18.
慌ただしく過ごしているうちに、建国祭まで残すところあと三日となった。
「海向こうのウィンドムーア王国は宗教上の理由で牛肉が食べられないの。彼らの晩餐には牛肉以外のメイン料理を出してね」
「そちらは手配済です。では次ですが……」
「あっ! 動かないでくださいませ、殿下。針が刺さってしまいます!」
衝立越しにローラントと最終打ち合わせをしていると、ミレーヌに注意をされる。時間がないので、ドレスの直しをしながら、打ち合わせをしているのだ。
「適当でいいわよ、ミレーヌ」
「そうは参りません! 今調整しているのは舞踏会用のドレスです。ここのところ、殿下は激務のせいで、お痩せになられたのでお直しが必要なのです!」
建国祭が終わるまでは激務が続く。ドレスに合わせて体型を合わせる自信はセレーネにはない。
「しっかり睡眠時間を取られていますか?」
心配そうな声でローラントが尋ねる。
「ドレンフォード卿、聞いてくださいませ。殿下はお休みになられたかと思うと、床の中でこっそり書類をお読みになっていらっしゃいますし、夜が明けないうちから自室で仕事をされています」
ミレーヌはもともとしっかりしていたが、最近はさらにしっかり者となりセレーネの悪いところは、はっきりと諫めてくる。
「残った仕事は私が処理いたします。殿下はしっかりお休みになられてください」
「そうしたら、ローラントがオーバーワークになってしまうでしょう?」
「私は男ですから、殿下よりは体力がございます」
「体力面なら負けないわよ。聖属性の魔法を授かってからは疲れないのよ」
不思議なことに『女神の愛し子』となってからは、あまり疲れを感じない。三日くらい完徹しても大丈夫そうだ。
「それは無意識に魔法でご自分を癒しているからですよ。もともと殿下は魔力量が桁違いですから、魔力切れすることはないでしょうが、そういう魔法の使い方はおすすめできません」
「そんな仕組みになっているの? 便利ね」
聖属性の魔法は自分を治すこともできるらしい。自分でエナジードリンクを生成しているようなものだとセレーネは思った。
「どこまでプラス思考なのですか?」
「お二方ともそろそろ休憩なされてはいかがでしょうか? かれこれ二時間以上もお立ちになったまま仕事をされていますよ」
強制的にミレーヌに休憩させられたセレーネとローラントは、そのままセレーネの自室でお茶の時間を楽しんでいる。
「いい香りね。ミレーヌが淹れてくれるお茶は美味しいわ」
「ええ。落ち着きますね。ところで建国祭でのエスコートですが、私が務めさせていただきます」
カップをソーサーに戻しながら、ローラントが切り出す。
「お父様の命令なの? 他にお相手がいれば無理しなくてもいいのよ」
「相手などいませんよ。私からエスコート役を国王陛下に申し出たのです」
セレーネは首を傾げる。
「ローラントが自分からエスコート役を? なぜ?」
お茶のお代わりをカップに注いでいたミレーヌがローラントに囁く。
「殿下はなかなか鈍いですね」
「そうでしょう。手強い方ですから。まあ、じっくり攻めていきます」
頭にクエスチョンマークを浮かべて考えているセレーネにその会話は聞こえなかった。
◇◇◇
建国祭前日にちょっとした問題が起こった。
いつも冷静なローラントが珍しく慌てた様子で執務室に入室すると、簡単にセレーネに挨拶を済ませ、前置きなしで本題を切り出す。
「殿下、注文しておいた鶏肉の重量が足りません」
牛肉が食べられないウィンドムーア王国のために注文をした鶏肉の重量が足りないという問題が起きたのだ。
「おかしいわね。発注書の重量では十分なはずなのに……」
セレーネは発注書とローラントが手にしていた納品書を見比べる。通常は発注書どおりの品が王宮に納品されているはずなので、途中の工程で何か不具合があったのだろうとセレーネは推測した。
「申し訳ございません。私の確認不足です」
「ローラントのせいではないわよ。何か手違いがあったのでしょう。仕方ないわね。今から鳥や鹿でも狩りに行きましょうか?」
「冗談を仰っている場合ではございません」
セレーネは割と本気だったのだが、ローラントは場を和ませる冗談だと思ったらしい。
鶏肉を提供する賓客の人数と納品された鶏肉の重量でどれくらい賄えるのか、セレーネはざっと計算してみる。
「一日分は何とか賄えそうね。急ぎで追加発注をすれば、何とかなるんじゃない?」
「それが祭りの屋台で大量に使用するらしく、今から発注しても届くのは三日後になるそうです」
「大変じゃない!」
他の肉を使った料理か魚料理に切り替える相談をしていると、ミレーヌが茶器を取り換えながらおずおずと手をあげる。
「あの……発言をお許しいただけるでしょうか?」
「どうしたの、ミレーヌ?」
「よろしければ鶏肉の件をお任せいただいてもよろしいでしょうか? わたくしにあてがございます」
その日の夜、アルムグレン伯爵領から大量の鶏肉が王宮の厨房へ届いた。届いた鶏肉を確認しながら、ローラントが頷く。
「なるほど。アルムグレン伯爵領は畜産が盛んな地域でございましたね」
アルムグレン伯爵領は牛や豚、羊や鶏などの家畜をたくさん育てており、国内に流通している肉や卵はほとんどがアルムグレン伯爵領産である。しかも良質だ。
セレーネの助けになればとミレーヌは通信の魔道具を使って、父親のアルムグレン伯爵に頼み込んだのである。
「ありがとう、ミレーヌ! この恩は一生忘れないわ!」
セレーネはミレーヌを抱きしめて喜ぶ。尊敬するセレーネに抱きしめられたミレーヌの顔は真っ赤に染まっている。
「恩などと恐れ多いです。殿下はわたくしの命の恩人でございます。まだまだご恩返しができておりません」
「そんなことないわよ。何か私にできることがあったら、何でも言ってちょうだい」
そしてまたミレーヌを抱きしめる。思い切りミレーヌを抱きしめているセレーネにローラントが苦笑しながら諫める。
「いい加減にしないと、ミレーヌが窒息死しますよ。ですが、これで建国祭を無事に迎えれそうですね」
「そうね。気を引き締めて臨みましょう!」
「明日は気合いを入れてお支度をさせていただきます。今度は数人で取りかからせていただきますので、殿下のお時間を無駄にはしません」
あれから侍女の入れ替えを少しずつ始めたおかげで、専属ではないがセレーネ付きの侍女を数人置くことができたのだ。
何か仕掛けてくるのではないかとフローラの動向を警戒していたが、不気味なくらいおとなしい。建国祭は監視のもと王女としての公務を果たし、終了後は離宮へ住まいを移すことになっている。王宮へはいつ戻ってこられるかは分からない。国王の采配次第だ。
(おとなしいままでいてくれるといいのだけど……)
だが、フローラがこのままおとなしくしているとは考えにくい。もしも何か仕掛けてくるとすれば、建国祭の期間中だろうとセレーネは考える。
何もないに越したことはないが、注意して行動しようとあらためて思うセレーネだった。
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