30.
記念するべき三百回目の建国祭は歴史に残る事件が勃発し、波乱に満ちていた。だが、事件は迅速に解決し、幕を引いたのだ。
セレーネの暗殺を企てたハルヴィオン侯爵は裁きの後、毒杯を賜った。だが、家族はハルヴィオン侯爵の企みを知らず家の取り潰しは免れ、爵位は長男が引き継いだ。実行役の家令は家族の命を盾に取られたこと、暗殺が未遂に終わったことで情状酌量となり、家族とともに国外追放となった。
そして、今日はフローラが離宮に旅立つ日だ。
セレーネは国王とともに王宮の門まで馬を駆ってフローラの見送りに来た。
「あの……お姉様。今までいろいろとごめんなさい。わたくしお姉様が羨ましかったの。美しくて賢くてわたくしにはないものをたくさん持っている。それなのにお父様の愛情や女神エステルにも愛されてずるいって妬んでいたの。逆恨みもいいところよね」
「本当に困った子よね。私はずっと貴女と仲良くしたかったのよ。だって腹違いでも私たち姉妹だもの」
「お姉様!」
フローラが涙を流してセレーネに抱き着いてきたので、子供をあやすように背中を優しく撫でてやる。
「お許しが出て王宮に帰ってきたら、お茶会でもしましょう。その前に私が離宮に遊びに行くけれどね」
「本当に? 約束よ。お姉様」
「ええ。約束よ。ほら! 小指を出して」
フローラは首を傾げながら、おずおずと小指を出す。セレーネは小指を絡ませて指切りげんまんをする。
「約束の証よ。それから……」
こそっとセレーネが耳元で囁くと、泣き笑いをしながらフローラは頷いた。
馬車が出立すると、「お父様! お姉様! お元気で!」とフローラは窓から顔を出して手を振っていた。二人の姿が見えなくなるまでいつまでも……。
「行っちゃったわね。あ~あ。寂しくなるな」
「フローラにこっそりと何を囁いていたのだ?」
「ああ。離宮に従者を一人送ったから、こき使ってやりなさいと」
その従者とはヴィンセントのことだ。ヴィンセントは謹慎中のフローラに度々会いに行っていたことが、ノルクシュタット公爵の耳に入った。怒ったノルクシュタット公爵はヴィンセントを勘当したのだ。
路頭に迷っていたヴィンセントにローラントを通じてこの話を持ちかけたところ、彼は二つ返事で頷いた。クズ男ではあるが、フローラを愛する気持ちは本物のようだ。
「そうか」と国王は納得したように微笑む。
「そう遠くない日にフローラには恩赦を出すつもりだ。姉妹仲良く茶会をする日も近いだろう」
国王は馬首を返しながら、そう呟いた。
「お父様、感謝いたします」
「セレーネ。建国祭でいろいろとあって疲れたであろう? 今日はこのままローラントと遠乗りにでも行ってくるがよい」
「……お父様」
国王はそのまま馬を走らせ王宮へと帰っていく。入れ違いに王宮の方向からローラントが馬を駆ってくるのが遠目に見える。
「殿下。お待たせいたしました。さて、どこへ行きましょうか?」
「そうね。ではカルナシオンの丘まで行きましょう」
カルナシオンの丘というのは王都一帯を見渡せる小高い丘のことだ。
「かしこまりました」
「ではカルナシオンの丘まで競争しましょう!」
セレーネは手綱を取ると、愛馬を走らせた。
カルナシオンの丘に辿り着いた二人は草むらに腰を下ろし、眼下に広がる王都の街並みを眺めていた。
「それにしても、キリアン・オーランド大使がソンウォーレン帝国の皇帝とは思いませんでした。高位の貴族であろうことは推測できましたが……」
キリアン・オーランドの素性は、ソンウォーレン帝国の皇帝でアダルバート・キルリアン・ソンウォーレンという。セレーネの母クリステアの年の離れた弟でセレーネにとっては叔父にあたる。
「私もまさかと思ったわよ。でも、私のことをよく知っているみたいだったし、たぶん近しい間柄かなと考えたの。思い当たるのは一人しかいなかったわ」
キリアンはセレーネが女神エステルの神託を受けたことを聞きつけ、身分を偽ってたった一人の姪の様子を見に来たのだ。
昨夜、セレーネを訪ねてきたキリアンは自分の身分を明かし、謁見の時に言っていた国の話やマティアスのことなどを語ってくれた。
『マティアスは姉のクリステアの護衛騎士としてともにリンドベルム王国へ渡ったんだ』
だが、セレーネを出産した直後、クリステアは亡くなった。亡くなる間際、セレーネのことを頼むとマティアスに言い残したのだ。
王族は生まれてすぐに鑑定を受けるのだが、セレーネにはある問題があった。
『セレーネには生まれながらにして女神エステルの加護があったんだ』
神託もないのに女神エステルの加護を受けたセレーネのことを知れば、つけ狙う者が必ず出てくる。そこである程度の年齢になるか、女神エステルの神託を受けるまでは市井で育てることを国王は決断した。
『愛した正妃の忘れ形見を手放すことは苦渋の決断だっただろう。そこで信頼のおける者に娘を託すことにしたんだ。それがマティアスだった』
子育てなどしたことがないマティアスだったが、主の忘れ形見であるセレーネをそれは大切に育てた。女神の加護があるおかげなのかセレーネは健康にすくすくと育っていったのだ。そして、十四歳になったセレーネをようやく実父である国王に返すことができた。
『寂しくもあったが、其方が立派な女王となるのが望みだとマティアスは語っていたぞ。まあ、ちょくちょく王宮を抜け出してはマティアスに会いに行っているらしいがな』
建国祭の折、マティアスに会いに行ってキリアンに出くわした時、彼は気づいていたようだ。
そして、翌日キリアンはソンウォーレン帝国がセレーネの後見人となる旨の文章を国王と取り交わし、帰国の途に着いた。
「それがオーランド大使。いえ。皇帝陛下の目的だったのですね」
「そうみたいね。まどろこっしいことをしないで皇帝として来ればいいのにね」
肖像画で見た母クリステアと同じ金色の瞳を思い出す。意思が強そうな、それでいて慈愛に満ちた優しい瞳をしていた。
「殿下の成長をこっそり見に来たのでしょう?」
「セレーネよ」
「はい?」
「二人きりの時は名前で呼べと言ったでしょう? それに何で日本語だとタメで話せるのに、こちらの言葉だと敬語なのよ」
前世のことを語った時は日本語だったのだ。懐かしい凪の口調。ところが、こちらの言葉で話すとローラントは敬語が抜けない。
(敬語も萌えるからいいんだけどね!)
「セレーネ」
草むらについているセレーネの手にローラントは自分の手を重ねる。セレーネよりずっと大きな手は温かい。
「何? ローラント」
自分で名前で呼べと言いながら、いざ艶っぽい声で名前を呼ばれるとドキッとする。
「愛している。今度は必ず君を幸せにする。もう離さない」
「私も愛しているわ」
丘の下に広がる王都の街並みを背に二人の唇がゆっくりと重なった。
風がさあと吹き抜け、木々や草が揺れる音がする。
雲間から差す一筋の光は二人を祝福しているように優しく照らしていた。
<完>
これにて完結です。
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