17.
何者かがセレーネの魔力を阻害していたのだ。その何者かの正体をセレーネは知っている。
(そういうことなのね。貴女の好き勝手にはさせないわよ、フローラ!)
魔力を阻害していたのはフローラだ。表向きフローラは水魔法の使い手としているが、実は阻害魔法という厄介極まりない魔法属性も持っている。名の通り魔力を阻害する魔法だ。普段は使わないようにと国王から禁止されている。これは国王とセレーネしか知らない事実だった。
しかし、魔力量はセレーネの方が上だ。フローラを上回る魔力を手先に集中させ、セレーネは祈る。
「女神エステルよ。どうかお力をお貸しください」
「しおらしく女神エステルに祈っても無駄ですわよ、お姉様」
勝ち誇ったように微笑むフローラの声と同時に、『愛し子の願いのままに』という女神エステルの声が頭の中に響く。
瞬間――。
セレーネと泉は眩いばかりの金色の光に包まれる。あまりに強い光に近くにいた者たちは目を覆う。
「きゃあああああ!」
悲鳴とともにフローラは後ろの壁まで飛ばされる。
「フローラ!」
光が収まった頃、慌ててヴィンセントがフローラに駆け寄るが、国王に阻まれた。国王は気絶したフローラを横に寝かせる。
「下がれ、ヴィンセント。フローラは余が見る」
立ち上がったセレーネはフローラのもとにツカツカと歩み寄ると、彼女の体に手をかざす。金色の光に包まれたフローラはうっすらと目を開けた。壁にぶつかった衝撃で傷ついた体をセレーネが魔法で癒してやったのだ。
「ううう。お……ねえ……様」
「申し開きは後ほど聞くわ、フローラ」
厳しい口調でそれだけ言うと、セレーネは神殿長の前に立つ。
「これでよろしいでしょうか? 神殿長」
「はい。少々ハプニングがありましたが、『女神の愛し子』として貴女を認定いたします。セレーネ王太女殿下。いえ、セレーネ・エステル王太女殿下」
正式にセレーネが『女神の愛し子』として認定されたことは、国中に知れ渡ったが、公式に発表されるのは間近に迫った建国祭の日となった。
◇◇◇
執務室にはひたすら印を押す音が響く。
「あんの野郎……いや女だから野郎じゃないか。クソお嬢ちゃん? 何でもいいわ! あざとい娘め!」
「そのような汚い言葉遣いをされますと、女神エステルに嫌われますよ」
仕事に打ち込めば少しは苛立ちが紛れるかと一心不乱に印を押していたセレーネだが、ついに不満を口に出してしまった。
セレーネの苛立ちの理由は昨日まで遡る。
昨日神殿から戻ったセレーネはフローラとともに国王に呼び出された。セレーネ個人でフローラを問い詰めるつもりでいたが、国王が自ら問い質すと申し出てくれたのだ。セレーネとしては冷静なつもりでいても、フローラの言動如何でうっかり殴って……もとい手を出してしまうかもしれないので、国王の申し出はありがたかった。
呼び出されたフローラはしおらしかったが、おそらく演技だとセレーネは見抜いていた。一見か弱そうに見えるが、フローラは強かだからだ。
『どういうことか説明せよ、フローラ』
さすがに国王の口調も厳しく、フローラはほろりと涙を流す。
『お姉様が羨ましくて……少しいたずらをしただけです……大事になるとは思いませんでした。申し訳ございません』
『其方のしたことはいたずらでは済まされぬことだ。セレーネが上手く泉を光らせたから良かったものの何も起こらなければ、どうするつもりだったのだ?』
(私を偽物扱いするつもりだったんでしょうね。浅はかな子だわ)
フローラは先のことまでは考えていない。もともと深く考えることが嫌いなのだ。鑑定の場でセレーネを笑い者にできれば、それで良かったのだろう。
セレーネが女神エステルの神託を受けた場面を多くの人間が目撃しているのだ。セレーネ以外に女神の声が聞こえないとしても、あの奇跡は簡単に起こせるものではない。仮に泉が光らなかったとしても、魔法使いが鑑定すれば、すぐに真実が分かる。少し考えれば辿り着く結論だ。
しゃくりあげながらフローラは『申し訳ございません』と繰り返す。国王は、ふうとため息を吐く。
『フローラ。其方の行動には今まで多少目を瞑ってきたが、甘やかしすぎたようだ』
今までは多少悪いことをしても、反省したふりをして泣けば国王は許してくれたのだろう。だが、今回は多少の罰を覚悟してもらわなければならない。
『追って沙汰を言い渡す。しばらくは自室で謹慎しているが良い』
『……はい』
国王も娘の処遇を決めかねているようだ。敢えて口出しをするつもりはないが、甘い処罰を課すようであれば、抗議するつもりでいる。
(『女神の愛し子』の魔力を阻害しただけで、物語のセレーネみたいに害そうとしたわけでもないからね。まあ、フローラは王女だし、しばらく離宮で反省と言ったところかな?)
二人そろって国王の執務室を出たところでフローラが囁いた。
『女神エステルの神託を受けたからと言っていい気にならないことね、お姉様。このままでは済まさないわよ』
先ほどまで泣いていたはずだが、目は赤くなっていない。それどころかフローラは憎悪のこもった瞳でセレーネを睨みつけると、そのまま去っていった。
フローラの捨て台詞を思い出し、セレーネはダンと机を叩く。
「『今泣いたカラスがもう笑った』とはよく言ったものだわ! 全く反省していないじゃない!」
現在、フローラは自室でおとなしくしているようだが、そのうち何か仕掛けてくるかもしれない。そう思うとセレーネは気が気でないのだ。
「それにしてもフローラ王女殿下はどうしてここまで殿下を目の敵にするのでしょうか? 母君が違うとはいえ姉妹ですよね?」
「市井で育った異母姉が突然帰ってきて、好きなクズ男を取られたから?」
「そのクズ男は婚約が白紙に戻ったので、上手くすれば結婚できるではないですか。お二人は両想いなのですよね?」
フローラとヴィンセントは幼い頃から両想いだったが、突然現れた異母姉にヴィンセントを奪われてしまった。だが、婚約は解消したので多少の苦労は味わってもらうが、いずれは結婚させても構わないとセレーネは考えていたのだ。その場合、仮にも王女を降嫁させるので、そこそこ高位の爵位を与えられるだろう。
(もしかして物語の強制力ってやつかな? ラストまでセレーネとフローラは分かりあえなかったものね)
いろいろ確執はあるが、セレーネはフローラのことが嫌いではない。物語のフローラは良い子過ぎて好きになれなかったが、この世界のフローラは人間味があるのだ。仲良くできるものなら仲良くしたいのだが、フローラのセレーネに対する態度が軟化しないとどうしようもない。
「殿下が仕事に集中できないようですので、お茶の時間にいたしますか?」
「仕事に集中できないは余計だけれど、お茶の時間は賛成だわ。ミレーヌを呼びましょう」
ローラントと話しているうちに苛立ちは自然と収まった。
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