5.
リンドベルム王国はまもなく建国祭の時期となる。今年はちょうど三百年目となるため、外国から賓客を迎え盛大に開催される予定だ。
セレーネは王太女として国王とともに賓客をもてなす役目を負っている。それだけでも重責だが、本来は王妃の仕事である晩餐会の仕切りも任されているのだ。王妃であるセレーネの母は故人で、フローラの母である側妃も故人なので、必然的にセレーネの仕事となった。おかげでここのところ忙しい毎日を送っている。
「さすがに働きづめではありませんか? 少しは休憩なさってください、殿下」とローラントに半ば無理やり執務室を追い出されたセレーネは、王宮のはずれにある植物園で休憩をとっていた。
「今日中に晩餐会に出す食事の段取りを終わらせたいと思っていたのに」
セレーネは植物園に設置されているベンチに座って植物を眺めながら、ブツブツと文句を言っている。とはいえ、朝早くから夜遅くまで執務をこなしているセレーネに、補佐官であるローラントもまた同じように長時間働かせていることになるのかと思い直す。
「とんだブラック企業よね。一日の労働時間や有給休暇とか取り決めがあればいいのに……」
前世でセレーネが勤めていた会社は限りなくブラックに近いグレー企業だった。万年人手不足のわりに定時帰りを推奨していたのだが、仕事が終わらないうちは帰れない。完全週休二日制だが仕事が終わらないので、休日は自宅にパソコンを持ち帰り、在宅勤務をする。実に悪循環な職場だった。
「もしかして、私過労死したんじゃない?」
いまだに前世の死の瞬間は思い出せない。もしかしてまだ生きていて、長い夢を見ているだけだろうかと考えたこともある。だが、この世界は妙にリアルだ。実際生きている感覚しかない。
「あら? お姉様じゃない」
考え事に没頭をしていたら、聞き覚えのあるというか聞きたくない声が響く。声がした方へ顔を向けると、フローラとヴィンセントが腕を組んで歩いてくる。
(あまり会いたくないヤツらに会っちゃったわ。休憩する場所を間違えたかな?)
無視するわけにもいかないので、セレーネは立ち上がると、毅然と背筋を伸ばす。
「ごきげんよう、フローラ。ク……ノルクシュタット公爵令息」
思わずクズ男と言いかけたが、表情を崩さず言い直す。セレーネの中では「ヴィンセント=クズ男」という式ができあがっているのだ。
「随分と他人行儀ではありませんか? 少し前まで婚約者だったというのに」
フッと鼻で笑うヴィンセントにムカついたセレーネは、心の中で彼にボディブローを食らわせた。そして、余裕のある笑みを浮かべる。
「礼儀というものですよ。ノルクシュタット公爵令息」
ヴィンセントはチッと舌打ちをしたが、婚約を白紙に戻したのだから、名前で呼ぶ必要はない。セレーネとしては頼まれても、これからヴィンセントのことは名前で呼ぶつもりはないのだ。未練があると思われたら心外だった。
「ところでお姉様は執務中ではありませんの? なぜここにいらっしゃるのかしら?」
「休憩しているのよ。たまには外の空気を吸わないとね」
フローラは興味なさそうに「そうですの」と頷く。セレーネがもっと落ち込んでいると期待していたのだろう。
ヴィンセントは今さらながら、セレーネに向かって紳士の礼をとった。本来はセレーネに挨拶をされる前にとらなければいけないのだが、どこまでもセレーネをバカにしている。
それはフローラも同じだ。セレーネは王太女で王妃が不在の今、国で一番身分の高い女性となる。妹王女であっても礼は尽くさねばならないが、フローラがセレーネにしっかりと礼をとるのは、公の場のみだ。
「そういえばセレーネ殿下にお礼を申し上げなければいけませんね」
「お礼? 何のお礼ですか?」
ヴィンセントは含み笑いをすると、口の端をにやりと歪める。嫌味を含んだその笑みにセレーネは虫唾が走った。
「とぼけなくともいいのですよ。国王陛下に婚約を白紙に戻す進言をしていただいたお礼です」
「そのようなことですか。礼など不要です」
「いえ。ぜひお礼を。おかげでフローラと婚約を結ぶことができます」
今度はうっとりとした笑みをフローラに向ける。
今までもセレーネに向ける表情とフローラに向ける表情はこんな具合に違っていたのだろう。
「お姉様の言うとおりよ、ヴィンセント。お礼など不要だわ。だって元々貴方と婚約するのはわたくしのはずだったのよ」
(ええ。原作のとおりね。クズ男とあざとい女。お似合いだわ)
心の中で返事をしてやる。ヴィンセントに未練はないので、フローラに熨斗をつけて返すことにしたのだ。愛の障害という熨斗を……。
この二人は何の障害もなく、婚約ができると思い込んでいる。国王が婚約を白紙に戻したので、当然新たな婚約も認められるとでも思っているのだろうか? とセレーネは心の中でほくそ笑む。
「そうだね、フローラ。ああ、そうだ! 婚約のお許しをいただくために国王陛下に謁見の申し込みをしないといけないね」
「ふふ。そうね」
二人は見せつけるようにいちゃいちゃしているが、セレーネはただ呆れている。
(この茶番はまだ続けないといけないかしら? いい加減飽きてきたんだけど……。ああ、疲れた)
適当に理由をつけてここから離れようと思った時である。
「殿下。こちらにいらっしゃいましたか? 急ぎ決裁をいただきたい書類があるのですが……」
思わぬ助け船がやってきた。ローラントだ。
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