4.
今日の午後はヴィンセントとの茶会が予定された日だったが、婚約が白紙に戻ったので特にすることがない。茶会が中止されたことは婚約解消の通達とともに、ヴィンセントにも伝わっているだろう。
「クズ男の望みどおりになったのはちょっとムカつくけど、清々したわ! もう関係ないし、せいぜいフローラと仲良くすればいいのよ。セレーネとしてはまだ十八歳だし、しばらく独身を謳歌しよう」
午後からはゆっくり休めと言われたセレーネだが、昼食の後執務室へ籠ることにした。落ち着いて考え事をするには適した場所だからだ。
「とりあえず整理しよう。『エステルの戴冠』でフローラがエステルの名を授かったのは十四歳だったわね」
フローラに神託がおりたのは、水害に遭った地方へ慰問に訪れた際のことだった。
水害によって破壊された家屋や傷ついた人々を目の当たりにしたフローラは、涙を流しながら一心に女神エステルに祈ったのだ。「どうか一刻も早く復興に向かい、傷ついた人々が癒されますように」と。
するとフローラの周りが金色の光に包まれ、女神エステルの声が聞こえる。
「わたくしの愛し子よ。貴女にエステルの名と力を授けましょう」
直後金色の光がフローラの体内に収束されたかと思うと、辺り一体が眩い光に包まれた。
光が収まった後、水害で破壊された家屋は元通りの姿を取り戻し、人々の傷は癒える。
奇跡の御業を目にした人々はフローラを崇めた。
百年ぶりの「女神の愛し子」が現れたと……。
「確かセレーネの代理としてフローラが慰問に赴いたのよね。でも二年前に水害が起こった地方はなかった。いまだにフローラがエステルの名を授かっていないのは、きっかけがないと考えていいのかしら?」
もう一つ気がかりなことは先ほどの国王の言葉だ。フローラには王位継承権がないという。だが、女神の愛し子としてフローラがエステルの名を授かったとすれば、国王も王位継承権を与えずにはいられないのではないか?
「いろいろ謎だらけよね。作者が裏設定を作っていたのかしら?」
無意識に執務机から離れ、ウロウロと歩き回っていたセレーネはふと姿見の前で立ち止まる。
豪奢な黄金色の髪にアースアイの自分の姿が鏡に映った。セレーネはじっと姿見を覗き込む。
「それにしても、セレーネってすごい美人よね。いやあ実に魅力的だわ」
ヒロインということでフローラも可愛いが、美人度はセレーネの方が上だ。前世の自分は地味顔でこれといった特徴はなかった。化粧を施しても十人並といったところだ。
「何をなさっているのですか?」
鏡に映った自分の後ろにいつの間にかローラントが立っている。
「ロ、ロロロ、ローラント!」
慌てて振り向くと、ローラントはものすごく呆れた顔をしている。しかし、すぐに思案しているようなそぶりをしたかと思うと、片側の口の端を上げて意地悪そうな顔つきに変わった。
「まさか、ご自分の容姿に見惚れていたのですか? 確かに殿下は美しいですが、公の場では控えられた方がよろしいのでは?」
いえいえ。貴方の方が美人ですという突っ込みは心の中だけにとどめ、セレーネは言い訳をする。
「違うわよ! 少し身だしなみを整えていただけよ。私はナルシストではないわ!」
正確には見惚れていたかもしれないが、あくまでセレーネの容姿を客観的に見ていただけだ。必死に言い訳をするセレーネにローラントは堪えきれずぷっと吹き出す。
「冗談です。殿下があまりにも姿見を食い入るようにご覧になっていたので」
「よくもからかってくれたわね。覚えていなさい。ところで午後からは休みのはずよ。何か急な用事でもあるのかしら?」
ひとしきり笑ったローラントだが、急に真面目な顔になると、何やら逡巡している。口を開くのをためらっているようだ。いつもずけずけと物を言うローラントにしては珍しい。
「貴方らしくないわね。何か言いたいことがあるのであれば、はっきり言いなさい」
「……それでは、ノルクシュタット公爵令息との婚約を白紙に戻されたと陛下からお聞きしましたが、誠でしょうか?」
「ああ。そのこと? 本当よ」
おそらくヴィンセントを慕っていたことはローラントも知っている。前世の記憶が戻る前は仕事の話の他にヴィンセントの話ばかりしていたのだ。
婚約を白紙に戻したと国王から聞いたローラントは、心配してセレーネの様子を見にきてくれたのだろう。
(もう、ローラントにまで気を使わせて何をやっているのよ。セレーネ。って私か)
記憶を取り戻してから何度目か分からない突っ込みをする。
「そう……なのですか。その、殿下はそれでよろしかったのですか?」
「いいのよ。あんなクズ男。結婚前に本性が分かって良かったわ」
セレーネは元婚約者をすでに名前では呼ばずに、クズ男呼びしている。
「は? クズ男ですか?」
「そう。クズのような男だからクズ男よ」
思わずローラントと顔を見合わせて笑い出す。久しぶりに心の底から笑った気がする。思えばヴィンセントと一緒にいても、セレーネが一方的に話すだけだった。恋は盲目とはよく言ったもので、その時のセレーネは楽しんでいたのだろう。だが心から楽しかったかと聞かれれば、そうだとは言えない。今こうしてローラントと笑っている方がずっと楽しいからだ。
「午後からの予定はなくなったし、お茶に付き合いなさい。ローラント」
「私でよろしければ、喜んでお付き合いします」
その日の午後はローラントとお茶を飲みながら、楽しい時間を過ごしたセレーネだった。
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