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セレーネは次期女王として国政に関わる仕事をしている。王女として王宮に迎えられてから、国王は常にセレーネをそばに置き、自分の仕事を見せてきた。帝王学を国王自ら叩き込んだというわけだ。
十六歳で後継者として指名され、王太女となってからは国王の仕事を一部担っている。
「セレーネ殿下!」
いつものように執務机で仕事をしているセレーネを見るなり、血相を変えたローラントが叫ぶ。
「あら、ローラント。おはよう」
ローラントはセレーネの補佐官だ。王太女として執務室を与えられた際に国王が付けてくれた補佐官である。なかなか優秀で頼りになる男だ。
普段は冷静なのだが、ノックもせずに執務室へ飛び込んできたということは、おおかたセレーネ付きの侍女から仕事をしていることを聞いて、慌てて駆け付けたといったところだろう。
「おはようではありません! なぜ仕事をしているのですか? 昨日倒れたばかりだというのに!」
今朝、侍女から聞いた話によると、セレーネは四阿近くの回廊で倒れていたところを発見されたそうだ。
すぐに宮廷付きの医師が呼ばれ、セレーネの容態を診察したのだが、身体に異常はなく、貧血で倒れたのだろうということだった。
「どこも異常はないから大丈夫よ」
雷に打たれたわりには医師も異常がないというのだから、大丈夫だろう。
どうやらセレーネが雷に打たれたところは誰も目撃していなかったらしく、敢えて倒れていた理由は黙っておくことにした。それに雷に打たれたけれど無傷でしたと言っても、誰も信じないだろうと考えてのことだ。
「そうではなくて……はあ。もういいです。どうせ何を申し上げても、頑固な貴女は言う事を聞かないでしょうから」
ローラントは諦めの表情を浮かべ、ひとつため息を吐く。セレーネが一度こうと決めたことは頑なに貫こうとすることを知っているからだ。
彼とはセレーネ付きの補佐官となってから二年の付き合いだ。おかげでセレーネの人となりは理解してくれている。
「ため息を吐くと幸せが逃げるわよ」
「誰のせいだと思っているのですか? とにかく無理はなさらないでください。体調が悪くなったらすぐに休むこと。約束していただけますか?」
そう言うとローラントは小指を立てる。約束の証にするいわゆる「指切りげんまん」だ。セレーネが小指を立てると、ローラントは自分の小指を絡ませる。
「約束するわ」
おなじみの「指切りげんまん」の歌はないが、そのほうがありがたい。何せあの歌は嘘をついたら、針を千本飲まされるという恐ろしい歌詞だ。実際飲まされはしないが、想像するだけでセレーネは喉が痛くなってくる。
(この世界にも指切りげんまんってあるのね。まあ、日本人が書いた小説の世界だものね)
「ローラント、朝議の後にお父様と少しお話をしたいの。伝言を頼めるかしら?」
国王に向けてしたためたメッセージカードをローラントに手渡す。メッセージカードは封筒に入れて封蝋を施してある。
「承知いたしました」
きれいに一礼をすると、ローラントは国王にセレーネの言葉を伝えるため、執務室を出ていく。今度は扉を静かに閉めて退室した。入ってきた時とは全く違う所作だ。
「ローラントはヴィンセントとはまた違ったイケメンよね。『エステルの戴冠』ではモブ扱いだったけれど、十分主役になれる顔だわ」
ローラントが退室した後、朝議に使う書類をまとめながら、セレーネはひとりごちる。
ドレンフォード公爵家の令息であるローラントは、アッシュブロンドの髪にアメジストの瞳をしたイケメンだ。どちらかというと中性的な顔立ちなので、セレーネは密かに美人さんと心の中だけで称賛している。
名門公爵家の長男なのでいずれ家督を継ぐはずなのだが、なぜかセレーネの補佐官として王宮勤めをしている。
貴族が領地経営の他に王宮勤めをしていても何ら珍しいことではない。ただ、ドレンフォード公爵家は国の果てにある魔法使いの塔の長を代々務めている。
この世界にはいろいろな魔法がある。身分が高くなるほどに魔力量が多いと言われており、国一番の魔法使いを輩出しているのがドレンフォード公爵家だ。
そして聖属性の魔法を唯一使えるのが女神の愛し子であり、『エステル』の名を授かる。歴史の中で『エステル』の名を授かったのは、王侯貴族からであったり、庶民であったりと様々だった。ただ、共通するのは必ず女性であるということだ。
「まあ、私はこの程度の生活魔法しか使えないから、ショボいとバカにされるのよね」
セレーネが人差し指をピッと立てると、書き損じの紙がくるくると丸まってゴミ箱に飛んでいく。市井にいた頃は、生活魔法を使えるということで重宝されていたというのに……。
ローラントは聖属性以外の全魔法を使えるはずだ。次代の魔法使いの塔の長として期待されていることだろう。
以前、それとなくローラントになぜ補佐官を引き受けたのか聞いたことがある。だが、はぐらかされてしまった。
「お父様に頼まれたからということだとは思うけど。いずれ魔法使いの塔の長になるのだろうし、女王補佐官にはなってくれないんだろうなあ」
女王に即位した際に優秀な補佐官がそばにいれば心強い。ローラントが女王補佐官になってくれないだろうかとあれこれ考えているうちに、朝議の時間が迫ってきた。
「まあ、女王になるかどうか分からないから、あれこれ考えても仕方ないかしら?」
何せいずれ断罪されて破滅する身だ。特にフローラを害する気もないが、物語が忠実に進もうとすれば強制力が働くだろう。
「ただ放逐されるだけなら何とかなるけどね。元々平民として育ったし、前世も庶民だったから働くことは苦じゃないわ。ショボい魔法だけど魔力持ちだから、何とか職には就けるでしょう」
だが、過酷な環境の修道院に送られるとか、魔石が採れる鉱山で強制労働という処遇になったら、何とかこの国から逃げ出すことを考えようとセレーネは思う。
「そろそろ朝議が始まる時間ね」
朝議には当然王太女であるセレーネも出席している。先ほどまとめた書類を手に立ち上がると、優雅な足取りで朝議の間へ向かった。
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