23.
セレーネが行きたい場所は自分が育った教会だった。小さな教会だが、正面にきれいなステンドグラスがハマっている扉がある。色とりどりのステンドグラスが夕暮れに照らされる瞬間を見るのが、セレーネは好きだった。
「こちらはもしや殿……レーネが育ったという教会ですか?」
「そうよ。よく知っているわね。話したことがあったかしら?」
首を傾げているセレーネにローラントは苦笑する。ローラントはセレーネ自身から聞いたことがあるのだが、セレーネはそのことを覚えていないのだ。
「まあ、いいわ。入りましょう」
扉に手をかけると、少しきしんだ音を立てて開いていく。正面には女神エステルの彫像がある祭壇があり、彫像の背面にはステンドグラスがハマった大きな窓がある。左右には礼拝に訪れる人用の長椅子が置かれていた。
「養父さん! いるの? レーネよ」
セレーネが呼びかけると祭壇の横にある扉が開き、四十代くらいの男性が姿を現す。黒い長衣を着た男性はこの国では珍しい赤い髪だ。切れ長の緑の瞳は目が悪いのか丸いメガネをかけている。
「レーネ? 王宮を抜け出してきたのか?」
「久しぶりね、養父さん。二年ぶりくらいかしら?」
セレーネが養父と呼んだ男性は苦笑する。
「そう呼んでくれるのはありがたいが、お前の実の父君は国王陛下なのだから……」
「でも、育ててくれたのは養父さんだもの。養父さんは養父さんよ」
男性は窘めているが、セレーネを見つめる目は優しい。まさに父親の目をしている。
「仕方のない子だ。ところでそちらの方はどなたかな?」
セレーネの後ろに立っているローラントに向ける目は好奇心に満ちている。
「申し遅れました。セレーネ王太女殿下の補佐官でローラント・ドレンフォードと申します」
紳士の礼を取って挨拶をするローラントだが、男性は恐縮したように手を振る。
「ご丁寧にありがとうございます。しかし、私は貴族ではありませんので、そのような挨拶は不要です。マティアス・トールヴェストと申します。レーネいえセレーネ王太女殿下を十四歳まで保護していた者です」
「貴方が殿下の養父様ですか。ここまで立派に育てていただきありがとうございます」
「いえいえ。娘がお世話になっております」
マティアスとローラントは互いに頭を下げあっている。
(何の挨拶よ? 親同士の挨拶みたいなんだけど。養父さんはともかくローラントは親じゃないでしょ! ああ。でも、ある意味保護者みたいなものか)
井戸端会議のようにローラントとマティアスはセレーネの話で盛り上がっている。小さな頃の話とかセレーネの失敗談とか、聞いていて恥ずかしくなったセレーネは二人の会話に割って入った。
「ちょっと養父さん。ローラント。いい加減に……」
「マティアス。客か?」
奥の部屋から出てきた人物がマティアスに呼びかける。その人物を見てセレーネはひゅっと喉を鳴らす。
(あれはキリアン・オーランド!?)
マティアスに呼びかけたのは、ソンウォーレン帝国の大使であるキリアン・オーランドだった。
声にならない悲鳴を上げながらローラントに顔を向けると、彼は頷く。セレーネの考えは分かっているようだ。
「それでは牧師様。私たちはこれで失礼いたします」
キリアン・オーランドに正体がバレるのはまずいので、マティアスとあまり話せないのは心残りだが、早々に撤収することにする。
「先ほど養父さんと聞こえた気がしたが、礼拝に来た者なのか?」
怪訝な様子でキリアンがマティアスに尋ねる。
(しまった! 大声で叫ぶんじゃなかった)
セレーネは激しく後悔しながら、帽子を目深に被り直す。
「ええ。昔育てていた子たちの一人なので、養父と呼んでくれる時もあるのですよ」
「そうなのか」
咄嗟にマティアスはごまかしながら、後ろ手で「早く行け」とサインをする。心の中でお礼を言いながら、セレーネとローラントは教会を出て行った。
足早に教会から遠ざかり、人通りの多い広場まで来ると二人は立ち止まる。
「何であいつが養父さんの教会にいるのよ!」
「顔見知りのようでしたね」
キリアンとマティアスの接点を考えて、セレーネは一つ思い当たることがあった。
「養父さんはグラキア大陸出身なの。祖国の話は聞いたことがなかったけれど、ソンウォーレン帝国かもしれないわ」
「ソンウォーレン帝国は赤い髪をした方が多いですからね。オーランド大使と同じ国出身だとしたら、接点はあるのかもしれませんね」
リンドベルム王国に来る前にマティアスとキリアンは何かしら面識があったのかもしれない。いまいち得心はいかないが、そう納得することにした。
「久しぶりに養父さんとたくさん話をしようと思っていたのに……残念だわ」
後日、あらためてマティアスに会いに行き、キリアンについて尋ねようと、セレーネは決心する。
「まさか王宮を抜け出して養父様に会いに行こうとお考えですか?」
「何で人の考えを読むのよ! まさか人の心を読む魔法が使えるんじゃないでしょうね?」
国でも最高の魔法使いであるローラントであれば、そういった魔法も使えそうだ。
「そのような魔法はありませんよ。殿下の考えることは何となく分かるだけです」
「じゃあ読心術とか?」
「さあ? それより露店を見て回りたいのではないですか? 早くしないと店が閉まりますよ」
上手くごまかされてしまったが、そろそろ日が暮れるのは確かだ。建国祭の間は夜遅くまで露店は営業しているはずだが、王宮に帰る時間を計算すると、露店回りを始めた方がいいだろう。
「それもそうね。行くわよ、ローラント!」
露店が立ち並んでいる辺りは食欲をそそる匂いが立ち込めている。匂いだけで涎が出そうだ。
「串焼き美味しそう! あっ! おにぎりもある!」
目移りしながらセレーネがチェックしているのは食べ物を売っている店ばかりだ。苦笑しながらローラントはそんなセレーネを見ている。
「レーネは食いしん坊ですね」
「失礼ね! ローラントだってお腹が空いているんじゃないの?」
「まあ、空いていますね」
「そうでしょう。まとめて買ってどこかで食べましょうよ」
街路にはところどころに座って食事ができるように、テーブル席が設けられている。
「何が食べたい?」
「レーネが欲しいものを買ってください」
「ローラントが好きなものは?」
「私は好き嫌いはありません」
ローラントは貴族なので、露店で買い食いをしたことがないのだろうと思い至ったセレーネは、美味しそうな食べ物を選んで二人分買い込む。
買い込んだ食べ物を手に、空いているテーブル席を確保した二人は露店の食べ物に舌鼓を打つ。
「う~ん。この串焼き美味しいわ。やっぱり肉は炭焼きに限るわね。そして肉には米よね!」
串焼きとおにぎりをそれぞれ両手に持ち、セレーネは交互に食べる。ローラントはひたすら食べているセレーネをテーブルに肘をついて見ていた。
「そんなに見られていると食べにくいんだけど……」
ローラントの視線に気づいたセレーネは一旦食べる手を止めて、ジト目になる。
「いえ。美味しそうに食べられるなと思いまして……。実にいい食べっぷりですね」
「見ていないで貴方も食べなさいよ」
ふとローラントの手元を見ると、皿はすでに空だ。
(いつの間に全部たいらげたの?)
「私のことは気になさらず食事を続けてください」
にっこりといい笑顔を向けられながら、それでもセレーネは相変わらず美味しそうに食べ、全てたいらげたのだった。
お腹も満たされたので、そろそろ王宮に帰ろうと街路を歩いていると、ある露店の前で足が止まる。
「あら? 可愛い」
アクセサリーを売っている露店なのだが、セレーネはその中で雪の結晶の飾りがついたヘアピンが気になった。
「気に入ったのですか?」
「可愛いなと思って……」
ローラントは頷くと、露店の店主に声をかける。
「すみません。このヘアピンをください」
「おっ! お兄さん、彼女にプレゼントかい?」
(彼女じゃないんですけど!)
心の中でセレーネは突っ込みを入れるが、敢えてローラントは否定をせずに品物を包んでもらっている。
「どうぞ。今付けてみますか?」
今、買ったばかりのヘアピンをセレーネに手渡しながら、ローラントは微笑む。
「そうね。付けてみようかしら?」
包み紙からヘアピンを取り出し、セレーネはサイドの髪を留める。
「どう? 似合うかしら?」
「ええ。よく似合っています」
うれしそうにローラントが微笑むので、セレーネもうれしくなる。
「ありがとう。大切にするわ」
ローラントに初めてもらったプレゼントをセレーネは家宝にしようと、心に決めたのだった。
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