笑っているわけではない。だが、そんなことはどうでもいい。早くこの場から離れたいセレーネは、にっこりと微笑みを浮かべる。
「ええ。それではフローラ、ノルクシュタット公爵令息。これで失礼するわ。行きましょう、ドレンフォード卿」
「御意」
二人に背を向けたセレーネはローラントを伴い、植物園を出ていった。
執務室に戻ったセレーネは急ぎの書類を決裁しようと準備をする。
だが、机の上にそれらしい書類が見当たらない。いつも急ぎの書類は執務机の左側に設置してある決裁箱の一番上に置いてあるのだ。
「ローラント。急ぎの書類はどれかしら?」
「……申し訳ございません。特に急いでいる案件はございません」
「どういうこと?」
怪訝な表情を浮かべるセレーネにローラントは深々と頭を下げる。
「殿下がお困りのように見えましたので、咄嗟に嘘を吐いてしまいました。私の勘違いでしたら、お詫び申し上げます」
セレーネを探しに植物園へ来たローラントは、フローラとヴィンセントを相手にセレーネが困っているように見えたそうだ。
(要するに適当に嘘を吐いて助けてくれたということ?)
先ほど植物園で嫌な思いをしたことを忘れるほど、ローラントの心遣いに胸が温かくなる。
「頭を上げてちょうだい。謝罪をする必要はないわ。実際どうやって話を切り上げようか困っていたところだったの。いいタイミングだったわ。ありがとう、ローラント」
素直にお礼を言うと、ローラントはゆっくりと頭を上げる。そして、セレーネを見つめにっこりと微笑む。男性に形容する言葉ではないが、花が綻ぶような笑みとはこのことかとセレーネは納得した。
「殿下、どうかなさいましたか? 首振り人形のように頷いていらっしゃいますが……」
「ローラントは美人だなと思って!? あ! 言っちゃった!」
日頃、心の中だけで称賛していた言葉をうっかり口に出してしまったセレーネは、慌てて口を押さえる。ちらりとローラントを見れば、首を傾げていた。
「美人……ですか? それは、むしろ殿下を形容する言葉ではないですか?」
そういえば、先日もローラントはセレーネを美しいと褒めてくれた。実際セレーネは美人なので十人中十人が美しいと称賛する。しかし、セレーネ自身が自分より美しいと思っているローラントに、容姿を称賛されるのは気恥ずかしい。
「そう……かしら?」
「そうですよ。先日も姿見でご自分の姿に見惚れていたではないですか。自覚はあるのでは?」
「だからあれは違うわよ! 身だしなみを整えていただけと言ったでしょう!」
「まあ、冗談ですが……」
くすっとローラントが微笑む。また、ローラントにからかわれたと思ったセレーネの顔がどんどん赤く染まっていく。
「ご自分に自信を持つのは悪いことではありませんよ。実際殿下は美しいですから」
美しいとローラントに褒められると悪い気はしない。セレーネは照れを隠すように顔をぷいと横に向ける。
「でも……殿方はフローラのような感じの女性の方が好みよね?」
物語のヒロインは大抵可憐で庇護欲をそそるタイプだ。対して悪役令嬢は美人でハイスペックだが、男性が苦手なタイプの女性と設定されている場合が多い。『エステルの戴冠』もまさにそういう設定だ。
何となくローラントの女性の好みを聞いてみたくなったセレーネは、話の流れでそれとなく話を振ってみる。
「確かにフローラ殿下は可憐な方だと思いますが、わたしは裏表のある女性は嫌いです」
ローラントがフローラの本性を見抜いていることにセレーネは驚いた。フローラがセレーネ以外に本性を現すことはない。可憐で庇護欲をそそるようなそぶりに周りの人間は騙されている。
「どうされました? 鳩が豆鉄砲をくらったような顔をされていますが」
「意外だと思って。フローラのことをそんな風に言う人はいないから」
「気づいている方はいらっしゃると思いますよ。表立って言葉には出さないだけです」
実際そうなのだろう。いくら外面のいいフローラでも始終可憐なフリはできない。どこかでボロを出しているに違いないのだ。
「そうなのね。ところでローラントはどんなタイプの女性が好みなのかしら?」
ローラントは今年二十歳になるのだが、浮いた噂を聞いたことがない。婚約者もいないのだ。ドレンフォード公爵家の令息でこれだけの美形なのだから、女性にはもてるだろうにとセレーネは思う。
「好みのタイプですか? そうですね……。真面目でしっかりした女性が好みですね。殿下のような……」
じっとローラントに見つめられて鼓動が跳ね上がる。心臓の音が大きくてローラントに聞こえてしまいそうだ。
「そ、そう? では真面目でしっかりした女性を探さないとね。さあ、仕事! 仕事!」
ごまかすように決裁しなければならない書類を机の上に積み上げると、セレーネは鬼のように仕事をこなし始めた。
「今の言葉は本気だったのですが……」
ぼそりとローラントは呟いたが、必死にペンを走らせているセレーネには聞こえなかった。
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